始まりの日(6)
「……なんじゃこりゃ」
あれから朝まで歩き回ってベッドに飛び込んだのは日が昇ってから。そうして少しの間眠っただけのつもりだったのに、目を覚ましたらすぐ傍にリリアの寝顔があった。
幸せそうに涎を垂らしながら毛布に包まれてぬくぬくしているリリアは勝手に人の腕を枕代わりにしていた。お陰で完全に腕の感覚がない……。
何とも中身の詰まって無さそうな軽い頭だったが、何時間も乗せていればこうなるのは当然の事……。深々と溜息を漏らし、身動きの取れない状態のまま頭だけを動かして部屋の中を見渡す。
普段ならあのうさぎが枕元辺りに転がっているはずなのだが、今日に限ってその姿は見当たらなかった。何故リリアが一緒に寝ているのか、全く持って謎だが……。
「本当に、幸せそうに寝てやがるなあ……」
「むにゃむにゃ……」
お約束な寝言を言いながらリリアは寝返りを打った。その顔がこれ以上無いほど近づき、深々と溜息を漏らす。
一体何故人のベッドの中に勝手に潜り込むのか。その癖は冬香もそうだった。尤もあいつは大人になるに連れてそんな事はしなくなったが。
寝ているリリアの前髪に指を伸ばす。さらりとした感触が心地良い。さて、思い切り跳ね除けて起こしてやるのも一興だが、暫くほっといてみるのも悪くないかもしれない。
その判断が間違っている事に気づいたのはそれからおよそ一時間が過ぎ去った時だ。一向に目を覚ます気配のないリリアの涎が腕をずるずるにしている。きたねえ……。
「おい、いい加減にしろこのへこたれ勇者! 人の腕でいつまで寝てんだ、しかもアーマークロークで寝るな!!」
そんなゴツゴツしたクロークでよくここまで熟睡出来た物だ……。身体を揺さぶってみてもリリアは全く目を覚まさない。参った。一体俺にどうしろというのか。
ふと思い出す。以前、こうしていつまでも人のベッドで寝こけていた我が妹をどうやって起こしていただろうか。思わずニヤリと笑ってしまった。リリアの耳元にギリギリまで口を近づけ、俺はそれこそ自分でも背筋がゾクゾクするくらい、甘い声で囁く。
「リ〜リ〜ア〜」
「うひぃやあっ!?」
途端に飛び起きるリリアの肘が顔面を強打する。鼻血は出ていないようだったが相当痛い。パニック状態でベッドの上でジタバタ暴れまわるリリアの頭を両手で掴み、正面から頭突きをかます。
吹っ飛ばされてへたれこむリリアを強引に引っ張り起こし、半開きの目を無理に開いてしゃんと立たせる。
「人のベッドで何してんだ」
「おふぁようございます、師匠……。あれ? リリア、師匠を起こしに来たはずなのに……。師匠、起きてくださいー……」
「寝言は寝て言え。いや本当にお前の場合は言いそうだから遠慮しておく。とにかく起きろホラ、しゃんとせい」
寝ぼけるリリアの頬の涎をふき取り、洗面台に連れて行って顔を洗わせる。それでもまだ眠いのか、リリアはうとうとした様子で人のベッドに腰掛けえていた。
「ったく、人を起こしに来て一緒に寝てどうする馬鹿。それにお前に起こしてもらわなくても俺は普通に起きられるんだよ……子供じゃあるまいし」
リリアが半分寝ている間にてきぱきと着替えを済ませる。リリアは俺が着替えている間もぼ〜〜〜〜っとしてずっと床を眺めていた。そういえば最近はずっと寝てばかりだというのに、がんばって起きてここまで来ただけでふらふらだったのかもしれない。
そんなになるなら来た所で意味なんかないのだという事に何故気づかないのか。溜息が漏れる。朝から溜息の大バーゲンだ。
「ったく、ナナシはどこ行ったんだか……。おらリリア起きろ! 学園祭三日目でもう昼だぞ? とにかく飯にしよう、飯」
「うずー……」
何だか良く判らない事を呟きながらリリアは完全に座ったまま寝ていた。ぐらぐら揺れるその小さな身体を背負い上げ、寮を後にした。
ぐったりした様子で肩に涎を垂らしながらリリアはすやすや眠っている。魔力を使えるようになった今ではリリアの身体なんて軽いものだ。背中で揺れるへこたれ勇者の体温を感じながら一人で公園まで歩いた。
