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虚幻のディアノイア  作者: 神宮寺飛鳥
第一章『二人の勇者』
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学園の日(2)

学園闘技場は激しい熱気に包まれていた。

リリアとメリーベルが対決した試合とは質も格も人気も異なる。ランキング上位に存在する生徒同士の決闘は、最早一種の見世物としては至高でさえある。

娯楽の少ないこの世界において、世界の安寧を司る聖クィリアダリア王国の未来を守る戦士たちの活躍を見るのは、国民に安心さえも与えてくれる。

その最高のステージの上に立ち、ライトアップされた世界でゲルト・シュヴァインは大剣を片手に登場する。漆黒の勇者の外装に漆黒の魔剣フレグランスを胸の前に掲げ、騎士のように瞳を閉じる。

声援と共にゲルトの名前が叫ばれた。ただの学園の生徒でしかないはずのゲルト・シュヴァインの人気は想像を絶する。多数のファンが存在し、スポンサーが彼女を経済的に援助さえしている。雑誌のグラビアにはゲルトの勇士が飾られ、学園の案内書にさえゲルトの顔は広く載っている。

若干十五歳にして大人顔負けの気高さと圧倒的な戦闘力で他の追随を許さない人気ナンバーワン『勇者』、ゲルト・シュヴァイン。少女は瞳を閉じたまま、対戦相手に言葉を投げかける。


「貴方と対戦するのは二度目でしたか? アクセル・スキッド――」


瞳を開いたゲルトの視界に移りこむ、金髪の少年。腰に提げた二対のサーベルを美しい動作で抜き、指先で回転させたそれを構えた。


「覚えていてくれたとは光栄じゃねえか。お前、挑戦者数多でもう顔なんか一々覚えてないもんだと思ってたが」


「自分で斬って自分で倒した相手の顔は忘れませんよ。いかに相手が無様でも、どんなに弱くとも」


刃を揮うと大地が啼いた。ぴりぴりと、肌を突き刺すような鋭利に尖った攻撃的な魔力を肌で感じながらアクセルは真剣な顔つきで姿勢を低く構える。


「戦う前に、一つだけ訊いていいですか?」


「あん? なんだ?」


「何故リリアではなく、貴方がわたしに挑むのですか? アクセル・スキッド」


ゲルトにとってそれは望まない戦いだった。今までの彼女ならば、以下に望まぬ戦いと言えども己が高い場所に立ち続けるためならば躊躇わずに切り伏せて来ただろう。

しかしアクセルは違う。元来戦いを好むような性格ではなく、勝ち目の無い自分に挑んでくるような男でもない。そんな彼に目的があるとしたら、それはたった一つだけ。


「リリア・ライトフィールド……ですか?」


「――戦う前からそんな余計な事を考えているとは、嘗められたもんだな」


アクセルが正面で十字に構えた刃の合間、鋭い眼光がゲルトを射抜く。普段の彼を知る人物でもその姿は想像が及ばないだろう。きちんとした敵意と覚悟を秘めた、己の実力を過小評価も過大評価もしない、冷静な眼差し。ゲルトは一瞬その気配に気圧されてしまった。


「理由何てどうだっていいだろ? 同じ舞台に立った以上、油断されたら即斬るぜ」


「……嘗めているのはどっちだ、剣士風情が――」


歯軋りするゲルトの全身から溢れ出す漆黒の魔力。それは会場にいる観客たちさえ圧倒するほど膨大な力だった。

振り下ろした刃が轟音と共にアクセルを吹き飛ばすほどの風を巻き起こす。その暴風の中、しかし二人は距離を離すことはない。


「――わたしはリリアのように甘くはありませんよ。仇成す存在は叩き斬って捻じ伏せる……。我が道の糧となりなさい、無名の剣士」


「まるで殺すみたいな言い方だな。ま――それはこっちも同意するけどよ」


手加減して勝てるような相手ではない。それはお互い様だった。

二人が刃を交える理由。それは今より数日前に遡る――。



⇒学園の日(2)



