駆け抜ける戦意の日(3)
誰かの泣き声が聞こえた。
それが嫌で、見なくてもいいものに目を向けた。
誰もが笑って通り過ぎて行く大通りから外れた袋小路で、その女の子は涙を流していた。
ゴミ山に囲まれた酷く狭い空間。しかし彼女にとってそこは誰にも邪魔される事のない聖域だった。泣いていても誰にも咎められる事も気に掛けられる事も無い世界の果て――。そこに、彼女以外の小さな影が差した。
「だいじょうぶ?」
少女は涙を両手で拭いながら顔をあげた。そこに立っていたのはとても綺麗な子だった。綺麗な顔立ち、綺麗な瞳……綺麗な髪。
初めは男の子だと思えた。その子の服装はどう見ても女の子のそれとは違っていたから。オルヴェンブルムの街で、スカートを履いていない女の子など、見た事もなかったから。
「いたいの?」
答えなかった……否、答えられなかった。初対面の他人を酷く怯える傾向にあった彼女にとって、例えそれが天使であろうが悪魔であろうが恐怖の対象でしかない。
この世界にあるすべての命を恐れ、膝を抱えて俯いていた少女。そのゴミだらけの場所に、来客は何の気にも留めず、少女の隣に座って微笑んだ。
「けがしてる。なおしてあげるね」
すりむいた手。そこにもう一つの手を重ね、暖かい光が広がった。傷は見る見る内に消え去り、少女は目を輝かせた。
「すごい……」
「えへへ、まだ習ったばっかりでうまくないけど……。ねえ、ほかにいたいところない? へいき?」
「へぇき……」
「そっか、よかった! ねえ、きみ、お名前はなんていうの?」
「…………ゲルト」
顔を上げ、涙を拭うゲルト。その顔を覗き込むように、優しく彼女は微笑んでいた。
「リリア」
そう、それが二人の間の始まり。心の中に残っている、消せない記憶。
「リリアっていうんだ。ねえ、お友達になろうよ? 一緒にあそぼ!」
薄暗い闇の中から連れ去るように手を伸ばして微笑む少女。
ゲルトにとって、その姿は天使以外の何者でもなかった――。
⇒駆け抜ける戦意の日(3)
シュヴァイン家の武器庫に向かう為には一度屋敷に入らなければならない。何故ならどうやら武器庫は地下にあるらしいからだ。
広々とした庭を抜け、門を潜る。その頃には気づいていたが、どうもシュヴァインの家紋が薔薇の花らしい。庭も様々な薔薇が咲き乱れ、迂闊に立ち入ると傷だらけになってしまいそうだった。
でもその薔薇というのはゲルトに似合っている気もする。そんな余計な事を考えながらゲルトの後に続いた。
家はびっくりするくらい広いのに、中には使用人の一人もいなかった。やたらと静かな空間……。そういえば、ゲルトは扉を開けるのに鍵を使っていた。もしかするとシュヴァイン家そのものには今人が誰も居ないのかもしれない。
「運がよかったな。誰も居ないみたいじゃないか」
「ええ。母は商人で、世界中を駆け回ってるんです。家になんか寄り付くわけありません。わたしの為に屋敷に残っていたメイドも全て解雇したので、家に誰も居なくて当然です」
あのー、それ、誰も居ないのわかってたのに俺を連れてきたってことですか?
