集う力の日(1)
「お前ら、夏休みで遊びに来たんじゃなかったのか?」
爺さんのいう事は尤もだ。しかし俺たちはもうそんな気分では無くなっていた。
全身汗だくで飲み干す水は喉を潤し身体に染み込んで行く。体中が欲する水分を吸収し、俺は深々と溜息を漏らした。
俺の隣では同じように疲れた様子でアクセルが砂浜に剣を突き刺して休んでいる。俺とリリアはあの日手を取り合った瞬間からもっと強くなることを誓い合った。そうして始めた自主トレーニングは気づけば仲間みんなで行う合同訓練になっていた。
つい先程まで俺もアクセルと手合わせをしていた。全力で向き合う瞬間は一瞬一瞬俺の神経を研ぎ澄まし力を与えてくれる。それでもずっと足りなくて、今はまだもどかしいままだけれど。でも強くなれるこの瞬間が嬉しくもある。
爺さんは相変わらずアロハな格好で俺たちを見守っている。砂浜を走るリリアが放つ銀色の矢の魔法が海を叩き割り、盛大に上がる水飛沫の中彼女は凛々しい表情で輝いていた。
リリアの努力具合は普通ではない。休みなくよどみなく、一瞬一瞬で強くなって行く。止まっていた時間が流れ出すように、彼女を縛り付ける不自由さはきっと身体を縛り続ける事は出来ず、見る見る輝きを取り戻して行く。
綺麗な宝石に積もっていた埃を一つ一つ丁寧に拭い去り、何かを思い出すようにリリアは目を開く。輝きを映し出すその横顔が妙に大人っぽく見えて少しだけドキリとして、俺は黙ってタオルで顔を拭った。
「しかし、見違えたな。うちの孫はあんなに勇者修行に熱心だったかねえ。お前が何かしたのか、んん?」
「お、俺は何もしてないですよ……いてて」
背後からバシバシ俺の背中をぶっ叩く爺さん。一体なんだっていうんだ。もう少し加減しろよ、骨折れるって。
フェンリルと戦った事を聞き、爺さんは何とも言えない表情を浮かべた。孫娘をボコボコにされたにしては随分と落ち着いていて、その様子は『やりやがった』というよりは『ああ、またか』といった様子である。
彼とフェンリルとの関係はわからないが、少なくとも爺さんは俺たちの味方でもフェンリルの味方でもないらしい。あの男が何をしようとしているのかは教えてくれなかったし、その素振りも見せない。ただ難しそうな顔で腕を組み黙り込むだけだ。
「ま、あいつは色々あるんだ。フェイトの仲間はみんなめんどくせえんだよ」
めんどくせえなんて一言で片付けられても困るが、まあ実際そうなのだろう。勇者の戦いというのは、ただ悪を倒せばそれでいいなんて単純なものではないのだから。
「まあフェンリルは勇者のパーティーじゃあそれほど腕の立つ男じゃなかったからな。あいつはなんていうか……そう、魔法剣士でな。あいつの真骨頂はただの白兵戦闘じゃねえ。まともな剣士としては鶴来のほうが圧倒的に上だからな」
「鶴来って……あの巫女装束の剣士ですか?」
「何故かリリアと知り合いだったようだが、まあ偶然だろう。あいつもまた面倒くさくてな。まあフェンリル程じゃあないが……あいつはホラ、金さえ貰えばなんでもするからな」
勇者のパーティーって一体どんな連中だったんだろう。考えれば考えるほどわからなくなる。
兎に角今は強くなってゲルトの魔剣を取り返さなきゃならない。今はまだ全然追いつけないけど、絶対に食らい着いてみせる。俺だって男だ、やられたままで気分が良い訳がない。絶対にアイツの顔面に拳を一発ぶち込んでやる。
拳を握り締め、じっと見つめる。リリアはどんどん強くなる。その背中においていかれないように、俺も精進しなければ。
「しーしょーっ!!」
顔を上げるとリリアが両手をブンブン振っていた。そうして当たり前のように、困った表情で首を傾げながら叫んだ。
「あの髪の毛が銀色になるやつ、どうやって出すんですかーっ!?」
そんなの俺が知りたいよ。言葉は飲み込んで溜息だけが口から漏れた。
⇒集う力の日(1)
「んああああああっ!!」
