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虚幻のディアノイア  作者: 神宮寺飛鳥
第一章『二人の勇者』
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特訓の日(2)

「ここが、メリーベルさんの住んでる学生寮ですか?」


学園を出て歩く事数十分。俺達はメリーベルの住む寮の前に立っていた。

確かに地図ではこの場所であっているし、そこは学園の所有地の寮なのだが、なんというか……その建造物は驚くほどボロかった。

学園都市シャングリラには幾つかの学生寮が存在するが、それぞれの寮によって格式のようなものが異なる……というかぶっちゃけた話、成績や学費によって住める寮が違ってくるらしい。

そうしたいくつかある学生寮の中でもメリーベルが住むのは最も古く、作りが荒い急ごしらえでなんとか増設しました、的な雰囲気溢れるボロ屋敷だった。


「……まあ、行って見ない事には話にならないだろう。行くぞ、リリア」


「は、はい……っ」


夜になってしまったこともあり、外灯も少ないこのあたりは闇に包まれどうにも怪しい雰囲気になっている。

寮に入ると管理人の男が階段脇で本を読んでいた。俺たちを一瞥すると、すぐに本に視線を戻す男。俺達はそそくさとその脇を通りぬけ、メリーベルの部屋を探した。


「こんなところに住んでいるとなると、よほど成績が悪いのか……」


「そ、そうとも限らないですよ? リリアはお馬鹿さんですけど、勇者待遇でちょっといい部屋に住んでたりするのですよ、えへへ」


それは自慢げに言うことか?

まあ逆に言えば事情があってここに住んでいる可能性もあるのだとリリアは言いたいのだろうが、どうしてそういちいち墓穴を掘りたがるのか。

何はともあれ俺達はメリーベルの部屋の前に立つことに成功した。部屋番号と名札を確認した所、確かにここにメリーベル・テオドランドが住んでいるので間違いない。

意を決して扉をノックする。リリアはまだ決していなかったのか、驚いた猫のように背筋をびくりと震わせ、上目遣いに俺を見つめていた。


「ノックしなきゃ始まらないだろ……」


「そ、そうですよね……」


二人ともこのわけのわからない建物の雰囲気に呑まれている気がする。

というか、メリーベルの部屋以外殆ど空き部屋っていうのがまた……胡散臭さを加速させている。

暫く待ってみたが返事がないので少ししつこく音を大きめに扉をノックしてみた。すると次の瞬間、俺たちの背後にあった扉が勢いよく開いた。


「ひゃううっ!? 命だけはお助けをーっ!! 師匠、師匠、師匠!!」


よほど驚いたのか俺にすがり付いてぷるぷる震えているリリア。まあ俺もビックリしたくらいだから、仕方がない気もする。

振り返るとそこには下着姿の女子が立っていた。見た感じ明らかに善良な学生といった雰囲気ではない。というか、何故その格好で出てくる。

化粧の厚い女子は眠たげに目を擦りながら俺たちを眺め、それから口を開いた。


「あんたたち、メリーベルの知り合い?」


「あー……まあ、ちょっと」


「あそ。その部屋殆ど留守だから今日も多分帰ってこないわよ。東通りの裏路地に進んで行くと、錬金術師の研究区域に出るわ。そこにメリーベルの研究室があって、彼女ずっとそこに寝泊りしてるみたいだから、そっち当たってみたら?」


