この世界の日(1)
リリアは、マリア・ウトピシュトナ……女王の娘である。その事実は何となく言われれば納得する事だった。
何しろ、マリアにせよアリアにせよ、リリアと外見的に似通った部分がある。何よりも二人とも『リア』を有する名前であり、そっくりな部分は多い。
栗毛色の髪、柔らかくも凛々しい顔立ち……何より三人とも美人である。いや、何が何よりなんだ? 混乱しているのかよくわからないが、兎に角似ているのだ。
「しかし、お姫様か……」
リリアは勇者で魔王でお姫様で……。一体どれが本当のリリアに近いのだろうか。どれも正解のようで、どれも間違った肩書きだ。
どんな肩書きがあの子に似合うのか、少し考えてみる。それはそう……多分ちょっと可愛い田舎娘、くらいでいいのだろう。
カザネルラの海辺を歩く普通の女の子くらいであの子には丁度いい。なのに、背負っている肩書きの大きさが彼女を押しつぶして行くような、そんな気がしている。
勇者だけでも重いのに、どれだけのものがあの子に背負わされているのか。それでもそれを何とか背負おうとしてあの子は頑張るのだろう。俺よりもずっと前向きで、俺よりずっと勇気のある女の子だ。
これまで長い間色々なシーンのリリアを見てきた。それこそ、彼女は物語の主人公と呼べる存在なのだろう。でもいつもリリアは思えば誰かの中に居ても、何故か一人だった。理由はきっと、俺が傍に居たからだ。
リリアは俺を信じていた。今も信じようとしてくれている。あの子の心の支えに、俺はなれているのだろうか? 誰からも距離を離すその姿に自分を重ね、同時に冬香の姿も重ねてしまう。
独りぼっちであることを強いられるわけではなく、リリアは進んでそれを選ぶだろう。そんな一つ一つ、彼女の行いには確かに勇気があった。
へこたれ勇者の名をほしいままにしていた頃の彼女と出会い、少しずつ、知りたくない事も知って行った。
この世界にかつてあった戦争の事。勇者の話……。リリア自身の事、リリアの友達、仲間の事。敵の事、味方の事、沢山の思い出、忘れられない物。
ここで経験した、悲しみや喜び……。それが俺にとってはまやかしでしかないとわかっていても、それでもこの身体で、この自分で感じた事。それは、きっと本物だ。
リリアは、この辛い現実がある世界の中でそれでも懸命だ。躓いたりへこたれたり、時々泣いたりしながらも笑って生きている。笑っていようと努力している。たまに擦れ違い、気持ちも治まらず、人は幾度と無く傷付けあう。それでもリリアは笑おうとする。
それは悲しいことで、それでもすごい事だ。きっとそれは勇気であると言い換えても良いだろう。少なくとも俺はそう思う。
大きな剣を背負い、ひたすらに前へと進むリリアを誰より近くで見てきた。自分自身でもあり、冬香でもあり……そう、でもリリアはリリアだ。肩書きは、関係ない。
暫くの間そうして壁に背を預け、俺はリリアの事を考えていた。リリア、リリア、リリア……。犬みたいな、泣き虫の女の子。それでも涙を拭いて歯を食いしばってなんとかへこたれないように頑張っている。
泥だらけでも傷だらけでも、それ故に人は美しい。自分自身の手をじっと見つめる。俺はそう、時々こうして自分の手を見つめる。
俺の手は汚れているのだろうか。きっとリリアの手は泥だらけだろう。『がんばりやさん』の手をしているだろう。でも俺の手は昔から……きれいなままだ。
幼かった頃から、俺の手はペンくらいしか握った事がなかった。その手も汚れる事はなかった。本気で何かに取り組んだことなんてないから。
ぎゅっと握り締めて、綺麗な手を覆い隠す。俺は何かを変えようと、叶え様と努力したのだろうか。リリアや、冬香のように……。
「――へこたれなのは俺の方、か」
目を瞑る。学園から見上げる空は青い。空だけ見ていれば、この町が今や戦場になっていることさえ忘れられそうだ。
でも、現実は変わらない。俺は何をどうするべきなのだろう? 原書に記されているから? ナナシに導かれたから? 冬香の願いだから? リリアの為だから?
