折れない心の日(1)
「ちょ、ちょっと待ってよ……! あのアホのアクセルが執行者だったり、大聖堂の司祭がバケモノだったりで既にこっちは一杯一杯なのに……突然何トチ狂った事を言い出してんのよ、このへこたれ勇者は」
困惑した様子でベルヴェールがそう切り出すと、リリアはエプロン姿のままテーブルの傍に寄り、それから真剣な表情で皆を見回す。
「ごめんね。でも、冗談でも嘘でもないんだ。リリアは勇者で、同時に魔王なの。それはずっと前からそうで……だから、皆にはずっと黙ってた事になる」
「勇者で、魔王……? リリア、貴様の言っている事はどういう事なのだ? 正直、私たちには何がなんだか……」
「判んないだろうと思う。でも、ホントなんだ。それですごく大事な事だから、ここまで皆を巻き込んじゃって……黙ってる訳には行かないでしょ? ホントは皆だって気になってたんだよね? どうしてリリアが追われてたのか……大聖堂に捕まったのか」
リリアはエプロンを外し、椅子にそっとかける。そうして顔を上げた彼女の表情は今まで見た事が無いほど無感情で、とても冷たく見えた。
その背筋がぞっとするような――多分それはそう、強い覚悟のような物だったのだろう。その瞳を前に全員押し黙ってしまった。そんな中、リリアは自らの胸に手を当てて言葉を続けた。
「どう説明すれば皆にわかってもらえるのか、自分でも良く判んない。だってリリアにもそれがどういう事なのか、さっぱりわかんないから。でも、それが原因で大聖堂に捕まったり、そこからフェンリルが連れ出したり……多分そういうの、これからも続くと思うんだ。リリアが勇者で、それでもって魔王である限りは、ずっと……。だから隠しておくのはフェアじゃないよね?」
「……勇者のネーチャン……そんな」
「あ、でも勘違いしないでね? 別にリリアはぜーんぜん、気にしてないんだ。だってもうそういうもんだから、しょうがないでしょ? だからこれからはこの事実と向き合って生きて行くのだ! そのためにはまずゴハンを食べて、元気を出すべきなのですよ!」
そう言ってにっこりとリリアは笑った。振り返り、俺たちに背を向けて包丁を手にして。それから……小さな声で呟いた。
「リリアは気にして居ないので、だから……皆は、リリアに付き合ってくれなくても大丈夫。あんまり安易な考えでリリアに手を貸そうとしないで。リリアに手を貸すという事は、世紀の大罪人であるロギアに手を貸すことに他ならないんだから」
それは、彼女なりの俺たちへの思い遣りだった。自分と共にあれば、皆を巻き込む事になる……それはどうしたって変わらない事実なのだ。リリアの中にロギアがいることも、誰が何を言ったって変わらない。大聖堂との戦いも、正直に言って厳しい。希望は多分……目に見えないくらい、小さいものだ。
だからこれ以上、俺たちを巻き込みたくない――それがこの小さな勇者の願いだった。俺たちは全員黙ってその言葉を聞き、静かにその場に立ち尽くしていた。
勿論俺は、そんな事を言われたからといってリリアから離れる積もりはないし、もともと事情を知っていただけに混乱も薄い。だが他の皆はどうだ? 確かに俺たちは一度は一緒に戦場で戦った仲だ。でもそれだけと言ってしまえば、それだけだ。
勇者部隊なんてものも、肝心の勇者が裏切り者だといわれれば成立しない。だからもう、それだけの関係なのだ。他の皆にはそれぞれ今の生活があるし、将来の夢だってある。そういうものを知っているからこそ、リリアはそれを壊したくないと思っている。
どれだけそれが重く悲しい決意なのか。彼女は本気で考えているのだ。皆はきっと優しいから、それでも手助けしようとするだろう。だが、そんな安易な優しさでは、皆の死や未来まで背負えない――。だからこの子は俺たちに選択を迫っているのだ。自分は何も気にしないフリをして。