まあ、あの様子だともしばったり母と遭遇したら、とか考えていたのかもしれないが。それにここに俺が居る事はさほど無意味ではないのかもしれない。先ほどからゲルトは寂しげな表情を浮かべたまま、ずっと掌を握り締めている。
豪華絢爛な屋敷なのに、人気の無い、埃の積もった屋敷……。これがゲルトの実家。心の中にある彼女の風景なのかもしれない。ふとそんなことを思い、寂しくなった。
リリアの実家にはうさんくさくて豪快な爺さんが一人、アロハ着込んでウクレレ鳴らしているのに、こっちは無音だ。なんだか二人の間にある様々な差を思い知らされる。
「…………お、怒らないんですか?」
「ん? 何がだ?」
「……だから、その……。誰も居ないの、わかってたんだろ、って、思ったんでしょう……? 文句くらいなら、聞きますけど」
「いや、別に。そんなことで一々文句言ってたら勇者部隊なんてやってられん」
「なら、良いんですが。わたしも少し、どうかしていました……。誰も居ない家であることなんて、判っていたはずなのに……」
足を止め、廊下の壁にかけられているゲインの肖像画に目を向けるゲルト。ぼんやりとそれを眺める横顔からはいつものつんけんした態度は読み取れなかった。
「ナツルは、わたしがなりたい勇者になればいいと言いましたね」
「ああ」
「……わたしは、勇者になんてなりたくなかったんです。本当は……本当は、貴方の言うとおり。将来の夢は、お嫁さんだった。別に特別じゃなくて、貴族じゃなくてもよかった……。ただ、普通に幸せになりたかった。でもそれじゃいけないんだって思いこんで来ました。今までずっと考えていたけど、答えはまだ見えない……」
ふと言葉を止め、俺に視線を向けるゲルト。
「魔剣を取り戻せば、少しは答えが見えるのでしょうか……?」
「どうだろうな。魔剣そのものは結局シンボルでしかない。人間の心を変えるのはやっぱり本人の気持ちの変化だろう。ていうかな、ゲルト……。お前はもう少し俺たちを信じたほうがいいぞ? お前が魔剣が使えないからって、俺たちはお前を仲間はずれにしたりなんかしない」
ゲルトの瞳が揺れた。それは多分、こいつがずっと気にかけていたことだ。ゲルトはいつでも一人を気取る。孤高でいようとする。でも言うほどこいつは強い心をもってるわけじゃない。ただ他人とのかかわり方がわからなくて、それが怖いだけだ。
だから心に踏み込まないし踏み込んでこない――って、ああ。俺は人の事を言えないんだった。どうにも俺がゲルトを構ってしまうのは、自分によく似ているからなのかもしれない。
「お前を守れずに無様に倒れた俺を、お前は嫌いになったか?」
「い、いえ。そんなことは」
「じゃあリリアは? 化物みたいな力で敵をガンガン殺しまくる。何だかよくわからんがいつ暴走するかも判らない突撃勇者様だ。おっかないか?」
「そんなことはありません! リリアを侮辱すると許しませんよ!」
「じゃあお前の事だって俺たちは見捨てたりしないし嫌いにもならない。当たり前だろうが。そのほかのこと考えられない一直線頭脳で少しは考えても見ろ」
「…………」
ゲルトの額を指先で小突く。額に手を当てながら、ゲルトはじっと上目遣いに俺を見上げていた。
「貴方はいつも、判ったような事を言う……。そういう貴方が……わたしは、嫌いです」
「そうですか」
「大嫌いです」
「はいはい」
「本当ですよ?」
「いいよ別に」
「……でも、不思議と悪い気分ではありません」
頬を緩ませながら踵を返し、歩いていくゲルト。その一瞬見えた横顔が子供染みていて、何だか俺まで笑ってしまいそうだった。
無人のシュヴァイン家の中を散策し、武器を吟味するゲルトに付き合い武器庫へ。魔剣に匹敵する武器は存在しなかったが、揃っているのはどれも豪華な刀剣ばかりだった。
その中から両刃の大剣――片刃がよかったらしいがなかった。あと大剣じゃないと嫌らしい――を装備し、俺たちはシュヴァイン家を後にした。
剣を入手したゲルトは行きよりも少しは気持ちが落ち着いた様子だった。俺たちは別にそれ以上無駄口は叩かなかった。でも不思議と無言の間でも気分は悪くなかった。
ふとゲルトに視線を向けると、彼女も俺を見ていた。視線がばっちり衝突し、俺が首を傾げるとゲルトは慌てて視線を反らす。そんな事を何度か繰り返しながら歩いていた時だった。
「――――何だ、この感じ」
足を止めて振り返る。背後には勿論誰もいない。だが、なんだか違和感がある。
「どうかしたのですか?」
「いや……。なんだ、ちょっと待ってくれ。この辺りか……?」
道を逸れ、草むらに入り込む。そこに立っている一本の木に触れると、瞬間何かに弾かれるように閃光する。
「っつう! ゲルト! ちょっと来てくれ!!」
ゲルトを呼び出し木を見せる。するとゲルトの表情は見る見る青ざめて行った。
手を翳し、なにやら魔力を放出するゲルト。やがて木にはびっしりと紋章が浮かび上がり、ゲルトが拳を握り締めると押しつぶされるようにして紋章も砕け散った。
「一体何だったんだ……」
「――貴方の感知能力は相当優れていますね。わたしは全く気づかなかったというのに……恐ろしい人です」
「それで? あれはなんだったんだ?」
「今すぐ聖騎士団に報告を。あれは……そうですね。設定された時刻まで潜伏し、時が来たら一斉に連鎖し爆発する、城落としの術式の一つです」
「ってことは、なんだ? まだこの街に沢山術式が設置されてるってことか!?」
時間が来れば一斉に起爆する時限爆弾――それもかなり高度な。街にはこれだけ人が溢れているのに、誰もその存在に気づかないほどの。
冷や汗が流れる。この街に一体どれだけの人が住んでいると思っているんだ。城落としの術式って……なんでそんなものがここに? この街敵が入り込んでいるってことなのか?
