邂逅する運命の日(1)
「あんたもつくづく変な男だねえ……。毎度毎度死に掛けて医務室に来るんじゃないよ」
「はい、すんません……」
保険医のデネヴさんにそんな事を言われ、アクセルと共に医務室を出る。くそう、リリアの奴……仮にも仲間である俺に新技かますとは。俺が何をしたっていうんだ本当に。
まあ、ゲルトにぶっさされたアクセルもかわいそうだが、兎に角あの勇者二人はあまり怒らせないようにしたほうがいいかもしれないという事を再認識した。
「しかし、風穴開いたのにあっという間に塞がったな……アクセル」
「俺もビックリだよ。こんなに高度な蘇生魔法、オルヴェンブルムの癒し手でもそうは居ないだろうなあ」
ゲルト、直ると判ってて刺したんだよな……? そうだよな? うっかりやったわけじゃないよな?
とは言え傷が完全に治ったわけでも痛みが消え去ったわけでもない。二人して包帯まみれで溜息を漏らし、肩を並べて歩き出す。
なんだかアクセルとは何やら対立していたような気もするが最早既にどうでもいい事だ。これからあのへこたれ勇者二人と一緒にどう生活していくかのほうが余程問題である。
「とは言え、レンの事は誤解だとだけ言っておくぞ?」
「んー? ああ、もう良いよ……。ナツルの気持ちはもう充分俺に伝わったからな」
「アクセル……わかってくれたのか」
アクセルは親指を立てて俺に突き出す。そのさわやかな笑顔のまま腕を組み、うんうんと頷いた。
「俺と真剣勝負してまでレンとデートしたいっていうなら、まあ一回くらいは認めてやってもいい。ただし、もしレンの身に何かあった時は……」
「だーかーらー……っ!! ああもう、いいよ何でも……。ありがとありがとレンちゃんワッホイ!」
適当に流す事にした。アクセルのバカに付き合っていたら身がいくつあっても足りないし時間も同じ事。無駄な労力を使うくらいならもう誤解させておこう……。
そうして二人で医務室を出て学園の廊下を歩く。勇者二人は見舞いにも来ていない……どこで何をしているのか。最近リリアさんの俺に対する態度が変わってきたような……ああ、どんどん冬香のような凶暴な性格になっていく……。
それにしても、ゲルトはあれで平気だったのだろうか。心配だから様子を見たいのに人ごみでまるで様子が判らない。肩を落としてポケットに手を突っ込んでいると、正面からブレイドが走ってくるのが見えた。
「夏流ニーチャン! ちょっと!」
「どうしたブレイド?」
「大変なんだよ! 兎に角ちょっと来てっ!!」
俺の腕をぐいぐい引っ張るブレイド。訳も判らないままとりあえずアクセル共々移動する。ブレイドが俺たちを連れてきたのは学園周辺に展開している出店の列、そのうちの一つだった。
「実はおいら、要らないアイテムを売ってたんだけどさ……あーほら、親父の遺産とかあるし、おいら生産学科も齧ってるからさ。まあとにかくそれで、ちょっと大変なんだよっ!!」
「ははは、ナツルはブレイド君とも仲いいのな。子供に好かれてていいじゃないか」
他人事のようにほざいているアクセルを無視して出店の一つに向かう。ブレイドの店であるはずのそこで商品を売っている少女を見て俺は流石に目を丸くした。
「ありがとうございました〜!」
そこに居たのは栗毛色の髪の毛をした、アリア・ウトピシュトナ姫であった。さすがにありえないだろうと思って目を擦ってみたが、そこにいるのは間違いなくアリア姫である。アクセルは何事かわかって居ないのか、小首を傾げながら俺に言った。
「何あのロリ。知り合い?」
「いや、知り合いというか何と言うか……いや、ブレイド?」
