レイストーム(1)
――――あれっ?
あれ? あれ? わたし……あれ? 何? なんで?
懐かしい、景色が……ある。わたしの目の前に、まるで本物みたいに広がっている。
わたしが生まれ育った故郷の景色。ザックブルムの北にある、雪山の麓にある村。田舎で、どうしようもないくらい田舎で、何もない村。
とてもきれいで澄んだ川が村の中を流れていて、そこから水を汲むのがわたしの一日の最初の仕事だった。
この村の産業と言えば農業くらいのもので、わたしの家も例外なく農家だった。両親と、おじいちゃんとおばあちゃん、それから弟と妹が一人ずつ。それがわたしの家族構成。
正直、生活は苦しかった。全然儲からないから、殆ど自給自足。世界が滅んだり再生したりして、文明は爆発的に進歩したはずなのに、わたしの村は時間が止まったみたいにそのままだった。
そう、わたしの記憶の原風景はここだ。それも、本当に何もなくなってしまった村。
わたしが産まれる少し前。怒った神様が世界全てを壊そうとした戦争が終わった。戦争を終わらせたのは遠い国のどこかの誰かで、わたしには関係なかった。
でも村は違った。村には天使と呼ばれる沢山の魔物が現れて、跡形もなく村を吹き飛ばしていった。そうして残ったのは荒れ果てた大地……。
北の厳しい自然の中、生き残った村人もどんどん死んで行った。生き残ったのは本当に数える程で、その人達ももう死んでしまおうと考えていたらしい。
もう、全部終わったのだと。世界は終わるのだと。そんな時戦争が終わって……わたしが生まれた。
だからわたしは知っているんだ。あんなに何もなくなってしまった死の世界から、わたしの両親や、その有人や仲間達がどんなに努力して村を取り戻したのかを。
だからわたしは誇りに思っているんだ。あの村を。あの何にもない村を。農業と……あとはちょっとした伝統工芸品くらいしか売り物のない村を。
――だけど、わたしが物心つくかつかないかくらいの頃。村はもう一度滅んだ。
村に大量の魔物が現れ、何もかもを蹂躙していった。
折角耕した畑も台無しになって、作ったばっかりの家も燃えて。村人達はみんな慌てて逃げ出した。
わたしはただ泣きじゃくる事しか出来なかった。そうやって避難して、でもあの時作っていた木彫りのお守りがどうしても気になって、家に取りに戻ってしまった。
燃え盛る炎に包まれる村の中をわたしは走った。今思えば馬鹿な事をしたと思う。でも、あのお守りは村の、家族の安全を祈願した物だったんだ。
だから、置いていって燃えてしまったら、もうこの村が終わってしまうような気がした。もう、全部だめになってしまう気がしたんだ。
夜空の星の煌きも、炎の赤に照らされて消える。地獄の底みたいな景色の中、わたしは結局魔物に見つかってしまった。
一生懸命逃げたけど逃げ切れるはずがなくて。魔物は本当に些細な……まるで暇つぶしみたいな軽い勢いで、わたしを突き飛ばした。
体中が痛くなって、痺れて、口からいっぱい血が出て、壁にぶつかって倒れた。多分わたしはそれだけで死んだのだと思った。でも――。
「……もう、大丈夫だよ」
声が聞こえたのだ。薄れていく意識の中で、わたしは確かにその人の姿を見た。
白銀の鎧を纏った、栗毛色の髪の騎士。身の丈を越す巨大な剣を片手で振るい、大きな怪物をばったばったと薙ぎ払っていく。
あまりにも現実離れした景色は幻想的で、目を離すことも、瞬きする事も出来なかった。わたしはただ焦がれたのだ。その美しい戦士の姿に……。
わたしの身体はとっくに死んでいたはずなのに、彼女が手を翳しただけで蘇っていった。暖かい光に包まれているだけで、痛みが嘘みたいになくなったんだ。
「これで大丈夫。もう痛くないよ。がんばったね……生きていてくれて、ありがとうね」
こうして、その日の記憶は途切れた。
次に目覚めた時わたしが見たのは荒れ果てた村、そしてその復興を手伝うあの人の姿だった。
すごく綺麗で、まるでお姫様みたいに綺麗なのに、泥だらけになってみんなといっしょに仕事をするあの人がとても素敵に見えた。
だからあの人が村を去るまでの一ヶ月間、わたしはずうっとあの人にくっついていた。異国から来た聖騎士……その話はどれも楽しくて、胸躍らせた。
あの人のお気に入りはうちの屋根の上だった。ザックブルムの星空は呆れるくらいに透き通っている。本当に星が降ってくるような景色で、それはわたしの自慢でもあった。
「ザックブルムの空はやっぱり違うなぁ。シャングリラからじゃこうは見えないよ」
「……ねえ? ここが好きなら、ずっと住んでてもいいんだよ?」
「うーん……そうだねぇ。そうできたらいいんだけどね」
