解けない鎖の日(3)
「双子って不思議だと思わない?」
まだ俺と冬香が一緒にあの古ぼけた洋館で暮らしていた頃、唐突に彼女がそんな事を俺に言い出した事がある。
その頃の俺はただ勉強をして立派な医者か弁護士になる以外の考えは存在しなくて、だからほぼ丸一日を締める勉強時間に声をかけてくる冬香の存在が鬱陶しかった。
明確な未来のビジョンはなかった。ただそうなるものだと、それ以外にはないのだという親や世間の声に従順に従っていた。そんな俺に対し、冬香はどこか自由でいつも俺の予想の斜め上を行くような事をやってのける変わった女の子だった。
「双子はさ、きっと生まれる前までは一つだったんだよ」
「……まあ最後まで聞いてあげるよ。それがどうかしたの?」
「え? それって凄く不思議じゃない? だって元々一つだったものが、急に二つになって生まれてくるんだよ? まるで魂を引き裂かれるみたいに」
「……そういうものなんじゃないかなぁ。そんなこと僕に言われても困るよ」
「もー! なっちゃんはすぐそういうことを言う〜……」
「ふーちゃんもちゃんと勉強したほうがいいよ……? お父様もお母様も、成績が悪かったらすっごく怒るから」
そういいながら俺は彼女が勉強などしなくても問題ないほどの天才である事を子供心に認識していた。だから彼女にそんな事を言ったところで意味はないのだと、当たり前のように感じていた。
彼女は俺の言葉を受け、俺の書きかけのノートを強引に閉じて引っ手繰る。慌てる俺を笑いながら見つめ、彼女は部屋を飛び出して行く。
たどり着く場所はいつも同じだった。屋根裏部屋にある秘密基地。梯子を上り、屋根裏に顔を出す俺に手を差し伸べ彼女は無邪気に笑うのだ。
「あーそぼっ!」
その手をいつしか握り締める事も無くなり、俺は彼女との絆を失った。
死んでしまった相手を取り戻す事など出来ない。たとえこの世界の救世主とて、神とてそれは同じ事。一度消えてしまったものをやり直す事なんて誰にも出来ないんだ。
だからやり直さなくても済むように、出来るだけ間違えないように正解に限りなく近い道を選んで生きて行きたい。そんな考えが当たり前になっていた。
でもその考え方が限りなく正解に近い間違いだという事は自覚していた。そして俺はあの日と同じように大切な人の悲しむ顔を見る事になった。
一人で考え込む闘技場の控え室。試合開始時間は間もなくだ。椅子の上に座って閉じていた瞳を開き、水を飲み干した。
「……上手くは行かないもんだな」
思わず笑みが零れ落ちた。立ち上がり、試合に備えて移動する。闘技場の舞台へと続く道を歩いていると、正面で俺を待つブレイドとゲルトの姿があった。
ブレイドは俺にガッツポーズを浮かべ、ゲルトは無言で見送る。二人に軽く手を振って応え、誰も待たない孤独な戦場に足を踏み入れた。
暗い闇の通路から広がる青空の下。眩いその景色の中、俺は静かに息を付く。遠くから聞こえるとばかり思い込んできた歓声と凄まじい数の観客が俺の世界を取り囲み、想像していなかった状況に思わず足を止めてしまった。
実況も審判もいない、自主的なただの生徒の訓練戦闘で何故超満員の客が集まっているのか。いや、恐らくこれこそアイオーンが最強といわれるだけの魅力を持つ生徒である事の証明なのだろう。とんでもない舞台に足を踏み入れてしまった……。自分の中で決意を固め、止まっていた足取りを前へと再び進ませる――。
舞台に上がると自分で思っていたより広くて狭い空間に思わず息が詰まる。アイオーンはステージの真ん中に立ち、俺を待っていた。
「やあ、夏流……。いい天気だ。決闘にはもってこい……そうは思わないかい?」
「非常に残念だがそれには同意する。何かを始めるにはいい日かもしれないな」
二人して笑いあう。結局俺は何のためにここに居るのかもわからない。今はどうにも何を考えても答えを出せそうにない。だからアイオーン……お前に答えを出してもらう。