ぷるぷると震えながら全身に力を込めるリリア。その正面に立ち、俺は黙ってその様子を眺めていた。
アクセルにぶん投げられたお陰で全身が痛む。地面が砂だったからよかった物の、アクセルは全く手加減しないんだな。
というか、あいつの強さは俺が思っている以上なのかもしれない。体術に関しては明らかに俺の数段上を行っている。よくよく思い返すとフェンリルとマトモに切り結んだのはアクセルだけだったか。
今は一先ず昼休みということでみんなで砂浜でバーベキューをしている。爺さんの料理はどれも美味いのでみんなせっせと平らげている中、リリアだけが串を片手にぷるぷるしていた。
「はあはあはあ……っ! お、おかしいですねー……? なんで銀色にならないんですか? ねえねえ師匠、ねえ師匠〜。食べてないで見てくださいよー」
「そんな事を言われてもな……っていうかお前あの時意識あったのか?」
「う? 意識ありましたよ? なんか、師匠が倒れてるの見た瞬間頭に血が上って、魔力がどっかーんって! それでね、全然リリアが知らないような術式とか戦い方がバアアア! って頭の中に流れ込んできて、ドーン! って!!」
全然わからん。お前の表現力は小学生以下か。
「とにかく、あの時はまるで別人みたいに強くなれた気がしたんですけど……。あの力を使いこなせるようになれば、あのにっくき犬野郎をぶちのめしてやれる確率があがるんですけど……って、だから話を聞いてくーだーさーいーっ!! ていうか、なんでみんなリリアの分とっとかないんですか!? 悪魔ーっ!!」
俺の手から串を奪い去り、一気に肉を口の中に収めるリリア。俺が独りで奪われた串が空になるのを眺めていると、リリアは口元にソースをつけながら俺を見て微笑んだ。
「あむあむ……お、おいしいですー! 師匠、おかわりです!」
「……その前に俺に何かいう事はないのか? あ?」
立ち上がってリリアの頭を掴んで横に激しく揺さぶる。人の飯を横取りしておいて何がおかわりだ。っていうか異様に食うの早いなお前。
ああ、そういえばこいつ物凄い食べるんだった。焚き火にリリアが走って行き、大量の串を抱えて戻ってくる。口に肉を咥えながらベルヴェールとブレイドに追われているところを見ると、どうやら他の人の分をかっさらったらしい。
悪戯っぽい笑顔を浮かべながらはしゃぐリリアは完全に気持ちを立て直したように見えた。俺はまだこうして気持ちを引き摺ったままだというのに、リリアのあの前向きさには頭が下がる。
それにしてもよく食う女の子だ。あんなに小さい身体にどうしてあれだけの量が入るのか。お行儀の悪い孫娘の様子を流石にまずいと思ったのか、爺さんが果物を片手でリリアに放り投げ、後頭部に直撃して割れた紅い果実と共にリリアは砂浜にぶっ倒れた。
しばらくするとリリアは果汁だらけになってとぼとぼ帰って来た。それから俺の隣に座るとにこにこしながら俺の顔を覗き込む。
「どうした?」
「えへへー。師匠とやっと仲良くなれた気がして、ちょっと嬉しいのですよ」
そんなにあからさまに喜ばれると急に気恥ずかしくなってくる。視線を反らして肉を齧ると、視線を反らしたその先、至近距離にアクセルの顔があって俺は思わず肉を吹いた。
「ち、ちけえっ!? なんだアクセル、どーしたっ!?」
「ナツル……いーなあ。俺もリリアちゃんとイチャイチャしたいなー……」
「だったらこのハラペコ勇者のお守りでもしててくれ……。落ち着いてメシも食えねえ」
「そうか! さあリリアちゃん、俺の手からならいくらでもごはんをかっさらっていいんだぞーっ! おいで〜おいで〜っ!!」
しかしリリアはアクセルの手にしている肉をじーっと見つめ、涎を垂らしながら俺に振り返る。俺が小首を傾げると、リリアはそそくさと俺の後ろに隠れてしまった。
「ガアアアアアアッデムッ!? 俺の何が気に入らないんだ、リリアちゃあああああん!! うおおおおおおおおおおああああああああっ!!」
