覚醒する力の日(1)
聖なる光は穢れを知らない――。
夜の闇を切り裂き、昼の影を切り裂く。数多この世に存在する森羅万象その名全てを下し、神の王国を築き上げるその日まで輝きは決して色褪せる事は無い。
聖剣は王の手の中常に一つ、故に全ての存在は虚偽であり、真偽を定めるのも又聖なる剣の役割。触れる者全ての善悪を決定し、その審判の名の下に汝存在の彼方さえ選定されん。
故に無敗、絶対最強の剣を担うのは同様に神の身を持つ者でなければならない。ならばその条件は? 人の身で神をも超える、聖剣の担い手とは――?
「あああああっ!!」
屋根の上を疾走する二つの影。ゲルトを腕に抱えた男は後ろ向きに跳びながら片手で風の術式を組み上げ、リリアに放つ。それは屋根を切り裂きながら空中を舞うリリアに迫り、しかし聖剣の一撃で木っ端微塵に砕け散る。
聖剣リインフォース。魔と名の付く存在ならば例外なく叩き伏せる神罰の剣。白の勇者は聖剣を振り上げ、男に斬りかかる。
追いつくのにそれほどの時間は必要なかった。男の足は速くはなかったし、リリアの両足に込められた加速する魔力は爆発的な瞬発力で男を猛追した。男は抱えていたゲルトを放り投げ、目の前でリインフォースを生み出してリリアの剣に応じる。
「そんな偽者――ッ!! 鳴り響けっ!! リインフォースッ!!」
リリアの叫びに応え、リインフォースが輝きを増して行く。その輝きに照らされ解けるように男の手の中から虚像は消え去っていく。
消えかけた剣を投げ捨て、男は障壁を発生させる。しかしそれさえ食らいつき、今にも破ろうとするリインフォースの怒涛の魔力に目を細め、舌打ちする。
「魔術と名の付くものは全て貫通する――。最早それそのものが一つの魔法と言う訳か。噂に名高き聖剣、見事な力だ。だが――っ」
男は一瞬障壁を弱める。力の篭った剣は見事に空振りし、誤って民家に打ち付けられた。白い家が一撃で砕け散り、その崩落するレンガの中、男は手に出現させた鎖を空中で投げつける。その先に居たのはリリアではなくゲルトであった。
鎖はゲルトの首に巻き付き、男が軽く手を引くとゲルトは自らの足で男に駆け寄って行く。術をかけられたゲルトを見てリリアは振り返って剣を振り上げた。
振り下ろす一撃は再び民家を破壊する。崩れた建造物から飛び降りた男は空中で術式を構築し、ゲルトを背後に立たせながら両手を低く構える。
「我が血と肉を代償に、契約の術式を発動せん――! 君と正面からやりあうのは、術師の僕には不向きらしい。茶を濁らせてもらうよ。はあっ!!」
男が魔力を大地に叩き付ける。直後、大地を砕いて巨大な手が出現した。岩で出来た巨大な龍は骨組みのみの翼を広げて咆哮する。訳もわからず周囲に居た民間人を尾で薙ぎ払い、血塗れの舞台で落下してくるリリアを迎え撃つ。
「ゲルトちゃんを――放せええええええっ!!」
男は龍を残し、人ごみに紛れて去っていく。追いかけようとするリリアに龍の拳が叩きつけられる。咄嗟に横に飛び退き、転がる勢いのままに聖剣を龍の胴体に投げつけた。
突き刺さった聖剣に駆け寄り、抜き去る同時に龍の胴体を真っ二つに叩き切る。しかし元より土から作られた偶像である龍はそれでは怯まず、リリアの背後から尾が迫る。
吹き飛ばされた小柄な身体が民家に叩き付けられる。壁を砕いて室内に飛び込んだリリアを追い、偶像の龍は頭を突っ込ませた。剣でそれを受け止め、側面から蹴り飛ばし頭を退かす。
「こんな所で手間取ってる場合じゃないのに――!」
聖剣を目の前に突き刺し、両手を左右に突き出す。瞳を閉じ、光の魔力を収束する。
術式の発動に応じて左右には黄金の鎖が出現した。それはリリアが手を離すと同時に独りでに伸び出し、龍の首に巻き付き、独りでに大地に突き刺さり龍に頭を垂れさせる。