俺のこの一ヶ月の時間がどれだけ俺を変えたのか。今の俺に出来る全てを出し切り最強の存在にどこまで通じるのか。そして彼女が知るこの世界の真実とやらを、確かめる為に。
「それじゃあ始めようか? 女だからといって気遣いは無用だよ、夏流」
「そうさせてもらう。尋常の勝負と行こうじゃないか、アイオーン」
アイオーンが手にした槍をくるりと回し、片手で俺に向ける。俺は両手の拳を突き合わせ稲妻を迸らせながら顔を上げた。
勿論この戦いに望む理由がただの八つ当たりだってことは、重々承知の事だけれども。
⇒解けない鎖の日(3)
「…………擦れ違ってマスねぇ〜」
「へ? な、何がですか?」
ウェイター姿のアクセルは客としてやってきたリリアの話を聞いて思わず苦笑を浮かべた。聖騎士団に入れるかもしれないというリリアとそれを止めようとした夏流、未だ擦れ違ったままの二人の気持ちその両方を知ったアクセルは思わず溜息を漏らす。
リリアはリリアで夏流を想っている。夏流は夏流でリリアを想っている。ただその思いが優しく相手を求める程に二人は何故か離れてしまう。それはまるで運命的に決め付けられた当たり前であるかのように。
落ち込んだ様子でコーヒーを飲むリリア。アクセルはトレイを片手にその姿を見下ろし肩を叩く。近づいたアクセルの顔にリリアは戸惑いながら顔を上げた。
「リリアちゃんはさ、ナツルと離れてみてどうだった?」
「どう……って……。そのう……」
「寂しかっただろ?」
顔を紅くしながらこくりと頷くリリア。アクセルはにっこりと微笑み、それから頷いてみせる。
「リリアちゃんはナツルの足を引っ張りたくなくて強くなりたいんじゃないかな」
「――そう、なんでしょうか。いえ、多分違うんです。リリアは、なつるさんに……リリアも頑張れるんだって所を見て欲しかったのかもしれません」
危機的状況に置いても揺ぎ無く敵を駆逐する夏流の背中。アイオーンの言葉。聖剣を抱き、ただ何もする事が出来なかった自分。感じてしまったのだ。夏流は自分を仲間として見ているのではなく、保護者のような視点でずっと見ていたのだと。
少なくともリリアは今まで夏流の隣に立てるように努力してきたつもりだった。素性の知れない怪しい少年だとしても、その言葉や笑顔や手を引く強さは紛れも無く本物で、夏流はこの僅かな時間の中で沢山のものをリリアに与えてくれた。
そんな恩人であり何よりも大事な仲間として傍に居たい人である夏流が、リリアの事など意にも解さぬように扱った事が恐らく何よりも悔しかったのだろう。自分でもよく判らないわだかまりの根幹はそんなところにあったのだ。
「なつるさんは、リリアの為にって他の物を見殺しにするような、そんな覚悟の下にリリアを守ろうとしてくれてました……。でも、嫌なんです……っ! なつるさんがあんなふうにリリアの為に何かを犠牲にするとか、リリアを守るために戦うとか……そんなのおかしいですよ! そう思いませんか!?」
「んー……。その時のナツル、おっかなかったか?」
「――――っ。は、い……。まるで別人みたいに、冷たくて……。凄く不安になって、いつか自分の事もそうやって斬り捨てるんじゃないかとか、どんどん悪い方に考えちゃって……」
「成る程ね。でもねリリアちゃん、そりゃ君の勘違いだ」
顔を上げるリリア。アクセルはトレイを机の上に置き、リリアの手を引いて立ち上がらせる。
「ほら、行くぞ」
「え? え? ど、どこにですか?」
「ナツルは今アイオーンと戦ってる。多分リリアちゃんが一番見なきゃいけないのは、あいつが一生懸命に戦ってる姿だ」
強引にリリアの手を引き、他のウェイトレスに軽く頭を下げ走り出すアクセル。ウェイター姿のアクセルに私服のリリア。二人はアンバランスな格好のまま、ただひたすらに坂道を駆け上って行く。
「あ、アクセルくんっ!?」