本当は誰より苦しくて、誰より俺たちに傍に居てほしいはずなのに……。なんでもないフリ。また、フリだ。いつもそうだ。こいつはいっつも、一人で我慢してる。
拳を握り締めた。俺一人だけでも、彼女を守らねばならないだろう。でも本音を言えばそれは難しい。大聖堂は預言されし者を有している。あんなバケモノと一人でやり合えと言われたら、俺にはどうしようもない。
三人だから、勝つ事が出来た。リリアと二人ならどうだろうか? そもそも彼女は大聖堂と戦うのだろうか? わからない。今は、リリアの考えさえ、俺には……。
「――ゲルトちゃんも、ドアの前で隠れてなくてもいいよ。言いたい事、あるでしょ……? 嘘、ついてたんだもん。大事な友達なのに……そうでしょ?」
リリアの呼びかけが終わった後、少しの時間を置いて扉はゆっくりと開かれた。多分ゲルトは聞いていたのだ。あの後、俺に遅れて戻ってきて……。
でも、入ってこられなかった。リリアの話が余りにも突然すぎて。そして、重大すぎて……。ゲルトは部屋に入って、それから黙ってリリアを見つめた。その表情は……筆舌に尽くしがたい。
二人はそうしてずっと見詰め合っていた。リリアは寂しげに微笑み、それから努めて明るく言い放つ。
「ごめんね、ゲルトちゃん。一緒に勇者――なれなくなっちゃった」
「…………リリア」
「ごめんね……。ずっとゲルトちゃんを守るって言ったのに……。約束したのに、ごめんね。リリアは、ゲルトちゃんの隣にいていいような人じゃなかったんだよ」
「そんな……! そんな事は……っ!」
「あるんだよ……。リリアは魔王だから……。だから、ゲルトちゃんは、リリアとは一緒に居られないよ。大聖堂だって、もうリリアの事は判ってるはず。だからもう、勇者はゲルトちゃんで決まりなの」
「……そんな……そんなのって……」
リリアにとっても、ゲルトにとってもこの事実は余りにも重過ぎる。
二人にとって、お互いの存在こそがどんなに辛くとも未来を生きる糧になる。夢があるから生きられる。呪いがその身を蝕もうと、魔王という存在に悩まされようと、二人はお互いに将来一緒に並べる事を夢見て頑張ってきたのだ。だからこそ前に進む事が出来た。でもその夢は今、この上ない困難の前にあった。
それは、リリアだけの問題ではない。リリアの傍にいたいと願って努力していたゲルトの心も平然と圧し折ってしまうような、それだけの威力を持つ。呪いに苛まれても立っていられるのは、リリアのため。だからそれがなくなれば、二人とも同時に拠り所ををなくしてしまうのだ。
勿論リリアだってそれはわかっていただろう。それでも黙って騙し騙しに先延ばしにするよりもマシだと考えたのだろう。そりゃそうだ。時間をかければかけるほど――とりかえしは付かないものになる。
「ゲルトちゃんに謝らなきゃいけない事、もう一つあるんだ」
立ち尽くすゲルトに、リリアは苦笑しながら言い放つ。それは、彼女なりの覚悟の証だった。
「それでもリリア、死にたくないんだ。まだ諦めたくないんだ。だから、ゲルトちゃんに捕まってあげる事は出来ない。ホントはそうするのが一番いいんだけど……それで、ゲルトちゃんが勇者になれればいいんだけど……でも、それは嫌なんだ。だって、こんなわけわかんない状態で、負けっぱなしでリタイアなんて絶対にしたくないから」
励まし、だったのだろうか。自分は諦めない。だから、君も諦めないで欲しい……。多分、そんな意味が込められていたのだろう。
リリアはそれでいてまた笑う。辛い場面なのに、笑うのだ。それを前に、ゲルトは何やらなんとも言えない表情を浮かべ、それから拳をわなわなと振るわせた。
「…………ろす」
「ほえ?」
「……ぶっ殺す……。大聖堂も、元老院も……。ふ、ふふふふふ……。ふふふふふふふふふふ……」