三日目も学園祭は大盛況だ。シャングリラそのもののお祭り騒ぎは学園祭が終わった後も暫く続くという。こんなに楽しい雰囲気が続くと、逆に飽きてしまいそうだ。
ベンチの上にリリアを降ろして一人で飲み物を購入する。眠っているリリアの頭の上に小鳥が止まり、それでもリリアはぐうぐう寝息を立てていた。その隣にどっかりと座り込み、空を見上げた。
「青いなー……」
寝ているリリアの頭の上、小鳥が俺の言葉に反応するように小首を傾げる。それがまるでリリアそのもののように見えて、小さな勇者の寝顔をしばらく覗き込んでいた。
⇒始まりの日(6)
それは夢だった。何故夢だと判るのか? それは夢の中を歩くリリア・ライトフィールドは、現実の彼女よりもずっと時を遡った姿だったからだ。
だからそれはリリアが見た夢。その中で、幼い彼女は祖父と一緒に砂浜に立っていた。釣り道具を片手に砂浜を歩く祖父、ヴァルカン・ライトフィールド。その背中にリリアは問い掛けた。
「おじーちゃん」
「んー?」
「おとーさん、どうして死んじゃったの?」
「んー。どうしてだろうなぁ」
暢気にそんな事を言うヴァルカン。リリアは小走りで祖父の歩幅に追いつき、顔を覗き込む。祖父は別にどうでもいい世間話をしているかのような顔をしていた。
「おかーさん、どうして死んじゃったの?」
「んー……。そいつは難しい質問だ。まあ世の中色々あるんだよ」
二人が辿り着いたのはとある岬だった。そこでヴァルカンは長い長い釣竿を海へと投げ込み、どっかりと胡坐をかいてバケツをリリアに手渡す。
「お前の母親がどんな奴だったか知りたいか?」
リリアは無言で頷いた。リリアは自分の母を知らない。それは幼い日に死んでしまったという事だけ――そう、それこそリリアを産んで直ぐに亡くなったという話だけが聞かされていたから。
最近までそれはリリアにとってはどうでもいいことだった。何しろ街の人々は皆良い人で、カザネルラの街がリリアは大好きだったから。しかし、戦争が終わり、父であるフェイトが死体になって帰って来た日、思ったのである。知りたいと。興味を持ってしまった。それは子供心に芽生えた疑問だった。
顔さえ見たことのない、記録さえも残っていた母。それはヴァルカンに自分を託し、命を落とした。その話を誰から聞いたのかさえ曖昧で、だからそれくらいリリアは自分の親に無関心だった。
「お前の母親はなあ……まあ、勇者部隊の女のうちの誰かだろうな」
「……? だれか? だれかって、なに?」
「んー……。これも難しい話だな。あー、フェイトはだからな、あんまり後先考えないんだよ。だから大体近場の女にはぜーんぶ手ぇ出してた。んで、これまた何故かあいつは異様なくらいにモッテモテだった。いっつもあいつの傍には美女が居た。まああいつ自身顔がよかったし、あの馬鹿さ加減は魅力だったのかもしれないがな」
「……? どういうこと?」
「だからなぁ、リリア。お前の母親は、誰だかわからねえんだわ。すまん、爺ちゃんたち嘘付いてたわ」
その言葉は幼い少女に激しい衝撃を与えた。その場でわなわなと震え出し、祖父を崖から海へと突き落としたリリアは大声で泣き喚きながらその場を走り去った。
自分の手の中にバケツが握られたままだと気づいたのは停止したあとのことで、バケツを海に投げ捨てようとしたリリアは誤って崖から転落してしまった。
かろうじて岩から飛び出していた木の枝に引っかかった物の、断崖絶壁正真正銘の死に際で、少女は泣く事もせず、膝を抱えて世界を眺めていた。
空が驚くほど澄んでいる日だった。どこまでもどこまでも、どこまでも続いている海と空。その二つの蒼は確かに違っていて、水平線の彼方で丁度絵の具が混じるように、一つに重なり合う。
ぼんやりとその景色を眺め、リリアは膝を抱えたまま落ち込んでいた。命の危険よりも、自分の母親が誰なのかも判らない事がショックだった。いや、きっとそれ以上に祖父が自分を騙していた事が辛かったのだ。