と、思いのほか親切な発言を戴いた。俺は礼を言って小さく頭を下げたが、リリアはまだ俺の背後に隠れてビクビクしたままだった。

そんなリリアを見て女は暫く腕を組んで考え事をしたと思ったら、突然両手を挙げて『ガオー』と叫んだ。リリアは悲鳴を上げて来た道を猛然と走り抜けて行った。


「じゃ、あたし寝るから。うるさいからもうここにはこないでね」


「あ、ああ……。ごめん……」


扉が再び勢いよく閉じられる。小さく溜息を漏らして寮を出ると、入り口付近の草むらに膝を抱えて縮こまっているリリアの姿を発見した。

ビビっているリリアの首根っ子を掴み強引にしゃんと立たせる。涙ぐんだまま俺の手を掴んで一生懸命に握り締めてくるリリアと共に再び歩き出した。


「そんなにおっかなかったか、あいつ……」


「こ、香水のにおいがきつかったです……ううっ」


口元にクロークの袖を当て、涙目で歩くリリア。そういえばリリアは嗅覚がいいんだろうか。俺の事もにおいで判断していたような。

リリアと共に東の通りに出る。シャングリラは主に東西南北の四つの大通りによって構成されている。中心部には塔を抱く英雄学園ディアノイアを掲げ、そこにたどり着くまでの四つの通りがメインストリートなのである。

その中でも東の通りは怪しいグッズを売っている店が多く、魔術的なアイテムやそれこそ錬金術師が好みそうな素材など、ショーウィンドウの中で平然と輝いている。

胡散臭いファンタジーショップにも大分慣れたつもりだが、それでもここはさらに怪しかった。夜も更けてきたというのに、店は閉まるどころか開き出すばかりで夜はまだまだこれからというか、昼間は通う事の出来ないようなお店なのか、怪しい服装の人たちが出歩いている。

その人たちもまたリリア的にはおっかないのか、びくびくしたままおっかなびっくり俺の後ろにくっついてくる。しょうがないのでそのまま俺達は研究室が立ち並ぶ一画まで移動した。


「さて、この辺にメリーベルの研究室があるわけだが……どれがどれだかわからんな」


俺に言わせると全部同じ建物に見える。この世界の人にとってはそれぞれが特徴的なんだろうが、俺には特徴的過ぎて逆にわけがわからなかった。

どうしたものかと途方に暮れていると、何かに気づいたらしいリリアが突然顔を上げた。暗闇へと伸びている路地裏を見つめ、俺の手をちょこちょこ引いて言う。


「あっちの方に、人が倒れてます!」


俺は目を凝らしてみた。しかし、そんな様子はない。というか暗すぎて俺には見えなかった。


「本当か? まあ、行って見るか……」


リリアに手を引かれ、裏路地に走っていく。しかし十歩も足を踏み入れると完全な闇に包み込まれ、足元もろくに見えない状態に陥ってしまった。

そうして走っているうちにリリアもわからなくなったのか、その足取りが急激に不安げに変化する。そうして走っていたリリアが突然目の前ですっ転び、派手に倒れたのを見て俺は足を止めた。


「リリア!? 大丈夫か?」


「ふぎゅ……」


暗くてリリアがどこにすっ飛んだのかもわからない。その場に足を止め、よくよく目を凝らす。そんな俺を救う為か、雲間から見えた月明かりが路地裏に薄っすらと差し込んで行く。

そうして俺が目にしたのはゴミの山に上半身を突っ込んでじたばたしているリリアと、そのリリアが躓いたらしい、足元に倒れた女の子の姿だった。


「本当に倒れてる。そして都合よくメリーベル・テオドランドだ」


メリーベルは良く見ると沢山の猫のようなものに囲まれていた。猫のようなもの、というのは猫にしてはなんというかこう、全員共通した意思を持っているかのように俺たちを睨みつけているのである。