「あのう、師匠だったらもしかしてゲルトさんに勝てたりしないですかねぇ?」


リリアの突然の言葉に俺達は全員食事の手を止めた。

ディアノイア校内に存在する学生食堂。俺、アクセル、リリアの三人は授業の合間に集まり、食事を共にしていた。俺もディアノイアでの授業を受けるようになって数日経過したが、ここの所特にこれといって何も異常事態は発生していなかった。つまりなんの前フリもなく、いきなりリリアがそんな事を言うものだから、会話が完全に停止してしまったのである。

俺とアクセルが顔を見合わせているのを見てリリアは慌てた様子で苦笑を浮かべた。アクセルが一気に水を飲み干し、返答する。


「そりゃ、結構いい線行くと俺は思うけどさ」


「マジか……? アクセル、ゲルト・シュヴァインの試合見た事あるのかよ? 恐ろしい強さだったぞ」


自分より随分と巨大な体格の相手でさえ、片手で振った大剣で吹き飛ばすパワー。華奢な見た目通り、軽やかな動き。見る者に美しさすら覚えさせるゲルトの戦いは、強さで言えば相当なものだと俺にだってわかった。

しかしアクセルは当たり前のようにパンを口に放り込みながら、あっけらかんと白状した。


「見た事っつーか、戦った事あるぞ。一回だけだけど」


「「 え? 」」


俺とリリアの声が重なった。アクセルは俺たちが驚いているのを見て冷や汗を流しながら後退する。


「な、なんだよ……? 二人ともそんなじろじろ見んなって」


「アクセル君、嘘はだめですよう? ゲルトさんはトップランカーですよう? 戦えるのは順位誤差が十位以内じゃないとですし……」


「だから、十位以内だったんだってば。俺今は十八位だぞ? まあ下がっちまったけどさ……」


「「 え? 」」


俺とリリアの言葉が再び重なる。いや、ちょっとまて。アクセル……どうしてそんな平然と嘘をつくんだ。そんなに当たり前みたいに言われたら、まるで本当の事みたいじゃないか――。

パンを食べ終え、アクセルは再び水を飲み干した。俺が哀れみの視線を……リリアは悲しそうな表情を浮かべているのを見ていよいよ自分が信じられていない事に気づいたらしく、慌てて立ち上がった。


「マジだってマジ!! なんなら受付で確認してこいって!! なんだよナツル、可哀想だなぁ〜みたいな目で見んなよ!? そしてリリアちゃんは俺を今見損なっただろ!? 嘘ついてないからなっ!!」


「アクセル、いくらなんでもそう都合よくはないだろう。八百人以上登録されてるランキングで十八位って、お前かなり強い事になっちゃうだろうが」


「そうですよ〜。アクセル君みたいに元気のいい人が強いわけないですよ〜」


「…………泣いていい? 俺泣いていい? ちょっといいから来て……。ランキング登録表見せるから……いいから来て……」


涙目になっているアクセルに半ば強引に引き摺られ受付へ急ぐ。そこでランキング順位を確認したところ、本当にアクセル・スキッドは現在十八位だった。

俺とリリアは完全に停止していた。十八位? どういうことだ? 何でそんなにアクセルが強いんだ? 見た目こんなのなのに、強いのか……?


「ほら、だから言っただろ? 何で信じねえかなぁ〜……。俺ってそんな弱そうに見える?」


「弱そうではないが、決して強そうにも見えない!」


「うん、うん!」


アクセルはその場に膝を着いて落ち込んでいた。特に惚れている女の子であるリリアが力いっぱい俺の言葉を肯定したのが堪えたに違いない。

何はともあれすごい事実が発覚してしまった。いや、そういわれてみるともしかしてアクセルは凄いやつなのかもしれない。中庭に大穴を空けてしまった俺の魔力解放をたかだか1メートルくらいの距離で直撃したにも関わらず、五体満足で今平然とここに立っているわけだし……。

