学園の日(3)
勇者なんて、嫌いだ。
勇者なんて、大嫌いだ。
勇者なんて、ならなければ良かったのに。
勇者って言葉が、パパを殺したんだ。
「…………っ」
眠りにつけば、何度でも繰り返し見る夢。
自分自身の幼き日の姿が呪いのように心と身体に染み付いては今の自分を責め立てる。
ゲルト・シュヴァインは寮の自室で目を覚ました。夜明けはまだ遠く、窓の向こうは夜の闇に包まれている。
暗闇の中で立ち上がり、グラスに水を汲んで飲み干した。寝巻きは汗で濡れ、気持ちの悪い感触に布地を指先で摘む。
「――忌々しい」
瞳をきつく瞑る。額に当てたグラスは苛立つ思考を冷たくやわらげてくれる気がした。
もう何年も見なくなったと思っていた。強く、ただ強くなる為に、その為に出来る全てを犠牲にしてきた。
人間らしい人生など勇者には必要ない。人々の墓標となる剣を背負い、延々と荒野を歩き続け朽ち果てるのが勇者の本質ならば、自分自身はそれに従うつもりもない。
ただ過去の記憶が、思い出が、あの日願った想いが、未だに脳裏にちらついては正常な思考を妨げるのだ。
「どうして……」
何故、今になってわたしの前に姿を現すのか――。
誰も助けてくれないこの世界の中で、何故今更。今更なのか。
リリアはきっと覚えていない。そう思い返す度、彼女に対する憎しみと苛立ちは精神を苛んで行く。
願いも夢も希望も忘れられて消えて行くのならば、全て忘れ去れて欲しい。せめて、優しかった記憶のままで。
遠い夜明けを待つ間、ゲルトはベッドの上に腰掛け、額に手を当て過去に想いを馳せていた。
⇒学園の日(3)
「必殺技、ですか?」
戦いに勝利する為に必要なものは何か。そんな雑談から始まり、結論的に導き出された答えが『必殺技』だった。
休日、学園が休みなので俺とアクセルはリリアの部屋を訪れていた。すっかりリリア御付の執事になってしまったクロロが片手でお茶を運んでくる。
ティーカップを受け取ると、中身は緑茶だった。何故緑茶……色々突っ込みどころはあるが慣れた飲み物だし普通に飲み干したが、アクセルはかなり戸惑っていた。
リリアは湯飲みでお茶を飲みながら目をぱちくりさせている。必殺技なんてそんな事を言われても、俺だってよく判らない。
「そうそう、必殺技。まあ基本的な能力の向上は必要だけどさ。『当たれば必ず殺す技』……一発逆転の切り札だろ? 一つくらいそういうのが無いと、やっぱ強くはなれないかな〜」
クッキーを齧りながらそんな事を言うアクセル。必殺技……急激に胡散臭い話になってきた。どうすれば今よりリリアが強くなれるのかという話をしていたはずなのだが、この流れで行くとリリアに必殺技を覚えさせるということなのだろうか。
「えと、例えばどういうのですか?」
「例えばそうだなー……。目からビームを出す、とか。リリアビィイイイイイッム!! みたいな」
「リリアビームですかっ!?」
それはないだろう。というか、リリアが目からビームを出したらそれはそれで面白そうだけど……。
「まあ冗談はさておき、必殺の魔法とか必殺の剣技、って所か。俺にだって必殺技の一つや二つ、あるぞ?」
「そ、それはどうやって編み出したんですか……?」
「……そこからか。自分の得意な魔術性質を理解していれば、結構普通に見つかるもんだぞ。えーと、紙とペン取ってくれ」
アクセルが紙に書いたのは何かの図だった。アクセル曰く、人には必ず一つ適正魔術属性、というものが存在するらしい。
魔術属性は幾つか存在し、それぞれに得手不得手がある。それは本人が放出する魔力解放時の光の色で大まかに判断出来るんだとか。
「俺は緑だったろ? ありゃ風属性。ゲルトは黒で闇属性……。ナツルは確か金色だったから、雷属性だな」
適正属性は生まれ持って決まるものであり、一生変わる事はない。これらは遺伝などによるものが普通で、魔術師の家系などでは全員が同じ属性の魔法を一子相伝で受け継いでいたりする。
アクセルが書いた円形の図にはそれぞれの属性の名前が記されていた。火、水、風、地、雷、光、闇……七つの属性が円を作る。その中心に遅れ、アクセルは虚という文字を書き記した。
「全部で属性は七つ。まあ、そんな苦労して覚えるようなもんじゃないから、自分の属性と何が相性がいいのかだけ覚えておけばいい。この表で自分の属性に隣接している物ほど適性が高く、円の反対側にある物ほど適性が低い。俺の風は隣接する『闇』『地』とはそこそこ相性がいいから技や魔法も習得し易いが、正反対の性質を持つ雷はまず会得できない」