理由ばかり外に探して、俺は自分の言葉で、自分の気持ちで何かをする事をしなかったのかも知れない。救世主として、俺自身がしたい事……。
空はきれいだけど、そればかり見ているわけにも行かない。これ以上、リリアに何かを背負わせたくない。出来る事ならば……代わってあげたい。
歩き出す。このいつ戦いが始まるか判らない街の中で、俺はずっと生きてきた。この数ヶ月間のこの世界での生活を振り返りながら、それでも思い出すのはリリアの事ばかりだ。
結局いつも俺はあの子の傍にいた。あの子は俺の傍にいた。だから俺たちは一緒に進むのが自然で、当然なのだと思う。
だけど思うのだ。いつか俺が居なくなったら、リリアはどうなってしまうのだろう? こっちの世界に残るなんて選択肢は俺の中に存在しない。でも、そうなったら、どうなる。
そう、あの子がいつか居なくなってしまったら、俺はどうなってしまうのか。わからない。考えても答えは出ない。だから――。
「リリア、ちょっといいか?」
見知らぬ生徒達と話をしているリリアに背後から声をかける。へこたれ勇者様は目を丸くして小首を傾げていた。
⇒この世界の日(1)
「うう、せっかくの思い出の場所なのにすっかりめちゃめちゃになってますね……」
そんな事を言いながら壊れたベンチに駆け寄り、残念そうに指先でそれを撫でるリリア。俺は周囲を見渡し、静かに息をついた。
この世界に来て直ぐにこの場所――シャングリラの公園を訪れた。広大な敷地は各所で発生した戦闘のせいか、見事に破壊の痕跡が残されている。あらぬ方向に噴出されている噴水を横目にリリアは振り返る。
「綺麗な公園だったのに……何だか残念ですね」
「そうだな」
「……ほんとーに残念だと思ってます? 師匠の同意の言葉はいまいち信用ならないのですよ?」
人差し指をびしりと突きつけて眉を潜めるリリア。まあ、確かに俺は結構テキトーに返事してる節があるからな……。でも、残念なのは本当だ。
ここで色々な事があった。リリアと話したりゲルトと話したりアイオーンと話したりメリーベルと話したり……んっ? 女の子と話してばっかじゃねえか、俺……?
余計な事を考え込んでいると、リリアはじっと俺を見つめていた。丸くて大きな目がそれこそじーっと俺を映しこんでいる。
「師匠、何かお話があったんじゃないですか?」
「ああ、そうだったな」
ポケットに突っ込んでいた手を抜き、リリアと向かい合う。真剣な俺の雰囲気を察したのか、リリアはごくりと息を飲んで構えていた。その緊張した様子がどうにも間抜けで思わず笑ってしまう。
俺がリリアの事を鼻で笑ったのが分かったのだろう、リリアは顔を紅くして睨み返してきた。なんとも気合の入らないシチュエーションだが、まあこれくらいの方が俺たちらしいか。
「リリアに聞いてもらいたい事があってな」
「……な、なんですか? もしかしてリリア、何か師匠のご機嫌を損ねるような事を……」
「何故そうなる」
「何か師匠いっつも怒ってないですか……? 眉間にしわ寄せて、こう、ぐーって顔してるので」
何だその顔は。お前は俺に喧嘩売ってんのか。
まあいい、こいつがバカなのは今に始まった事ではない。バカなのは分かりきっているんだ、落ち着いて対応しなければ。このバカ。
「その……話っていうのは、ちょっと大事な事なんだが」
「え? 大事な話ですか?」
「ああ……。なんだその顔は? 俺が大事な話をすると何かおかしいのか?」
「いえ、なんか師匠が大事な話してくれる事って初めてだな〜と思って」
確かに言われて見ると、俺自身の事で何か大事な話をしようという事は今まで一度も無かったかもしれない。個人的な話はしてこなかったしな。
リリアはそんなことまで一々覚えているのか。俺なんか最初の方はリリアがどんなだったか記憶が曖昧になってきてんだが……。
