解けない鎖の日(1)
ゲルトをつれてやってきたのは俺に貸し与えられた寮の部屋だった。家具さえ一切存在しない殺風景な部屋を見渡し、少し緊張した様子でゲルトは部屋の真ん中に突っ立っていた。
ベッドの上に腰掛け、枕元に在った水差しから直接水を飲み干し、溜息を漏らした。大事な話が、しかも二人きりでどうしてもというのでどちらかの部屋という話になったのだが、俺を部屋に上げたくないというゲルトに仕方が無く自室へ移動したわけである。
「それで? とりあえず、座ったらどうだ」
「どこにですか?」
「どこって、この部屋はベッドと棚しかねえんだから、ベッドしかないだろう。普通に隣に座れよ」
「は、はい。では失礼します」
隣にちょこんと腰掛け、重たいフレグランスをベッドに立てかけるゲルト。緊張した、そして同時に辛そうな横顔に何とも言えない気持ちになる。
正直誰かに話を聞いてもらいたいのは俺の方で、誰かの問題を抱えてやれるほど余裕はない。うんざりした気持ちで押し黙っていると、ゲルトは意を決して顔を上げた。
「単刀直入にお尋ねします……。貴方……何者ですか?」
ゲルトの視線は疑り深い。よりによってまともに頭が動かない時にその質問か。それがどういう意味なのかは、もう誤魔化しきれないだろう。
思えば今までゲルトが質問してこなかった事の方が不思議……いや、こいつはずっとメイドになっていたから俺とあう事も無かったし、会ったら会ったでリリアが邪魔をしたりして結局真面目な話をする場面はなかった。
リリアの暴走とそれを封じた俺。その時の戦いは恐らくゲルトの目から見ても異常だったのだろう。今となっては両手にごつい武器を装備しているし、格段に俺は強くなり続けている。自分自身でもそう感じるくらいなのだから、ゲルトに言わせれば異常この上ないだろう。
それに俺とリリアの関係も疑問に思わないわけがない。リリアがゲルトを意識し続けていたように、彼女もその逆なのだとしたら突然現れた俺という存在の違和感は誰よりも強いはずだ。
「俺がどこの何者なのか、そんなに気になるか……?」
「はい。リリアに関わる事ですから」
ゲルトの予想外な言葉に俺は思わず顔を上げた。ゲルトは真っ直ぐに俺を見つめ、不安げに唇を噛み締めている。
「貴方はリリアに近い人物です。つまりそれは、彼女に深く関わる事を意味している……。貴方の行動で彼女が苦しんでいる事を、貴方は自覚しているんですか?」
「…………ゲルト」
「何ですか?」
「お前、いい子なんだな」
「なっ!?」
思わず素直にそんな言葉が口に出てしまった。顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせているその表情に思わず苦笑が零れ落ちる。
何だかんだいいつつ、結局ゲルトはリリアの事が大事なんだ。リリアがゲルトを一番尊敬しているように、ゲルトもリリアを信じ、愛している。だからこそ二人はその友愛が擦れ違い、あそこまでいがみ合う事になったのだから。
蟠りというよりは誤解だろうか。それが解れた今、ゲルトはリリアを思う気持ちを確かに取り戻していた。恥ずかしそうに視線を反らし、ゲルトは目を閉じる。
「からかわないで下さい……! それより、どうなんですか? あの子に何をしたんです? あの子があんなに貴方の事で悩む理由は何なんですか?」
「それは俺の方が聞きたいくらいだよ、ゲルト。生憎お前の望むような答えは与えてやれそうにない。今正にそれを考えていた所だからな」
「……貴方がこの街に現れてから、明らかにリリアは変わりました。貴方が現れなければわたしとリリアは今も過去の関係のままだったでしょう。だからその点では感謝しているのですが……」