「つまり、自分が持つ属性で既にある程度使いこなせる能力は変わってくるわけか」
俺が雷だとすると、相性がいいのは光と水……。逆にアクセルの風は難しいという事になる。が、これはあくまで分かりやすく表現するのならば、というものであり、基本的には己の属性が最も効力を発揮しやすいらしい。
リリアは流石にそれは聞いていたらしい。俺も授業で少し齧った事くらいはあるが、具体的に属性がどうこうとまで考える地点まで行ってないしな、俺。
「ちなみに属性は性格にも関わるってのは結構有名な噂話だぜ? リリアちゃんの光属性は、いい子ちゃんが多い。優しく親切だが正義感が強く、負けず嫌い」
「うぐっ」
「ナツルは雷だったか? 捻くれ者で他人と距離を置きがち。口が滑って人を傷つけやすい」
「…………」
「俺は風属性。気ままな性格で物事に囚われない。しかし、物事が長続きしない……色々あるけど結構思い当たるところあるだろ?」
こうしてアクセル先生の楽しい属性授業は続いた。しかし、これが必殺技とどう関係してくるというのだろうか。
「とりあえずリリアちゃん、魔力解放してみてよ」
「は、はい」
頷いたリリアがその場で魔力解放を行う。じわりと滲み出す白い光……リリアは光属性だとアクセルが言っていた気がする。しかしその光はすぐに消えてしまった。リリアはそれだけで精一杯だったのか、球のような汗を額に浮かべ、グッタリした様子で溜息を漏らしていた。
「も、もう無理です……はふぅ」
こうしてみると自分が以下にハデに解放していたのか良くわかるが、それにしたってリリアは体力が無さ過ぎるだろう。
「まあ、とりあえずはそれでいいけどさ。『必殺技』のポイントは二つ。『必ず当たる事』と『必ず倒せる事』だ」
魔法や技にはいくつもの特性がある。そうしたものは自分の属性や得意な動作によって往々にして個人で編み出していくものらしい。
勿論授業やらなにやらで学ぶ事もあるが、剣術も魔術も基本一子相伝。特にこの学園では親から受け継いだ能力特性や技術がそのまま反映されているタイプの生徒が多い。
そんな数々の魔法や技の中には強力なものも貧弱なものも存在する。当たりやすいかどうか、そこも問題だ。必殺技とは出せば必ず倒せる技――つまり条件は必ず当たって必ず倒せる技であるという事。それが最低ラインなのだ。
「例えばまず相手の動きを止める魔法を使った後に、相手を一発で倒せる火力の術を発動したりな。要は組み合わせだから、オリジナル必殺技を開発するのはそんな難しくないぜ」
問題点は様々ある。まず、魔力は『放出』すると消費するということ。魔法として外部に打ち出す事により、魔法総量は減っていく。一度尽きてしまった魔力は休むまで戻る事はないが、高威力の魔法を放つには膨大な魔力を消費する。
だから、外れてはいけないのだ。必殺の威力を放出するという事は即ち自らも満身創痍になる事に他ならない。放てば必ず当たって当然、外れたら自らが窮地に立たされる事になる。
「ナツルみたいに総量が鬼畜レベルにあるやつは一度の戦闘で何発も必殺級の一撃を放てるだろうな。だけどまあ、リリアちゃんや俺みたいに普通のやつは一発で当たらなきゃ困る。だから必殺技を考えるコツは倒しきれずともとりあえず当てる方法、かな」
「うぅう……。でも、リリアは回復魔法以外使えないんですよぅ?」
「ん……? いや、ちょっといいか? 気になる事があるんだが」
二人の会話に口を挟む。俺の考えが正しければ、『リリアが回復魔法しか使えない』なんて事はあるわけないんだが。
「魔法は一子相伝、技術は一子相伝なんだろ? お前の家にだって、聖騎士で勇者だった親父の前の代か何かのこう……技の書みたいなのがあるんじゃないのか?」
「へ? 魔術書……ですか?」
勿論リリアが回復魔法以外練習していないというのならば使えなくて当然だが、授業で習っている魔法を使うより最強だった親父の術を学んだほうがいい気がする。
しかし、リリアは乗り気ではなかった。人差し指を胸の前でつんつんと突き合わせながら、歯切れ悪い態度で黙り込む。
そういえばこいつ、親父の勇者の力を嫌ってるんだっけ。いや、でもそんなことを言っている場合じゃないだろう。というかなんか、こいつ魔術書の存在知ってるのにあえて隠してたんじゃねえか……?