まあ、そんな性格だからこそリリアは優しいんだろうな。何かを捨てたり出来ないから、苦しんだりしてる。そういうリリアだから、俺も……。
「じゃあ記念すべき第一回の大事な話が自分自身の事って事か。何だか調子狂うな」
「えーっ!? じ、自分の事なんですか!? なんか作戦とかじゃなくてですか!?」
「だから、何をそんなに驚いてるんだお前」
「だって師匠自分の事なんかひとっつもリリアにしてくれた事ないですよ!? 今冷静に考えると、リリア師匠の何を知ってるんですか!?」
そんなもん俺が聞きてえよ。
まあいい、こいつがバカなのは分かりきっていることだ、このバカ。
話の腰を折られまくりだが、話を続けよう。少しだけ緊張している自分が居て、何だかおかしかった。
「それでな、リリア……」
「は、はい……」
「俺、この世界の人間じゃないんだ」
「は、はい…………。はいっ?」
頭の上のうさぎが俺を見る。勿論これが間違っているって事は分かってる。でも、少なくとも……俺はこうしたい。
リリアにだけは黙って居たくなかった。それはフェアじゃないと思うから。リリアの事を沢山知れば知るほど、俺が彼女につく嘘が増えて行く。
この世界に、俺の存在を知ったからって破綻するようなルールなんて存在しない。みだりに言い触らすことは確かに混乱を齎すだろう。だが、それだけだ。何故ならば俺は救世主と呼ばれはしているものの――ただの人間。ただ魔法で別世界から召喚されただけの、ただの人間なのだから。
その事実を俺はこれまでの出来事から推測した。そしてリリアだけに伝えるのであれば何の問題もないと判断した。ナナシももう、俺を制するような事はしなかった。当然だ。そうする必要性は、今や無いのだから。
リリアとじっと見詰め合う。冗談みたいな話だ。俺にとってもそうだった。リリアにとっては……多分、もっとそうだろう。
目をぱちくりさせながら混乱した様子で黙り込むリリア。俺はその姿をじっと見つめていた。視線を反らすことはしない。もう、してはならない。
「師匠……何のお話をしてるんですか? この世界の人間じゃない、って……まさか、神様だとでも言うんですか?」
「……似たようなものかもな。少なくとも俺は、神様みたいな気持ちでこの世界を見ていたのかも知れない。お前たちに偉そうな事を言う側面で、俺はこの世界そのものを見下して来た……」
自分の世界とは違うから――そんな気持ちがあるから、最初から相手にしなかった。マジにはならなかった。それが俺のスタンスだった。
入れ込むことはしなかった。全て犠牲にしても構わなかった。でも、次第に俺はこの世界を知り、世界に生きる人の事を知った。
今はもう、全てどうでもいいとも、自分の思い通りになるとも思わない。俺がこの世界を救う救世主になれる手段があるのだとすれば、それは誰かの手を借りる以外にない。
俺は無力だ。神ではなく、救世主ですらない。そんな肩書きはもう要らない。信じてもらいたいのなら……信じたいのならば。もっと誠実にならねばならない。
「この間会ったろ? 秋斗は俺の友達だ。あいつもこの世界の人間じゃない。この世界にはない力を持ってる……。だから、あいつは原典を奪う事が出来た」
「え……? え? え、師匠……え?」
「だから、俺はずっとお前たちに嘘を付いてきた。多分これからも……嘘を重ねて行く。でもリリア、お前にだけは嘘を付きたく無かったんだ」
本当の事を語る方が、ずっと悲しい事もある。ずっとずっと残酷な事もある。
でも、リリアに信じてもらいたかった。何より俺は救われたかったのかもしれない。仲間に嘘を付き、生きていかねばならない自分……。それをリリアなら、許してくれると思ったのだろうか?