「ですが?」
「その……リリアを傷付けないで下さい。彼女は決して弱い人間ではありません。ですがだからこそ、痛みを誰にも吐き出さず抱え込んだままにしてしまう。そういうのは、見ていられないんですよ」
「成る程……友達思いの優しい女の子ってわけだ、お前は」
目をぱちくりさせるゲルト。俺はベッドから立ち上がり、自らの腕でじゃらじゃらと音を鳴らす鎖を見つめる。静かに目を閉じ、それから棚から固形の保存食を取り出し一つを齧りながらもう一つを袋ごとゲルトに投げ渡した。
突然の事に慌てながらそれを手にするゲルト。俺は黙って保存食を齧る。正直それほど美味しくはないが、冷蔵庫もないこの世界では安くてそこそこ食える方だと思っている。
ゲルトは保存食など普段食べないのだろう。胡散臭そうにそれをじっと見つめ、しばらくすると掛け声と共にかじりついた。余りお味はお気に召さなかったらしく、しかめっ面でビスケットのような保存食を齧っていた。
「……貴方の出現で、リリアの周囲には仲間と呼べる人が出来ました。あの子はずっと一人だったから、それは嬉しいんですけど……その、リリアはもっと友人を選ぶべきだと思うんです! 貴方やメリーベルのような胡散臭い人ではなく、もっとこう、由緒正しい血筋の人をですね……」
「由緒正しいって何だそりゃ。お前はあいつの母親か何かかよ……。まともなやつならアクセルがいるじゃないか」
「アクセル・スキッドが一番胡散臭いです! 彼はその、何だかちょっとおかしいんですよ……。実力を隠しているっていうか、彼は底が知れないんです。信用出来ません」
ぶつぶつ文句を言いながら保存食を一気に食べつくしたゲルトは立ち上がり俺に詰め寄る。なんらか俺の答えを待っているのだろうが、そんなにじろじろ見られても答えなんて簡単には出せないだろうに。
「お前の言う通り、俺たちは確かに胡散臭いかもな。メリーベルや俺なんかは胡散臭さの極みだろう。だけどな、別にお前にそれを答えてやる義理もないんだぜ?」
「う……。そ、それは……そうなんですが……」
「第一、敵であるリリアの事なんか心配している場合か? お前、そんな事じゃそのうちリリアにあっさり追い抜かれるぞ。あいつ怒涛の速度で強くなるからな。リリアの事にかまけてりゃ、そりゃ腕も落ちるし……って、うおおおっ!?」
振り返るとゲルトは泣きそうな顔をしていた。俯きながら肩を震わせ、なにやら大層落ち込んでいるようだ。リリアがこうなっていても別に驚かないが、ゲルトがこうぷるぷるしてれば当然驚く。
慌てて周囲に何かこの状況を打開できそうな物がないか探す俺。しかしそんなもんあるわけない。ていうか理由がわからない。ゲルトは何でこんなに落ち込んでいるんだ? これじゃダブルへこたれ勇者様じゃねえか。
「ど、どうしたんだよ……? いきなり泣くな! 俺が泣かせたみたいでなんか心苦しいだろ!?」
「……確かに、貴方の言う通りです。わたし、弱くなってしまいました……」
「えっ?」
「……魔剣が、動かなくなったんです……。うんともすんとも言わなくて……わたし、どうしたらいいのか……っ」
涙を流してその場に崩れ落ちるゲルト。俺のイメージの中にあった、相手を威圧するような鋭い眼光を放つ射抜くような敵意を持つ少女はそこにはいなかった。
リリア同様、普通に涙して普通にへこたれる、もう一人のへこたれ勇者の姿が、そこにはあったのだった――。
⇒解けない鎖の日(1)
「少しは落ち着いたか?」
「はい……。すみません、みっともない所を見せてしまって……」