困ったように笑うあの人。そうして立ち上がり、わたしの頭を撫でる。
「やらなきゃいけない事があるんだ。だから行かなきゃいけない。それにね、わたしを待ってる人達がいるんだ」
「……かぞく?」
「うん。旦那さんと、それから一人娘。君と同じか、少し年下くらいかなぁ? わたしにそっくりでかわいいんだよ」
「……どうしても、いっちゃうんだね」
ぽつりと呟くと、自分で言ったくせに急に別れが現実味を帯びて、胸が締め付けられるような気持ちになった。
別れたくなかった。太陽みたいなこの人がいてくれたから村は少しずつ元通りになっていくのに。また、こんな寒い所に戻されてしまうなんて。
「マナちゃん。世界はとーっても広いんだよ。わたしはその全部を救わなきゃいけない。その責任があるんだよ」
「勇者……だから?」
「あらら? それ、誰に聞いたの? 恥ずかしいなぁ」
「パパとママが言ってた。『白の勇者様』って……『勇者王様』って。それってそんなに大変なお仕事なの?」
「そうだねー。でも、遣り甲斐はあるよ。マナちゃんみたいな子にも出会えるしね」
そういって彼女はわたしをぎゅっと抱き締め、そのまま勢いよく屋根の上から飛び降りた。
飛び降りた……? ううん、違う。わたしはあの時飛んでいたのだ。桁外れの身体能力を持つ彼女は、屋根の上から夜空に飛んだのだ。
満天の星空の下、彼女の笑顔を傍で見ていた。暖かい温もり、柔らかい肌の感触……。これで最後だと思って、その身体に縋りついた。
「着地ー!」
大地の上を滑るようにして降り立つと、彼女はそう言ってわたしを下ろした。
「マナちゃん、一個約束しよっか!」
「やくそく?」
「わたしはこれからも世界中を旅して、自分たちがした事の責任を取り続ける。戦い続ける。だからもしわたしに会いたいのなら……君もそうやって誰かを救える人になってほしいんだ」
多分、彼女が言いたかったのは、『そういうこと』じゃなかったのだと思う。
「お父さんやお母さんのいう事をよーく聞いて、一生懸命働いて……元気に幸せになって。そうしていつか立派なお嫁さんになってくれたら、わたしは嬉しいな」
でも、わたしはそういう風には受け取らなかった。やっぱり子供だから。自分の都合のいいように解釈して。そうして頷いた。
「……うん。なる! きっと、誰かを助けられる人になるよ!」
「よしよし、かわいいなあ。約束だよ、小さな勇者様」
絡めた指と指の感触が、今までわたしの背中を押してくれた。
あの村の出来事は公式の記録には残って居ないし、あそこに現れたのが本物の勇者王リリアかどうかなんて事はわからない。
でもあれから十年経っても、わたしは同じ夢を見続けているんだ。
あの人みたいになりたい。あの人に追いつきたい。いつかこの世界を股にかけて、救われるべきを救える存在になりたいと……。
……って、いうか。
ちょっとまって。
あれ? なんかこれ……あれ?
これ知ってるよ? なんだっけ……えーと……走馬灯?
ああ、うそ。なんで。こんなに昔の事どんどん思い出して……追体験する、みたいな……。
「……君は今、死にかけているんだよ」
どこからか声が聞こえた。今度は知らない声だ。そうしてわたしは朦朧とした意識のまま顔を上げた。
そうだ。少しずつ思い出してきた。わたしは確か、オルヴェンブルムに来て……そこで、死んでいる街の人たちや騎士団の人を見て……。
その死体を辿るようにして、この場所に……旧大聖堂地下にやってきたんだ。
地下へと続いている竪穴を箒に片足を引っ掛けながらゆっくり降りて、そこであの……傷付いているユリアちゃんと救世主を見つけたんだ。
でも、その前にあのウォルスとかいう救世主が立ち塞がって。わたしはやっつけようとしたけど……ああ。そうだ。
一発でやられた。一撃で殺された。ぶっとんで壁に減り込んで、体中の骨がバッキバキに折れて、内臓はぐちゃぐちゃになって、口と鼻と耳と、空いてる穴全部からどばどば血が出て……。
だめだ、全然動かない。ていうかなんでこんなに冷静なんだろう、わたし。完全に死んでるじゃんこれ。終わってるじゃん、これ。
「まだ、終わってないよ」
誰かの声が聞こえる。頭の中で聞こえる。でもだめだ、反応出来ない。言葉も返せない。だってもう、完全にこれ死んでるんだってば。
「ううん。まだ死んでない」
時の止まった世界の中で、何かが近づいてくる。それは白いスーツ姿の女の人だ。誰だかわからないけど、物悲しい顔をしている。
「マナ・レイストーム……このままだと、君は死んでしまう」
わかってるよそんなの。でもこれどうしたらいいの? 指一本動かないんだけど?