「……おい、クロロ?」
「はい?」
「魔術書、どこ?」
「返答します。あちらの棚の右上に――」
「わにゃああああ!? どうして!? どうして言っちゃうのかなあっ!? クロロ君、どうしてそうなのかなあっ!?」
クロロを激しく揺さぶるリリアを放置して棚に向かう。そこには白い本が一冊、絵本やら教材に紛れて存在感をアピールしていた。手に取り席に戻り、アクセルと一緒に本を開いた。
「うおおおおっ!? すげえ!! 伝説の勇者、フェイト・ライトフィールドの使ってた技がこれかあっ!!」
アクセルはこっちの世界の人なので、やはりフェイトの名前は聞き及んでいるらしい。確かに伝説の英雄であるリリアの父フェイトが使っていた本……一子相伝、一族にのみ伝えられる魔術書を目の当たりにすれば興奮もするだろう。
しかしアクセルは何故か直ぐに本を閉じてしまった。そうしてリリアの前に本を置くと、ティーカップを一気に呷った。
「中は見たいけど、魔術書は基本的に一族以外には見せないのが普通だぞ? リリアちゃん、自分でそれを読み解かないと」
と、アクセルは意外と冷静だった。確かに伝説の勇者が残した本ともなると、見るのも忍びない気がする。
リリアは自らに課せられた勇者という運命の象徴でもある魔術書を手にし、複雑な表情を浮かべていた。まるで救いを求めるように上目遣いに俺を見ては、指先でぐりぐり魔術書を擦っていた。
「リリア」
「はい……」
「お前が本当にその魔術書を使いたくないのなら、俺は別にそれで構わないから」
ティーカップを口につけ、一息つく。リリアは不安そうな顔をしてじっと俺を見ている。
「お前がお前の方法で強くなりたいんなら、別の方法を一緒に考えよう。嫌な事を無理にやる必要はない。嫌な時は、嫌ってハッキリ言っていい」
「で、でも……確かにこれ以外に方法がない気も……」
「仕方がなくとかで物事を決めようとするな。お前はお前の気持ちに素直に従え。そうでなければ……いつかきっと、後悔する」
「……うぅぅ」
リリアは決めあぐねているようだった。何はともあれ、これはもうリリアの問題だ。こいつがハッキリ『自分はどうしたいのか』という事を見つけ出せない限り、この問題からは先に進めない。
こうして一先ず今日の集まりは終了した。午後からはバイトがあるというアクセルと別れ、クロロの作った昼食を平らげてから俺達は学園に移動した。
学園は休日でも訓練施設としての役割を果たしている。とんでもなく広い中庭では簡単な特訓ならば出来るし、結界で補強されている学園ならば色々と術が暴発したりしても他人に迷惑をかけることもない。いや、それでも庭を破壊してしまったのだから、俺は少し自重しなければならないな。
魔法を使う云々以前に、俺たちには絶対的に魔力を扱う経験が欠如している。そんなわけでアクセルにどうしたらいいのか相談した所、
「とりあえず解放状態を維持出来るようになる練習がいいと思うぜ。家でも出来るし、お手軽だしな」
とのアドバイスを頂いた。そんなわけで俺たちは庭でひたすら魔力解放状態を維持する特訓に取り組む事にした。
しかし、また校舎を破壊するハメになるんじゃないかと心配で仕方がない。冷や汗を流しながらナナシに目配せすると、大丈夫ですよ、的な視線が帰って来た。
そう、あの時は焦って一気に放出したから暴発したんだ。ゆっくり慎重に、ゆっくり丁寧に……。
「なな、なつるさん!? それ、だ、大丈夫ですか!?」
「…………ヤバイかも」
放出した魔力がかなり不安定に大きくなったり小さくなったりを繰り返している。グラグラゆれているイメージだろうか。絶対値がどうにも安定しないのだ。
多分、自分の魔力が高すぎて一定に押さえ込むのが難しいんだろう。これはコントロールできるようになるまで相当時間がかかりそうだ。
それに魔力は維持するだけでも相当に疲労する。立っているのがやっとの状態にまで一瞬で疲労してしまうのだ。俺は基礎体力的に充実しているからいいが、リリアはそうもいかなかった。
「はあっ……! はあっ! はあっ! は、……う、く……っ!」
既に全身汗びっしょりで膝を突いて肩で息をしている。開始まだ十分も経過していないというのにこれでは長く続けたら死んでしまうのではないだろうか……。