思わずたじろいだが、リリアをゴミ山から引っ張り出す。また泣きそうになっているリリアの顔を拭い、足元のメリーベルに駆け寄った。


「おい、しっかりしろ! 何でこんなところで倒れてるんだ!」


「メリーベルさん! メリーベルさーん! 起きて下さい! あ、もしかしてこれ最近流行ってるんですか? 師匠もこの間道端で寝てたし……」


まだ引っ張るのかそれ。そして本当に不思議そうな視線を俺に向けないでくれ。

しばらくすると、メリーベルがゆっくりと瞳を開いた。しかし体を起こす気配は微塵もない。目を開き、しかし倒れたままの姿勢でメリーベルは呟いた。


「……水」


「は?」「え?」


俺達は同時に聞き返した。すると今度は先ほどよりもしっかりした口調で、メリーベルは応えた。


「水……。あと、ご飯……。おなか……すい、た……」


直後、盛大にメリーベルの腹の虫が鳴った。

リリアが馬鹿っぽい目で俺を見ている。違う。俺はあの時、腹が減って倒れていたわけじゃねえから。つーかマジでお前それいつまで引っ張るんだよ。

仕方が無くメリーベルを担ぎ上げようとすると、猫たちが一斉に襲い掛かってきた。慌てる俺を見て、リリアは突然びしりと人差し指を突き出し、猫たちに言う。


「めっ!!!!」


リリアの一喝に猫が大人しくなる。なんというか、リリアに動物的な何かを感じ取ったのかも知れない。

意外な才能を発揮したへこたれ勇者様は得意げに俺に笑いかけていた。多分褒めて欲しかったのだと思ったが、あえてそれをスルーして歩き出す事にした。


「あ、あれ!? 師匠、何かリリアに言うことないんですか!?」


「ない。お前にいう事なんてない」


「え、あれ……? あれぇ〜?」


リリアは暫くそうして首を傾げていた。メリーベルの腹が再びなり、俺達はその音に急かされるように路地裏を後にした。



⇒特訓の日(2)



メリーベルの研究室は迷路のように複雑に行き交う裏路地を進んだ奥地に存在した。

古ぼけた木造の建造物で、あの寮よりもさらにボロくみえる。そもそもこのあたりの研究所たちは全部滅茶苦茶に乱立しており、どこからどこまでが元々あった建造物でどこからどこまでが後で勝手に錬金術師たちが増築してしまったものなのかよく判らない。

彼女の研究室はお世辞にも綺麗であるとはいえなかった。乱雑に床の上に散らばった本、蜘蛛の巣だらけの天井、埃っぽい強烈な淀んだ空気。それに付け加え薬品たちの独特の刺激臭が一斉に俺たちに襲い掛かる。


「ふぎゅうう……っ」


きついのは俺よりもリリアらしかった。鼻を両手で押えながら目尻に涙を浮かべながらじたばたしている。なんだかわからない薬品が火にかけられ、泡立つそれから蒸気が立ち上る横でメリーベルはパンを無言で齧っていた。

メリーベル・テオドランド。錬金術科の一年生。しかし、歳は恐らく俺と同じか少し上くらいだろう。ボロボロのマントの下から伸びる作業用グローブのままパンを齧るその姿はちょっと普通ではない雰囲気が出ていた。


「で」


口に最後のパンの欠片を放り込み、ビーカーに入っていた液体……ではなく水を一気に飲み干すメリーベル。その容器使っていいのか? とか思いながらもメリーベルに視線を向ける。


「あたしに何か、用?」


淡々とした口調だった。長い前髪の合間から覗く瞳は何を考えているのかよく判らない。表情からも考えは読み取れず、何とも話しづらい雰囲気だった。


「用ってわけじゃないんだが……」


冷静に考えてみると、ここに来たはいいものの目的は何故彼女がランキング下位に存在しているのかという質問をする為なのである。そんなもん行き成り押しかけて不躾にするもんではないと思う。

まあ敵情視察という意味でもあるのだが、問題はリリアの方だ。リリアは鼻を抑えたままメリーベルに身を乗り出す。


「あの〜……」


「その前に、自己紹介。あたしの事は、知ってるみたいだけど。あたし、あんたたちのこと知らないし」


「は、そうですね。えっと、私はリリア・ライトフィールド……戦士学科一年生です」


リリアの名乗りに俺は違和感を覚えた。リリアは『勇者』という肩書きだったはず。それがどうして戦士学科なのか。

そんな質問を挟む余地も無く、メリーベルは頷いて答えた。


「それは知ってる」


じゃあどうして質問したんだ。

次は俺の自己紹介をするべきなのだろう。俺は腕を組み、少し思案する。自分の学科名が余りに長すぎてすっかりド忘れしてしまったのである。

まあ、実際に俺は授業を受けているわけでもないし、適当にその辺は誤魔化せばいいだろう。そう考えて名乗ろうとすると、メリーベルは猫を一匹足元から抱きかかえ、俺に投げた。