「兎に角騎士団に報告を! いくつ仕掛けられているのかわからないんです、二人では対処出来ません!」
「わ、わかってる! 行くぞ!」
草むらから抜け出し、二人して聖騎士団の総本山である大聖堂へ向かう。そこに居た騎士の一人に話を持ちかけたが、まるで相手にしてもらえなかった。
「あのなあぼうず? この街は特殊な魔術結界で覆われているから飛んでだって入れない。入り口は常に検問があって、学園関係者と聖騎士団以外は出入りしてないんだ。そもそもそんな大規模な術式だったら、ここにいたって感づくだろう」
「だから、それがすごく巧妙に隠蔽されてるんだよ! 急がないと手遅れになるぞ!」
「しょうがないな……わかった、手を貸そう。おーい、暇そうなの何人かついてこい。人を集めろー」
「待ってください、わたしの話を聞いていなかったんですか? 余程の魔力探知能力がある人間でなければ発見できないんです! 人を集めるならせめて神官を!」
「神官なんてそうそういるわけないだろう……。それ、本当にデマじゃないんだろうな?」
キレて暴れ出しそうになるゲルトを背後から取り押さえながら撤退した。術式が発動するまでどれだけ時間があるのかわからないが、これでは間に合わないかもしれない……。
いつ爆発するのかわからない緊張感がじりじりと時間の経過と共に焦りを生んでいく。だというのに聖騎士団は役に立たない。というか、そんなに巧妙に隠されているんだろうか。
「勇者部隊でも、恐らく術式を察知できるのは……ナツル、貴方だけでしょう。こうなったら戻るだけ時間の無駄です。わたしたちで出来る限り術式を見つけてみましょう」
「ああ、戻りながら探して皆にも手伝ってもらえばいいしな。でもまずは探してからだ。もしあれ一つなら事は済むし、無駄にパニックを起こす必要もない」
この街がいつ吹っ飛ぶかわかりませんなんて話して周れパニックになるのは当たり前だ。そうするのは確実にこの街が吹っ飛ぶ事実を認識してからでなければ。
俺たちは頷きあうと直ぐに街中を走り出した。立ち止まる余裕は無い。ついさっきまで周りの人間同様のんびりしていたのだが、こうなってしまってはもう仕方が無い。全力疾走だ。
「ゲルト! あっちだ!」
俺には消し方がわからない。ゲルトには見つけ方がわからない。俺たちは協力して術式を発見し、駆除していく。
一つ、二つ、三つ……。そう大量に設置されているわけではないが、決して少なくも無い。やはり城落としの術式だけのことはある。この術式一つ一つが爆発したら、恐らくこの街は本当に落ちる。勿論、リア・テイルだって……。
「待った、ゲルト! リア・テイルだ!」
「――っ。迂闊でした。城落としの術式ならば、まずは城に仕掛けるのが定石……。引き返しますか?」
「そうしたほうがいいんだろうが……くそ、どうする。人手が圧倒的に足りない……っ」
立ち止まって考え込んでいると、正面からマルドゥークが走ってくる。俺の姿を見つけると近くに立ち、
「丁度いいところに! ナツル、姉上を知らないか? どこかに出かけてしまったまま戻ってこないのだ。心配で心配で……」
「いい所に来たなお前っ!!」
「な、なんだ!? どうした!? 何事だ!?」
俺とゲルトは手短に事情を説明した。マルドゥークは腕を組みながら説明を受け、力強く頷く。
「お前が嘘を付くとは思えんな。判った、私の方から神官隊に連絡を入れておく。何、気にするな。どうせ私の部隊だ」
そういえばこいつは神官騎士だった。本当にタイミングがいい。城の方の駆除はあいつに任せ、このまま俺たちは街の方をあたろう。
二人して走り出す。マルドゥークはくそ真面目で融通は利かないが律儀なやつだ。ちゃんと聖騎士団を動かしてくれるだろう。あんな俺とあんまり歳の変わらないやつの言葉なら、聖騎士団も動くのか……なんか空しい。
それにしたってなんなんだ? 昨日出歩いていた時にはなかったはずなのに、これだけの数の術式……たった一晩で設置したっていうのか?