続いて両手を胸の前で合わせ、術式を構成して頭上に翳す。出現した金色の槍を高々と構え、助走をつけて龍の額に投げつけた。
「断罪の槍ッ!」
頭を垂れた龍の頭を貫き、大地に突き刺さる破魔の槍、身動きがとれずに悶える龍に脇目も振らず、勇者は剣を引き抜いて駆け出した。
跳躍し、建造物の上へ。高所から街中を見渡し、しかし男の姿も友の姿も見当たらない。龍を封じるのに時間をかけすぎてしまった。悔しさに歯軋りし、聖剣を屋根の上に突き刺して雄叫びを上げた。
その声は確かに呪われし存在にも、そして友であるゲルトにも聞こえていた。城壁を跳び越して草原を走り去るその影は振り返り、リリアの声に笑みを見せていた。
⇒覚醒する力の日(1)
「ナツル! おい、ナツル! しっかりしろ!!」
「う……っ」
呼び声に目を覚まし、身体を起こす。俺を抱きかかえていたのは血相抱えた様子のアクセルだった。隣にはメリーベルの姿もある。直ぐに俺の身体に回復薬をかけ、メリーベルは溜息を漏らした。
「……何があったの? 行き成りどうしてこうなるわけ?」
「そんなもん俺が聞きたいよ……っつう! あ、アクセル……リリアは?」
「は? 一緒に行動してたのか? お前はゲルトと一緒に武器取りに行ってたんじゃねえのかよ?」
「違うんだよ! とにかくリリアを探してくれ! ゲルトが敵に拉致られたっ!!」
「はああっ!? ここはオルヴェンブルムの城壁の中だぞ!? 世界で一番強固な守りの城塞都市で、なんで敵が……」
そんな事を話していると、頭上からリリアが下りてきた。着地も見事なもので、どうやら相当遠くから跳んできたらしい。足元にブレーキ痕を残しながら停止し、振り返った。
「リリア、ゲルトは!?」
リリアは答えなかった。代わりにわなわなと拳を震わせ、それを壁に叩き付ける。壁が砕けるのに背を向け、リリアは剣を背にして言った。
「後を追います」
「待て、どっちに行ったのかもわかんないだろうが!」
「ゲルトちゃんのにおいで追えます。それに、あいつの魔力はもう覚えましたから」
「ちょ、待てリリア……おい、リリアッ!!」
制止するのも聞かずリリアは門を潜って外に行ってしまった。これはもう何を言っても聞きそうにない。せめてと思いアクセルに後を追うように指示し、二人の姿が見えなくなる頃ようやく遅れて俺も立ち上がる事が出来た。
「くそ、後を追わないと……か、身体がしびれてるな……」
「……はあ。何を食らったか知らないけど、属性が違っていたら死んでいた」
「わかってるよ。死なない見込みがあったからそうしたんだ……悪い、肩貸してくれ」
メリーベルは無言で肩を貸してくれた。そうして門の近くまで移動してみたが、リリアとアクセルの移動速度は速すぎて追いつけそうにもない。既にその姿はどこにも見えず、どっちに走って行ったのかもわからない。
単独で追いかけて倒せる相手だろうか。いや、確かに今はあいつを取り逃してしまう事のほうが問題か。だがしかし一人で行動しているとは限らない。リリアとアクセルが心配だ。だがどちらにせよゲルトをほうっておくわけにもいかない。
くそ、リーダーなんてやるんじゃなかった。俺にはどっちが大事かなんて決められない……。いや、普段の俺ならゲルトの救出を急がなかっただろう。肩入れしているのか、俺は……。
「まだ無理しないほうがいい。あたしの回復瓶だけじゃ、ダメージは抜けない」
「判ってるよ……。くそ、あの錬金術師……っ!」
「事情、聞かせてくれる?」
俺は今までに起きた短い時間の出来事を出来る限り掻い摘んで説明した。ゲルトと共に城落としを解除したこと。その仕掛け人である錬金術師にゲルトが拉致られたこと。今はそれを追ってリリアが飛び出して行った事、等等。