「店でアクセサリ売ってたらばったり遭遇したんだよ……。そしたら、楽しそうだから一緒に店番させろって聞かないんだよ……。夏兄、何とか言ってやってよ」
そんな事を言われても困る。見ればアリアはあの時のようなドレスを身にまとっているわけではなく、今回はワイシャツにミニスカートという格好だった。ちょっと見ただけではまさかアリア姫だとは誰も思わないだろう。それでも何となく煌びやかな風に見えるのは、お姫様だとわかっているからなのだろうか。
溜息を漏らし、三人でアリアに歩み寄る。俺の顔を覚えていたのか、アリアは店先から顔を覗かせ、手を振りながら微笑んだ。
「久しぶりね! えっと……」
「本城夏流だよ、アリア様」
「ああ、ナツル! それと、様は要らないわ! 今のアリアはただの町娘って設定だから」
そんな綺麗な生地のシャツとスカートは普通町娘は持ってないと思うが……。長い髪を背後で編んで変装しているつもりなのか、眼鏡をかけている。
元々アリア姫の顔はマリア女王同様民衆には知れ渡っていないはず。だからそれほど変装は必要ないのだろうが、オルヴェンブルムにしょっちゅう繰り出している彼女はオルヴェンブルム内では有名なのだろう。シャングリラでの自分の知名度など考えもせず普段どおり変装してきたということか。
「えーと、アリアちゃん? 始めまして〜。ナツルの知り合いにはちっちゃい女の子がいっぱいいていいなあ。アリアちゃん俺の好みだよ〜」
「……アクセル? その発言はどうかと思うぞ……。アリアは……何歳だ?」
「十二歳!」
「十二歳はまずいだろ、十二歳は……。いつまで手を握ってるんだ、離れろロリコン」
「ロリコン、シスコン……へっ、褒め言葉以外の何者でもないな」
こいつは本当にどうしようもない。いつかどこか遠いところで幸せになってもらおう。
アリアからアクセルを引っぺがし、一先ず店先で物を売るアリアの様子を窺う。これなら確かにバレはしないだろうし、ブレイドが一緒なら危険もそうないだろう。何しろゲルトでさえ下す程の腕前なのだから。
「ブレイド、せっかくだしいいじゃないか。少しくらいアリアを遊ばせてやってもさ」
「ニーチャン!? そんな事言われてもなあ〜……」
「あら、ナツルは話が早くて助かるわ。別にブレイドにだって迷惑はかけてないでしょ? アリアはぶんぶりょーどーだもん」
よく判らないが、兎に角自信満々のご様子だ。しかしブレイドはどう見ても動揺している。一人で出店なんて勝手にやってるくらいだ、一人でもてきぱき生きてきたのであろうブレイドにとってアリアの性格は天敵なのかもしれない。
無邪気な笑顔を浮かべて店先の商品を並べ直すアリア。その揺れるお尻を見ながら真剣な表情を浮かべているアクセルを無視しつつ、ブレイドに耳打ちする。
「オルヴェンブルムの次期女王だぞ? 仲間にしておけばブレイド盗賊団の将来が約束されたようなもんだろ」
「……な、なるほど……。さすがニーチャンだ。そうか、お姫様が仲間なら捕まらないかもなー」
そんなわけはないが、ブレイド君は単純だった。どうやらその気になったらしく、せっせとアリアに指示を出している。既に団長になったつもりなのだろうか。
二人の楽しげな様子を眺めつつ、どうせ街まで探しに来ているだろうマルドゥークにどうやってこの場所を伝えようか、肩を竦めて考えていた。
⇒邂逅する運命の日(1)
「シャングリラってすごいのね! 学園祭中だからなの? こんなに人がい〜〜っぱいいるのは」
目を輝かせながら貧乏ゆすりしつつ椅子の上に座って人々を眺めるアリア。その横顔はとても無邪気で可愛らしい。可愛らしいが、俺の横でニヤニヤしているアクセルとは違う意味で可愛らしい。