「おわあっ!? い、行きなり猫投げんなっ!」


「問題ない。猫はそのくらいじゃ死なないもの」


いや猫じゃなくて俺の方の心配をしてほしい。爪が服にめっちゃ食い込んでるんだけど。


「ホンジョウナツル、でしょ? 最近ずっとへっぽこ勇者と一緒に居るって有名だから」


「そ、そうなのか?」


まあ確かにコイツ以外に一緒にいる相手なんていないわけだが、そんな噂になるほど人前を歩いているつもりはないが……。

そんな事を考えていると、メリーベルは新たに猫を二匹抱きかかえ、その喉元を撫でながら言う。


「猫の噂で、だけど」


「猫の噂って……お前猫の気持ちが判るのかよ」


「分からなかったらそんな事は言わない。あなた……馬鹿?」


無表情に馬鹿にされるのがこんなにイラっとするとは思わなかったぜ。

メリーベルの足元にはぞろぞろと猫が集まってくる。気づけば室内は猫だらけになっていた。メリーベルは猫たちを構いながら、火にかけられた鍋を見つめている。

一見こいつが変わり者なのは充分にわかった。内面も勿論変わり者だろう。リリアにちらりと視線を向けると、目的も忘れ猫たちにすっかり目を奪われてへらへらしていた。


「ぬこー。ぬこですよーなつるさん! かわいいですねぇ〜」


俺は動物はそんなに好きじゃないんだが。

猫に手を伸ばしては手を引っかかれているリリアだったが、猫には引っかかれても噛み付かれても泣く事はなかった。むしろ楽しそうに笑っている。


「それで結局何をしに来たの」


「ああ。お前、気を使ったりするだけ無駄な感じだから単刀直入に言っていいか?」


「その判断は的確。どうぞ」


「あんたが闘技場ランキングで最下位から二番目だから、本当に最下位のリリアと戦ってほしいんだ」


俺の言葉にメリーベルは何の反応も示さなかった。聞いているのか聞いていないのかも判らないほど無反応。猫を指先で撫でながら、暫く彼女は黙り込み、視線だけで俺を捉えた。


「……それで?」


「……いや、それだけなんだが」


「ランキングバトルの申請なら、相手の許可が無くても出来るはず。わざわざここまで来た理由がそんな事だとしたら、やっぱりあなたは馬鹿」


さっきから黙って聞いていればこいつ……。

猫を膝の上に乗せたまま椅子に深く背を預け、メリーベルは顔を上げる。視線の先、指先を猫にガシガシ齧られながら笑うリリアと視線がぴったりと一致した。

じいっとリリアを見つめたまま微塵も動かないメリーベル。対するリリアは蛇ににらまれた蛙のように同じくぴたりと動きを止めていた。

猫が鳴き、リリアの指先から血がどくどく流れ出す。それだけの沈黙が空間を支配し、俺も何も言えないまま数分間が経過しようとしていた。


「……あ、あのぅ」


沈黙を破ったのはリリアだった。リリアの血だらけになった猫が走り去っていき、リリアは真面目な表情でメリーベルを見据えながらてきぱきとハンカチで傷口を覆って行く。まるで呼吸するかの如く怪我の手当てをしている所を見ると、普段からよく転んだりしているんだろうと何となく想像してしまう。


