特訓の日(1)
俺自身があちら側の住人ではなく、元の世界と自由に行き来する事が出来るというのはリリアとの特訓をする上で便利な条件だった。
ディアノイアの生徒であるリリアは当然、昼間は学校で授業がある。よって特訓などたっぷり出来るのは夕方以降の時間帯に限られる。
しかし俺はあちらの世界にそう何日も何日も居るつもりはない。つまり、俺は夕方になるとあちら側の世界に移動し、特訓が終わったら現実世界に帰る。これを一日ずつピッタリ時間をずらしながら行い続けるのである。
リリアも色々と事情があり、特訓できるのは夕方からの二時間程度だった。俺の体感時間ではまだたかが六時間程度だったが、既にリリアとしては三日間俺と一緒に過ごした事になる。
そんなわけで、特訓も三日目。流石に眠くなってきた今日この頃、俺はウトウトしながらリリアの引くリヤカーの荷台に横たわっていた。
「んぎ、んぐぐ……んあーっ!!」
リリアは一生懸命リアカーを引いている。その前進速度はかなり遅い。時速1kmも行かないのではないだろうか。俺はその荷台の上でウトウトしながらシャングリラの街並みを眺めていた。
シャングリラの大通りをリヤカー引いて移動するというだけのシンプルな自主トレーニング。リリアに絶対的に足りないものはまず技術がどうこうではなく、度胸とか体力とかそういう基礎的な部分だと俺は判断したのだ。
とはいえ流石に初日からこうだったわけではない。ただ二日間の特訓の経験上、リリアは少しでも難しい特訓だと持ち前の不幸さを発揮し、途中でトラブルが起こって中断をくらってしまうのだ。
そもそもリリアは剣を振れない。理由は簡単、自前の大剣が重過ぎて構えるのもやっとなのだ。こんな調子ではどうやったってゲルト・シュヴァインになんぞ勝てるはずもない。
そういえばゲルトのやつ、片手でリリアと同じ大剣を振り回していたな。一体どれだけ怪力なのだろうか。どう見ても華奢な少女にしか見えなかったのだが。
と、ゲルトの戦いを思い出しているとうっかり半分くらい夢の世界に吸い込まれそうになる。慌てて身体を起こすと、リリアがリヤカーに引かれてぐったりしていた。
「お、おい!? 大丈夫か!?」
「……こ、ころんで……そしたら、リヤカーが……」
仕方がないので飛び降りてリリアを引っこ抜く。泥だらけの服の汚れを叩いて落とし、顔についた土をハンカチで拭う。
リリアは涙ぐんだ瞳をごしごし擦りながらうなだれていた。今回のは流石に俺が寝てたのも悪いと思うが、リヤカー引いてて転ぶか普通……?
「リリア、どうやってもゲルトさんに勝てる気なんかしないです……うええん」
「泣くな泣くな……」
まあ、最下位ランカーとトップランカーとではレベルの差が開きすぎていてちょっと想像が出来ないくらいに壁がある。リリアが勝てる気しないのは当然だ。俺だってしねえ。
流石に目標に据える人物を行き成り上のほうに設定しすぎただろうか? いやしかし、当時の俺はリリアがここまでへこたれた奴だとは思って居なかったのだ。
ファンタジー世界で言う勇者といえば、魔王をやっつけたりする最強の存在というのがデフォルトだ。俺だってロールプレイングゲームくらいやったことがある。勇者というのは最初からそこそこ強くて、適当に戦っているうちに強くなる……そんな手間のかからない存在だとばかり俺は思っていた。
しかし、リリアは違う。勇者という呼び名が本当に正しいのかどうかを疑うほど、体力も力も精神力も全く以って一般人以下なのである。
今は荷台で静かに横たわっている愛用の大剣も、本人には絶対に似合って居ない。鞘もなく、刀身にはぐるぐると鎖が巻かれた無骨な剣。その重さのあまり、リリアは通常移動する時この剣を引き摺りながら歩いている。
校内でそれをやって以前注意されたらしく、学園の校舎を歩く時は出入り口にある傘立ての横に放置してあるという悲惨な扱いっぷり。これでは剣も報われない。
めそめそしているリリアの頭を軽く小突く。叩かれたリリアは目を丸くして顔を上げた。
「泣いてたってしょうがないだろうが……。わかったわかった、今日はもう特訓終わり。もう帰って休んでいいぞ」