「……相当なやり手です。アイオーンだってここまで早く術式は組めませんよ」
「ってことは、あれより上手って事か……?」
二人して術式を破壊しつつ進んで行く。そうして街の外へと続く門が見えてきた頃、ゲルトの足が止まった。
その理由は俺にもわかった。今この瞬間、目の前の通路で魔力が迸り、術式が発生する淀みの様なものを感じ取れたからだ。それは直ぐに息を潜めてしまったが、間違いない――。この先に、この術を仕掛けている敵がいる。
「ゲルト、戻ってリリアたちを呼んで来い! 俺は時間を稼ぐ! 相手がフェンリル並だったら、多分そう長くは持たない……!」
「い、嫌です! わたしだって勇者なんですから! どうしてそう、貴方はいつもいつも……そんなに不安なら、貴方が仲間を呼びに戻りなさい!」
「お、おい!? ゲルトッ!?」
ダメだ、魔剣もないのに無謀すぎる。俺はゲルトに続いて路地に入り込む。そこには確かに俺たち以外の人間が立っていた。
紫のローブに身を包んだ長髪の男性……。見る限りに既に魔術師タイプといった男は振り返り、俺たちの姿を見て微笑んだ。
「ほお……。先ほどから出鱈目に僕の術を解除しているやつが居ると思ったら、君たちみたいな子供とはね……。驚いたな」
ゲルトが無言で剣を構える。男は溜息を漏らし、肩を竦めた。
「威勢がいいのは構わないが、相手の力量を見て行動すべきだね。僕にはまだ仕事があるんだ。こんな術式設置なんてつまらない事よりも、もっと面白い仕事がね」
「戯言を――!!」
ゲルトが斬りかかる。男は片手を翳し、魔術障壁だけでそれを防いで見せた。
弾かれるゲルトの剣。狭い通路を生かし、ゲルトは後方に跳ぶと同時に壁を蹴って空を舞う大剣を拾って俺の目の前に着地した。こんなに狭い所じゃでかい剣は邪魔になるだけだ。俺はゲルトの前に出て拳を構えた。
「今度は君か。いいよ、かかっておいで」
両手の術式に火を灯す。電撃が流れ出し、迸る魔力を集中して拳へ。それを維持したまま前に駆け出した。
男の魔術障壁目掛けて拳を叩き付ける。一撃で砕け散ったそれに驚いている術師。一気に懐に潜り込み、畳み掛ける。
レーヴァテインは撃てない。こんな狭い場所で撃ったら大変な事になる。魔力を込めた連続攻撃をボディに浴びせ、フロントキックで蹴り飛ばす。積んであった木箱の山に突っ込み、砕け散る残骸に埋もれて男は倒れた。
「……呆気ないな」
そう呟いた直後だった。瓦礫の山の中、影のようなものが揺らめいたと思った瞬間、何かが飛んで来る。咄嗟に回避したものの脇腹を掠って飛んで行ったのは、黒い影のような何かだった。
目にしても何なのかはわからない。ただ、男は影のような物を纏いながら立ち上がった。その瞳には先ほどまでの余裕染みた物が消え去っている。
しかしそれは俺の実力に驚いたからでも怒ったからでもなかった。彼が見ていたのは――そう、俺の武器、神威双対だった。
「その武器……確かめて見るか」
男が両手を広げる。足元の影から無数の影の矢が飛んで来る。その数は数十……。密集した空間に流れ込んでくる矢の津波を防ぎきる事は出来ず、俺は両手を前にして障壁で防御する。
しかし術式には障壁貫通効果が付与されている。両足を貫く矢……。直後、男はローブの内側から瓶を取り出した。それが何であるか分かってしまった俺は、振り返ってゲルトに叫ぶ。
「逃げろゲルト!! あいつは――錬金術師だっ!!!!」
瓶から光が溢れる。飛び出してきたのは、そう――。アイオーンが俺に放った、龍殺しの術式。炎の熱線が俺目掛けて真っ直ぐに突っ込んでくる。
逃げろと言ったのにゲルトは俺の前に飛び出し、庇うように剣に魔力を込める。だが、そんな障壁では防御できないことは直に食らった俺がよく判っている。二人して怒涛の攻撃の前に吹き飛ばされ、大通りにはじき出された。
「ゲルト!」
俺は無事だったが、ゲルトは手を焼かれ、ボロボロに溶けた剣が空しく道に転がった。一歩大通りに出ればそこは人気のある場所――。何事かと集まってくる野次馬を目にゲルトは舌打ちした。
「拙い……。こんな状況では……っ」
男が歩み寄ってくる。そうして俺とゲルトを交互に眺めた後、口元に手を当てて呟いた。
「……ゲルト。ゲルト・シュヴァイン? 君があの噂の勇者か……。そんな事より君……そう、君。面白い武器つけてるね。それ、誰に仕立ててもらったんだい?」