「メリーベルさんは、弱いんでしょうか?」


「ん、弱い」


物凄く失礼な質問に間髪入れずに答えるメリーベル。俺は思いっきりずっこけそうになったが、そんなマンガ的表現は一歩なんとか思いとどまった。


「リリアより、弱いんでしょうか……?」


「それはやってみないとわからない。どうして?」


「その……どうして勝率0%なのかなって思って……。何か事情があるなら、リリア、戦ったりしちゃ申し訳ないかなって……」


「理由はない。ただ、試合は全部棄権しているから、勝率は0%なだけ。格下を倒した所で、ポイントにはならないから、誰も最近はあたしに挑まなくなった。それだけのこと」


なんか淡々とすごいこと告白しやがった。

全部試合は棄権? だったら何で闘技場に登録してあるんだ? それこそ何か事情があるんじゃないのか……色々と考えてしまう。

それはリリアも同じだったのだろう。瞳をきょろきょろさせ、不安そうに俺に救いを求めて視線を送ってくる。しかし俺だって何とも言えない。


「って、ちょっと待った。じゃあリリアが試合を挑んだら?」


「勿論棄権する。あなたの勝率は0%ではなくなる。おめでとう、ぱちぱちぱち……」


「わぁーい、ありがとうございます〜!」


一人でぱちぱちと拍手を送るメリーベル。俺は額に手をあて、メリーベルを手招きする。

彼女は小首をかしげ、とことこ歩み寄ってくる。俺は容赦なくその頭部を引っぱたいた。

軽快な音が鳴り響き、メリーベルの目が真ん丸くなる。俺はリリアを手招きし、恐る恐る近づいてきたその頭をもう一度引っぱたく。二人してポカーンとしたまま俺の前に立ち尽くしていた。


「お前ら馬鹿かっ!? ちょっとそこに座れ!」


「……座っていたら、ナツルが立てって」


「うっさいボケ! いいから黙って座る! リリアは泣くな!!」


「ぅあい……っ」


二人を椅子に座らせ、俺は立ち上がる。腕を組み、二人の前で咳払いする。


「お前らなんか全体的におかしいぞ。どっからツッコめばいいのかよくわからんが、とりあえずリリア! 相手が棄権して喜んでんじゃねえ! そんなんじゃゲルト・シュヴァインになんて永遠に勝てないぞ!!」


「ご、ごめんなさい……」


「……ゲルト・シュヴァイン? トップランカーの? ゲルト?」


俺の言葉を聞き、メリーベルはリリアに問い掛ける。おずおずとリリアが頷くと、メリーベルは後ろを向いて肩を小刻みに震わせていた。間違いなく笑っている。リリアにもそれが伝わったのか、顔を真っ赤にして俯いていた。