あいつは明らかにメリーベルと同じタイプの術師だった。ただ、錬度は明らかにあちらの方がずば抜けて上だったが。メリーベルはその話を聞き、暫く何か考え込んでいるようだった。そうして顔をあげ、俺の頬の傷に触れる。
「兎に角今は焦らないで。リリアにはアクセルがついてるから、大丈夫」
「……確かに、アクセルはリリアの無茶な性格にも慣れてるしな。悪い、宿まで運んでくれるか? ベルヴェールと合流できれば、痺れを抜けるはずだ」
こうして一度宿に戻る事になった俺たち。宿に入ると既にベルヴェールとブレイドは揃っていた。事情を説明して治療を受けると、水の術式で身体から痺れが引いて行った。
「それで? アタシたちはどうするのよ? ゲルトを追うんでしょ?」
「当然だ。ブレイド、ベルヴェール、直ぐに支度を済ませて集合だ。メリーベルも頼む」
三人は頷く。そのうちブレイドとベルヴェールが部屋に戻っていく中、メリーベルは俺の前に立って何かを口ごもっていた。
「どうかしたのか?」
「……ゲルトを追うんでしょ? 勝算はあるの?」
「無い。でもほうっておけない。仲間だからな」
「……らしくない決定ね。ナツルは、もっとクールな人だった」
髪をかきあげ、腰に手を当てるメリーベル。何が言いたいのか良くわからなかったが、なにやら今の俺の判断に異論があるらしい。
「明日には聖騎士団の足並みも揃って確実にバズノクに進軍出来る。焦らずとも、明日救出に向かえばいい」
「……ダメだ、そういうわけにはいかない。お前はゲルト救出に反対なのか?」
「そうじゃない。ただ確実ではない戦いは避けるべきだと考えるだけ。ナツルも今までそう考えてきたはず。どうして? 何を焦っているの?」
「仲間の命が懸かってる! 焦らない方がおかしいだろ!」
「……そう。それもそう……。確かにナツルは間違ってない。でも……迂闊な考えは身を滅ぼす。忘れないで」
メリーベルはそれだけ俺に告げて部屋に戻っていく。心の中を見透かされている事に溜息が零れた。そうだ。俺は今、ゲルトを見殺しにする選択肢を選ぼうとする自分に、必死に反発している。
相手は未知数。腕は立つだろう。俺とゲルトの二人係りで倒せなかった。単独犯かもわからなければどこの所属かも不明。言ってしまえば反乱軍かどうかもわからない。街にどうやって入り込んだのかも、城落としを仕込んだ意味も、何もわからない。
追うべきではなかった。それは間違いなく俺の意見だ。だがそれでゲルトを見殺しにしてしまったら、俺は取り返しの付かない事をする事になってしまう気がする。
そうだ、今は追うべきだ。自分に言い聞かせる。これで救えなかったら、また後悔する。そんなのはもう嫌だ。俺は仲間を信じる……ゲルトを救える。きっと俺たちなら。
「ナツル! ナツルはいるか!?」
扉が開かれ宿にマルドゥークが顔を覗かせた。俺に駆け寄ると、俺の前で眉を潜めた。
「何があった!? 街中が滅茶苦茶だ! 敵に遭遇したのか!?」
「そういう事だ。悪い、事情を説明してる暇がないんだ」
「待て! まさか敵を追うつもりか!? 女王陛下より明日の進軍に参戦せよとの命令を受けているだろう! 迂闊に単独で行動するな!!」
俺の腕を掴み、律するマルドゥーク。しかし俺はその手を振り解き、マルドゥークを睨み返す。
「女王の命令だかなんだか知らないが、兎に角今はゲルトがやばいんだ! 仲間を一人拉致られた! 黙って見殺しに出来ないっ!」
「ゲルト・シュヴァインを……? だが、決定は覆されない! ゲルトを追うのは仲間に任せお前は残るべきだ、ナツル! 救世主としての役割を果たすのが貴様の義務であり役目なのだ!」
「知るかっ!! 仲間一人救えない救世主なら俺は願い下げだ! 女王がどれだけ偉いのか知らないが、勝手に期待を寄せて他人を仕立て上げてんじゃねえ!」