アクセルは頭を抱えて雄叫びを上げ、そのまま砂浜を走り去って言った。海に入って泳いで行くのを見送り、独りトライアスロンでもするつもりなのだろうか? 修行熱心なやつだ、とか考えていた。
リリアは俺の背後にしがみ付き、にこにこしながら擦り寄ってくる。この感覚、どっかで覚えがある……。ああ、そうだ。近所の野良犬にエサを上げて懐かれてしまった時によく似ている……。
懐くリリアの頭を片手でグリグリ撫でながら肉を齧っていると、爺さんが近づいてきた。それから皿に盛られた串を俺に手渡し、腕を組んで語る。
「そら、部屋に引きこもってるゲインの娘にくれてやってこい。あっちの勇者の世話もお前の仕事だろうが」
「……いつの間に俺の仕事は勇者の世話になったんですか?」
「あん? なんだ、違ったのか? お前ここに来た時からそんな感じの雰囲気だったが……違ったんなら別の奴に……」
「い、いえ! わかった、俺が持って行きます。リリアも来るだろ?」
何となくゲルトがああなっているのは自分のせいのような気がして他の奴に任せる気にはなれなかった。勿論頷いたリリアと共に皿を受け取り、家の中に引き返す事に。
二階への階段を上り、扉の前に立つ。ゲルトはあれからずっと閉じこもっていて何も口にしていない。それくらいに落ち込んでいるのは当然とも言えるが、だからといってほうっておくわけにもいかない。
「ゲルト、開けてくれ。昼食を持ってきたんだ。何か食べないと持たないぞ」
返事はない。ドアを軽くノックしてみたが、やはり同じ。ふと振り返るとリリアが皿に向かって団扇で扇いでいたので、何をしているのか問いただすように視線を向けると、
「あ、おいしいにおいで出て来るかと思って……」
「お前じゃないんだから出て来るわけないだろ」
「そうですかー……。ゲルトちゃーん、おいしいよー? ほらほら、もぐもぐ……お、おいしいっ!」
「何でお前が食ってんだよっ! アホかっ!!」
リリアの頭を小突く。漫才のようなやり取りをしていると何故か扉が開き、ゲルトが顔を覗かせた。俺たちがぎょっとしたのは多分無理の無い事だ。ゲルトは一睡もしていないのか、目の下はクマだらけ。泣きはらしたのか目は真っ赤で、髪の毛はボサボサ。本当にボロボロの状態で部屋から出てきたのである。
唖然とする俺とリリアの目の前で串を手に取り肉を齧る。久しぶりに口にする食事が余程美味しかったのか、あっという間にペロリと一本平らげてゲルトは溜息を漏らした。
「ご心配をおかけしました……」
「あ、ああ……。だ、大丈夫か? その……色々ヤバいぞ?」
「いえ、大丈夫です……はああ……」
頭を抱えて深々と溜息を漏らすゲルト。どう見ても大丈夫そうには見えない。ゲルトは一昨日の服装のままで顔を上げ、俺から一歩仰け反った。どうしたのかと首を傾げていると、前髪を指先で弄りながら恥ずかしそうに視線を反らす。
「師匠はあっち行っててください」
「えっ?」
「いいからあっち! もー、気が利かないんだから!」
「え? え? あの、リリアさん?」
リリアに背中を押され、殆ど階段を突き落とされるような状態で退場を求められた。訳もわからずに首を傾げながら家から出る。一先ず部屋から出てきてくれただけ進展だと考えよう……。
外に出ると既に食事は終わっていて片づけが始まっていた。結局俺はロクに食えないままの気がするが、まあこれから激しく動く事を考えれば八分目くらいで丁度良いのか……。
爺さんがバーベキューの片づけをしに去って行くのを見送り、ブレイドとベルヴェール、二人と合流する。アクセルはまだ戻ってきて居ないらしい……大丈夫かあいつ。
「ゲルトの様子、どうだったのよ?」
「ああ、部屋からは出てきてくれたよ。今はリリアが付き添ってる」
「そっかそっか! いやぁ、でもまだ問題は解決してないんだよなー……。なあニーチャン、フェンリルって奴はどこに行けば会えるんだろう?」