ヴァルカンをリリアは純粋無垢な気持ちで全てを信じていた。ヴァルカンのいう事は世界の全てだと思っていた。今まで何度も嘘を付かれ、その旅に祖父を殺しかけてきたリリアだったが、それでもまだ祖父を信じていた。
「おとーさん……。おかーさん……」
そうして青空が茜色に染まっていく様を少女はずっと眺めていた。ずうっと、ずうっと。そうして日が暮れそうになった時、突然リリアの身体を大きな腕が掴んだのだ。
顔を上げるとそこには見知らぬ男が居た。絶壁を生身で降り、リリアを抱えて一息に跳躍して戻る男。黒い髪に赤い瞳が特徴的な、優しい笑顔の人だった。
「見つけたよ、リリア。ヴァルカンさんが心配してる。さあ、お家に帰ろう」
リリアは黙ってその男をじっと見つめた。腕に抱かれ、そうしているうちに何故か涙が溢れた。ぽろぽろ涙を零しながら、少女はそれを拭わずに頷いた。
その時リリアが思い返していたのは、同じように迷子になったリリアを見つけ出してくれた父の事だった。金髪の青年、勇者フェイトはリリアを空中に放り投げると、あろうことか『たかいたかーい』と口にし、自らの一人娘を上空数十メートルまで思い切り何度も放り投げた。しかしリリアは泣かなかった。そんな父親の態度に彼女は既に慣れつつあったからである。
「よお、リリア! 迷子になるなんてカッチョイ〜じゃねえか、ん? こんなにちっこい癖にもう冒険者気分か、コノヤロー!」
「おとーさん、むすめの扱いなってない」
「アッハハハハハ! バーカ、子育てなんてのはこれくらいで丁度いいんだよ! つーか久々に戦場から戻った父親に言う言葉かそれは? この馬鹿娘!」
リリアを強く抱きしめ、その場でグルグル回転するフェイト。そうして笑顔のまま家の方向にリリアを投擲し、自らも跳躍して空を飛ぶように天空から娘を抱いて舞い降りる。そんな事が日常茶飯事で、リリアは雲の中から世界を見下ろしていた。
そのすぐ傍で父は大声で楽しそうに笑いながら世界の両手を広げて叫んでいた。『俺様最強すぎるぜー!』……と。
まともな父親ではなかった。でも子供のように笑いかけるその顔は確かに父親だった。その笑顔と同じ物を、全く正反対の性格の男から見出したのは何故なのか。
それは、二人の勇者が実は似たもの同士だったからなのかもしれない。兎に角崖から救われたリリアは、ゲインに抱かれて家に帰った。平然と魚料理を作っていた祖父を背後から熱したフライパンで殴りつけ、大騒ぎに発展する。そんな中、ゲインは口元に手をあて微笑んでいた。
始まりはそんなことだった。出会いというのならばそんなことだった。それでもリリアは鮮明に思いだせる。ゲインの笑顔も、フェイトの笑顔も。
「ねえ、おじさんはしってる?」
「うん? 何をだい?」
「リリアの、おかーさん」
幼い日、ハッキリと思い出せる。複雑な表情を浮かべ、そうしてただリリアを抱き上げたゲイン。その時彼が何を思っていたのかはわからない。
ただ、その時間が大切な物だった事は確かなのだ。ろくでもない親、ろくでもない祖父、親でもないのにしっかりしていたゲイン。子供心に刻まれた記憶。それでもリリアの手を離れ、二人の勇者は居なくなった。
別れも告げず、理由も告げず、ただ再会した時は死体に成っていた。だから気づけばリリアは笑っていた。自分を置いて行った二人の前で、笑っていた。
それは恨みでもあり、泣き言でもあり、強がりでもあり、そしてきっと何より――純粋無垢な、信じることしか知らなかった少女がついた、生まれて始めてのウソだった。
「お、やっと起きた」
リリアの隣で昼食兼朝食を口に運び、しばらくぼんやりと空を眺めていた時だった。突然目を覚ましたリリアは俺を見るなり身体をぷるぷる震わせ、突然飛びついてきたのである。
「わーん! おとーさーんっ!!」
「何でじゃ!?」
せめてお兄さんだろオイ。
どんな夢を見たのか知らないが、すがり付いてグズグズ泣いているリリア。しばらくほうって置こうと思ったのだが、俺が立ち上がると同時にリリアも立ち上がり、ぎゅうっと俺の手を掴んで放そうとしなかった。