「お前大丈夫か……? 最初はもう少し無理なくやった方がいいんじゃ……」
「いえ、平気ですから……! 師匠、頑張ってるのに……休んでる、わけには……っ」
立ち上がり、瞳を閉じて再び放出を始めるリリア。意識して見られるようになってくると、相手の魔力総量がどんなものなのかわかってくる。
リリアはアクセルと比べても相当量が少ないように見える。それに今思えばアクセルの魔力解放は非常に安定していたし、オンオフもスムーズに切り替えられていた。やはりアクセルは只者ではない。少なくとも俺たちよりもずっと進んだ技術を持っていることだけは間違いないだろう。
俺も負けてられない……何となくそんな気になった。これからリリアに様々な事を教えていくつもりなら、アクセルくらいすぐに追い抜けなくては話にならないのだから。
それにしても、なんというか……妙な違和感を覚える。リリアの魔力解放はちょっと普通とは違う気がする。量が少なすぎるのもそうだが、なんというか……妙な表現になるが、『魔力が出るのを渋っているような』、そんな感じなのだ。
リリアが懸命に放出しようとしているのを、しかし矛盾して身体が強引に抑え込もうとしている感じ……。恐らく実際にそうなのだろう。放出と制限を同時に行っているせいで、こんなにも疲労しているのでは。
「少し休憩にしよう。三十分毎くらいに休まないと、ぶっ倒れるぞ」
「……はあ……はあ……っ」
既に返事はなかった。恐ろしい勢いで疲労している。しかしこんな総量の魔力じゃ、魔法を放つどころか身体能力の強化さえ出来ない気がする。
適当なベンチに腰掛けると、リリアは完全にぐったりしていた。呼吸がいつまで経っても整わず、息苦しそうに瞳を閉じていた。
「大丈夫か? 何か飲み物でも買って来る」
「へ、平気ですから……。ほんと、平気ですから……」
「何が平気なのか逆にわかんねえから。ていうかお前の魔力解放――なんかおかしくないか?」
「ふえ? おかしい……って、何がですか?」
何がといわれると何とも答えづらいのだが、思ったことを率直に言葉にしてみる。
「なんていうか……無理してる感じ、かな」
リリア自身に思い当たる事はないのだろう。不思議そうな顔をして首を傾げた。辛いのを我慢している事を心配しているのだと勘違いしたのか、明るく笑い飛ばして『そんなことないですよー』と俺に告げた。
しかしそうじゃない。何か決定的な事を見落としている気がする。何か俺は身近なところで、同じようなものを感じた事があるような……。
兎に角飲み物は買ってこよう。こんなに疲れるとは思わなかった。たった数十分でここまで疲労するなら、本当に休み休みやらないと気を失いかねない。
そんなわけで立ち上がり、一度食堂に向けて移動しようとした時だった。正面に突然見知らぬ男子生徒が落下してきたのである。何が何だかわからないまま飛びのく俺の頭上、更にもう一つの影が舞い降りた。
漆黒の髪を靡かせ、仲間であるはずの生徒相手に殺意を湛えた視線を向け、大剣を振り下ろそうとしているのはゲルト・シュヴァインだった。拙い――。咄嗟に判断する。ゲルトは本気で、行き成りこの生徒を殺そうとしている――。
「ゲルトッ!!」
ゲルトは俺の声を聞いていなかった。振り下ろされた巨大な剣。俺は考える間もなく、二人の間に飛び込んでいた。
全力でゲルトが振り下ろした剣を、俺は片手で受け止める。咄嗟の魔力解放が上手く行ったのだ。右手に収束した力で攻撃を弾き返した――そのつもりだった。
大地に大穴を空けるような膨大な魔力を一点に集中させた防御ならば、普通は剣のほうが弾かれるか砕かれるかどうかするはずだ。しかし、ゲルトの振り下ろした刃はきちんと俺の手に食い込み、痛みと共に血を流していた。
幸い少々刺さった程度で、掌が切れただけに過ぎない。致命傷には程遠いが、それでもゲルトは一瞬俺の防御をきちんと上回ったのだ。何より俺はその事実に驚きを隠せなかった。
「何やってんだ、ゲルト! 殺すつもりか!?」
「――――貴方は」
ゲルトの瞳から殺意の色が消えた。まるで憑き物が落ちたかのように、ゲルトは普段の冷静な表情に戻り刃を引いてくれた。