「随分と崇高な目的をお持ちのようで」


「悪いか? つーか、お前も棄権するとか軽々しく言うならランキングなんて辞めちまえ! なんで棄権するのかせめてその理由を言えっ!!」


「めんどくさい」


我が耳を疑った。メリーベルをもう一度手招きする。とことこ前に出てきたその頭を引っぱたき、さらに頭を両手で掴んでグルグル振り回す。


「お〜ま〜え〜は〜っ!! 何言ってんだボケッ!! 少しはシャキっとせい!!」


「なんで今日あったばっかりのナツルにそんな事言われなきゃいけないの……う〜あ〜……」


全くもって正論なのだが、今はあえてシカトする。

というか、頭を掴んで気づいた事が一つ。メリーベルの茶色の髪の毛の中に、なんというか……いや、なんというか……いや、気のせいだろう。

頭を離すとメリーベルは気持ち悪そうな表情を浮かべながら席に戻った。俺も椅子に座る。奇妙な沈黙が再び場を支配した。


「……と、いうか。試合を棄権しているのは、リリアも同じはず」


「はあ? おい、リリア?」


リリアに視線を向けるとリリアはあさっての方向を見つめていた。俺はすぐさま駆け寄り、その頭をがしりと掴んで強引に視線を合わせる。


「どこ見てんだコラ……」


「べべ、別になんでもないですよぅ?」


「嘘付けコラァアアアア!! てめえ、棄権してやがったのか!? そんな事一言も言って無かったじゃねえかっ!!」


「だ、だって聞かれなかったもん……っ」


「んだとコラァアアアアッ!!」


とりあえず頭を掴んだ状態のまま頭突きを見舞う。リリアは額を両手で抑えながら涙目でうなだれていた。


「勝率0%の意味が判ったぜ……。お前ら、戦う気が最初からないんだろ」


「何を今更。ナツルはやっぱり馬鹿」


「何か言ったか?」


「暴力反対。可憐な乙女に対して何をするの。きゃー、こわーい」


全く怖がっている様子はなかったが、もう相手にするのも疲れたので溜息であしらう事にした。


「じゃあ、何だ……? メリーベル、お前はこいつがしょっちゅう試合を棄権しているのを知っていたのか」


「猫の情報網を甘く見ない事。猫にも馬鹿にされるリリアの事だから、間違いはない」


「だからって、お前も棄権したりしていいとでも思ってんのか?」


自分でも驚くほどその声は威圧的だった。

メリーベルの言う通り、こいつと俺は初対面だ。だから自分のやり方についてとやかく言われる筋合いは全くないのだろう。しかし、彼女は俺の真剣な言葉に耳を傾けてくれた。

リリアもまた、顔を上げて俺を見ている。あんまり他人に対してこういう事を言うのは好きじゃないんだが、二人の態度を見ていると黙っていられなかった。


「お前ら、何のために闘技場に登録しているんだ?」


二人は答えない。俺は言葉を続ける事にした。


「皆、理由は色々あるにせよ真剣に取り組んでる事だろ? 棄権だけしていればそれでいいとか、負けても別にそれでいいとか、そういう考え方は相手に失礼だとは思わないのか?」


メリーベルは腕を組み、猫を抱えながらそっぽを向く。リリアは落ち込んだ様子で顔を上げ、それでも俺に異見した。


「でも……戦ったら相手だって傷つくんですよ? だったら、出来れば戦わない方がいいじゃないですか」


「馬鹿を言うな! そんな風に思っているんなら、即刻闘技場の登録なんて取り消して来い!! 傷付ける事も、傷付けられる事も、覚悟して合意で戦うんだろう? それを何だ、お前は何様だ! 弱くて力も無いくせに、一人前に他人を心配できる身分なのか?」


詰め寄る俺にリリアは完全に圧倒されていた。唇を噛み締め、俯くその様子に少し言い過ぎたかとも思ったが、これくらいハッキリ言わなければこいつには伝わらない。

リリアはいつもそうだ。なよなよしていて、へらへらしていて。本気で何かに取り組んだことなんて無いに違いない。そうした物事に対する浮ついた態度が、余計にコイツの馬鹿さに拍車をかけているんだ。

真剣に取り組む事をしないくせに、無理だのなんだのと諦めの言葉ばかり口にする。どうしてそうなんだ? やりもしないくせにやったつもりになりやがる。決められて与えられただけの人生でそれで楽しいのか……?

自分の過去を一瞬思い出し、少々熱くなってしまった。だが、リリアが試合を棄権していたという話は俺にとっては大きかった。闘って負けるのと、何もしないで逃げるのとでは、敗北の意味が全く異なる。そのベクトルを履き違えている以上、リリアはこれ以上強くなることなんて無い。


「メリーベルにもリリアにも事情はあるのかもしれない。だが悪い事は言わない。闘えないんならこんな街に居るだけ無駄だ。二人ともさっさと荷物を纏めて田舎に帰ったほうがいい。俺の言いたい事はそれだけだ」