「あんたには関係ないだろ……っ」
「そういうわけでもないんだけどね。さて、こんなに騒ぎになってしまっては困る……。適当に逃げさせてもらうとしようか」
男がそう口にした時、門の前に人影があった。それは白い聖剣を両手で構え、低い姿勢から男に斬りかかる。銀色のリインフォースの軌跡が空を切り裂き、男は背後に跳躍した。
「師匠もゲルトちゃんも何やってるんですか!? この人だれですか!?」
「リリア……いい所に来た! 手を貸してくれ! こいつを街から出すな!!」
頷くリリア。聖剣に込められた半端ではない魔力が大気を揮わせる。金色に閃光するリインフォースを構え、リリアは男に突撃する。
振り落とした刃は早く、そして重苦しい。一発で男の障壁を貫通し、肩から深く切り込んだ。血が飛び散る中、男は顔色一つ変えないで手を伸ばした。
「聖剣リインフォース……なるほど、そんな強い武器で攻撃されたらひとたまりもない。だから――」
男の掌に魔力が集う。直後、光は剣を形作り、それが収まる頃には男の手の中にもう一振りのリインフォースが存在していた。
「――こちらも同じ武器で応じさせてもらおう」
リリアの剣を受け止める男。ぶつかり合う二つの聖剣が押し合い、リリアは魔力を込めて男を弾き飛ばす。
ゲルトに回復魔法をかけてもらった足がようやく動くようになり、俺はリリアの背後から男に飛び掛った。リリアを飛び越え回転しながら男の頭部に蹴りかかる。しかし直後、男は両手に一振りずつ、そうリインフォースを二つ手にして俺の攻撃をも防いでいたのである。
「な――っ!?」
「そんな、どうして!?」
わけが判らず混乱する俺とリリアを同時に弾き返し、男はリインフォースを俺たちに投擲する。それは一瞬で姿を変え、細長い槍のような姿になって飛来した。
リリアはリインフォースでそれを切り伏せ、俺は回避する。しかし考えが甘かった――後ろには野次馬が居る事を完全に忘れていた。慌てて槍を掴んで手にし、男に投げ返す。
「駄目じゃないか、投げ返しちゃ。錬金術師の武器は錬金術師には歯向かわない……当然の道理だろう?」
失速し、男の手の中にすっぽりと納まった槍。それをくるりと回転させ、見事な構えで応える男……。一体何なんだ? 錬金術師? 魔術師? 俺たちの知っているそれとは違いすぎる。
いや、考えるな。こいつは決してフェンリルほど強くはない。二人でなら倒せるレベルだ。俺とリリアは頷きあい、互いに雄叫びを上げて襲い掛かる。
しかし男の姿は影の中に吸い込まれるようにして消え去り、俺たちの攻撃は無様に空ぶった。振り返ると男はゲルトを羽交い絞めにし、俺たちに笑いかけている。
「そこまでだ。僕は戦闘は専門外でね……。君たちみたいに強いのに襲われたらひとたまりもないんだよ。それに、目的の方が自分から来てくれていたようだしね」
「なんだと!?」
「僕のもう一つの目的は、『弱いほうの勇者』を連れ帰ること……。見た所、そっちの白いのは強そうだ。でもこっちの黒いのは、魔力も不安定だし武器も大したことない……。まあ、勇者ならどっちでも同じだろう。残念だけど、ここでさよならだ」
「待てっ!!」
男が瓶を投げる。その中に渦巻いているのが範囲放出系の電撃だと気づいた瞬間、俺はそれを手にとって握り締めていた。
魔力を全て解放し、瓶を包み込む。こんなところで爆発したら、どれだけ人間が死ぬことになるのか――!
力で瓶の爆発を押さえ込む。両手で必死にやっているのに相殺出来ない――!
「リリア、奴を追え! こっちは俺で何とかする!!」
「で、でも……」
「いいからっ!! やつらまともじゃないんだぞ!? 捕まったらゲルトが何をされるかわからないっ!! いいから追えっ!」
リリアは頷き、剣を構えて跳躍する。屋根の上に跳んで行った男を追い、その影が見えなくなるのを確認して、俺は瓶を抱くように自分の身体に押し当てた。
炸裂した電撃の魔力が全身を貫く。だが、俺は電撃には耐性のある身体――死にはしない。その爆発が俺以外の誰も傷付けていない事を確認し、両膝を着く。
「ぐ……っ」
滅龍魔法に比べれば大した事はないが、そのダメージは流石に大きかった。体中がしびれて一歩も動けそうにない。
無様に倒れ、石畳を見つめる。それがその時の俺の意識が捉えた最期の景色だった。