暫く泣きじゃくっていたゲルトは目を真っ赤にしながらぺこりと俺に頭を下げた。目の前で泣き出されたらそりゃ当然困るが、まあ理由が理由だけに仕方が無いとも思う。
ゲルト・シュヴァインの強さと美しさの象徴とも言えるのが魔剣フレグランス。彼女と常に共にある伝説の武具であり、勇者の証でもある。その魔剣はゲルトの力を引き出し、舞い散る花弁は相対する者を華麗に捻じ伏せる。
そんな凛々しいゲルト・シュヴァインの象徴であるフレグランスが魔力を発動しなくなったのは、今からもう一週間以上前の話らしい。リリアとの戦いが終わった直後から次第に力が弱り始め、ついには昨日完全にただの鉄の塊に成り下がってしまったというのだ。
フレグランスを床の上に置き、フローリングの上に座布団を敷いて……えらく現実的な部屋だ……二人して魔剣を覗き込む。
確かに触れても魔力の流れは全く感じられない。その時ふと、俺の脳裏に嫌な想像が過ぎった。俺は確か一度この剣を手にした事がある。
まさか、勇者以外の人間が手にして魔力を流し込むと動かなくなるとか、そういうオチじゃないよな……? 思わず冷や汗が流れる。一人で乾いた笑みを浮かべていると、ゲルトはじいっと俺の顔を覗き込んでいた。
「ま、魔力の流れは感じられないなあ」
「……ですよね。一体何がどうしてしまったのか、わたしには皆目検討がつかなくて……」
「ど、どうしてだろうなあ」
やばい。もしこれ俺のせいだったらどうなるんだ……? いや、そんなはずはない。原書にだってそんな事は書いてないんだし、あるはずがない。
ゲルトをその場に残し、原書を手に部屋の隅で中身を確認する。すると在ろう事か、そこには新しい展開が記されていた。
が、それをゆっくりと読み解く前にゲルトの気配を感じ本を閉じてしまった。うさぎの帽子に強引に突っ込み、慌ててもとの場所に戻った。
「どうかしたんですか?」
「いや、なんでもない! それより理由に本当に思い当たる事はないのか?」
「…………何も。あの事件の前と後で変わった事があるとすれば……」
「すれば……?」
「…………り、リリアちゃんの事が、頭から離れない事くらいで……」
顔を真っ赤にして、床で「の」の字を描きながらそんな事を呟くゲルト。俺は完全に冷めた視線で不自然な笑顔を浮かべていた。それに気づいたゲルトが鉄の塊を化した魔剣を振り被る。片手でそれを受け止め、危ないので没収することにした。
「ああっ!?」
「これはとりあえず預かっておくぞ。室内で振り回すものじゃないからなこれ」
「うぐぐ……。まあ、いいでしょう……。とにかく、理由が思いつかないんです」
「……んー、スランプか」
「自分で思いつく事は一通りやってみたんです。丸一日素振りしてみたり、丸一日瞑想してみたり、丸一日逆に剣に触れないようにしてみたり……」
「それでも直らない、と」
こくりと頷くゲルト。いつになくしおらしく落ち込んでいるその姿に俺も理由を考えてみたが、俺の所為であるという最悪の可能性が頭の中でデカすぎて一向に思考はまとまる気配を見せない。
「魔剣が無くなったら、闘技場の勝率がかなり落ちてしまいました……。このままじゃ、リリアちゃんにも会わせる顔がありません」
どうやら本気で悩んでいるらしく、落ち込んだ様子で溜息を漏らしている。こんな自分の事でいっぱいいっぱいの状態の癖にリリアを気にしているとは、自分で言っておいてなんだが本当に他人に構いすぎだろう。
それだけリリアの事が大事だということなのだろう。ずっと大嫌い大嫌いと自分に言い聞かせリリアと言葉を交わす事も無かっただけに、反動も大きかったようだ。