「だから、これから君を試させてもらう。君には声が届いた。だから……今このタイミングなら、或いは……」
何を言っているのかわからない。女の人はわたしに近づいて、そうしてわたしの頭をそっと撫でた。
――その瞬間、世界が爆ぜた。
全てが光になって、その濁流の中にわたしの意識も流し込まれる。そうやってわたしが辿り着いた場所、そこは見覚えのない祭壇だった。
荒れ果てた石造りの彫像。その前に一人の少年が立って居る。ずっと誰も足を運んでいないのか、この近辺はひどく汚れていた。
「……やっと、声が届いたんだね。良かった……」
「え? あのー、どちら様で……っていうか、あれ!? 喋れる!?」
「そうだろうね。ここは君の夢の中というか……君の精神内に僕が少しだけ憑依している状態にあるから」
照れくさそうにそんな怖い事を言う少年。その瞳は不思議な光を湛えている。
「あの、あなたは……?」
「驚かないで聞いて欲しいんだけど……。えっと……僕の名前は、ラダ……。この世界を作った神の一人、なんだけど……」
きょとーんとしていると、彼はなんだか酷く申し訳無さそうに、おずおずと言った様子で話し始めた。
「この世界を作る為のデバイス……それがヨトとラダ、僕らだったんだ。僕はヨトの双子の弟みたいなものかな?」
「えーと……それって、ラダの使徒が復活させようとしている邪神の……?」
「ち、違うんだ! その誤解を解きたくて君を呼んだんだよ! ちょ、ちょっと聞いてくれるかな!?」
どんどん歩み寄りわたしの両肩を掴む少年。ちょっとこわかったので、頷いてしまった。
「今、この神殿では神を降臨させる為の儀式が行われている。それは知ってるかな?」
「い、いえ……でも、何か不思議なものが居たような……」
目には見えない、感じ取れない……しかしおぞましい何か。それがユリアちゃんの傍に居た気がする。
「あれは恐らく異世界からやってきた異邦神だ。そして恐らくはその存在を認められなかった神……僕と同じで、ね」
「え? それはどういう……」
「僕はヨトによって存在を否定されてしまった。だからずっとこの世界で眠り続けていたんだ。でも、ヨトは僕を再び実体化させるための降臨システムを残していたんだ。何かあった場合、また僕を使うつもりだったんだろうね。でもそのシステムを逆手に取られた」
なんでも、今実体化しようとしている救世主が召喚した神は、ラダとは全く別物だそうで。
でも、復活させるその瞬間まではラダ神復活のプロセスを取る必要があり。それを途中から乗っ取って異邦神を降臨させるのが目的なんだとか。
「その副産物として、霧散していた僕の意識も戻りつつあるんだけど……奴らの言う神が復活したら、僕の意識は飲み込まれて消えてしまうと思う」
「え……死んじゃうって事ですか?」
「そうなるね。あ、でもずっと死んでたようなものだからそれはいいんだけど……でも、僕の信仰や儀式を奴らに使われるのは納得行かない。だから、力を貸して欲しいんだ」
そうして彼が片手を差し出すと、黒い光が収束して一冊の本になった。それが何なのかわたしにはさっぱりだったけど、ただ凄い存在感を放っている事だけはわかった。
「これが今、僕が世界を好きに出来る権利の全てだ。もうこれしか残ってないけど、それでも君を……“監視者”にする事は出来る」
「ゲイザー……?」
「神の力を分譲された、不老不死の守護者だよ。僕の力は今この瞬間、しかもこの神殿内だけでしか使えない。だから君に頼るしかないんだ」
「それでパワーアップして、救世主をやっつけろって事……ですか?」
頷くラダ。でもわたしの気持ちは揺れていました。
「なんていうか……その……それって、ずっこくないですか?」
そんな事を言っている場合じゃないって事は、勿論わかっている。
あの神がラダではないのだとしたら、一刻も早く儀式を阻止しなければ何がどうなるかわかったものではないという事もわかっている。
今すぐ助けないと、ユリアちゃんが死んでしまうかもしれない……それもわかってる。全部わかってるけど、でも……。
「そんなずるじゃ、勝てない気がするんです」
「え……っと……? 監視者になれば、それだけで絶対的な力を得られるんだよ?」