ゲルトは何やら俯いたまま肩を震わせて低く笑い、物騒な事を呟いていらっしゃる……。無意識の内に解放されている魔力がどろどろと渦巻き、全員完全に引いてしまっていた。
慌てた様子でリリアがあたふたしながら俺に助けを求めてくるが、俺にだってどうしようもない。多分これは単純に――『キレた』んだろうなあ……。
「心配しないで下さい、リリア。大聖堂なんて――勇者なんてクソくらえです」
そう一言吐き捨てるように呟き、ゲルトは背負った魔剣に手を伸ばしながら振り返り、スタスタと扉に向かって歩いていく。
「ちょ、ちょっと待てゲルト! どこに行くつもりだ!?」
「わかりきった事を訊ねないで下さい、ナツル。勿論……大聖堂をぶっ潰しに行きます……」
「いや、それは流石にちょっと待てっ!?」
そりゃそうだろう。だってお前……滅茶苦茶泣いてるじゃねえか――――。
⇒折れない心の日(1)
「ああもう、そんな号泣すんなよ……。大丈夫か……?」
「ひぐ……っ! えぐっ! うわああああんっ!!」
ゲルトは部屋の隅っこで膝を抱えながら大号泣していた。まあ、そりゃそうなるだろうけど……まるで完全に子供に戻ってしまったかのように、それこそ惜しげもなくわんわん泣きじゃくっている。この世の終わりが来たみたいだ……。
確かにゲルトにとって、リリアの事は自分以上に大事なんだろう。今までの関係性もあるし、なんというか――そう、二人とも自分自身の幸せを相手に重ねているところがあるからな。相手が辛い時、相手以上に辛くなるんだ。こいつらが泣いてる時って、思えば自分の事より……。
泣き出してしまったゲルトにどんな声をかければいいのかわからないのか、リリアは手を伸ばしかけては引っ込め、ばつの悪そうな顔をしていた。しかし話を終えるわけにはいかない。ゲルトが完全にぶっ壊れてしまっていたとしても、話は続けねば。
「とにかく、一人で大聖堂に突っ込むとかそういうことは止せ……」
「だって……! だってぇっ!!」
「わかったから、わかったから……。おーい、誰かこいつ部屋まで連れてってやれ……」
こんな状態では話し合いには参加出来る訳もないだろう。ベルヴェールに付き添ってもらい、ゲルトは以前引きこもっていた二階の部屋に連れて行かれる事になった。
さて、これで話し合いが再開されるだろう……そう考えていたのだが、見ればなんだか全員もう混乱のようなものも、怒りや嘆きも消えてしまったかのようにすっきりした顔をしていた。
「どうしたんだ皆? 何そんな、改まった顔してんだ?」
「いやさ、ゲルトのネーチャンがおいらたちの言いたい事全部言ってくれたから」
「あそこまで盛大に泣き喚かれれば……こっちは逆に冷静になる」
「え? あれ? 皆、リリアの話ちゃんと聞いてたですか?」
「聞いていたよ、リリア・ライトフィールド。その上でボクたちの答えも、君ならば判っていたんじゃないのかい?」
アイオーンの余裕の表情を見てリリアは息を呑んだ。そうしてそっと視線を反らし、唇を噛み締める。
「……これから、リリアは大聖堂と戦うつもりです。それでも構わないんですか?」
「当然だ! 我々騎士の役割は、女王マリアを守る事にあるのだからな。大聖堂の陰謀がわかった以上、それを阻止する人間は必要だろう」
仲間たちは皆、当たり前のようにリリアに笑いかけていた。多分その事実が嬉しすぎて、リリアはどんな顔をすればいいのかわからなかったのだろう。隣に立つ俺を見上げ、目を潤ませながら問い掛けてくる。だから俺はそれに答えて、額を小突いた。
「こういう時こそ笑えよ」
「う……。は、はい――」
照れくさそうに、リリアは眉を潜めて笑った。その笑顔は久しぶりに見るリリアの笑い顔のような気がした。だが、だからといって問題は解決しない。
いつまでもここに潜伏しているわけにも行かないし、一体何をどうすればこの野望を阻止できるのかも全くの謎である。問題はここからだ。俺たちは今後、どう動くべきか。