何はともあれ完全に魔剣が息を潜めたというのならば、その力無しにリリアを下す事は難しいだろう。そして勇者の象徴であり権利者の証でもある魔剣を失うことにより、ゲルトは自らの存在意義さえ否定されるのだ。
恐らく俺が思うよりずっと追い詰められた気持ちのまま、ここにやってきたのだろう。そう考えると本当に先が思いやられる勇者様だ。
「お前なあ……そんな時にまでリリアや俺がどうこうって言ってる場合じゃないだろ?」
「……返す言葉もありません。わたし、このままだと勇者失格です」
「というか、魔剣がないんじゃ闘技場でもやられっぱなしだろ?」
「いえ、それはまあ、本当に強い相手でなければ魔法だけで何とか……。勝率は五割程度ですが」
それでも五割の相手は蹴散らせるということか。恐ろしいやつだ。
まあ、それも当然かもしれない。ゲルトとリリア、どちらが強いのかといえば間違いなくゲルトなのだ。ゲルトは感情的に不安定な部分があり、力をいざきっちり発揮出来ない事もあるが、総合的な能力で言えばリリアなど圧倒している。
だがそれも魔剣込みでの話。リリアは魔法を切り裂き消滅させる退魔の術式を刻む聖剣を振り回すのだ。魔法だけでリリアを超える事はまず不可能だろう。相性が悪いにも程がある。
問題はそれだけではない。仮に俺が原因に関わっているとなると、かなり厄介だ。俺は思い切りゲルトの今後の人生を左右する間違いを犯してしまったわけで……。
「わかったよ……。ゲルト、俺と戦おう」
「はっ? 何故そうなるんですか?」
「だから、一人じゃ判らない事も誰かと一緒ならわかるかもしれないだろ? 兎に角剣を振ってみよう。お前が全力で剣を振って、うっかり死なない相手を考えると、一先ず俺しか思いつかない」
「それは……わたしに協力してくれる、ということですか……?」
ゲルトは孤高の少女だ。どうせ他に手を貸してくれる仲間なんていないのだろうし、早めに問題が解決してくれないと俺も寝覚めが悪い。
それに何より――原書に新たに予言された出来事を回避する為には、恐らくこれが一番手っ取り早いと思うから。
一先ず夜の街に引き返し、公園で相対する。夜も深まってきた所為か人気は殆ど無い。ゲルトは噴水を背にフレグランスを構えるのだが、その様子には以前見た時のような鋭さはなかった。
魔剣が放つ圧力が見る者をひきつけて離さない、華麗な姿。初めてその姿を闘技場で見た時の衝撃はもう微塵も感じられない。本人もそれを判っているのか、構えからさえ迷いが感じ取れた。
「……行きます」
構えからゲルトが駆け出す。振り下ろす刃は俺の手甲を打ち、火花を散らす。しかしそれは別に何の圧力もなく、俺は片手を軽く振って魔剣を弾いた。」
ゲルトの手から魔剣が離れ空中をくるくると踊る。レンガ敷きの大地の上に一度跳ね、魔剣は静かに転がった。たった一瞬で判ってしまうほど、ゲルトの力は衰えていた。
震える手で自分の手を見つめ、今にも泣き出しそうに額を抑えるゲルト。俺はその横顔を眺めながら、何となく昔の事を思い出していた。
リリアとゲルト、二人の勇者。勇者になれるのはどちらか一人だけ。アイオーンは言っていた。リリアが駄目ならゲルトで成せばいいと。
ゲルト・シュヴァインというもう一つの存在が勇者になる事は俺がいる限り邪魔され続ける事実。だがそれは正しいのだろうか。勇者には、なりたがっている奴がなるべきで、俺がリリアを勇者にしようとする事は、彼女にとって苦痛以外の何者でもないのかも知れない。
指先を離し、去っていくリリアの背中を今でも鮮明に思いだせる。救おうとしても、守ろうとしても、俺が傍にいるから傷付ける……。結局そこに自分が居ないほうがいいのではないかと本気で思う瞬間がある。