二人して言い争い、にらみ合う不毛な時間が過ぎる。背後から皆が戻ってきて俺たちの前で停止した。仲間に無様な姿を見せるのもどうかと思い、気持ちを落ち着かせる。
「悪い、マルドゥーク……兎に角そういうことだから。女王陛下には後で謝る……残りの事は煮るなり焼くなり好きにしてくれて構わない。それじゃ……」
「待て! 仕方の無い連中だ……これだけ持っていけ」
マルドゥークに手渡されたのは金色のコンパスだった。不思議な輝きを帯びたそれを握り締め、首を傾げる。
「我々聖騎士団本体の位置を指し示すように作られたマジックコンパスだ。要は、明日の総攻撃に間に合えば良いのだろう? 時間に遅れず追って来い」
「――っ。ああ、判った。すまん、貸しにしてくれ!」
「総攻撃は明日の正午に行われる! 急げ救世主!」
弾かれるようにして走り出す。全員で夕暮れの街を駆け抜ける中、隣を走るベルヴェールが溜息を漏らした。
「で? リリアを追えばいいのね?」
いつぞやの坑道でお世話になったペンデュラムを取り出し、その光の指し示す方向へと駆けるベルヴェール。その背中に続き、俺たちはリリアを追いかけて駆け出した。
草原を走るリリアが目にしたのは森の中へ消えて行く錬金術師の影だった。眉を潜め、加速するリリア。その背後から追いついてきたアクセルが隣に並ぶ。
「リリアちゃん! 落ち着けって!! 罠かも知れない、慎重に一緒に行動するんだ!」
「そんなの関係ない……。あいつ、絶対に倒してやる」
「リリアちゃんっ!!」
加速するリリアの正面、草原の中に一つの影があった。巨大な太刀を構えたその影は近づいてきたリリア目掛けて刃を揮う。しかしそれはリリアからは遥か離れた距離からであった。
全く何の防御もしようとしないリリアの正面の立つアクセルが剣を十字に構える。直後、目には見えない斬撃が二人に襲い掛かった。
「っぐう!?」
「――――ほう。見えたのか、少年」
倒れこみそうになる姿勢を戻し、サーベルを構えるアクセル。何が起きたのかさっぱりわからなかったリリアは二人の離れすぎた距離に目を丸くしていた。
「あなた……確か、鶴来さん!? あなたもフェンリルと同じ目的なんですかっ!?」
「目的? そんな下賎なものは生憎持ち合わせていないな。追いたければ追うが良い、二代目。拙者の相手はどうやらそこの少年のようだ」
「そういうことだ。先に行け、リリアちゃん。どうせ止めても君は聞かないんだろう? だったら、勇者を送り出すのが剣士の役目だ」
剣を構えるアクセル。その笑顔に頷き、リリアは不安げな瞳で少年を見つめ、走り去った。どうか無事で……そんな思いは確かにアクセルにも伝わっていた。
アクセルはゆっくりと東洋の剣士に近づいて行く。歩みを寄せた二人は広めの間合いの間、互いに剣を構える。鶴来は太刀を上段に独特の構えを展開し、両目を閉じて問い掛ける。
「成る程……君が新たな勇者を守る剣士、というわけだ。尖兵突撃は慣れたもの――剣士の役割、存分に果たすが良い」
「――そういうお姉さんは普通じゃなさそうだ。あーあ、俺はおっぱい大きい女は趣味じゃないんだけどな……」
刃を構えたアクセルが駆け出す。風を纏い、両腕から繰り出される旋風。それは女剣士へと近づき、しかし一瞬で薙ぎ払われる。
接近したアクセルが繰り出す連続攻撃を長大な一振りの刃だけで全ていなす。まるでフェンリル戦の再現。手も足も出ないまま遊ばれるアクセルは距離を離し、その動きを太刀が追う。
踏み込む事はなかった。一歩もその場から動く事もなく、しかし斬撃だけがアクセルに迫る。その反則染みた攻撃速度と射程距離に舌打ちし、アクセルは剣でかろうじてそれを受け止めた。
「っづう! どういう腕力してるんだよ……!」