「ナツルはさ、不器用なんだよ。言葉とかでちゃんと誰かに気持ちを伝えるのは得意じゃないんだ。だからいつも斜に構えるような態度してるけど、あいつ本当は結構実直な人間なんだよ。わかるだろ?」
「は、はい……」
「あいつは君の事をちゃんと考えてる。君を傷付けたくなくて、割れ物を触るように扱ってる。それは君を認めていないからじゃないんだ。あいつが時々怖いくらい残酷に見えるなら、それは心の底から君を守りたいと思っているからなんじゃないかな」
「…………どう、して……?」
戸惑いを口にするリリアに、アクセルは笑いながら振り返る。
「本当に何かを守りたい時、人間ってのはな、リリアちゃん。怖くて不器用で残酷で、感情を激しく昂ぶらせるものなんだよ」
「…………」
「必死にならなきゃ守れないからだ。そうしなきゃ後悔するって知ってるんだよ、あいつは。そのやり方は強引だったりするかもしれないけど、信じて欲しいなら信じてって声に出さなきゃ伝わらない! 女の子の気持ちを一々考えて行動できるほど、あいつは器用じゃないから!」
「……アクセルくん」
「だから間に合わなくなる前に会いに行こう! そうすれば、何てこと無いただの擦れ違いで終わるさ! またナツルと一緒に組んで、バカやりたいじゃん? リリアちゃんだって、そうだろ?」
アクセルの言葉にリリアは戸惑いながら頷いた。
闘技場では夏流とアイオーンの戦いが既に始まっていた。アイオーンの持つ槍は全長一メートル程で決して長くはない。槍というよりは杖に近いそれを片手に構え、夏流へと走り出すアイオーン。その指先から炎が生まれ、フィールドの半分以上を焼き尽くすほどの炎が放たれる。
夏流は正面からその炎を受け、両手で切り裂くように薙ぎ払う。分断された炎の奔流は渦巻き夏流の背後で燃え盛る。
「成る程、大した力だ。一応それなりに強い魔法を放ったつもりだったのだけれどもね」
「甘く見られた物だな。生憎こちらは――勇者より強くなきゃならない職業なんでな!」
反撃に駆け出す夏流。しかし焔の影にアイオーンの姿は消え去り、直後に背後から突き刺された槍が夏流の腹部を穿っていた。
突然の出来事に何が起きたのかも判らないまま血を吐き片膝を着く夏流。槍を引き抜こうと腹部に触れた時、その異常事態は起こった。
確かに刺さっていた槍が綺麗さっぱり消え去っていたのである。傷も残されていない。困惑する夏流の背後。既に詠唱を終えたアイオーンが両手を翳し、蓄積された魔力を一気に放出する。
「天地を焦がせ龍の息吹」
放たれたのは巨大な熱線だった。フィールドを焼き焦がしながら直進するその光線を両手で受け止める夏流。障壁を簡単に貫通して突っ込んでくる光の束を歯を食いしばり上方に弾き飛ばす。龍の息吹と同等の火力を持つ焔はフィールドを覆う絶対的な硬度を誇る結界を撃ちぬき、観客席の手前にある二重目の結界に衝突し、ようやく消滅した。
崩れ去った硝子の破片のように降り注ぐ結界の残骸。光の粒の中、激しく焼け付く痛みに片目を瞑る夏流の正面、アイオーンは笑いながら既に次の詠唱を終えていた。
再び放たれたダメ押しの一発。熱線は回避を試みる夏流を追いフィールド中を焦がして行く。結界を貫通し飛んで来る閃光に観客席から悲鳴が上がり、それに気を取られた夏流の正面に槍が飛ぶ。
左足を貫いた槍の痛みに体勢を崩す。結界を蹴り空中からアイオーンに迫る夏流に、彼女は微笑み一つと指先の動きだけで結界を展開する。炎の壁が夏流の蹴りを防ぎ、直後夏流の背後から槍が三本胸に突き刺さり、振り返った夏流の顔面をアイオーンの長い足が蹴り飛ばしていた。
何が起きているのかもわからない。アイオーンは確かに一つだけしか槍を持っていなかったはずなのに、身体には三本の槍が突き刺さっている。しかし直後槍は消え去り、ただ痛みだけが体内に残り夏流の身体を蝕んで行く。
ゲルトの言葉を思い返していた。『一度目は何をされたかわからない』――。文字通りわからないまま困惑する夏流の正面、アイオーンの放つ炎が迫る。