なんにせよ身勝手な行動であることに変わりはない。リリアにそれを押し付けているのも事実だ。だからどんな事を言われても受け入れる覚悟は出来ていた。
リリアはじっと俺を見つめ、それから眉を潜め、悲しげな表情を浮かべる。そりゃまあ、当然だろう。裏切られたようなものなのだから……。そう、思った直後だった。
「師匠はずっと、それを言いたくて仕方が無かったんですね」
俺は考えているだけで、想いを言葉にする事は苦手な人種だ。
「本当はずっと……嘘を付く事が辛かったんですね」
だから、本当の気持ちを誰かに伝えるのは苦手だった。
「誰かに、許してもらいたかったんですね」
でも――。リリアは何も言わずとも、俺の表情から、普段の俺の態度から、何もかもを合致させるように理解してくれていた。
解ってくれて居たのだ。誰よりずっと俺を見ていてくれた。傍に居てくれた……だから、当たり前のように信じてくれた。
それがどれだけ難しいことなのか俺にもわかる。誰かを信じる事も、心を知る事も……とても難しい。なのにリリアは当たり前のように、俺の気持ちを汲んでくれた。
そうして俺の手をそっと握り締めると、優しく微笑んでくれる。一言も俺を責める様な事は言わなかった。沢山言いたい事があるだろうに。それだけの事をしてきたのに。
どうしてそんなに簡単に誰かを許せるのだろうか。俺は、許せるのだろうか。同じように誰かの罪の告白を受けた時、その人を許せるだろうか。
許せるようになろう。信じられるようになろう。それはきっと痛々しいほどの強さなのだ。俺はきっと、リリアのように強くなりたい。
「師匠……やっと、自分の事、話してくれましたね」
「…………そうだな。やっと、言えたよ」
リリアも、秘密を抱えてきた。だからその辛さは誰より身近な物だったのかも知れない。そういう意味でも俺たちは似た者同士だった。
一度口にしてしまうと、もう全部言ってしまいたくなった。俺たちは公園の芝生の上に腰を降ろし、俺は矢継ぎ早に話を進めた。この世界に来る事になった経緯、この世界でしてきた事、あっちの世界のこと……。話すことは山ほどあった。でも、この世界が冬香が作った物だとはいえなかった。
今となっては俺にとっては疑問だった。冬香は本当にこの世界を作ったのだろうか? もしかしたら創造主は冬香ではなく、ただ俺たちがこの世界になんらかの切欠で召喚されただけなのかもしれない。
わからないことだらけで、きちんと説明する事は難しかった。取り留めなく現れる話したいことを乱雑に言葉にする俺の隣で、リリアはずっと相槌を打ってくれた。
話が終わり、沈黙が訪れる。なんだか居た堪れない気持ちになり、思わず溜息を漏らした。リリアはそんな俺を見て笑っていた。
「師匠はやっぱり不器用さんですね」
「……そう、なんだろうな。あんまり自覚は無いけど」
「もっと自分の気持ち、誰かに伝えてもいいと思います。もっと解って欲しいって言ってもいいんですよ? 人間はきっと、皆そうして誰かに助けを求めてる。求める権利を、最初から許されているから」
「…………お前、たまに偉そうなこと言うよな」
「そ、そうですか?」
「そうだよ」
目を閉じて笑う。何だか肩の荷が下りたような気がする。現実は何一つ変わって居ないのに、気持ちの持ち方でこんなに違うものなのかと驚く。
どうしてこんなに今まで思いつめていたのだろう。話してしまえば、伝えようと思えば、それは本当に簡単に誰かと繋がって行く。それはきっと、この世界で彼女と出会わなかったら気づけなかった大切な事。
俺はこの世界で何を得て何を失ったのだろう。きっと失う物よりも得る物の方が多いのだろう。少しは変わる事が出来たのだろうか。
ふと、リリアが手を伸ばし、恐る恐る俺の頭を撫でていた。流石に驚いていると、リリアは照れくさそうに微笑んだ。俺はその手を取ってリリアを抱き寄せた。