今思えばアイオーンと顔見知りだったのも、同じく学園の実力者だったからなのかもしれない。頭の後ろで手を組み、アクセルは俺たちを笑いながら見つめていた。


「まあ、別にいいけどよ。アイオーンやらゲルトやらは別格だからな。俺じゃ勝ち目ねえし」


「でも凄いよアクセル君! バイトばっかりしててちょっと学業おろそかになっちゃってる人かと思ってたけど、意外とちゃんと頑張ってたんですね!」


「ああ、正直見直した。もっとバカだと思ってた。いや、バカはバカなのか」


「お、おいおい……急に褒められると何か気持ち悪いな。つーか君たち、それ俺の事馬鹿にしてます……?」


アクセルとリリアはなにやら漫才のような会話を繰り返している。しかし、それだけの力の持ち主であるアクセルが言うのだから、本当に俺ならゲルトに勝てるのかもしれない。


「それで、結局どうだ?」


「ん? 何がだ?」


「俺はゲルトに勝てるのか?」


真顔で発言したのがまずかった。二人は面を食らったような表情を浮かべる。リリアも恐らくちょっと思ったから言ってみただけで、アクセルもそうだったのだろう。そこに俺が真顔で食いつけば、まあこういうリアクションになるだろうな。

リリアは慌てた、しかしちょっとワクワクした表情でアクセルを見上げる。しかし当のアクセルは歯切れの悪い態度で腕を組んだ。


「いやな、魔力総量なら明らかにナツルの方が上……つーか、そもそもお前ほどの絶対量を持ってる奴は学園長くらいのもんだと思うけど。ただ、戦うとなると魔力総量だけが全てじゃないしな」


ゲルト・シュヴァインの強さの秘密はその技術力にある。

魔法を練り上げ、放つ。剣を振り上げ、振り下ろす……。単純な一つ一つの動作が全て高い錬度で行われ、限りなく精密に攻撃を仕掛けてくる。例え反撃を受けても、それもまた正確に回避し、きっちりとカウンターを合わせてくるらしい。

ゲルトの性格を具現化したかのような真面目な、そして限りなく無駄の無いバトルスタイル。それに付け加え高い魔力と強力な装備を充実させているのだから、強くて当然だと言える。


「ゲルトが強いのは血筋だとも思うけど、まあ兎に角あいつは普通じゃないよ。戦いに対する心構えがハンパじゃねえんだ」


己に課した目標は死んでも果たす。一度勝つと決めたら死んでも勝つ。勝つまで何度でも戦う。何度でも何度でも、何度でも立ち上がる。

ゲルトとて最初から強かったわけではない。中の上程度の力しか持っていなかったゲルトは、たった数ヶ月で恐ろしい上達を見せた。負けても絶対に諦めない。勝利に対する異常とも言える執着心が、ゲルトに孤高の道を歩ませている。

仲間は要らない。救いの手も哀れみの声も要らない。ただただ強く、強く、強く在る為に……その為に出来る百万の努力を怠らない。そんな人間なのである。


「まさに鋼の乙女だよ、ありゃ。女だと思わん方がいい。つーか、勝っちゃったら勝っちゃったで大変だぞ? あいつ、一度自分に勝った相手は執拗に追い回して勝てるまで挑んでくるからな。超がつくほどの負けず嫌い……プライド高いんだよ、ゲルトは」


確かに、何となくそんな雰囲気だった。他人を寄せ付ける事を良しとしない、絶対的な孤立に対する姿勢……。リリアが憧れるのも分かる。へっぽこなこいつにとって、ゲルトの強さはまさに正反対。思い描く彼女にとっての理想像に近いのだろう。