神威双対でそれを切り裂き、背後から槍が突き刺さるのを意にも介さず正面に突き進む。雄叫びを上げながらアイオーンに手を伸ばすが、その姿は再び炎の揺らめきに消えてしまう。
「不毛な追いかけっこだとは思わないかい? 夏流」
背後に感じるアイオーンの気配。けらけらと笑いながら夏流の背中に指先が触れた瞬間、爆発がその身体を吹き飛ばす。背中の服も肉も焼け焦げてフィールドの上に無残に倒れこむ夏流の姿に観客は息を呑む。
アイオーンは武器を使って戦う戦士というよりは術式を使用して高火力で相手を制圧する魔術師タイプである。しかしその欠点であるはずの詠唱時間が呼吸をするが如く簡易に行われ、一撃で城壁さえ砕くような上級魔法を片手で連射する――。近づく事も出来ない呪文の弾幕に加え、本人の持つ格闘能力が合わさり、どの間合いからでも隙の無い戦闘が可能だった。
何よりも今アイオーンは彼女が最も得意である炎以外の術式を使用してはいなかった。まだ手はいくつも残されている。夏流はたった一つの彼女の手段さえ打ち破れぬまま、気絶しそうな意識でよろめきながら立ち上がっていた。
「まだ立てるんだね夏流。普通ならもう死んでいるよ? 自分の魔力総量に感謝するんだね、ふふふ」
「……アイ、オーン……」
よろめく夏流へ歩み寄り、その首を片手で掴んで吊り上げる。相手を踏みにじるという快感に酔いしれながらアイオーンは紅い舌を覗かせ口を開く。
「君は弱いね、夏流。そんな力じゃ何も守れはしないよ? 大切な人も、大切な過去も、自分の想いさえもね」
「ちか、ら……だと……」
「そう、力さ。君はこの世界について何を知っている? この世界の何を見てきた? 君は何も知らないままただ力だけを与えられた。でもそれは君自身の力ではないじゃないか。そうだろう? 君はただ膨大な、固形化されずに君の周りをフワフワ漂っているその無駄な魔力で今まで生き残ってきたに他ならない。君は弱いんだよ、夏流」
「…………そう、だ。俺は……俺は、弱い」
歯を食いしばりながらアイオーンの手首を掴み上げる。手甲の内側、焼け焦げた手の痛みに耐えながらその腕をぎりぎりと締め付ける。
「俺が、弱いから……何も守れない。何も救えない……だから、強く……力を手に入れるんだ……!」
信じられない程の怪力がアイオーンの手首を締め付ける。それはあっさりと骨を砕き、血飛沫が飛び散った。夏流は半ば意識の途切れた状態でアイオーンの拘束を離れると、倒れそうになる足でゆっくりと前進する。
アイオーンは驚きながら後退する。腕を庇いながら背後に移動しようとしたが、しかしそれよりも夏流の腕が伸びる方が早かった。夏流の拳はアイオーンの障壁を貫通し、その顔面を殴り飛ばした。
空中を旋回するアイオーンの顔から割れた眼鏡が吹き飛び、燃えるような真紅の長い髪が揺れた。崩れかけた結界の壁に激突し、アイオーンは口から血を伝わせながら嬉しそうに笑う。
「……手を抜いていたのかい? どんどん調子が出てきたじゃないか。そうだね、これからだ。こんな簡単に終わってしまうのでは――面白くないよね?」
自らの砕けた腕に手を当てる。一瞬で血飛沫を巻き上げながら健康な状態へと復帰した腕に纏う血を舐めながらアイオーンは眼鏡の向こう側に光っていた狂気的に渦巻く瞳で夏流を捉える。
夏流は自分が呼吸をしているのか血を吐いているのかその区別も付かなかった。二つの行動は既に一致するほどに近づいていて、酸素を取り込もうにも炎の術式で燃え上がったフィールドの中では酸素さえも見る見る減っていく。
龍の息吹を受け、両手の皮膚は完全に剥がれ落ちていた。武器が耐え切れても身体が持たない――。完全にあの魔法を遮断するには夏流はまだ力不足だった。両手の手甲の装甲の合間から伝い落ちる血を握り締め、口の中の血を吐き出して顔を上げる。