ぼたぼたと零れ落ちる血が痛々しい。これはちょっと本当にもう少しでもゲルトの力が強かったら片腕吹っ飛んでいたとしか思えない……。
男子生徒は悲鳴を上げて逃げて行く。余程恐ろしい物を見たといった様子だ。それも仕方がない事だろう。誰一人俺以外には止めに入れなかったくらい、ゲルトの視線は凍てついていたのだから。
「お前、少しは手加減しろよ……。ケンカと呼ぶにはちょっとやりすぎだろ」
「……貴方には関係ありません。余計なお世話ですから」
ゲルトは刃を肩に乗せ、背を向ける。リリアが慌てて俺に駆け寄り、手に回復魔法をかけてくれた。
驚くほどのスピードで見る見る傷は癒えて跡形もなく消え去ってしまった。目をぱちくりしていると、リリアは既に俺を見ていなかった。黒い勇者の後姿に視線を向け、悲しげにただ黙り込んでいる。
「ゲルトさん、どうして……」
リリアの小さな問い掛けの声にゲルトは振り返った。そうして刃を地面に突き刺すと、腕を組んでリリアをにらみつける。まるで、自分の先程の行動の理由は全てリリアにあると、そんな風に責め立てるような攻撃的な眼差しだった。
「貴方には、判らない事です……! のうのうと、平和な世界で戦いから遠ざかり、地位も名誉も捨てて生きてきた貴方に判るはずがない!」
二人の間にはまるで巨大で分厚い壁があるかのようだった。少なくとも俺にはそれがはっきりと感じ取れた。『かみ合わない』のだ。二人の思いも言葉も、きっと恐らく別の方向へ向けられている。二人とも正面から、相手を見ているようには思えなかった。
気まずい沈黙が場を支配する。怪我は治ったことだし、とりあえず俺はもう文句はない。人だかりが出来てきた事もあり、この場から立ち去りたくなってきた。
しかしリリアはそうは行かなかったようだ。意を決したように口を開き、胸に手をあてゲルトに言葉を投げかける。
「……ゲルトちゃんは、まだ……リリアの事、憎んでいるの?」
既に俺は完全に蚊帳の外だった。ゲルトは目を閉じ、顔をそらして唇を噛み締めている。
「ゲルトちゃん、そんなの気にする必要ないんだよ? ゲルトちゃんは、昔から何でも出来たじゃない。リリアはダメで、今こんなんだけど……ゲルトちゃんは今はちゃんと立派な勇者になったんだよ? ゲルトちゃんはリリアと違って努力家だし、それに――天才、なんだから――――?」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
ゲルトはリリアの目の前にまで歩み寄り、その顔面を思い切り平手で叩いた。いや、吹っ飛ばしたという表現の方が正解に近い。意識してか無意識でか、手に魔力を込めて平手を繰り出したゲルトに対し、不意打ちに防御も出来ず思い切り吹き飛ばされたリリアは芝生の上に転がった。
震える手に血をつけながらゲルトは歯を食いしばっていた。それから倒れたまま起き上がらないリリアを見下すように一瞥し、背を向けて走り去っていく。
完全に俺は呆けていた。何が起きたのかよくわからなかったのだ。ただ、リリアが倒れていて、血を流している……それがとりあえず確実な事実だった。
「リリア、大丈夫か!?」
リリアは口元を押さえながら身体を上げた。顔半分は完全に腫れ上がり、口と鼻から血が流れていた。しかしリリアはどこか悲しそうな、しかし全く怒りとは異なる不思議な目で俺から視線を反らしていた。
ふらつく足取りで立ち上がるリリア。それを支えようとしたのが、リリアは自然と俺の手を離れてしまう。一瞬、無意識なリリアの拒絶が俺へと頼る事を拒んでいたかのように。
「……平気ですから」
「リリア……」
「本当、平気ですから……。少し、一人にしてください……」
疲れきってぐったりしているはずなのに。顔を強打され、くらくらしているはずなのに。
リリアは剣を引き摺り、学園を去っていく。俺はバカだった。俺はその時リリアに何も声を掛けてあげる事ができなかった。
なんてバカなんだろう。俺がこの時リリアの気持ちをもっとわかってあげられたなら、あんな事にはならなかったかも知れないというのに――。
確定されたバッドエンドへの道程が、俺の腕の中で未来を待ち望んでいた。