「まー、今のナツルとゲルトがバトったら十中八九ゲルトが勝つだろうな。というわけで、ゲルトはマジでよしとけ。俺は授業あっから、もう行くぞー」


「ああ。悪かったな、長々と説明させて」


アクセルはひらひらと手を振って去って行った。何だかんだで気のいい奴なのだが、もしかしたら俺達はかなり心強い人物を味方につけられたのかもしれない。

振り返るとリリアはなにやら考え事をしているようだった。肩を叩くと、少し戸惑った笑顔を俺に向ける。


「ゲルト・シュヴァインに勝つ、かあ……。何だか凄く凄く遠い目標……ですよね」


自分で提案してしまったのだから仕方が無い。が、撤回するつもりもない。少しだけ寂しげな笑顔を浮かべるリリアの事が気になったが、とりあえずその場は解散と相成った。

アクセルはバイトで居なくなり、俺とリリアは特訓を初める夕方頃。相変わらず浮かない表情のリリアと校門の前で待ち合わせた。

俺を気遣ってか、リリアは元気良く歩き出そうとする。その頭の上にポンと手を乗せ俺は溜息を漏らした。


「ほえ? 師匠、どうしたですか?」


「今日の特訓は中止だ!」


「……ほえ?」


リリアの頭をわしわし撫でる。きょとーんとしているリリアの手を取り、俺は強引に歩き出した。


「し、師匠……? なつるさーん? どこに行くんですかー?」


「公園だ。実は前々からお前と二人きりで話がしたかったんだよ」


「へっ!? それってどういう意味ですか!? なな、なななな、なつるさ……こっ、心の準備がですねえっ!?」


なんだか背後で喚いているリリアを無視して移動した。前々から公園の存在には気づいていたが、なんだかんだで慌しくゆっくり来る事はなかった。

街の中に急にポッカリと空いた広いスペースに木々が立ち並んでいる。隅にあるベンチの上に腰掛け、噴水を眺めながら一息ついた。

リリアは隣に座ってなにやらもじもじしていたが、なんだかよく判らないので気にしない事にした。暖かい日差しが差し込み、木漏れ日が揺れる。木々の囁く声に耳を傾けながら俺は話を切り出す事にした。


「リリアは、どうして勇者になったんだ?」


俺の質問にリリアが少しだけ戸惑うのがわかった。多分そのあたりは、彼女にとって容易に他人に踏み込まれたくない部分だと分かっていたから。

俯き加減になりながら、答えづらそうに指先を絡めるリリア。俺は焦らずに言葉を待つ事にした。何となく、わかるのだ。こういう時、冬香なら――自分の気持ちを纏めるのに、少しばかり時間がかかるはずだから。


「その……どうして、って言われると、難しいんですけど……あのぅ」


「ああ」


「リリアのお父さんが……その、『白の勇者』っていう人だったんです」


かつてこの世界では大きな戦争があった。

今は聖クィリアダリア王国という一つの国に統一されているものの、それ以前にはこの国の領土の半分はザックブルム帝国という国が収めていたと言う。

ザックブルムの帝王は『魔王』とまで呼ばれた残虐非道な人物で、近隣諸国を次々に攻め落として行った。それら近隣諸国を取りまとめ、魔王の軍勢とまで呼ばれたザックブルムに挑んだのが、当時はまだ辺境の小国に過ぎなかったクィリアダリアだったらしい。

そのクィリアダリアの聖騎士団を率い、仲間たちと共に魔王に挑んだのがリリアの父親とその仲間たち――つまり、勇者様ご一行、というわけである。

『白の勇者』『光の戦士』『聖騎士の刃』――。リリアの父親、フェイト・ライトフィールドは様々な呼び名を持つ聖騎士団最強の騎士だった。魔王に挑み、そしてその巨大な軍勢を破ったフェイトは、いつしか人々に勇者と呼ばれ称えられるようになった。

その勇者の一人娘がこの冴えない少女、リリア・ライトフィールドなのである。つまり勇者の座は、娘に引き継がれたという事だ。

元々、勇者という職業は厳密には存在しない。彼女は戦士であり、騎士に過ぎないのだ。ただしこの英雄学園ディアノイアを囲む要塞都市では話が違ってくる。シャングリラはいつかまた世界を大きな脅威が襲った時、それに立ち向かう為の力を育成する場所なのである。

勇者は願わくばそうした生徒たち――未来の世界を守る英雄たちを導く存在であり、その模範で在ってほしいとの願いを込められ国より継承されたもの。つまりそこにリリアの思う余地など、わずかばかりも存在しないのである。


「お父さんは、魔王と相打ちになって死んだそうです。その時リリア、五歳だったんですよ。お父さんの顔なんて全然覚えてなくて……ああ、勇者ってそういうものなんだなって思ったんです」


人々に称えられた誇り高い存在である勇者、フェイト。しかし彼はきっと父親らしい事は娘に何もしてやれなかったのだろう。

リリアは死んでしまった父親と勇者と言う役職を好きになれなかった。そうして今も好きになれないまま、時間が過ぎてしまっている。


「お母さんは、お父さんより先に死んじゃったそうです。お父さんはお母さんが死にそうな時にも、帰ってこなかったんです。勇者が偉いって言う事もわかります。そういうのわかりますけど、でもそれじゃあ……何を守るために勇者になったのか」