この世界で過ごした事、絶対に忘れない。忘れたくない……今は強くそう思う。風の事、草の事、光の事、人の事、この世界のあらゆる物、一つ一つが大切だから。
「ありがとう、リリア……」
「はうっ!? ど、どういたしまして……?」
「そんな顔するなよ。今はなんだかとても気分がいいんだ」
「……うん。師匠って、笑うと……そんな顔するんですね」
俺の顔を見つめ、リリアは柔らかく微笑んだ。こちらまで幸せな気分になる。本当にこの子は凄い。何と言うか……まるでそう、光のような子だ。
「よし。今日からもう俺を師匠とは呼ぶな」
「ふえ!? 破門ですか!?」
「違う違う。もうお前に教えるような立場じゃないだろ? まあ、もう結構前からお前の方が強い気もするが……」
「そんなことないですよーう。師匠は充分強い……」
「そこ! 師匠と呼ぶの禁止! 今日からは、夏流と呼びなさい」
びしりと指差すとリリアはきょどりながら頷いた。そうして小さく声を上げる。
「なつる……さん」
「呼び捨てで良いって。上下の関係何かない、ただの『仲間』なんだから」
「……うぅ〜、でも〜……」
「でもじゃない! はい、呼び捨て!」
「はわっ!? な、なつ――夏流?」
「夏流だ」
「……夏流ですね」
「そうだな」
「……夏流」
「ああ」
「夏流…………夏流、いい名前ですね」
何度も俺の名前を心の中で反芻させるようにしてリリアは顔を上げた。
リリアに呼び捨てにされるのは少しこそばゆいが、思えば同い年であるはずのゲルトはバリバリ呼び捨てだしな。別にそんなこたねえか。
恥ずかしそうに俺の名前を連呼するリリア。段々うざったくなってきたが、何がそんなに嬉しいのか頬を緩ませながら俺を呼ぶ。
「何だか女の子の名前みたいですねー」
「……デジャヴか? 何か、前に同じような事を言われた気がする」
「そうですね。確か会ったばっかりの頃、一回言いました。その時は怒られちゃいましたね」
「そうだったっけ?」
「そうですよーう。あの時は怒ってたけど、今はどうですか?」
笑うリリア。俺は少しだけ考えて、それからその頭を小突いた。
「うっせえ、バカ」
「うなあっ!? 何で直ぐそうやって叩くんですかー! バカになっちゃったらどうするんですか!?」
「もう既に大分バカだと思うんだが」
「だーかーらー! もっとバカになっちゃったらどうするんですか!?」
それは自分がバカだって認めてんのか?
白い歯を見せて悪戯っぽく笑うリリアに釣られて俺も笑う。いつ戦闘が始まるかも判らないのに、我ながら暢気なものだ。
それからしばらくリリアと肩を並べてのんびり空を見上げていた。雲の切れ間、木漏れ日の最中に見える日の光に手を翳し、時間を無為に過ごす。
無為な事さえも愛しく思えるようになったのは、きっとこの世界に来たお陰だ。俺はこれからも変われるのだろうか。もっと、何かを救えるように。
時が過ぎ去り、俺は立ち上がった。ずっとこうしていたいけど、やらなきゃならないことはまだまだ多い。静かな時間はもう終わりだ。次はいつになるかもわからない。
リリアを救う為、仲間を守る為……自分に出来る事を全てやろう。歯を食いしばって泥だらけになる事も厭わない。俺はそうやって、彼女のようになれたら最高だ。
勇気という言葉を心に刻もう。それは全てに通じている。きっと光と同義、輝かしい言葉だ。
「あ、あのうっ」
立ち去ろうとする俺の背中目掛け、リリアが声をかけていた。芝生から飛び出し、レンガ敷きの大地をよろめきながら走り、リリアは少し離れたところで俺の背中を見ていた。
「仲間……仲間になったって事は、夏流はリリアを対等な人間だって認めてくれたんですよね?」
「……ああ、そうだな。お前は俺と対等だ」
「だったら……だったら、リリアにも権利、ありますよねっ!?」
胸に手を当て、リリアが叫ぶ。その表情は何と言うか……とても複雑だった。悲しげな、嬉しげな……ああ、そうだ。多分同じ顔をした女の子の事を一人だけ俺は知っている。