「我が剣の一薙ぎは鬼の首を落とし空を断ち大地を割り水を裂く――。手を抜くな少年。ここでなら、拙者以外に君を見る者は誰も居ないのだ。もっと拙者を楽しませてくれ」
「……っとに、年上は趣味じゃないんだよ。その見透かすような態度――困ったもんだ」
一息つき、瞳を開くアクセル。その瞬間には既に雰囲気が変化していた。普段のおどけた態度の少年は既にどこにも居ない。
リリアや夏流でさえ彼ほどの殺気は放てない。それは、既に大量の人間を殺した事の在る人間だけが放つ事が出来る殺意――。自分の感情を殺し、命を軽視する視線だった。
「お姉さん強そうだから手加減は無しだ。今はリリアちゃんを追いかけなきゃならないしな――」
揺らめく風の中、アクセルは剣を放し、両手を空にする。直後危険を察知し、鶴来は太刀を構えた。
「遠慮は無しだ。行くぜ、傭兵――。火花を散らす覚悟はいいか?」
大木を切り倒すリインフォースの一撃。リリアは森の中、錬金術師を追っていた。
背後に残してきたアクセルの事は気にかかる。先ほど、凄まじい剣と剣のぶつかり合う音が聞こえたばかりだ。だがしかし、足は止めない。錬金術師に追いついた今、振り返る事などただの愚行――。
「追いついてきたか、勇者。中々足が速い――」
「ゲルトちゃん……! おまえええっ!!」
木から木へと飛び移る術師の影から無数の矢が放たれる。漆黒の矢の群れをリインフォースで薙ぎ払い、突き進むリリア。しかしこの場に触媒となる陰は多すぎる。ありとあらゆる木々の影という影から飛び出す無数の攻撃の雨。三百六十度、逃げ場の無いオールレンジ攻撃を前にリリアは剣を水平に構えた。
「鳴り響け――! 連続共鳴剣っ!!」
超スピードで回転しながら木々ごと薙ぎ払い、光の竜巻を描いて空中を疾走するリリア。文字通り触れる全てを叩き伏せる嵐はあらゆる方向から迫る魔法の矢を片っ端から弾き返し、轟音と共に錬金術師に迫る。
しかし男は焦らなかった。影の中に吸い込まれ、その姿は消えて行く。どこに消えたのかわからないまま停止するリリアに背後から鎖が放たれた。
剣で弾き、しかしどこまでも追跡してくる追尾の鎖――。それが一本、また一本と数を増し、やがてそれらが手足に巻きつくとリリアの身体は空中に引き上げられた。
「ぐう……っ!」
「力だけは半端じゃないね。だけど、そんな力押しが通用するのは自分より実力が下の相手に対してだけだ」
リリアの真下、吊り上げられた少女の影より出でた男はゲルトを片腕で引き摺りながら溜息を漏らす。気を失い、口元から血を流しながらぐったりと倒れるゲルトの姿を目の当たりにし、リリアの瞳が激しく揺れた。
「ゲルトちゃんを放せ……」
「君はどうやら自分の置かれた状況が理解出来ていないと見える。さて、どうしたものか……」
空中に浮遊した男の手に剣が現れる。空中に拘束されたリリアの胸に徐に剣を突き刺し、男は歪んだ笑みを浮かべた。
「う……ぐうっ」
「悲鳴を上げないのは良くないな。まあいい……。僕はね、勇者君。不老不死の法に興味があるんだ。色々なサンプルを見てきたけれど、今思い出してね。そういえば君はどんなに傷を負っても直ぐに回復する能力を持っているんだとか……」
「ど……うして、それを……?」
「ああ、フェンリルに訊いたのさ。さて、実験でもしてみようか?」
リリアに突き刺したままの剣をぐりぐりと力を込め、抜き差しする男。その度に焼けるような痛みが走り、血が零れ落ちる。リリアは歯を食いしばってそれに耐えていたが。男は退屈そうに目を細め、背後にある木の枝の上に立った。
「なんだ、別に超回復能力があるわけじゃあないらしい。もしかして君は刺されたら死ぬ普通の人間なのかい? それじゃあ興味の対象外だ……せめて、そうだな――これくらいは出来ないと」