言い切った。年下の女の子と初対面の女の子相手に思い切り言い切ってしまった。

だが、無性に腹が立つのも仕方ないだろう? だってこの世界は、あいつが……冬香が作った世界なんだ。それなのに、主人公も登場人物も、こんな情けない事を口にする。

やりもしないのに決め付けて諦めて勝手に終わらせて乗り越えた気になっている奴が俺は一番許せない。性に合わない以上、これ以上この世界にいても仕方がない。

リリアは駄目だ。特訓するとかそういうレベルの話じゃない。最初から『勝つ気』が絶対的に欠落しているんだ。勝てるはずがない。

背を向け部屋を後にしようと歩き出す。その時、メリーベルの言葉が俺を捉えた。


「確かにナツルの言う事も一理あるかもね」


ゆっくりと振り返る。メリーベルは相変わらずそっぽを向いて猫と遊んだままだったが、言葉だけは少なくとも真剣に聞こえる気がした。


「理由は兎も角。面倒くさくても、たまにはやることやるべきかも」


俺は素直に驚いていた。メリーベルは相当ひねくれた奴なのだとばかり思っていただけに、その発言は意外性充分だった。

そして猫だらけの研究室の主は立ち上がり、リリアの前に立つ。落ち込むリリアに猫を一匹渡してそれから囁いた。


「――闘ってみる? 一度くらい、全力で」


リリアはその言葉に応える事はなかった。

メリーベルは一方的に試合の日時をリリアに告げる。それを拒否する権利も棄権する権利もリリアは持ち合わせている。それはメリーベルからの正式な挑戦状にして、リリアに与えられた自由の選択肢だった。

別に選ばなければならないわけではない。それを避けて通る事も出来る。だが、メリーベルがこう言ってくれている以上、闘わない事を選ぶのならば、俺はこれ以上リリアの面倒は見切れない……そう考えていた。

共にメリーベルの研究室を後にする。帰り道、リリアはずっと黙って俺の半歩後ろを歩いていた。俺の言葉かメリーベルの言葉か、どちらかが余程ショックだったのだろう。こうまで落ち込まれると悪い事をした気になってくるが、仕方が無い。いつかは誰かが言わなきゃ成らないことだ。


「……師匠」


「何だ?」


「……リリア、あんな風に怒られたの、初めてでした……」


「そうか」


「……師匠は、どうしてそんなにリリアに一生懸命何ですか……?」


思わず足が止まってしまった。振り返るとリリアは寂しげな表情で俺を見上げていた。


「一人ぼっちで、落ち零れで、駄目で……。でも、師匠は……なつるさんは何度もリリアを助けてくれました。傍に居てくれました。がんばれって言ってくれました。でもそれってどうしてなんですか? どうして、リリアなんですか?」


俺は答えられなかった。何故といわれたところでその真意は俺にだってわからない。ただそういうルールで、そういう取り組みをしなきゃならない。それだけのことだ。

なのに俺は今更になって自覚させられる。この世界を生きる登場人物にとって、俺の存在は現実であり、幻なんかではなく、俺の言葉は確かに彼女に届いてしまう。


「……勇者、だからですか?」


その『勇者』の二文字を呟いた時、リリアはまるで別人のようだった。

暗く、淀んだ言葉。まるで憎しみでも抱くかのようなトーンでその二文字を口にした時、リリアは本当に悲しそうだった。言葉に出来ないその不安に押し黙っていると、彼女はゆっくりと顔を上げた。


「いいんです。なつるさんにそんな事訊く資格、ないですよね……。わかってます! なつるさんが、師匠が一生懸命だってことだけは……それは確かですもんね」


「リリア……」


「リリア、闘うですよ! 闘って……今度は逃げないで闘うです。だから、見ててくださいね? 師匠が見ててくれたら、リリアもっと頑張れると思いますから。だから……」


きっと不安でたまらないはずなのに、無理に笑ってみせる少女。

俺はその肩を少し強く叩き、歩き出す。俺の後を追ってくる足音が、少しだけ元気になったような気がしたのが気のせいでない事を祈りたい。

こうしてメリーベルとリリアの試合スケジュールが決定した。

その結果、あんな事になってしまうとは、勿論俺はこの時何も予想もしていなかったのだが……。


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