ブレイドの言うとおりだ。魔剣を取り戻すなんて事を言っても結局あいつは神出鬼没……。どこに行けば遭遇できるのか全くわからない。そもそも今は何をしているのだろうか。それくらい教えてくれたっていいだろうに、爺さんは俺たちに何も語ろうとはしない。
フェンリルは次の邂逅まで命を預けると言っていた。次の邂逅……つまり近いうちに又どこかで会うことになるのだろうか? だとしたらとりあえず今のうちに力をつけておくくらいしか対策は思い浮かばない。
「今は兎に角力をつけないとな……。っていうか、なんだ? お前らもフェンリルに再戦を挑むつもりなのか?」
「あったりまえでしょ!? あんなにコケにされたの人生初よ! 絶対にぶちのめして土下座させてやるんだから!!」
「おいらも無関係じゃないしね。兎に角、ゲルトの奪われた魔剣はおいらたちで取り戻してやるぜい!」
二人はかなり気合が入っている。めらめらと燃え上がるやる気で俺ににじり寄る二人。ヘタしたら俺よりやる気があるんじゃないだろうか。
「そういえばあいつ、『この国を壊す』とか言ってたな……」
「この国って、クィリアダリア? 世界全てを敵に回すような発言ね。まあ、見た感じかなり自己中心的っていうか、自信過剰って感じだったけど」
「ネーチャン、それネーチャンが言うことじゃないと思うんだ、おいら」
「え? 何が?」
「クィリアダリアを壊すなんて普通の考えじゃないよな……。まあ、具体的に何をどうするって事は聞かなかったからな。さて、どうしたものか」
三人して腕を組んで考え込む。しかし考えた所で何も判る事はない。結局考えるのは後回しにし、俺たちは特訓を再開する事にした……。
夏流たちがカザネルラで修行に勤しんでいる頃。フェンリルは聖都オルヴェンブルムより遥か北、国境沿いの雪原に立っていた。
二日間かけたとは言え、長距離の素早い移動にフェンリルは小さく息を付く。予想していなかった戦利品であるフレグランスを腰に携え、雪原の中に立つ鶴来と合流する。
二人は挨拶もそこそこに振り返り、広大に広がる雪原を見渡した。何もない、真っ白な空間。真昼の太陽を受け、きらきらと光を反射する美しい景色の中、フェンリルの声が響く。
『首尾は?』
「問題は何も無い。そちらの方は……成る程、二代目勇者にちょっかいを出してきたか」
『お前には関係のない話だろう』
「ふむ、確かにそのようだ。では仕事の話だけに限定しようか。既に準備は整っている。直にバズノクの騎士も合流するだろう」
『そうか。お前はバズノクの軍勢と合流し、指揮を執ってくれ。聖都オルヴェンブルムに一気に攻め込む』
「勝算は?」
『魔剣とオレがいる。他に説明が必要か?』
フェンリルは魔剣を抜き、それを大地に突き刺した。瞬間、紫色の光が雪原から溢れ出し、巨大な魔方陣を描き出す。
この日の為に彼が時間をかけて構築した特殊な魔法術式――。フレグランスを通じ火の灯された術式により、雪原より次々にうめき声が溢れ出す。
数多の手が空へと伸ばされていた。黒い甲冑に身を包んだ騎士の軍勢が立ち上がり、呪われた武器を手に整列する。そこに存在するのは全て魔物――。額に呪文の刻まれた札を貼られ、今や彼らの行動の決定権は全てフェンリルに収束していた。
『流石の手際だ』
「簡単な召喚術の応用だ。指揮は執るが拙者は戦わんぞ。契約の通りに」
『充分だ。それでは始めようか――世界征服ってやつを』
フェンリルが魔剣を振り上げ、彼方の空を示唆する。呪われた騎士たちは同時に行軍を開始し、槍を鳴らし、足音を響かせ、数百数千の呼吸を一つに、数多進軍する。目指すは聖都オルヴェンブルム、世界の中心――。
世界が動き出す音は学園にも届いていた。呪われた軍勢は片方からオルヴェンブルムに攻め入るわけではなかった。西と東からも同時に大量の軍勢が動き出す。その報告を受け、アルセリアは巨大な剣を手に取り立ち上がった。