ブレイドは小さな屋台スペースの中で指輪などを丁寧に削っていた。先ほど店に訪れた客に合うサイズのものが無かったので、ただ今作っている最中なのである。
器用に何でもこなすブレイドの周辺に工具は一つもない。全て何も無い空間から引っ張り出し、丁寧に迅速に仕上げて行く。こういう魔法の有効活用っていうのはいいな。
「ブレイドは手先器用だな?」
「そりゃ、盗賊目指してるんだから当然だね。冒険家はみんなこれくらい出来るんじゃない? 手に職ないと旅先で困るしさ」
成る程、そういうもんなのかーと顔を上げると、アクセルが売り物の剣をジャグリングしていた。それを見たアリアが目をきらきらさせている。アクセルの華麗な剣さばきに人々も足を止め拍手を送っていた。
いつの間にあいつはあんな事を始めたんだ……。俺の周りには器用な奴が多いなあ。リリアも料理できるし。
「アクセル、落として壊すなよー」
「こわさねーよ! こう見えても、サーカスでバイトしてた事もあるんだぜ? よっ!」
無数の剣を空中で回転させながら大地に立てた自分のサーベルの上に片足で乗ってみせる。剣は地面に刺さっているわけではなく、レンガの大地の上で不安定にぐらぐらと揺れていた。
他の場所でもこうしたパフォーマンスは所々で見えたが、まさか自分の連れが突然やり出すとは思わなかった。しかしそれはちょっとしたもので、アリアはとても楽しそうだった。
「……あのニーチャン、前々から思ってたけど何者なの?」
「俺にもわからん……。ロリコンでシスコンってことくらいしか……」
「アクセル、すごーい! ねえねえ、もっと何かやってよ!」
「うーん、そうだなあ〜……。道具も場所もないしなー……あー、どうもどうも」
人々の歓声に応えるアクセル。それを店先で見守っていると、作業を終えたブレイドがアクセルに詰め寄った。
「店の前で大道芸するなよニーチャン! 客入んないだろ!?」
「客は入らないけど、観客が小銭くれるぜ?」
「そうよ! アクセルはアリアのためにやってくれてるんだから。そういうならブレイドが代わりに何かやって楽しませなさいよ」
アリアに言われ、ブレイドは腕を組んで考え込む。しばらくして両手に剣を取り出し、アクセル同様ジャグリングしてみせた。
「それさっき見たけど」
「うるっさいなあ! 他に思いつかないんだよ!!」
「結局ブレイド君もやってんじゃーん」
三人がそんなこんなで騒いでいるのでリングを取りに来た客に品物を渡し、代金を受け取る。三人は最早出店の事はどうでもいいのか、熱くなって大道芸を繰り広げていた。
というか、俺はこんな事をしている場合ではなかったんじゃ……。そうだ、アイオーンを探さなきゃいけないし、レンともどこかで会わないといけない。しかしさっきリリアにボコボコにされたばっかりだし、あんまり動きたくないのも事実だ。
まあ、そんな事も言っていられない。この場はアクセルとブレイドに任せて俺はこっそり退散する事にしよう。人だかりを掻い潜り、学園の周辺を歩き回る。確かアイオーンは校内には居なかったはず。となれば、居るのは町のほうか……。
街へと続く下り坂を歩いていると、一人で出店を眺めているメリーベルの姿が見えた。何をしているのかと思って視線を送っていると感づいたのか振り返り、彼女は俺に歩み寄る。
「こんにちは、ナツル」
「何だ、お前にも学園祭の日は外に出ようなんて気持ちがあるんだな?」
「そうじゃない。ただ、薬の材料が切れたから買出しに来ただけ。今はそのついで」
まあそんなことだろうとは思ったが、メリーベルが手にしている紙袋には怪しげな店のロゴが刻まれている。他に何も持っていないのだから、本当に何も買っていないのだろう。