全く同じ動作で、全く同じ言葉選びで、彼女は叫ぶ。次に続く言葉を俺が思い出すよりも早く、リリアは顔を真っ赤にして叫んでいた。
「リリアにも、夏流を好きになる権利……ありますよね――っ!?」
『私にも、夏流を好きになる権利……あるよね――?』
ある夏の日の景色が脳裏を過ぎる。その言葉を思い返した時、俺はどんな顔をしていただろう。
不安げにじっと俺を見つめるリリア。どんな言葉を返せばいいのか、今でもわからない。どうすればよかったのか、なんて……多分一生わからない。
でも、あの時と同じではいけないと思った。そのまま繰り返すなんて事はしたくなかった。だから俺はリリアに歩み寄り、その頬を撫でる。
リリアは目を潤ませながらじっと俺を見ていた。瑞々しい唇から吐息が漏れ、熱い頬は冷たい指先を暖めてくれる。
「俺は……あの時……。どうするべきだったと思う?」
何を自分で口走っているのか。リリアは俺の言葉を聞き、理解できないという顔をしていた。当然の事だ。彼女には関係ない。
でも、俺は判っていた。あの時本当はどうするべきだったのか。自分がどうしたかったのか。だからもう、あの時見たいにはしたくなかった。俺はリリアの顎に手を当て、リリアと見詰め合う。
答える言葉は持たなかった。過去、同じ事を言った彼女とその姿が大きくダブる。幻影――虚幻のその姿にリリアを重ね、唇を重ねた。
それはあの時俺が出せなかった答えであり、きっと正解だった。でも、自分でもわかっている。これは、『虚幻』だ。
嘘――そして幻に過ぎない。この気持ちも、この愛情も、真実ではない。間違いだとわかっている。でも――俺はそうしたかった。その誘惑に抗えなかった。
思えばそれが全ての破綻の始まりだったのかもしれない。でも、その瞬間は何も考えられなかった。ただリリアの唇の感触と、思い出だけを貪りたかった。
きっとリリアは全てを見透かしていた。それでも俺を抱きしめてくれた。お互いに嘘だとわかってそれを信じるなら、そこにあるものはなんだろう。
それもきっと虚幻……。真実ではない。真実ではない俺が求める真実。矛盾した二つのもの。この世界の事。
冬香の事。
目を反らせないその全ての事、俺は受け入れて行かなければならない。
沢山のものを、裏切って――――。
「大好きです、夏流」
そう囁いたリリアの顔を、俺は覚えていなかった。
〜それいけ! ディアノイア劇場Z〜
*終わらない……100部で終わる気がしない……編*
夏流「というわけで、100部以上行くかもしれない」
ゲルト「行けばいいじゃないですか」
夏流「だが、七十部くらいで長期連載をやってきた作者としてはそんなに続けるだけの気力がないのだ」
ゲルト「気力とかそういう問題なんですか?」
夏流「そういう問題だ。これから過去編とかも丁寧にやる予定だったが、そんな事を悠長にやってる場合じゃないな。何とか九十七部くらいで終わるようにしないとだろ」
ゲルト「三桁は行きたくないんですね……」
夏流「思い切り全て書ききる為に気力を使い果たすか、適当に纏まりそうなところで妥協するか……これが長期連載する上で毎回悩むことだ」
ゲルト「……それ、駄目なんじゃないですか?」
夏流「ほら、二部構成にして続編に任せて終わるとか……」
ゲルト「投げっぱなしってコメが来て叩かれるからやめてください!」
夏流「どうしろっていうんだよ!?」
ゲルト「……なるようになるんじゃないですか?」
夏流「それで毎回オチてない気がするのは俺だけか?」
ゲルト「……。でも、長期連載の旧作とか未だに評価とか来ると何だか悲しくなりますよね」
夏流「後で読み返すと恥ずかしいことこの上ないな」
ゲルト「他の長期連載を読んでくれた数少ない読者様たちにこの場を借りてお詫びします」
夏流「本当にお疲れ様でした」
ゲルト「……でも、ディアノイアもそのうち他の長期連載で謝られる作品になるんですね」
夏流「そういうこといわないでくれる?」