聖都オルヴェンブルム――。そこは聖クィリアダリア王国の首都であり、巨大な城壁に覆われた要塞都市である。シャングリラのモデルにもなったその街には全てのルールが収束し、世界の流れの中心地でもある。その中で聳え立つ城の窓からも黒い軍勢は見渡す事が出来た。
大地を覆う黒の軍隊。迎え撃つ聖騎士団の戦力は圧倒的に不足している。ぞろぞろと歩み寄る大地を揺らすような行軍の音に、実戦経験の無い若い騎士たちは皆脅え竦んでいた。
「オルヴェンブルムを死守する!! どこの軍隊かは知らんが、聖騎士団に刃を向けたことを後悔させてやれっ!! 恐れるな、私に続け!!」
「し、しかし隊長……! 相手は……ま、魔物です! 武装した、魔物の軍隊ですっ! これではまるで、魔王の……っ」
「泣き言を言う暇があったら武器を構えて覚悟を決めろ! 正義は我らが築く物……。突いて破られれば世界が変わるぞ!」
雄叫びを上げ、白い甲冑の軍団が槍を掲げる。黒の群はゆっくりとした足取りでオルヴェンブルムに迫る。その落ち着いた足取りがやがてじわじわと街を囲みだした時、戦の幕は開かれた。
黒の軍勢は聖騎士団目掛けなだれ込むように突撃していく。死の恐怖を知らない木偶の軍隊は槍を構え、命を惜しまずに特攻を仕掛ける。倒しても倒しても切りのない敵に物量で塗りつぶされるように、聖騎士団はその姿を次々と消して行った。
『北のバズノク王国より敵軍が出現。オルヴェンブルムを包囲するように戦力が展開されています。聖騎士団ならびに女王の要請を受け、本日現時刻を以ってシャングリラは戦闘形態に以降します。街の防衛と同時に、聖騎士団を援護すべく生徒を戦場に派遣する事が決定しました』
ディアノイアの会議室では剣を正面に構えて立つアルセリアを囲むように教師たちが肩を並べていた。ディアノイアは聖騎士団直属の教育機関――。『敵』の出現時には臨機応変に出兵を行う。判りきっていた事である。
しかし、教師たちの気持ちは複雑だった。アルセリアだけが凛とした様子で声を張り、教師たちはその言葉をどこか現実として受け入れる事が出来ないまま立ち尽くしていた。
「皆ビビってるねえ……。ま、仕方ないさ。自分らが大事に育ててきた生徒を死んで当然の戦地に送り込むなんて正気の沙汰じゃない。アルセリア、その決定はあんたの意思なのかい?」
保険医のデネヴの声にアルセリアは無言で頷く。そうして剣を振り上げ、教師たちに突きつけた。
『戦闘技能三級以上の学生は全て戦場へ。貴方たちも覚悟を決めてください。戦争が始まりますよ』
「……学園長、正気っすか? 技能三級程度じゃ、マジな戦争に出してどうにかできる実力じゃ……」
『盾にでもなればそれで構わないのです、ソウル。世界の現実から目を背けて大人にはなれませんよ。死なせたくないのならば、普段から死なないように育てるようにするべきです』
「学園長っ!!」
『決定は覆りません。即刻全ての生徒をディアノイアに招集し、戦地に派遣します。オルヴェンブルムが堕落ちてからでは話が遅いのです。あの城は、一度落とされたら取り返すのは厄介ですよ』
教師全員がアルセリアの剣の前に跪く。巨大な鎧の中、彼女も又静かに唇を噛み締めた。
誰も望まない戦いを望む人間が居る。そうである以上、争いは避けられない。その為にこの学園が存在する以上、実戦は避けては通れない――。
遠く南の町、カザネルラにもその一報は届いていた。新聞を受け取り、紙面に目を通すヴァルカン。深々と溜息を吐き出し、それを握り潰して顔を上げた。
「とうとうおっぱじめたか……」
振り返った視線の先、夏流たちは修行に打ち込んでいる。何も知らない子供たちを戦場に送り込む痛みは過去も今も変わらない。だがそんな事を考えるだけ意味の無い事。
「そうやって俺たちは、フェイトたちを英雄に仕立て上げたんだからな」
握り潰した新聞を片手に夏流たちに向かって歩き出す。
不吉な戦いの気配は生徒たちへと均等に忍び寄り、夏流にも今、その黒い悪意が届かれようとしていた――。