学園祭という誰もが楽しく行き交う今のシャングリラの中、メリーベルの周りだけ空気が停滞しているような、冷たいような感覚を覚える。それは彼女が人波を眺めながら全く楽しそうではないからなのかも知れない。
「そういえば、試合はどうだったの? 殺される〜とか騒いでたけど」
「ああ。結局ゲルトが手伝ってくれて一命は取り留めたよ。見ての通り怪我はしたけどね」
「……はあ。ゲルトはまだ無理出来ない身体なんだから、気を使ってよ?」
「わかってるよ、反省してる。でも仕方ないだろ? 他に一緒に出てくれる奴なんて俺には居なかったんだからさ」
俺の言葉にメリーベルは腕を組み、首を横に振る。ウェイブのかかった前髪の合間、困ったような瞳で笑顔を見せた。
「あたし、出ても良かったのに」
「んっ? なんだ、嫌がると思ったんだけど……。そうだな、メリーベルにしておけばよかった」
「うん、そのほうがよかったですね」
二人で笑いあう。店の前で立ち話もなんなんで移動し、いつもより人の多い公園の隅に陣取った。公園に出ている店で飲み物を購入し、メリーベルに持って行った。
「ナツル、一人なの?」
「今はな。さっきまでブレイドとアクセルも一緒だったけど、奴ら大道芸はじめやがってさ。わけわかんないから逃げてきた」
そんなこんなで今までの事を語るとメリーベルは特に何も言わずに頷いて聞いてくれた。そうして話し終えると話す事も無くなり、自然と沈黙が訪れる。
空白の時間の中、メリーベルは飲み物を口にしながら木に背を預けて噴水の飛沫を眺めていた。しばらくすると思い出したように声をあげる。
「そういえば、学園祭中に借りは返すって言ってた」
「ああ、そうだったな。ミスコンの件だろ? ミスコンそのものは明日だからさ。で、どうする? 何か欲しいものとか……」
「あれば自分で作るのがあたしなんだけど」
言われて見れば確かにそうだ。欲しいものがあれば自分でどうにかしてしまうのがメリーベルだ。物作りに関しては普通ではない腕前の錬金術師なのは俺だってわかっている。
しかし、メリーベルに返せるものなんて俺は持ってるんだろうか? いつも手を貸してもらうばかりでしてやれることなんて何もない。
「……メリーベルはすごいよな」
俺の突然の呟きに彼女は首を傾げる。まあ確かにそうなるだろうが、それは俺の本音だった。
「メリーベルは、なんていうか……目標もはっきりしてて、その為に毎日努力してる。グリーヴァと対峙した時も、お前は冷静だった……。同い年くらいのはずなのに、お前が時々すごく大人に見えるよ」
「別にそんな事はない。やらなければ生きていけないから、やるだけ。時間があるから、覚悟するだけ。そんなに難しい事じゃない」
「でも、俺はそれが出来なくて……まだずっとそれを引き摺ってる。どうすればいいかなんてわかってても出来ないし、覚悟も決まらなかった。全部終わってしまった今でも、取り返しが付かないか諦められなくてもがいてる」
「……それは、いつだったか話していた、妹さんの事?」
頷く。そう、俺は自覚しているんだ。自分が中途半端な奴なんだって事を。
結局昔何も出来なかったから今もがいてる。その今でもどうしたらいいのか時々判らなくなって判断が出来なくなる。覚悟が決まらなくなる。
リリアを止める時も、ゲルトとわかりあう時も、フェンリルと対峙した時も、女王に救世主と呼ばれた時も、俺はただ流されていただけだ。そういう風に勝手になったに過ぎない。自分で選んで掴み取ったわけじゃない。