「アイオーン……教えてくれ。俺に弱さと強さを――! うんざりする程知りたいんだよ! 自分が弱いって事を――間違っているって事をっ!!」
「ハ――ッ!! ハハハハハハハハハハッ!!」
アイオーンの身体が燃え上がる。天を焦がすほどの熱量を帯びた焔の魔力が解き放たれ、会場全体を熱気が包み込んで行く。夏流もまた瞳を閉じ、雄叫びと共に体内に秘めた魔力を全て搾り出す。
「アイォオオオオオオンッ!!」
激しく迸る電撃がフィールドを伝い結界を感電させる。両手に凝縮された雷を握り締め、夏流は駆け出した。
アイオーンは槍を翳し、投擲の構えを取る。そこに流し込まれた炎の魔力が渦巻きながら巨大な熱の刃を作り出した。
「眼を貫け灼熱の魔槍――!!」
投擲された瞬間物質にまで具現化された魔力が音の壁を打ち破る轟音が鳴り響いた。秒単位では読みきれぬ速さで近づく槍は一瞬で五つに分裂し、五つの切っ先は回転しながら四方八方から夏流に迫る。
灼熱の魔槍――。槍そのものを触媒として放たれる超高位魔法。魔力障壁を貫通する効果を持つ高位の槍型魔法の中でも図抜けた破壊力を持つその槍に、夏流は己の拳に全ての魔力を込めて迎え撃つ。
「神討つ……! 一枝の魔剣ッ!!」
閃光が迸る。一本の魔槍を貫通し、破壊する金色の魔剣。それは無数に枝分かれし全ての槍を打ち落としながらアイオーンへと迫る。
その閃光がアイオーンの左腕を打ち抜き、完全に両断された腕が空中で蒸発する。それと同時に完全に落とし損ねた魔槍が夏流の肩に叩き込まれ、深々と突き刺さった刃は腕を切断すれすれの宙ぶらり状態にして消滅した。
完全に言う事を聞かなくなった片腕。アイオーンは片手で術式を汲み上げ、魔方陣が浮かび上がる。夏流は倒れそうな意識の中、ゆっくりと瞳を閉じた。
「なつるさああああああんっ!!」
その時だった。顔を上げた、アイオーンの背後のとある席。そこで叫び声を上げ、夏流を見つめるリリアの姿があった。
隣ではウェイター姿のアクセルが手を振っている。その暢気な姿に思わず笑みが零れ落ちる。そうして顔を挙げ、瞳を開き、炎を灯したその眼差しで駆け出した。
アイオーンが三度目のアグニッシュブレスを放つ。今までで最大の熱量を出力を込めて放たれた一撃必殺の閃光を前に、夏流は両腕を覆う鎖を外し、それを龍の息吹に叩き付けた。
聖剣と同等の効果を持つ鎖――。その高い能力に気づいたのは先程ブリューナクの直撃を受けた時だった。腕をざっくり両断してもおかしくないはずの攻撃を防いでいたのは、細いただぶら下がっていただけのこの鎖だったのだから。
あらゆる魔術的効果を打ち消し叩き潰す絶対的退魔能力――。片鱗しか持たないとしてもそれは夏流の身を守るのには充分過ぎるほどの力を持っていた。
いつだったかリリアは言っていた。この鎖は自分と夏流を繋ぐ絆のようだと。そんな照れくさい言葉を思い出しながら、夏流は腕に巻きついた鎖ごと拳をアグニッシュブレスに叩き込む。
「おおおおおおおおおおおッ!!」
鎖が赤熱する。焔の光を切り裂いて、少年は駆け出した。全てを引き裂きながら突き進む右腕の装甲が焼けて砕けても、真っ直ぐに突き進む足取りに迷いはない。
痛めつけられても傷ついてもいい。それでも必死に戦う事にはきっと意味があるはずだと信じている。己の行いが間違いでもそれは構わない。やはり自分が正しいと想うことしか、人間は出来ない不器用な生き物だから。
神威双対の装甲が砕ける音がした。アイオーンの上級魔法を何度も受けて耐えられるほど、今の夏流は頑丈ではなかった。それでも鎖だけは絶対に砕けず夏流の手を守るように淡く輝き、龍の息吹を超えてアイオーンの前に彼を立たせる。
二人は至近距離で見詰め合っていた。というのも、アイオーンは既に次の術式を構成し終えていたし、同時に夏流もアイオーンの首に手をかけていたからである。