それに皆はこういってくれてはいるが、本当にそれでいいのかもわからない。皆気持ちは一緒なんだ。でも、何とかしたいと思ってはいても、その解決手段は見つからない。先の見通しが悪いからこそ、リリアも迷っている。もし確実に大聖堂をぶっ潰せる手段があれば、声を大にして皆を仲間と呼べるのに……。
「そういう事なら、一度ディアノイアに戻ってみねえか?」
今までずっと黙っていたソウルがそんな提案をした。テーブルの上に両足をどっかりと投げ出した横柄な姿勢のまま、咥えた爪楊枝をぴこぴこ揺らしながら。
しかしその提案は正直理解に苦しむ。シャングリラはオルヴェンブルムとの交通の利便も良く、この間の学園祭の時だって執行者が大量配備されていた場所だ。その上学園長であるアルセリアは大聖堂騎士なのだ。大聖堂のマリシアと通じているかもしれない。
「ま、お前らの考えてる事は大体わかるがな、学園長なら恐らく少しはいい案を提案してくれると思うぜ」
「その学園長は大聖堂騎士でしょう? 先生、わかってるんですか?」
「わかってるって! でもあの人は基本的に生徒想いだし、シャングリラの統治は全てあの人が一任されてる。あの街は実際、大聖堂も聖騎士団も及ぶ権利を持たない独立した自治都市なんだよ。それにあれだ、あそこにゃヴァルカンの爺さんも居るしな」
そういえば確かそうだったな。ヴァルカン爺さんはそういえばどうして学園に呼び出されていたのか。呼び出したのは、誰なのか……。そんな事を考えていると、アイオーンも腕を組みながらソウルに同意する。
「アルセリアは少なくとも大聖堂騎士の中では相当異端だからね。彼女はあの塔からは基本的に一歩も外には出ないし、彼女には仮に元老院だとしても関与できない、ラ・フィリアの絶対管理者だ。それに彼女は夏流の事情にも詳しいだろうしね」
「……? 師匠の事情?」
リリアの丸っこい目に見つめられ、思わずたじろぐ。そういえばそうだった。こんな状況になっちまってすっかり失念していたが、あの学園長は俺の事情を知っていた、ナナシの仲間でもある。って、そうか……ナナシの仲間なら、色々と聞きたい事もある。アルセリア学園長、か……。確かに会って話を聞くだけの価値はあるのかもしれない。
だが、本当に信用出来るだろうか? 確かにあの人は大聖堂と通じているとかそういう感じではないが……ソウルやアイオーンがそこまで彼女を信じる理由はどこにあるのか。まあヴァルカン爺さんと合流して相談に乗ってもらえるだけでも意味はあるか。あれでも先代勇者の親なわけで。
「どうするか……。シャングリラに戻る……確かにまあ、ここから行くあてもないんだが」
「アルセリアは信頼の置ける人物だって事は保障するぜ。あいつは前の戦争の時から色々世話になった人だしな」
「え? あの人、前の勇者の仲間だったんですか?」
「仲間というわけじゃあねえが、まあ色々とな。あるだろ、縁ってやつがよ。どうする? あそこなら俺たちに対する情報も入手しやすいし、動くならそれからでも問題ないだろ? どうせあそこは四方に向かって列車も出てるんだ、足もいいぜ」
「……わかりました。じゃあ、リリアは一度シャングリラに戻ります」
リリアが戻るというのならばついていくだけだが、確かにリリアがそれを望むのも判る。シャングリラまで戻れば、やっぱり皆を巻き込まずに済む方法も――つまり、そこで皆と別れるって手もあるんだろうし。
色々と保留にしつつ、進展が望めるのならばそれに越した事はないだろう。判断を下してしまうにはまだ早い、なんとも言えない微妙な状況だ。ここは焦らずに、というのも一つの手だ。
一先ずはシャングリラを目指す事で決定した。戻るにせよ進むにせよ、それからだ。それならゲルトも付き添って面倒見てるベルヴェールも文句は言わないだろう。