原書なんてわけのわからない目先だけしか見えない未来図に翻弄されてそれが嫌だからと言って慌てふためいて……何も出来なくて。結局変わってない。俺はまだ、この世界に足を踏み入れた時から、成長なんてしてないんだと思う。
だからメリーベルの事がすごいと思うのは当然の事だと思った。彼女みたいに覚悟して生きられたなら……俺ももう少し変われるんだろうか。
遠くを眺める俺の肩に手を乗せ、メリーベルは肩を寄せて笑った。その仕草の意味が判らずに動じる俺に、彼女は囁く。
「あたしはただ……諦めているだけ。本当にすごいのは、皆の方。諦めないで毎日生きる事に精一杯で……。この短い時間の中で、色々なものを教わった」
一生懸命に生きて、一生懸命にもがいて。そうして擦れ違ったり刃を交えたりしながらも、フラフラしたバランスの上で俺たちは歩いてきた。訳の判らない戦いや、世界にある宿命に流されつつも、それでも出来るだけ悲しまなくて済むようにと選んできたつもりだ。
その日々一つ一つ全てが正解だったとは言えないけれど、それでも懸命に挑んだ過去に揺るぎはない。その事実を俺はこの世界に来て知った。何かを変えたいと必死で歩めば、その足取りは確かなものになる。
「いつか死ぬんだから、出来るだけやろう。もうだめだから、駄目になる時まで何かしていよう……ただ、それだけ。本当は自分がいつ死ぬのかもわからなくて、そんな現実が怖くて目を背けているだけ。自分自身の悲しみから、ただ目を反らしているだけ」
「……メリーベル」
「でも、皆は違う。みんな、擦れ違って間違って……でも、前に進もうとしてる。もう駄目だなんて思ってない。一生懸命魔女の宿命に逆らおうとしているゲルトを見て、最近は自分が情けなくなるくらい」
俯き、苦笑を浮かべるメリーベル。その仕草は初めて彼女と会った時からは考えられない。あのときの本当の意味で何を考えているのかわからなかった少女とは、多分もう違うのだと思う。
リリアの明るさやひたむきさ、ゲルトの悲しみやそれに立ち向かう想い。それぞれが抱える明日への夢や希望。そういう物と触れ合って、知ったのだろう。いや、思い出した――という方が正解に近いか。
「ああ、まだ自分は生きたいし諦めたくないんだ――。そう思った途端、怖くて仕方が無くなった……。ゲルトに事実を伝える度に、自分にそれを言い聞かせている気がした。本当はずっと怖くて、どうしてこんな目に合わなきゃならないのかって嘆いてた」
自分の身体を抱きしめるようにしてメリーベルは目を細める。青空の下、木漏れ日に包まれて影を落とした彼女は顔を上げ、俺を見つめる。
「だから、別にナツルとかわらないよ。あたしだって怖い。あたしだってどうにかしたい。しなきゃいけないって思う。それで迷って、自分にウソついてる。そういうのみんな一緒で、誰かが優れているわけじゃない。だから……」
「……そうだな。だから、皆で迷いながら何とかしていこう。仲間、なんだからさ」
頷くメリーベル。俺は嬉しくなって思わず笑ってしまった。その様子が不満なのか、彼女は俺をじっと見詰めて眉を潜める。
「どうして笑うの?」
「いやっ、ごめん! なんかメリーベル、最近人間らしくなったっていうか……。嬉しいんだよ、そういう話を聞かせてくれるのが」
「人間なら悩みや苦しみの一つや二つはある」
「そういうことじゃなくて。俺に言ってくれるって事が嬉しいんだ。ゲルトは言ってた。俺の前でなら、メリーベルは素直な気持ちで居られるんだろう、って。その時はそうなんだ、くらいにしか思わなかったけど、でも……そうだな。今は嬉しいって感じる」
「……」
多分それは、俺が彼女の事を大切に思っているから。自分と似ている心を抱えた彼女を救えたのなら、俺は過去の自分さえ救えるからかもしれない。