相打ち――そう呼んだとしても差し支えの無い状況だった。しかしアイオーンは術式を停止する。焦げた夏流の腕はもうそれ以上動かず、悔しげな表情と共にアイオーンの腕の中に少年は倒れこんだからだ。
会場がざわめく中、アイオーンはまるで愛しい者を愛でるかのように夏流の身体を抱きしめる。結局少年の指先がアイオーンに届く事は無かった。しかしそれは、確かに無意味な戦いというわけでも無かったのだ――。
戦いが終わり、夏流とアイオーンは直ぐに学園の医務室へ運び込まれた。両断された腕を自ら接続し、アイオーンは腕を動かしながらベッドの上で寝転がっていた。
「全く……またあんたかい、アイオーン。そうやって一々戦う度に手足切り落として来るんじゃないよ」
「ふふふ。仕方ないじゃないか、先生。相手が強かったんだからね」
白衣を着た年老いた女性が煙草の煙を眺めながら溜息を漏らした。アイオーンはたまに戦えばここに出入りする事になる、所謂常習犯だった。
腕程度ならば切れてしまっても再生できる。それだけの術式をアイオーンは所持していた。故に基本的には手足が落とされても自らで修復し、ここへは一応検査の為に顔を出す事になっている。
アイオーンが寝転がるベッドの隣、夏流は気絶したまま焼け焦げた全身に包帯を巻きながら眠っていた。学園が抱える有能な医術師である保険医、デネヴの術式により一応腕はくっつき死は免れた物の、アイオーンの応急処置が無ければ危険なところだった。
戦闘で魔力を大量に消費し、さらに莫大な消費量を誇る蘇生魔法を連続で発動したアイオーンは既に自分の傷を全て癒せるほどの魔力は残していなかった。局所的とは言え一度は死んだ腕を再生させたのであるからして、それは当然とも言えるのだが。
「しかし、試合凄かったねえ……。まさかこのぼうや、ドラゴンブレスと同等の威力の呪文を三発受けて生きているとはたまげたもんだよ」
「ブリューナクも弾いてたしね……ふふっ、素敵な男の子だよ」
「あんたの趣味にとやかく言うつもりはないけどね、アイオーン。好きな男にちょっかい出すっていうにも限度ってもんがあるだろうに。普通恋心を抱いたとしても、龍殺しの術式なんて相手にかまさないだろう?」
「それはボクの恋のルールだからね。先生には関係のないことさ」
「そうかい……ま、何でもいいけどね。あんたも無理な生き方して死ぬんじゃないよ。もう長い付き合いなんだ、これ以上昔の知り合いが死んでいくのは見たくないのさ」
カーテンの合間から差し込む光と風に微笑を浮かべるアイオーン。その横顔を眺め、溜息と共にデネヴは医務室を後にした。誰も居なくなった部屋の中、アイオーンは立ち上がって夏流のベッドを覗き込む。
その包帯まみれの指先が夏流の頬を撫で、アイオーンは優しい笑顔を浮かべた。それは普段の彼女からは想像も付かないほど暖かな慈愛に満ちている。
ベッドに腰掛け、アイオーンは窓の向こうを眺めた。夏流は何の反応もせずただ眠り続けている。そのあどけない寝顔の唇に人差し指を這わせ、囁いた。
「君になら、任せてもいいのかもしれないね。ただ君は少々危なっかし過ぎる。暫くは、誰かが面倒を見て上げなければならないのかもね……」
アイオーンは立ち上がりコートを羽織って歩き出す。医務室の扉に手をかけるよりも早く扉が開き、リリアとアクセルとゲルトとベルヴェールとブレイド、一気に五人が医務室に飛び込んできた。
「アイオーンさん!? も、もう歩けるんですか!?」
「やあ、へこたれ勇者君。ボクは生憎普通じゃなくてね――。それより彼の心配をしたほうがいいんじゃないのかい?」
「はうう!? そ、そうでした! 師匠! 師匠しっかりしてくださーいっ!!」
夏流に駆け寄っていく仲間たちの中、アクセルだけがアイオーンの前に立ち止まり腕を組んでニヤニヤと笑っていた。アイオーンが首を傾げると、アクセルはその肩を叩いて振り返る。
「お前でも、手加減してやったりリリアの声が届くように間をおいてやったりなんて、気を使うような事が出来るんだな」