「……ほんとですか? 師匠、怒ってないですか?」
「怒ってない怒ってない。ほら、満面の笑みだろ?」
「……師匠、顔引き攣ってますけど……」
そりゃ、ここまでどうにもならないくらいリリアがよわっちい事を再認識させられれば、何とも言えない表情になりもする。
頭の中で自分の目標を再確認。俺はこのよわっちい自称勇者様を立派な勇者に育て上げる事を最終目標とする。それが出来なかった場合――なんかおっかないことになる。
何よりこんな所で終わるわけにはいかないのに……。何のためにこんな事をやっているんだか、俺は……。
リリアの頭をぐりぐり撫でてリアカーを自分で引いて片付けに戻る。来る途中の酒屋さんで借りたもんだから、早めに返さないと……。
「師匠? いっつも特訓が終わると居なくなるけど、どこにいくんですか?」
「ぎくっ」
「たまには一緒に帰りましょうよ〜! ねえねえ師匠〜師匠〜」
腕にリリアがすがり付いてくる。無視してリアカーを引いて歩き出すと、リリアもリアカーに続いて地面をずるずる引き摺られてついてくる。
体が軽すぎて引っ張っている気がしない……。というかそういえばこいつの剣を荷台に乗せたままだ。
「わかったわかった、行くから離れろ! ほら、先にそっち行ってろ!」
「わーい! じゃあ、下で待ってますね!」
手を振って走って坂道を下って行くリリア。俺は深々と溜息をつき、うさぎの帽子の中に手を突っ込んだ。
原書のページを開くと、うっすらと次のシナリオが浮かび上がろうとしている。俺はまだまだ、何にも出来て居ないっていうのに……。
それにそこはかとなく、よくない内容が浮かび上がっているような気がしてならない。うさぎに視線を向けると、彼は帽子を被って言った。
「まだきちんと浮かび上がって居ない未来は、現時点で確定して居ないものです。どんなに悪い要素だとしても確定しない限りはまだ大丈夫ですよ」
「どうだかねえ……」
原書を閉じて溜息を漏らす。
そこにある絵が、リリアに剣が突き刺さっているようにしか見えない俺は、心配性なのだろうか。
リアカーを引きながら歩く、そんな特訓の日々。それも三日目を迎えようとしていた。
⇒特訓の日(1)
シャングリラの街を歩くのも三日目となると流石に少しずつ慣れて来る。
俺の一歩前を行くリリアに続き、周囲の街並みを眺めながら進んで行く。基本的にこの街は中心に近づくと殆どの建造物が坂道に存在している為、いつも学園から街に行く場合は下り坂なのだ。
一つの山のような形状をしたこの街を歩く人たちにとって坂道なのは当たり前。歩道脇には階段がある所さえある。
リリアは下り坂をぴょこぴょこ歩いていく。ぴょこぴょこ歩くという表現がどうなのか俺にも微妙だが、ぴょこぴょこ歩いていると言う以外に表現する方法を俺は知らない。
なんというか、ただ歩いているだけなのにぴょこぴょこしているのだ。とても頭の悪そうな効果音が似合う、そんな素敵過ぎる歩行だった。
その後ろを俺はついて歩く。肩の上に乗ったうさぎが耳元で鼻をすぴすぴさせ、小さな声で呟いた。
「そういえば貴方はずっと何も食べて居ないのでは?」
「あー……そういえばそうだな……」
「……どうしてワタクシを見るのですか?」
いや、別に食えるかなーと思ったわけじゃないけどさ。
歩いているとうさぎが道端に在るレストランを指差した。指ではなく前足なのだがそこは別にいいだろう。俺は足を止め、前を行くリリアに声をかけた。
「リリア、ちょっと寄っていかないか?」
ということでそのまま俺達は並んでレストランの扉を潜った。
木造の建物の中はやっぱり木造だった。カントリー調の店内に入り、テーブルに付く。
そういえばこの世界の金なんて持って居ないがどうしたものか。リリアを見ると、メニューを見ながら楽しそうにニコニコしていた。
「何にしようかな〜。何にしようかな〜」
とてもじゃないがお金について訊ける状況ではない。うさぎの頭を指先で叩き、小声で訊ねる。
「お前、金持ってるか……?」
「帽子の中に入っていますから、後で必要金額だけワタクシが渡しますよ」