「結局俺は、いるだけで何かを邪魔してる……」
腕を組んで小さな声で呟いた。ゲルトは剣を拾って戻ってくる。その俯いた表情は窺い知る事は出来なかったが、悔しさや絶望、様々な気持ちが渦巻いていることだろう。
「これで判ったでしょう。わたしはもう、魔剣の力を使えなくなってしまった……わたしが、勇者に相応しくないから……?」
ゲルトが驚きで言葉を止める。俺はその手を取り、強引にゲルトを引き寄せていた。至近距離でその瞳を覗き込み、不安や驚きで揺れる眼差しに多分何かを感じ取ったのだろう。
フレグランスを取り上げ、身体を離した。勇者、勇者、勇者……か。どうしてそんなものに拘るんだか。俺もお前も……リリアも。
「か、返してくださいっ!」
「魔剣に拘り過ぎだ。こんなもん、言ってしまえばただの剣だろうが」
「……ッ! お父様の遺品を侮辱するつもりですか!?」
「それだよ、それ。お前はいつになったら『お父様の剣』を自分の剣に出来るんだ?」
フレグランスを突きつける。勿論俺には魔力を通して術式を発動することなんて出来ない。しかしこの魔剣はまだ持ち主を失ったまま、宙ぶらりに存在する所有者の無い剣だ。俺が手にしようがゲルトが手にしようが、そのくすんだままの美しさには差なんて存在しない。
「リリアもそうだ。『親父の剣』だからって封印したり、『親父の術』だからって覚えるのを渋ったり……お前らはいつまで経っても『他人の剣』のままじゃねえか。魔剣だって言う事聞きたくなくなるだろう、そんな頼りない主じゃ」
「……っ、まるで、剣が意思を持っているかのように言うんですね、貴方は」
「そういうわけじゃないさ。ただ魔剣はただ魔剣、ただの剣なのは変わらない事実だ。どうにかしちまったのは――お前の方なんじゃないのか? ゲルト」
構えにも破棄は無く、こうして相対していても心は別の所にあるかのように感じる。まさに心ここにあらずのゲルトが、魔剣を発動出来ないのは仕方が無いことのようにも思える。
そもそも魔力は命の力、術式は意思の力だ。どちらかが弱まっていれば発動は困難になる。術式が発動できず魔剣が使いこなせなくなったというのであれば、それはゲルト本人の問題なのかも知れない。
「わたしは……わたしは、平静です! どこも変わってなんていない!」
「どこが平静なんだか知らないが、お前もしかして……リリアを刺した事、気にしてんのか?」
ゲルトの瞳が見開かれる。自分でも恐らく意識を反らしていた事実を俺に突きつけられ、ゲルトは悔しげに歯を食いしばって視線を反らした。
やっぱりそうだ。ゲルトはリリアを殺すつもりで戦ったわけではなかったはず。手段を選ばず暴走しても、人の命は奪わない……一種の彼女のプライドのようなものだろう。事実メリーベルはちょっと叩かれて気を失っていただけだった。
だが、リリアとの死闘で彼女は加減をし損ねた。いや、恐らくはリリアの技は全力で当たらねば相殺されると踏み、最大火力で突っ込んだのだろう。結果力不足のリリアの魔力を貫通し、刃を止める間もなかった。
つまり無慈悲に剣がリリアを貫いた時この子は思ったはずなのだ。『どうしてこんなことになった』と。『そんなつもりじゃなかった』と。
「お前それを、魔剣のせいだと思ったろ」
正確には自分の境遇、自分がリリアを憎まずにはいられなかった理由を恨んだはずだ。
父親が残した剣。憎しみを一心に受け、自分を勇者の宿命に縛り付ける鎖でもあった剣。その友を貫いた剣を見て、全てをそのせいにしようとした。容易に想像出来るその状態に思わず溜息が漏れる。