「そうと決まれば、ちっとこの街で準備なり修行なりするとしようぜ! シャングリラに戻るのは、もう少し時間を空けてからのほうがいいだろ?」
リリアの追っ手は完全にフェンリルが撒いたし、俺たちは城から長距離の空間転移を食らったんだ。追っ手もしばらくは追いつきようもないだろう。遠くへ逃げたと向こうが判断すれば、シャングリラもオルヴェンブルムも手薄になる……。特にこんな海沿いの田舎町なんてのは、捜査の手も伸び難いだろう。
いわば勇者たちの秘密基地のような場所であるここは、穴場といって過言ではない。しばしの時間を置き、それからシャングリラへ戻る……それで一先ずは今後の行動は決定した。
その間に準備を整え、戦いなり逃亡なりに備えなければならない。そんなわけでみんなくたくたに疲れていたその日の晩はお開きとなり、眠りについて翌朝……。
久しぶりにゆっくり休めると思ってごろごろしていたベッドから強引に引っ張り出され、早朝だというのに俺は何故か砂浜に立っていた。正面には既に一人で盛り上がって腹筋を鍛えているソウルの姿が……。
「…………先生、いきなりなんですか? 今何時だと思ってるんですか?」
「早朝四時半だ! それがどうかしたのか?」
どうかしねえ理由があるなら逆に教えて欲しい。
「何ボサっとしてんだ! お前もガンガン腹筋を鍛えろ! もっと腹筋を割るんだよ!!」
「……起き抜けに腹筋は厳しいんですが」
「何甘ったれた事言ってんだ!? 今日からお前は俺がマンツーマンでみっちり鍛えてやる! さあ、まずは筋トレからだ! ふんっ! ふんっ!!」
えー。何がどうなったらそうなるの……という俺の疑問も受け付けず、行き成り何故かまだ日も出て居ないよな薄暗い砂浜で腹筋を鍛える俺。そんな事をしている内に眠気はすっかりどこかへすっ飛んでしまったが、流石に起きたばかりでこれは辛い……。
様々な筋力トレーニングを数百セットこなす頃には既に体力も大幅に減少し、日も昇ってしまっていた。リアルに二時間くらいそんなことをしていただろうか。徐に立ち上がったソウルは汗をかきながら白い歯を見せて言った。
「よし、準備運動終わり!」
「準備運動!?」
「なんだなんだ、いきなり稽古に入るつもりだったのかこのせっかちめ! トレーニングの前にはまず入念な準備運動が必須だ。平均二時間くらいは準備運動に費やせ」
「準備運動……? 俺、既にクタクタなんですけど……」
「馬鹿野郎っ!! お前はそれでも男か!? 男なら筋肉を鍛えろ! そして魂を鍛えるんだ! 体力が足りないのならば気合で補え! さあ、立て! 立つんだジョオオオオッ!!」
誰だそいつ!? ていうか、なんだこいつの朝っぱらからのこのテンション……。まさか毎日このテンションでトレーニングしてるんじゃないだろうな……。
何はともあれここからが訓練開始だという。残念な事にソウルに付き合って体力トレーニングをみっちりやりこんだせいで疲れてはいるが確かに身体はばっちり動く。既に精神的にも臨戦態勢と言ったところか。武器はお互いに装備していないが、砂浜で拳を構えて向かい合う。
「まずは力を見てやろう。さあ、どこからでもかかってこい!!」
そう言ってソウルは構える。さて、どうしたものか。こいつ元勇者の仲間なんだよな……そして現役の学園戦闘学科教師。成る程、確かに伊達ではない。張り詰めている魔力の感覚は相当戦闘慣れした印象を受けるし、どこから切り込めばいいのか……隙が見当たらない。
何よりもコイツの『絶対負ける事はない』という自己暗示にも似た強い視線……。一体何がどうなってればこんなに自分に自信が持てるんだ? それがさらに魔力を安定させているのだろうか。
まあ、だからといって俺だって今まで遊んでいたわけじゃないんだ。フェンリルとはあれから一度も戦っては居ないが、やつを倒す事を目的として鍛錬を重ねてきた。同じく勇者の仲間のこいつに対して自分の力が試せるのなら――!