「なんだよ、あるなら寄越せって。俺持ってるから」
「貴方に渡したら全額使ってしまうかもしれないでしょう……いたたたたっ!? 耳を引っ張らないで!!」
「俺は小学生か!! いいから黙って金出しな!!」
そんな言い争いをしていると、同時に俺達は正面を向く。リリアは俺とうさぎがつかみ合っている絵を見て目をぱちくりさせていた。
「そういえばずっと気になってたんですけど……あのー、そのうさぎさんは?」
そりゃ疑問に思うよね。ていうか今まで放置されてたのが逆におかしいだろう。
返答に困っていると、うさぎが勝手にテーブルの上にぴょこんと飛び移る。そうして二本足で立って帽子を脱ぎ、ぺこりを頭を下げた。
「申し遅れました。ワタクシ、ナツル様の使い魔であるナナシと申します。どうぞ以後お見知り置きを」
「わぁ〜! かわいい〜! やっぱり師匠の使い魔だったんですね〜!」
うさぎを抱きかかえ、頭を撫で繰り回すリリア。そういえばここ飲食店だけど、こんな動物連れ込んでいいんだろうか。
そんな事を考えていると、ウェイトレスがトレイの上に水を乗せて歩いてきた。しかし何が起きたのかウェイトレスが足を縺れさせて正面によろけ、トレイに乗ってた二人分の水の注がれたグラスがリリアに直撃した。
勿論そのお膝の上でなでられていたうさぎもずぶ濡れになる。二人が目を閉じて沈黙しているのを見て、俺は半笑いを浮かべた。
「す、すみませんっ!! 大丈夫ですかお客様!?」
「へ、へいきですよー……。なんかついこの間もこんな事があったような気がして軽くデジャヴってますけど……」
「……何故ワタクシまでまきぞいを……。うさぎの耳には水を入れてはいけないんですよ……」
慌ててリリアの身体をナプキンで拭くウェイトレス。リリアはへらへらしながら頭の上に氷を載せたまま固まっていた。
それにしても、ここまで来るとリリアの不幸も相当だな……。いや、今までもそうだったけど……今までのはこいつ自身がドジだからという理由で済んだ。だが今回のはウェイトレスが『なぜか』転んでしまったのだ。
しかもグラスは『なぜか』リリアに直撃。他の客はおろか、正面の席にいる俺にさえ微塵も引っかかってはいない。リリアだけをピンポイントで狙ったように、水びたしなのである。
だというのに、リリアはへらへら笑って済ませている。本来ならばここは盛大に怒り出しても誰も咎めないようなシーンなのだが、リリアは笑顔でウェイトレスを許していた。そんなこんなでばたばたしていると、騒ぎを聞きつけた男性のウェイターが走ってくる。
「いやーすいませんお客さん!! タオル持って来ましたんで……って、あれ? リリアちゃん?」
「お前……アクセル・スキッド!?」
「あ〜、アクセル君だ〜。こんにちは〜」
俺たち三人は各々同時に別々のセリフを口にした。ウェイターの制服を着用したアクセルはタオルでリリアの頭をごしごし拭きながら俺を見る。
「お〜、ナツルも一緒か! 三日ぶりか? もう学園には慣れたか? ていうかお前リリアちゃんとどういう関係だ? リリアちゃん大丈夫か?」
そんなに同時に話されても困るんだが。アクセルはリリアの頭を拭き終えるとタオルをリリアに渡し、腕を組んでアクセルはリリアの隣に座った。水浸しになったうさぎはリリアにタオルでわしわし拭かれている。
「なんだなんだ、お前ら知り合いだったのか? 奇遇だな〜おい!」
アクセルは豪快に笑い飛ばした。横でおろおろしていた加害者のウェイターを下がらせ、両手を合わせてリリアに頭を下げた。
「わりわり、この通り! お詫びになんかオゴるからさ、許してよリリアちゃん」
そんな軽い謝り方でいいのだろうか、とか疑問に思うまでもなくリリアはむしろ奢ってもらえることに喜んでいた。現金なやつである。元気でもあるか。
「アクセルのバイト先ってここだったのか?」
「ああ、そうそう。つーか俺色々バイト掛け持ちしてっから、ここだけじゃないんだけどな。しっかしリリアちゃんは今日も可愛いなあ〜!!」
両手を広げて他の客の目も気にせずアクセルは叫ぶ。リリアは恥ずかしがっているというよりは若干引き気味だ。俺はテーブルに頬杖を付きながら馬鹿の発言をジト目で見守っていた。