そんな風に自分を救うプロセスとして傍にいるのは間違いなのかもしれない。でも俺はそれでも逃げちゃいけないんだ。誰かの心と、その想いから。
「いつか、聞かせてほしい。どうしてお前がそんな身体になったのか……。そしたら、手伝わせて欲しい。それで借りはチャラってことで」
メリーベルは片方の手を腰にあて、空いた手で俺の肩を小突いた。コートをはためかせ、一歩前に出て彼女は振り返らずに言う。
「カッコつけすぎだよ、バカ」
自分でもそう思っていたところなので思わず笑ってしまった。しかし彼女は少しだけ振り返り、笑ってくれていたのだと想う。
「――でも、悪くないね。救世主と悪の錬金術師を追う、っていうのもさ」
「ああ。上出来なシチュエーションだろ?」
「ナマイキ」
そう言って彼女は後ろに手を振りつつ去って行った。それを見送り、空を見上げる。いつまでもここにいるわけには行かない。まだやる事は山積みなのだ。
歩き出し、公園を出ようとした時だった。正面からリリアが走ってくるのが見えた。明らかに俺を目指している様子で、大きく跳躍して一気に俺の目の前に飛んで来る。
「師匠!! ゲルトちゃんがっ!!」
「ゲルトがどうした?」
「ゲルトちゃんがなんかそのあの……兎に角やばいんです!! 一緒に来てください!!」
「え? どこに……のわあっ!?」
リリアに腕をつかまれ、物凄い勢いで空中にぶん投げられた。慌てふためいている俺に自身も跳躍して追いついたリリアは俺をお姫様だっこしながら学園の壁を跳躍して超え、闘技場に向かっていく。
抱きかかえられたままで周囲の目に晒されるというなんとも恐ろしい罰ゲーム……。必死でリリアに抵抗するが、相当魔力が篭っているのか全く跳ね除ける事が出来ない。全力でやれば突破できそうだが、そんなことのために魔力全開というのもまたバカらしいな……。
そうして闘技場の中に入り、幾つか存在する選手控え室の一室の前に立たされる俺。そこは見れば先ほど俺が使っていた控え室ではないか。ああ、まあゲルトが居るとしたらここなんだろうが。
「兎に角大変なんです! なんか、なつるさんを呼んで欲しいって言われて……」
「わかった。まあ入ってみるか……って、うおっ!?」
入った直後流石の俺も度肝を抜かれた。恐らくリリアが放ったのであろう、拘束系魔法の鎖がゲルトの両手を縛り付けていた。地面に強引に締め付けられるような状態で固定されているゲルトを見てリリアに視線を送る。
「うう、こうしてほしいって本人がいうんだもん〜……うあああああん、ゲルトちゃーん!!」
「ゲルト、どうしたんだ!? 何があった!?」
「――う。ナツ、ル……」
顔を上げたゲルトは汗びっしょりだった。呼吸を乱し、肩を上下させながら目の前で苦しげに悶えている。
その様子はちょっと只事ではない。振り返ってリリアを見たが、彼女は首を横に振った。
「回復魔法じゃ直らなくて……。うう、師匠〜……。ゲルトちゃん大丈夫ですよね? 大丈夫ですよねー!?」
「ゲルト、どうすればいいのかメリーベルに聞いてるか!?」
ゲルトは苦しげに頷き、それから目を潤ませ物欲しそうな目で俺を見つめた。
「貴方の、血を分けて貰えれば……」
「血? ああ、そうか……さっき技なんて使うから魔力を消費しすぎたんだ……」
減らしてしまった分補充しないと、身体がもたないんだろう。必然的に衝動に駆られ――だからメリーベルは駄目だと言っていたのか。
くそ、本当にバカな事をしてしまった。ゲルトの身体が不安定である事は自分でもわかっていたのに。
誰彼構わず襲ってしまいそうな今の自分の状況を把握して、リリアを襲う前に自分を拘束させたんだ。苦しいのは自分なのに、リリアの事を案じて――いや、違うな。