何せ、あの瞬間俺でさえリリアは死んだと思ったのだ。大剣でリリアを貫いた張本人は間違いなく殺してしまったと確信し、その恐怖に震えたことだろう。結局あの瞬間こいつは一瞬勇者になる目的を見失ってしまった。魔剣が使えないほどに動揺している理由はそんなところではないだろうか。
「リリアが眠っている間はまだよかった。だが目を覚まし退院すると心に余裕が出来て、『何故あんな間違いを犯した』のかと考え始める。日を追うごとに集中力は失われ、気づけばそのことで頭が一杯になった。魔剣を操るという意思を自分のどこかで拒絶して――」
「――――判ったような事を言わないでくださいっ!!」
「判るさ」
「何が判るっていうんですか!? 何がっ!?」
「後悔しすぎて自分が何も出来なくなった経験なら、お前より俺の方が豊富だからな」
会話が途切れた。俺たちは互いに視線を反らしたまま、重苦しい空気のままで時間が過ぎて行く。やがてゲルトは俺の手から魔剣を取り返す事を諦め、額に手を当てた。
「……貴方、本当に何者なんですか」
「自称救世主――何て言ったら笑うか?」
「笑えませんよ……」
落ち着いた様子で溜息を漏らすゲルトに魔剣を返す。この様子なら少しは落ち着いて話が出来そうだ。
俺も少しだけ熱くなりすぎたかもしれない。反省しながら二人でベンチに腰掛け、いつかリリアとそうしたように二人で噴水を眺めた。
「…………わたしは、魔剣を憎んでいたのかもしれません。わたしの十五年の人生は、このたった一振りの剣に全て注がれてきたと言っても過言ではないですから」
フレグランスをじっと見つめ、ゲルトは優しげに微笑んだ。相変わらず力を取り戻す様子は無い魔剣だったが、ゲルトの気持ちは少し余裕が出来たように見えた。
「大好きなリリアを憎み続けるのも、虚勢を張って強く在り続けるのも、本当は苦痛だったのかも知れませんね。いえ、単純にそんな自分に疲れていたのかも知れません」
「だから早く終わらせたくて、強攻策に出たと」
「……貴方はつくづく嫌な人ですね。ですが恐らく正解に限りなく近い問いかけですね、それは」
「リリアは気にしてないんだ、お前も気にする必要はないだろう。そもそも本気でリリアを迎え撃たなければ、今度は昔のあいつみたいに相手を苛立たせる事になるんだぞ」
「う……。それは、そうですが……そう簡単には割り切れません。わたしのした事は、最低の行いですから」
頑固というか、一途というか……。兎に角ゲルトは真面目すぎて一度何かを思うとしばらくそれから抜け出せず、ドツボにハマってグルグルと同じ所を回り続けるらしい。
そのせいでリリアを憎むに至ったり、自虐的なまでに力を求めたり、そんな暴走行為に走ってしまうのだ。誰でもいいからちゃんとこいつを見ていてやる大人がいれば、こんなことにはならなかったろうに。
ゲルトの肩を叩き、何も言わずに息を付いた。ゲルトは顔をあげ、ただ俺を見つめている。
「わかった。お前もう、リリアとちゃんと話して来い」
「へっ!? む、無理です!! わたし、あんな事しちゃったのに……もうリリアには許してもらえない……」
「そうだな。そういえばあいつ、お前がうっかり大剣ぶっ刺したの気にしてたっけ。そのうち借りは返すって言ってたぞ、ははは――はあっ!? だから、泣くなっ!! どうしてそこですぐへこたれるんだ!?」
「だって……! だって……っ! うわあああああんっ!!」
駄目だ冗談が全く通じない……。見た目は凄くクールなのに、中身はリリアと同等のへこたれ勇者なのかもしれない……。
「リリアに嫌われたら、もう生きていけないよ〜っ!!」
「それが本音か……」
「…………笑いたければ笑えばいいじゃないですか。もういいですよ、貴方を殺してわたしも死にますから」