「リリアちゃん、かわいいだろ? 顔がいいのは勿論、この知性のない目! 成長する気配のない胸! 明らかに似合ってない大剣! どこをとっても俺の好みストライクまっしぐらだぜ!!」
ストライクまっしぐら。それがどんな言葉なのかは兎も角、アクセルは冗談で言っているわけではなさそうだった。その瞳の中にきらきら輝く熱意のようなものを見た時、俺は全てを諦めた。
店内でそんなけなしているのか褒めているのかわからないセリフを叫ばれ、リリアはおたおたしていた。アクセルはけらけら笑って俺の肩を叩く。
「しかしなんでお前いきなりリリアちゃんとデートしてんだ? 自分で言うのもなんだが、俺ほどの審美眼の持ち主じゃなきゃあ、リリアちゃんに声はかけないぜ?」
「お前いちいちリリアをヘコませるのが好きだな……。つーかやっぱりリリアは人気ないのか」
「人気ないっていうか、まあ一躍時の人ではあるけどな。入学からこっち闘技場での勝率0%、授業も落ち零れでついていけないし」
「うぅっ……あ、アクセルくん……ひ、ひどいぃ……」
「でも、俺はそんな君が大好きなんだぜ! さあ、結婚しよう!」
泣きそうになっているリリアの手を取り、アクセルは笑う。とりあえずそんなアプローチで女の子を口説けるんなら世の中の男は苦労しないと思う。
アクセルが新たに持ってきたグラスから水を飲み干し、テーブルに置く。とりあえず注文しない事には始まらない。というかこいつバイト中じゃなかったか。
しかし何を注文すればいいのかよくわからない。サンプル写真なんてもんは無く、平然と読めない文字だけが鎮座なさっている。眉間に皺を寄せ困っていると、アクセルが再び俺の肩をバシバシ叩いた。
「迷ってんなら俺がオススメを持ってきてやるよ! 俺厨房もやってっからさ、アッハッハ!」
何故傭兵学科の生徒が料理……いや何も考えないほうがいい。こいつに突っ込み出したらキリがない。
こうして元気良く厨房に消えていくアクセルを見送り、俺達は一息ついた。何とも言えない気まずい空気が広がり、リリアは苦笑を浮かべていた。
「えぇと……それで、何でしたっけ?」
「何だったか……とりあえずそのうさぎ、そろそろ返してもらえるか?」
「あ、はい。またね〜、うさちゃん」
うさぎはぴょこぴょこ跳ねて戻ってきた。若干湿気ているのが気になるが、仕方あるまい。
それにしてもここでアクセルに会えたのは幸運かもしれない。俺はこっちの世界の事について疎すぎるし、アクセルは何だかんだでこちらの世界で身近に頼れる人物だ。
せっかくチュートリアルで縁があったのだから、利用させてもらわない手はない。先ほど水をぶっかけた店員が料理を持ってきてまたリリアに頭を下げる。俺達は目の前に並べられた数々の料理に目を丸くして、厨房の方を眺めた。
「アクセルくん、こんなにいっぱい作っちゃって……」
「食べきらないよな……って、早――ッ!?」
目の前でリリアが物凄い勢いでスパゲティを頬張っていた。既に半分くらい胃袋に収めたのか、驚嘆する俺を前に口元をケチャップだらけにしながら首を傾げた。
「もぐもぐ……どうしたんですか?」
「どうしたんですかじゃなくて、何その食べっぷり!?」
「え? 普通じゃないですか?」
いやいやいやいや、普通じゃないから。とかなんとかいっているうちに既に皿が一つ空になってしまった。俺も早く食べないと自分の分がなくなってしまいそうな勢いだ。
しかし、よく食うな……。小さい身体に次々に飲み込まれていく料理たち。これでどうして背も伸びなければ太りもしないのか。この栄養はどこにいっているのか。謎である。
「ところでリリア」
「はい、なんですかー?」
「お前、あの剣振れないんだよな? じゃあ他に何か出来ることとかないのか? こう……ほら、魔法とかさ」
例えば炎を起こしたり、雷を落としたり……。ファンタジー世界なら腕力が在ればいいってもんじゃない。そういうこう、頭の良さそうな能力があるはずだ。
すると俺の質問にリリアは満面の笑みで頷いた。どうやら得意な魔法が存在するらしい。