「…………やれやれ、君という人は意外と抜け目無いね」
「はははっ! まあ、感謝してるぜ。これであの二人もこう……少しは上手くいくだろう」
「そうかい? ボクはただ、彼と約束して戦っただけなのだけれども」
腕を組み微笑みながら視線を伏せるアイオーン。アクセルは何も言わずに息を付き、リリアとブレイドに揺さぶられまくってガクガクしている夏流の下に歩いて行った。
「勇者とその仲間たち、か……」
医務室の扉が閉まり、アイオーンは一人で薄暗い通路を歩く。
暖かな日差しが差し込む中庭を眺め、一人静かにその場から立ち去って行った。
〜ディアノイア劇場〜
*冬に更新するのは本当につらい……編*
夏流「寒い……」
リリア「寒いですね……」
アクセル「寒いなあ……」
〜設定資料集その5〜
*追加キャラクター設定集*
『アイオーン・ケイオス』
学園最強の生徒にして謎多き自称二十一歳。
死術使いという二つ名と同時に限界突破者の能力も持ち合わせた天才的な魔術師。
圧倒的な強さと戦う相手に対する無慈悲の様相からアイオーンと戦いたがるのは本当に最強を目指しているゲルトとブレイドくらいのものである。
燃えるような神と金色の眼鏡、黒い服装が特徴。服は主に男物なので一見すると背丈が高い事も手伝って男のように見える事もある。
本人が先天的に持つ得意属性は炎で、主に炎の術式を好んで使用する。手にしている武器である槍は魔法媒介としての役割が強く、大地に魔方陣を描いたり術式の媒介=杖のような役割を担う事が多い。物理的攻撃手段としては中の下程度の性能しか持たない。
非常に自由人で授業に出るも出ないも気分次第。気配を消すのが得意で他人の後をつけて驚かせるのが趣味。眼鏡は伊達だが大量に同じものをストックしてある。
教師陣からも一目おかれる彼女の過去に何があったのかは不明であり、夏流に対しどんな想いを抱いているのかも不明である。
『ベルヴェール・コンコルディア』
ちょっと頭の悪いお嬢様。十六歳。
財力に物を言わせ、貴重な魔弾(魔術的な効果を持つ鉱石を使用した矢)を使用する後方支援の弓兵。
学園の中では強いほうだが、実際は戦闘能力よりもサポートスキルの方が豊富で得意分野である。所持する属性は水だが、ある程度他の属性魔法も使いこなす。
コンコルディア財閥といわれる魔王大戦時より存在する貴族の一人娘で、かなり自己中心的な考え方をしているが、本人に悪気はなく当たり前だと思っている。
基本的に頭が悪く、物覚えもかなり悪い。よって他人を呼ぶときは大抵『アンタ』で済ませて誤魔化そうとする傾向にある。
実力や容姿は申し分ないのだが、いかんせん頭が悪いので他の生徒からの人気は微妙である。が、逆に頭が悪く自信家なのであらゆる状況で動じずに行動出来る。
コンコルディア当主は当然聖騎士団並びに勇者のパーティーを支持せねばならない宿命にあり、現在の当主でもある彼女の父親はフェイトとも知り合いだった。
『ブレイド・ブレッド』
明るく元気な夢見る少年、十三歳。
戦闘方法は戦士に近いが、本人はシーフ希望。盗賊であった父親の影響で、世界中の宝物を探し回るトレジャーハンターに憧れている。
明るく元気でヘコまない。少々間抜けというか天然な部分があるものの、広い世界を知りたくて腕を磨く少年である。
かなりすばしっこく、動きが早いのは軽装のお陰もあるが、彼が先天的に持つ小柄さや身軽さのお陰。同時にリリアやゲルト同様、父親から伝説の武具を受け継いでいる。
彼の父は元々ただの盗賊だったが、フェイトに叩きのめされ強引に勇者のパーティーに参入させられ、魔王の城で命を落とした。
同じく勇者のパーティーに関わりのあったベルヴェールやゲルトとは通じる物もあるのか、ゲルトやベルヴェールが珍しく気を許す相手でもある。
基本的に他人に警戒心や心の壁などを作らない純粋な気持ちで向き合う為、友人や面倒を見てくれる人は多いようだ。