それを振りほどこうとしてリリアの目を見ると、どこかのテレビCMで見たような、子犬のようなつぶらな瞳で俺をじいっと見上げて来た。もうこうなると断念するしかない。
「俺、これからアクセルん家行かないと……」
「じゃあ、ついてきます……」
「……あ、そう……」
リリアと手を繋いだまま歩き出す。今日は学園祭最終日。約束はまだ二つ――一つは殆ど守れなかったが――残っている。とりあえず約束した手前、アクセルの妹さんを案内してあげなければならない。
街中を歩く間もずっとリリアは俺を見ていた。普段どおり、頭の足りなそうな顔で、いつ転んでもおかしくない危なっかしい足取りで、震える手で。でもその眼差しがどこか普段とは違う、そう、触れれば壊れてしまいそうに見えるのは多分俺の気のせいなんかじゃない。
この子はとても不安定なのだ。誰も信じられないし、誰も信じたくない。しかしそれとは真逆の心も持っていて、その二律背反がリリアという少女を蝕んでいる。
勇者の面と魔王の面、光と影をその身体の中に宿すように、彼女の心も同じ事。勇者とはある意味魔王と同義なのかもしれない。彼女は一つで二つで、二つで一つだった。
「なあリリア。どんな夢を見たんだ?」
俺の問い掛けにリリアは顔を上げる。それから少しだけ憂鬱そうな顔をして、小さな声で呟いた。
「昔の夢、です。まだ、お父さんが生きてた頃の……ゲインが居た頃の。リリア、二人の事が大好きで、だからリリア、いっつも二人にべったりでした」
ぼんやりとした口調で語るリリア。その言葉は二人への思いを如実に表している。そして同時に表情が物語っていた。『ねえ、どうして私を置いて行ったの?』と。
「でも、最近急に判らなくなりました。リリアはどうして、ロギアを内包することになったのか……。どうして、リリアなのか……。それはきっと、リリアの大好きな二人の仕業だと思うんです。だから、ああ、いやだなあって思うんです」
「何がだ?」
「大好きな人を疑わなきゃいけない。疑ってしまう。信じたいのに信じられない。そういうの、嫌なんです。だったら最初から信じられない方がいい。ウソのほうがいい……」
ぎゅっと強くリリアが俺の手を握る。その言葉もきっとウソだ。だからこの子は――そう、うそつきだ。
「ずっとこの世界が大嫌いで……今はもっと嫌いになりました。ゲルトちゃんがあんな事になって、自分はあんなんで……。勇者の仲間だったはずの人と戦って、本当に一体何やってるんだろうって、不安でしょうがないんです。嫌で仕方ないんです。こんな事、貴方に言っても仕方が無いけど……」
「どうして仕方ないんだ?」
「人はみんな一人だからです。生まれた時から死ぬ瞬間まで……。だから、何も頼れない」
冷たい言葉だった。俯いたリリアのその一言は俺の心を鋭く射抜いた。普段から明るく元気良く振舞う彼女が口にするその悲しい言葉は、きっとウソでもあり、そしてやはりウソなのだから。
「師匠の事、好きです」
足は止めなかった。それは全く甘酸っぱさ何てない、乾いた言葉だった。
「好きなんです……」
それは恋や愛なんかとは多分違っていた。
俺にはそれが、『たすけて』といっているように聞こえた――。
『裏切らないで』と、必死で頼んでいるように、聞こえていたんだ――。
「ああ……」
目を閉じて呟く。
今の俺にはそんなことしか言えないから。
だから代わりにその手を強く握り締めた。
欺き続けられる自身はない。自分自身も、この子の事も。騙され続けてくれる保障はない。リリアの事も、俺そのものも。
だからどちらにせよこれは部の悪い賭け。割に合わない嘘。ただ誤魔化して見繕った、はりぼてのような関係。
それでもいい。仕方が無い。自分に言い聞かせる。いつかこの子の目の前から居なくなってしまう自分を知っているから。だから俺は応えない。
決めたのだ。裏切らないと。決めたのだ。信じないと。決めたのだ、もう。