「リリア、一個だけすっごく得意な魔法があるですよ!」
「おぉ!! で、その魔法は?」
「はいっ! 回復魔法ですっ!!」
俺達は笑顔のまましばらく停止する。雲行きが怪しくなってきたのを感じたのか、リリアは焦りながら語りだす。
「え、えっと……あの、リリア、よく転んだりひっかけたりして怪我するんですね? だから毎日毎日回復魔法ばっかり鍛えてたら、気づけば達人クラスになっていたのですよ〜! えへへっ!」
「…………言いたい事はそれだけか?」
「はうぅっ!? あの、その……回復魔法は便利なんですよ!? 回復魔法は人を傷つけない優しい優しい魔法なんです! それに、一人くらい仲間に回復魔法の使える人間が居ないと、戦闘は厳しいって魔法学の先生が言ってたんですよっ!」
「…………お前、自分の職業を言って見ろ」
「……勇者です」
「勇者は回復……してもらう方じゃねえの?」
「…………う、うぅ……だって……そのぅ……ひぐっ」
頭を抱える俺と涙ぐんでいるリリア。俺たちの様子は他の客も心配になるほど不安定だったことだろう。
「うぁぁぁああん、ごめんなさぁあああいい!」
「もういいから泣くな……俺が苛めてるみたいだろ……」
「なんだか師匠に申し訳なくって……リリア、ダメな子で……えぐっ……!」
「まあ、水でも飲んで落ち着けよ……なっ?」
リリアは泣きながら水を飲んでいた。しかし、本格的にどうしたもんか。額に手を当て考え込む俺。しかも超眠い。
現実の活動時間で言えば、とっくに真夜中どころか朝方だろうし……流石にそろそろ寝ないと健康的にヤバイ気がする。ていうかこんな生活これから続けなきゃならないのかと思うとかなりウンザリしてきたぞ。
「なんかもう、やめたくなってきた……」
「な、何をですか……?」
「人生とか……色々だ」
でもリリアを見ていると自分はどん底ってわけでもないんだって思えてちょっと生きる気力がわいてくるぜ……。
「じゃあお前、他に何が出来るんだ?」
「え、えっと……んーとぉ……」
口元に手を当て、必死で考えるリリア。そのまま俺たちの間を時間だけが無慈悲に流れて行く……。
俺もリリアも限界だった。何故か不自然に笑みを浮かべ、二人で低い声で笑う。それから同時に机の上に突っ伏して落ち込んだ。
ダメだ……。何もかもがダメ過ぎる……。こんなんじゃ、打倒ゲルトなんて天地がひっくり返っても無理だ……。
そんなこんなで二人して泣いていると、バイトも終わりなのか私服に着替えたアクセルが歩いてきた。俺たちの惨状を眺め、流石のアクセルも一瞬のけぞる。
「お、おぉい……? 何だ何だ、何二人して死んでるんだ?」
「アクセルか……。いや、今リリアじゃゲルトに勝つのは天地がひっくり返っても無理って話をしていたところだ」
「はうぅ!? そんな話してないですよ!? そんなこと考えてたんですか、師匠!?」
「何、ゲルト!? ゲルトってお前……ゲルト・シュヴァイン?」
俺は小さく頷いた。アクセルはそれを聞いて笑い出したが、俺たちが全く笑わず真顔なのを見て気まずそうに表情を変えた。
「……マジ? ネタとかじゃなくて?」
「……マジもマジ、大マジだ……」
アクセルは俺を奥に押しのけ、隣に座る。それから真剣な表情でリリアの手を取り、頷いた。
「ゲルトはどう考えても無理だ、やめとけ! ヘタしたら死んじゃうぞ! リリアちゃん、ちょっとしたことで瀕死になりそうなんだから!」
「うぇぇぇぇぇえええええんん……」
それがトドメとなり、リリアは号泣し始めた。しかしその泣き方は本当に悲しいのか、笑いながらぼたぼた涙を零すという奇妙な表情によって形成されていた。
暫くは俺たちもそうして落ち込んでいたのだが、突然アクセルが指を鳴らし、俺たちに言った。
「つーかさ。ランキング戦って、確か自分より前後十位以内のランカーとしか試合できなかっただろ?」
「そうなのか?」「そうなんですか?」
俺とリリアの声が重なる。いや、お前は知っとけよ。
ゲルトは上位三位くらいで、リリアは最下位だったか。だとすると、リリアはいつになったらゲルトに挑戦できる事になるんだ?