「私……そんな特別な力は要りません。不死身も、無敵も、要りません」
多分凄く想いあがった失礼な事をいっているんだろうと思う。だけど、ここだけは譲れない。
「私はただの人間でいいです。どんな努力だって惜しまないし、命だって賭ける……でも、神様になんかなりたくない。ただの人間で十分なんです」
「マナ・レイストーム……君は……」
「それに、ウォルスは神の力を打ち消す能力を持っている筈です。だからゲイザーになったところで勝算は薄いですよ」
「そんな事がわかるのかい?」
「わかりませんけど、でもそうじゃなかったらユリアちゃんが負けるのはおかしいじゃないですか。本物の神と勇者の混血で勝てないのに、神の紛い物になった所で勝てるとは思えないんです」
わたしの言葉にすっかりラダ君は困った様子です。しかしわたしの言葉も一理あるから否定出来ない……そんな感じでした。
「でも他に……この状況を打開する方法は……」
「……あるよ」
そこへ唐突に第三者の声が響いた。現れたのはあの白スーツの女の人……ではなく、いつもユリアちゃんの頭の上に乗っていたうさぎだった。
「あれ、うさぎさん!?」
「私はうさぎであってうさぎではない。私もまた“監視者”……しかも、ラダのね」
まったくどういうことなのかわかりませんがー、そういうことだそうですー。
「神の力では奴に勝てない、それは真理。だから……マナ、君は君のままで強くなればいい」
「えーと、それは……?」
「君の中の時間を吹っ飛ばして、未来から“強くなったマナ”を“召喚”する」
またわけのわからない事を言って、うさぎはわたしの頭のうえにぴょこんと飛び乗った。
「それなら、その力は君自身の力だから……ウォルスに消される事もない」
「でも、そんな滅茶苦茶な力の使い方をしたら……マナの存在が歪んでしまうよ」
「そうすると、どうなっちゃうんですか?」
「……召喚に使用した分、吹っ飛ばした分の時間だけ、君の寿命が短くなるというか……厳密には生命として存続できる限界が削られるっていうか……」
「あ、そんな事でいいんですか?」
目を丸くするラダ。わたしは笑顔で言います。
「そんな事でいいなら……力を貸してください。ユリアちゃんを、この世界を……守りたいんです。だから……」
「どうしたウォルス、いつまで死体を眺めている?」
気絶したユリアから流れる血を“見えない何か”に吸わせるハレルヤ。その後方、ウォルスはじっとマナを見つめていた。
この少女の戦闘力はウォルスの足元にも及ばなかった。だから一撃でこの様だ。しかしそうなる事はわかっていたように思うのだ。
わかった上で、この少女はウォルスに挑んだ。自分が死ぬという確信を持ちながら、それでも果敢に挑んだのだ。
それは勇気。それは決意。それはウォルスが嘗て神に挑んだ時、彼が握り締めていたたった一つの武器である。
「待っているのさ」
「何を?」
「こいつはもう終わってる。だけどなハレルヤ、俺は何度もそういう状況に陥った。仲間もそうだ。それでも絶望を打ち砕いて奇跡的に立ち上がってきた。だから俺は待ってるんだ。油断しながら、止めを刺さず、こいつが奇跡的に起き上がって俺に一矢報いるその時をな」
「……何を馬鹿げた事を。まあ、君の趣味に口出しするつもりはないが……奇跡というのはね、そうそう起きないから奇跡なんだよ」
そう、ハレルヤが呟いた瞬間。少女の体がぴくりと僅かに痙攣した。
驚き振り返るハレルヤ。ウォルスはその様子を満面の笑みで迎える。
「そうだ。立ち上がれ。絶望に食らいついてみせろ。奇跡を起こしてみせろ」
「馬鹿な……なぜ立てる……?」
体中を真っ赤な血に染めて。それを滴らせながら、少女は震える足で立ち上がった。
もう立たなくていいと体中の細胞が絶叫している。もう休んでも良いのだと、優しく声をかけてくる。でもそんなものは全て無視した。
何故かと言われると、理由は本当に単純だ。守りたいし、見捨てたくないし、勝ちたい。諦める事はしない。それはある意味において精神の欠如だ。
そう、人は誰しも諦める。そうやって自分を守っていく。もし諦める事を忘れてしまったら、ただただ茨の道を走り続けてしまうだろう。
「だが――お前はそれでいいんだ」