アクセルのアパートの前で手を離す。リリアはその手を名残惜しそうにじっと見つめ、それから背後で手を組んで晴れやかに笑った。
「それじゃあ、また!」
リリアは走り去っていく。その背中は追いかけない。追いかける資格なんて俺にはない。でも――秋斗とケリをつけられたら、その時は……あの子に気の利いた一言を送れるだろうか。
「……考えておかなきゃな。救世主っぽい、決め台詞」
肩を落として前を向く。アクセルの部屋に向かう。扉をノックする。出ない。だから俺は何も考えずに安易に扉を開いた。友達の部屋だからいいと思ったのだ。
それが間違いだった。開いた部屋の中、そこには執行者が――フェンリルがつけていたような仮面と、無数の短剣が散らばっていた――。
部屋の中に飛び込み、その装備を確認する。それはアクセルのものなんかじゃない。この部屋に滞在していた、もう一人の――。
「レン……? レンが執行者? だとしたら、アイオーンが……」
慌てて振り返る。そこには部屋の出入り口を塞ぐようにして立つ執行者の姿があった。短剣を手に、執行者は俺に告げる。
「大司祭様が貴方をお呼びです、本城夏流。今すぐにオルヴェンブルムにご同行を願います」
窓からも執行者が飛び込んでくる。突然の状況に訳もわからず混乱する俺の腕に手錠がかけられ、執行者それを引いて歩き出す。まるでそれは罪人のような扱いだった。
「シュートってのはあんたか?」
シャングリラの四つある駅のうちの一つ。東の駅に立っていた秋斗に声がかかる。背後に立っていたのは、大きな荷物を背負った剣士――アクセル・スキッドだった。
秋斗は直ぐに銃を手にする。二人のにらみ合う姿に異変を感じ、周囲の利用客が下がる中、アクセルは鋭い眼差しで秋斗を射抜く。
「この間、執行者があんたを襲撃したろ」
「ああ。雑魚しかいなかったけどな。それがどうした?」
「その雑魚の中に、俺の妹が混じってたんだわ。一命は取り留めたが、今でも病院の中だ」
「それがどうかしたのか?」
アクセルは荷物を空中に放り投げる。そこから飛び出してきた無数の剣がアクセルの周囲に突き刺さった。
風の魔力を帯びたアクセルの剣――。それは洗礼儀式を受けた聖剣。今まで彼が扱っていたようなお遊びのような代物とは質が違いすぎる。
落ちた剣のうち二本を引き抜き、構える。特殊な術式が刻まれた剣と尋常ではない殺気に秋斗の表情も一変した。互いに武器を構え、相対する二人。
「恨むなら自分を恨んでくれよ。元はといえばあんたのせいなんだからな。あんたが執行者を倒しちまうから、俺が出なきゃいけなくなるんだ――」
「何だテメエ。俺に勝てるとでも思ってんのか?」
「さあな。ただ、執行者の増援が来るまでも時間は稼ぎきれる」
剣を振るう。風の刃はアクセルの周囲を切り裂き、見境なく物体を切断しながら広がっていく。その嵐の中心地でアクセルは剣を秋斗に向けた。
秋斗は
深々と溜息を漏らし、肩を竦めて笑う。その周辺を音を立てて電流が流れ、銀色の雷光がホームの中で響き渡る。
「時間稼ぎか……。まあ、こっちとしても丁度いい。どうせ退屈してたんだ――相手をしてやるよ」
二人が戦闘を開始した頃、シャングリラの市街地に倒れるマルドゥークの姿があった。その周辺には数名の聖騎士が彼同様倒れている。
マルドゥークの正面に立っていたのは仮面の騎士、フェンリル。その腕には気を失ったアリア・ウトピシュトナを抱えている。
『王女誘拐、か。フン……こんなくだらない事をオレがせねばならんとはな。恨みますよ……ゲイン』
「ま、待て……! 貴様らは、一体……?」
倒れたままフェンリルの足に縋りつくマルドゥーク。それを振りほどき、顔面を踏みつけながらフェンリルは語る。
『何者もあったものか。何者でもないのさ、オレたちは。そう、最初からな――』
背を向けるフェンリル。その背中に手を伸ばしながらマルドゥークは気を失った。
明るい祭りのシャングリラに、新しい戦いの予感が迫っていた。