「リリア、お前最下位って言ってたけど、実際今何位なんだ?」
「んと……多分、六百位くらい……」
「ろっぴゃくう!? マジか!? ゲルトなんて夢のまた夢、神と平民みたいな差じゃねえか!?」
リリアは両手の人差し指を胸の前でつんつん合わせながらこくりと頷いた。しかし、話を吹っかけたのは俺の方だ。どうやら見込みが完全に甘かった。
ゲルト打倒は絶対無理だ。もうちょっとこう、戦う相手は選んだ方がいい。そもそも剣が振れないリリアに勝因があるのかどうかわからないが……。
「アクセル、リリアが勝てそうな相手っているか……?」
「……また難しい質問だなぁ〜。とりあえず、自分より一つ上のランカーを狙うのがいいんじゃねえの?」
というアクセルの提案を受け、俺達は三人揃って店を出た。
夕暮れ時だった空はすっかり闇に染まっている。星空の下俺達は坂道を駆け上がりディアノイアへ急いだ。
学園の受付は夜だけあって流石に空いていたが、生徒は相変わらず歩き回っている。夜間も開いているディアノイアでは別に珍しい光景ではない。俺達は受付に駆け込み、同じ顔をしたメイドの一人に声をかけた。
「ランキングバトルの順位ですね? 少々お待ちください」
俺達は三人で同時に身を乗り出し、浮かび上がった立体映像を凝視した。
リリア・ライトフィールド。バトルポイントゼロ、ランキング順位、八百三十二位――。同時に落胆する。しかし直ぐに立ち直り、その一つ上を見つめる。
「……メリーベル・テオドランド……バトルポイント、ゼロ!? 順位、八百三十一位! おい、こいつもゼロポイントじゃねえか!?」
「わぁ〜! リリアとおそろいですぅ〜」
「うわー、ゼロポイントの奴なんてほかにも居たのねぇ。リリアちゃん、このメリーベルって子だったら戦って勝てるんじゃないの? 相手、錬金術科だし」
「錬金術科……って、何だ?」
「文字通り、錬金術を扱う学科さ。正直戦闘タイプの学科じゃないから、ランキングバトルには未登録の場合が多いんだけどよ。すんません、このメリーベル・テオドランドって子の登録情報出してもらえる?」
頷くメイド。画面に映し出されたのは茶髪の少女だった。歳の瀬は恐らくリリアよりは上。見た感じはそんなに強そうといった雰囲気ではなく、むしろ華奢な印象を受ける。勝率はリリアと同じく0%。ただ、学年がリリアより上の錬金学科二年であり、登録日時もこちらのほうが早いことからリリアよりは一つ上、という扱いになっているらしい。
メリーベルのデータをプリントアウトしてもらい……メイド服の下から印刷された写真が出てきた……俺達はカウンターを離れた。リリアは写真を眺め、目をぱちくりさせている。
「何でこの人、勝率0%なんでしょう?」
「……いやな? それ、俺もお前に言いたいから」
「ん〜……まっ、0%ってチョット普通じゃねえよな〜。なんか事情とかあるんじゃねえの?」
「事情……」
その言葉を聞いた瞬間、リリアの表情は曇ってしまった。今までの落ち込んでいるとかそういった雰囲気の陰りではない、何か。俺はその様子に首を傾げる。
アクセルはそれに気づかなかったのか、リリアと俺の肩を叩いて笑う。
「ま、戦う事になったら呼んでくれよな! 応援しに行くからよ! というわけで、次のバイトがあるから俺は行くぜ。じゃあな〜!」
何とも忙しいやつだ。手を振ってアクセルは学園から去っていく。残された俺はアクセルに手を振り返したが、リリアは浮かない表情でじっと写真を見つめている。
「そいつがどうかしたのか?」
「……どうか、したわけじゃないんですけど。もし何か事情があって、戦えないなら……そんな人に戦いを挑んじゃって、本当にいいのかな、って……」
別にまだ会ったわけでも話したわけでもないのに、リリアは既に落ち込んでいた。それは確かにまあ、事情もあるのかもしれない。でも、闘技場に登録してある以上、そういう事情を押してでも参加しなきゃならないのがルールだろう。
参加を取りやめる事が出来ないわけでもない。それに、勝率0%なのはリリアも同じ事。だというのに仮にも格上相手にこいつは何を甘い事を言っているのか。
しかしまあ、それもまたリリアらしいのかもしれない。溜息を漏らし、リリアの肩を叩いた。
「だったら会って確かめてみればいいだろ? 挑戦するのはそれからでも遅くないはずだ」
俺の提案にリリアは強く頷いた。戦うのに納得出来ないなら、とりあえず相手を知って納得すればいい。それで戦う事になれば、たとえ負けたとしても得るものはあるはずだ。
資料によれば、メリーベルはディアノイアの学生寮に住んでいる事がわかった。俺達は夜の学園を抜け、対戦相手に会う為に学生寮へ向けて歩き出した。