「本気で行っていいんですね?」
「おう、どんとこい。先生が受け止めてやるぞあっ!!」
「――だったら、遠慮なく! ふっ!!」
とりあえず挨拶代わりにと魔力を込めた蹴りを放つ。砂を巻き上げ、疾風と共に確かな手ごたえを感じた。首筋を狙った列記とした戦闘攻撃……しかし、それをソウルは片手で受け止めていた。
あれだけの手ごたえがあったのに、まるで無傷だ。頑丈すぎる……。思わず足を引いて体勢を立て直すと、ソウルは首をこきこき鳴らしながら腕をまわす。
「ん? どうした、本気で来ていいんだぞ? まさかそんな程度って事はないんだろ?」
「……本気で蹴り飛ばしたつもりだったんですけどね。あんたどんだけ頑丈なんだ」
「そりゃ毎日筋肉を鍛えているからな。筋肉はいいぞ。筋肉は全てだ」
何言ってんのかわからん上に馬鹿としか思えないが、こいつ――やっぱり強いな。
「今度は俺から行くぞ。組み手形式で少し腕を見てやる。隙があれば打ち返して来い! 行くぞっ!!」
と言って踏み込んだ瞬間には拳が眼前に迫っていた。まるで腕が伸びてきたかのように見えるほど、一瞬でここまで飛んできやがった。慌てて腕でガードすると、何も武器をつけて居ないただの拳のはずなのに鉄槌でぶん殴られたかのような衝撃が走った。
腕が折れる――そう感じて衝撃を受け流す。まともに受けたら一発でKOされそうな威力のただのパンチ……。反撃なんてとんでもない。もっと魔力を練って防御を固めなければ……。
「俺式奥義! 熱血パンチ!」
「ぐっ!?」
ふざけた叫びで次々に拳を繰り出すソウル。何とかそれを魔力を込めた拳で捌き、反撃の隙を探す。しかし防御から反撃に持ち込めるほど、ソウルの攻撃は遅くはない。
腕の動作にばかり気を取られていると、何となくやつの放った蹴りが脇腹に直撃した。思い切り何かがへし折れる嫌な音が鳴り響き、口の中に血が逆流してきた。
「あ、やべ」
というのは教師の言葉とは思えない。一応ガードしたのに、魔力障壁の形成が間に合わなかった……。右腕ごと右あばら完全に何個か折れたなーとか考えていると、そのまま衝撃をモロに食らって激しくぶっ飛んだ。
砂浜を転がりまわり、海の中へ……。比較的浅い所で何とか立ち上がると、ソウルが一息に瞬間移動して目の前に立っていた。
「おお、ついうっかり決まっちまったぜ。だがあのくらいのフェイントは見切れないと話にならないぜ? ん?」
「…………〜〜っつううううっ!! あんた……っ! いっ! 何考えてんだ! かんっぺきに右腕折れたぞ!?」
なんか変な方向にぶらぶらしてるじゃねえか! 悲惨なことになってんぞ!? とか思っていたら、徐にソウルは俺の折れた腕を掴み、ごきりとはめ込むようにして強引にくっつけた。
勿論信じられないほどの痛みが走る。一人で声にならない声を上げていると、余計な骨が折れる音がした。そんな強引にくっつけようとしてくっつくわきゃねえだろ!
「おかしいな、俺はこれで直るんだが」
「お前と人間である俺を一緒にすんじゃねえ馬鹿っ!! ぐああああああっ!? もうあきらめて放せって!! 回復魔法かけてもらうからああああああっ!!」
何故俺は朝っぱらから筋トレしてずぶ濡れになって、腕折れてんだ……? これのどこが特訓なんだろう――。これで俺、強くなれるのか?
とりあえず一つ言えることは……やっぱり元勇者の仲間、恐るべしって事だけだ――。
こうして俺の特訓はその日丸一日続いたのであった……。続く。