「意味がわからないからなっ!? 兎に角、リリアに会って話をするのが一番早い! 俺も丁度いい加減このよく判らないわだかまりをなんとかしたかったところだ! せっかくだから一緒に解決しにいくぞっ!!」
「い、いいですっ! 遠慮します! やめて、離してーっ!! やだやだ! まだ心の準備が……いやあああああっ!!」
暴れ狂うゲルトを担いで強引にリリアの部屋を目指す。兎に角話をしないことには始まらないのは俺もゲルトも同じ事だ。こうなったらもう面倒だから全部纏めて片付けてやる。
ゲルトのアーマークロークの首根っ子を掴んだままずるずる引き摺って寮の中を進んで行く。ゲルトはまだ子供のようにじたばた暴れて俺を罵っている。人殺しとか物騒な単語もいくつか放たれたが、もう気にもしない。
容赦なくリリアの部屋の扉をノックした瞬間、ゲルトは立ち上がって普段通りの冷静な顔つきに戻った。そこまでしてリリアに情けない姿を見られたくないのか、ゲルトよ……。
「どちら様でしょうか?」
顔を出したのはクロロだった。俺とゲルトを認識すると扉を開き、一先ず玄関に入れてもらう。
「リリアいるか? ちょっと色々話があるんだが」
「返答します。リリアはまだ帰宅していません」
俺とゲルト、二人で顔を見合わせる。もう大分夜分遅くである。気の早い奴は寝てしまっていてもおかしくないこの時間に、リリアが戻っていない?
「リリアは最近、学園で放課後特訓をしているようです。学園の教師、ルーファウスなる人物に稽古をつけてもらっていると推測します」
「……ルーファウス先生? あの人魔術師じゃなかったのか?」
「ルーファウスは魔術だけではなくあらゆる武器にも通じています。ただ魔術が一番の得意分野であるだけで、他が出来ないわけではありません……が、何故ルーファウスがリリアに稽古を……?」
リリアの事になると頭が働くのか、ゲルトは凛々しい仕草で考え込んでいた。その綺麗な横顔を眺め、俺が呆れていると彼女は腰に手を当て、俺に視線を向ける。
「ルーファウスはわたしの父の弟子でした。昔はわたしも剣や術を習っていた師範でもありますから、妥当ではあります。わたしではなくリリア、というのが些か気に障りますが」
「…………いいんじゃねえの? イケメン教師に教わってる方があいつも上達早いだろうし」
「確かにリリアは今まで精力的に授業を受けていたわけではなさそうですから、上達するにはそのほうが……ナツル? どうかしましたか?」
「いや、別に」
冷静に考えればそのほうがリリアのためだ。俺みたいな胡散臭いやつよりも、せっかく学園という教育機関があるのだから、そこで学んだ方が手っ取り早い。
ますます自分の存在意義がわからなくなってきた。結局リリアは俺の手段が気に入らないから一人で強くなると、そういう意思表示のつもりなのだろうか。遠まわしな拒絶に苛立ちながら舌打ちする。
「……ゲルト」
「はい?」
「俺とパーティー、組め」
自分でも何故そんな事を言い出したのかはわからない。兎に角今、俺はリリアの事を考えたくない気分だった。
「俺がお前を勇者にしてやるよ……」
「……ど、どうしたんですか? 何を怒っているんですか?」
「怒ってないぜ? ハハハハ。ほらいくぞ、特訓だ!! リリアになんぞ遠慮せずまたぶっ刺すつもりでやりゃあ魔剣なんて使えるようになるわっ!!」
「ちょ、ナツル!? また首根っ子を……いやああああっ!?」
こうしてクロロに見送られ、俺たちは夜の街へ逆戻り。結局この日は魔剣の力を取り戻せないまま、朝まで試行錯誤を繰り返して帰宅したのであった。