生み出した剣を自らの心臓に突き刺し、男は口から大量の血を吐き出した。目の前で行われる凶行に青ざめるリリアを前に、男は次々と剣を手にし自らの身体に突き刺して行く。
胴体に八本の刃を刺したところで男は血まみれの口を拭い、不気味な笑顔を浮かべた。リリアは何とか拘束から逃れようと努力するが、巻きついた鎖は剥がれず魔力も込められない。
「無駄な努力だよ、勇者。それは龍を封じる特別製の術式……解けるとすればそれは神か大魔術師か……ふ、どちらにせよ君は無理だ。さて、少し趣向を変えようか。先ほどから君は彼女を見ると酷く魔力が上がる……興味深いね」
体中に剣を刺したままの男が片手を翳す。木の下に倒れていたゲルトの鎖が引き上げられ、リリア同様ゲルトは宙に吊り上げられた。
「君はもしかして、彼女を傷付けられたほうが力を発揮するんじゃないかな?」
「やめろっ!! そんなことは……させないっ!!」
「へえ? じゃあどうする? ああ、そうか――だったら君がされればいい。そうだろう? ゲルト」
浮かび上がったゲルトの身体がゆっくりと動く。気を失ったままのゲルトの手に剣が現れ、その刃はリリアの身体を貫いた。
次々と空中に現れる剣、剣、剣――。ゲルトはそれを次々にリリアに突き刺し、返り血を浴びながら目を閉じていた。
「う……あ……っ」
リリアの口から小さく悲鳴が漏れた。あまりの痛みに感覚は麻痺し、自分がどんな状態にあるのかも理解出来ない。体内から血が逆流し、口から血が零れて止まらない。霞む視界の中、気を失ったゲルトはリリアの頬に両手を沿え、血にぬれた指先でリリアの涙を拭う。
「かわいそうに。ほら、早く傷を癒さないと死んでしまうよ? 勇者なんだからそれくらいなんとかしないと。ふふ、ふふふ、あははははっ!」
指先一つでゲルトを操る男。リリアは体中に刺さった剣を見つめ、力なくうなだれた。
「なんだ、気を失ったのかい? 面白くも何ともないな……。まあいい、ついでだからこっちの勇者も連れて帰るとするか。両方連れ帰ればフェンリルも文句はないだろう」
操作魔術を解除され、地面に落ちるゲルト。男は自らの身体に刺さった剣を引き抜き、リリアに手を伸ばす。瞬間、動かないはずのリリアの手が男の手首を掴んでいた。
「薄汚れた手で我が身に触れるな、下種が――」
炸裂した。何が起きたのかは誰にも判らない。ただ目の前で串刺しになっていた勇者の全身から光が溢れ、それは拘束の術式を一撃で崩壊させ、近くに居た錬金術師を吹き飛ばし、森を燃やし、空を焼き、体中に突き刺さった剣の傷さえ癒した。
紅に燃え盛る炎の中、勇者は宙に浮かんでいた。手にした聖剣が輝き、そこに青色の紋章が浮かび上がる。やがてその輝きが県全体を埋め尽くすと、銀色の髪の勇者は大地に降り立ち、その剣を構える。
聖なる光は穢れを知らない――。
夜の闇を切り裂き、昼の影を切り裂く。数多この世に存在する森羅万象その名全てを下し、神の王国を築き上げるその日まで輝きは決して色褪せる事は無い。
聖剣は王の手の中常に一つ、故に全ての存在は虚偽であり、真偽を定めるのも又聖なる剣の役割。触れる者全ての善悪を決定し、その審判の名の下に汝存在の彼方さえ選定されん。
故に無敗、絶対最強の剣を担うのは同様に神の身を持つ者でなければならない。ならばその条件は? 人の身で神をも超える、聖剣の担い手とは――?
「なんだ……お前は……っ!?」
男は脅えていた。目の前の少女の姿に。薄っすらと笑みを浮かべ、剣を振りかざす化物――。
「――口にする事を許すぞ、下種。我が身を呼べ。『化物』と――」
「う、うわあああああああああああああああっ!?」
森の中に立ち上る閃光。遠く草原を走る夏流たちの目にもそれは映し出されていた。
不安に急かされるように救世主は草原を急ぐ。どうか、何事も起きないようにと、心の中で祈りながら。