「リリア、ちょっと席を外してくれるか?」
「え? ど、どうして……?」
「ちょっとお前にはショッキングな映像なんだよ。それにゲルトはお前に見られたくないんだ……自分のそういう姿を」
だから魔力の源泉であるリリアに頼らず、その無様な姿を晒したくなくて俺を呼ばせた。少なくとも俺はそう判断した。リリアは一先ず納得して部屋を出てくれた。準備を整え、ゲルトのフレグランスの刃で自分の手の平を切り裂く。
そういえば以前、ゲルトにこの魔剣で手を切られた事があったな――なんて事を思い出しながら自らの手から零れ落ちる血を眺めていた。
どれくらい与えればいいのか? どう与えるべきなのか? 考えている間にゲルトは泣きそうな顔でじっと血だけを見つめている。
「……か、噛み付くなよ?」
「努力、します……。もう、いいでしょう? 早く下さい……! 我慢、出来ないんです……!! 貴方を殺してしまうっ!! 早くっ!!」
余りにも悲痛な声に手を差し出すと、鎖につながれたままゲルトは正にむしゃぶりつくとしか表現出来ないような勢いで舌を伸ばして血を舐め始めた。その様子は正に魔物そのものであり、普段の気高い彼女の態度からは想像も出来ないほど獣染みている。
身体を震わせ、喉を鳴らして血液を飲み込むゲルト。すぐに血は乾いてう。枯渇した傷口を舐めながら。ゲルトは前髪の合間、泣きながら俺を見つめていた。
「足りない……! ねえ、もっと……もっとください……。お願いだから、もっと……」
見ていられなかった。目を閉じたくなるのを我慢して反対側の手を切る。そうしてまたゲルトに血を舐めさせる作業を続ける。それは俺にとってはまさに作業だった。そう、ゲルト・シュヴァインに、『餌』を与えるという――。
「はあ……っ、はあ……っ! は――あっ、う……!!」
そうして血を舐めていたゲルトが突然身を乗り出し、目前にまで迫る。目と鼻の先、正に吐息のかかる距離で鎖に停止させられた彼女は鋭い眼差しで俺を見つめ、歯軋りしながら鎖を引く。その迫力に負けて思わず後退する。
「ううっ!! うあああっ!! あああああああああああああっっ!!!!」
鎖を乱暴に引き、拘束から外れようとするゲルト。今にも俺に襲い掛かりそうなその少女をこれ以上見ていたくなくて、俺はその身体を強く抱きしめた。
暴れてしまわないように、その衝動が少しでも制御できるように。全身に魔力を込め、鎖に巻かれたゲルトを強く抱く。ゲルトは腕の中で暴れながら、そうして涙を流しながら……。そう、プライドの高い彼女が、獣のように他人を食べたがるというその辛すぎる事実を受け入れる事は決して容易ではない。打ちのめされているのは俺だけではないのだ。
リリアに見せたくない――そう思って当然だ。ゲルトは子供のように泣きじゃくりながら腕の中で叫んでいた。俺はただ目を閉じ、その身体を抑え付ける。
「放してっ!! もっと……いいでしょう!? 首を刎ねるくらいっ!! それで我慢するから……ねえ、死んでよナツルッ!! ナツル――――ッッ!!!!」
ヒステリックな叫び声。ゲルトは換わって行く。人間から遠ざかっていく。でもそれは彼女が悪いわけではない。じゃあ誰が悪いのか。
救えなかった俺なのか。何も出来なかったのは俺だ。そう、だから、こんな彼女を見なければいけないのも、自分のせいなのだ――。
そうしてずっと泣きじゃくるゲルトの傍に居た。その悲鳴が止むまでは時間がかかり……。その時の事は、自分でもあまり思い返したくない。
ゲルトが遠くなっていくのを、一番近くで見せ付けられるような気がしたから――――。