囁くウォルス。彼にマナのことはわからない。ぶっちゃけ今日始めて見た相手だ。
だがわかる。わかるのだ。諦めを超えた者は。諦めをぶち壊した者は。誰しも同じ目をしている。
もう死んでいるのに、まだ生きる事を放棄しない瞳。熱く滾るような光を帯びた、奇跡を行使する者の目――。
血塗れの手を天に翳す。竪穴から降り注ぐ光の中、古びた一冊の本が召喚された。マナはそれを確かに掴み、深呼吸を一つ。
「行くよ……サイファーッ!!」
床に転がっていたうさぎがマナの頭の上に乗る。そうして光が全てを包み込んだ。
七色の虹を圧縮したような、瞳を焼く輝き。それは魔力の暴風となって吹き荒れ、本来あってはならない虚飾を現実とする。
それは漆黒の闇を纏いし者。腰まで伸びた髪を風に流し、天から舞い降りた三角帽子を手に取り頭の上に乗せる。
そこにいるのはマナ・レイストームであり、マナ・レイストームではなかった。未来から召喚したもう一人の自分。勝てるだけの力を手に入れた、十年後の自分。
「……師匠、先生、皆……ありがとうございます」
少女……否、女はそう呟いた。未来を感じた時、彼女はそこに至るまでに経験した多くの人々からの助力を握り締めた。
「何が起きた……?」
「目覚めたんだろ? この土壇場で……俺達が作り出した状況を逆に利用しやがった」
心底嬉しそうな様子で笑うウォルス。そうして自らの周囲に無数の武具を召喚し、その中の一つを手に取った。
「使え、魔術師」
投げ渡された白銀の杖。美しく無駄のない装飾を施されたその杖の力は受け取った瞬間マナに理解を与える。
「魔杖ヴェイズ・レム。俺が殺した人間の英雄が持っていた杖だ。それで少しは底上げになるだろう?」
「……変わった人ですね、あなたは」
「全力で来い。遠慮する必要はない。人間の力を見せてみろ」
「――では、遠慮なく」
杖で足元を軽く叩くマナ。すると大地に巨大な魔方陣が浮かび上がり、収縮するようにマナの足元だけに収まっていく。
尋常ならざる鳴動する魔力。大気が軋み、壁が、地面が、神殿全体が揺れ始める。
次の瞬間、軽く杖を振るうと同時に七色の光が折り重なって放出された。全ての属性の最上級魔法を最適なバランスでミキシングした、彼女のオリジナル・スペル。アンリミテッドでなければ決して使う事の出来ない、現存する最強の攻撃魔法――。
「……“光嵐”……か……ッ!」
アーク・ウェポンの障壁で受けるウォルス。しかし次々に剣が破壊され、更にマナが力をこめると光の嵐は威力を増し、加速してウォルスを吹き飛ばす。
地下の広大な空間を駆け抜ける七色の光。蒸発する大地の先、壁に叩きつけられたウォルスは傷だらけで横たわっている。
「馬鹿な……ウォルスが!?」
ハレルヤが驚いたのは、マナの魔法の威力ではない。あのくらいなら、救世主クラスなら普通に放てるだろう。
そうではなく。ウォルスは神の属性を得た力なら全て無力化することが出来る。あれはそういう救世主だ。
そのウォルスが直撃を受けたという事。それはつまり、今の攻撃は神の力を借りたものではないということ。マナ・レイストームという女が、十年鍛えてはなったただの、普通の、一般人の魔法だという事なのだ。
「今ので死ぬ程脆くはないはずです。さあ、立って下さい。お互い時間がないのですから」
ド素人に過ぎなかった少女が、たった十年で伝説級になった。その事実こそが、何よりも脅威なのだ――。
レイストーム(1)
「気をつけてマナ。この“召喚”は長く持たないし、この地下神殿から出たら効果が失われてしまう」
「わかってるよ、サイファー。一瞬でケリをつける」
ローブの裾を翻しながらゆっくりと歩くマナ。その視線の先、瓦礫を吹っ飛ばしてウォルスが立ち上がる。
「ふふ……はははははっ!! いいぞ、一般人! それでこそ人間だ!!」
「この杖凄いですね。でも、もう返してあげませんよ」
「いいさ、好きに使え。お前の様な女が持つのが相応しい」
笑いながら向き合う二人。直後、地下神殿に巨大な力が二つ渦巻いていく。
あらゆる属性を会得し、使いこなす“限界突破魔術師”。対するは神殺しの救世主。
二人は同時に走り出し、お互いが持つ最大威力の攻撃を繰り出そうと構えるのであった。