リリアはベンチの上で膝を抱えていた。その瞳には普段の明るさからは想像も出来ないほどの薄暗い苦悩の色が見えた。時々リリアが見せる悲しげな瞳は、恐らく彼女にとって乗り越えられない過去に起因しているのだろう。


「周りの人はみんな、リリアは勇者になる才能があるって言います。リリア、おじいちゃんに育てられたんですけど……おじいちゃんは勇者なんてならなくてもいいって言ってくれました。でも皆がなれっていって、学園から何回も案内の人が来て、助成金を出してくれるって……。おじいちゃん漁師で、でももう歳だから無理してほしくなくて……」


「……じゃあお前は、勇者になんて成りたくないのに、じいさんの為になったって事か」


俺の言葉にリリアは背筋を縮こまらせる。怒られる――そう思ったのだろう。怯えた視線で俺を見上げては、今にも泣き出しそうに瞳を震わせる。

しかし俺はそんなリリアを責めなかった。彼女の気持ちは……俺には痛いほど良くわかった。分かりすぎるから、だから……そこで何も言えなくなった。


「……そうか」


何一つ気の利いた言葉さえ言えなかった。あの日、冬香と別れた時のように。結局は俺も怖いのだろうか。壊れ物のような、他人の心に触れるのが。

しばらく噴水の音だけが世界を支配していた。俺たちの間にあった関わりは表面上だけで、こうしてお互いの気持ちを話し合う事は一度もなかった。だからいつでも笑っていられた。でもこうして蓋を開けてみれば、何の事は無い。リリアは俺に脅えていて、俺は彼女に何もしてやれない。それが、俺の現実――。


「……怒らないんですか?」


俺はこの間中途半端なことをするなとリリアを叱ったばかりだった。とすれば、俺がここで怒ったとしても不自然ではない。

ただ俺はそんな気持ちにはなれなかった。それは多分、リリアの優しさだから。学園都市――ここでは戦う事を目的とした生徒を教育している。熾烈な競争の現場で、こういう性格の奴は取り残されるんだ。他人を蹴落とせず、傷付けられないから。

俺は黙って手を振り上げた。叩かれると思ったのか、リリアは目をぎゅうっと瞑って頭を下げた。しかし俺は振り上げた手でリリアの頭を出来る限り優しく撫でる事にした。


「そんなビビんなって。俺は別に、お前の親でも先生でもないんだからさ」


「……なつるさん」


「勘違いするなよ。別にお前を責めるつもりじゃないんだ。ただ……知っておきたかっただけで」


リリアが日々に脅えている理由や、ゲルトに憧れる理由。

彼女を『立派な勇者にしなければならない』という俺の目的の本質。

ただ、強くなる事が彼女にとっての善ではない。だからといって、この少女を俺にどう変えろというのか。

それは過去に自分に出来なかった事を今やれといわれているような気がしてならなかった。俺が救えなかった冬香の代わりに――この子を救って見せろと。冬香が俺に言っているような気がして、胸が痛んだ。

あいつがこんな主人公を用意したのは、俺を苦しめる為……? 確かに俺はそれだけの事をした。一生その罪を背負って生きていかなければならない。だからここで諦めるわけにはいかないんだ。リリアを救う事は、自分の過去を乗り越える事でもあるのだから。


「別に、いいんじゃないか」


「え?」


「別に……誰もが望むような、勇者にならなくても。お前が望む、お前のなりたい勇者に……そういう物に成ればいいんだよ」


リリアは目を丸くしていた。それから少しだけ嬉しそうに微笑むと、小さく頷いた。

無理してガンバレなんて言えない。俺に出来るのは、この子が望む『理想の勇者』……その姿に近づけるように、応援してあげることだけなのだから。


「リリアのなりたい勇者、かぁ……。えへへ、そんなの考えた事も無かったです」


「そうか? お前は父親の『勇者』に拘りすぎだろう。別に、人によって違う、お前にはお前の勇者があってもいいんじゃないか」


「そうですよね。そうですよね……うん。えへへ、そうですよね」


リリアが笑う。重苦しかった空気が払拭され、ようやく人心地ついた気分だった。


「リリアがなりたい勇者とはちょっと違うけど、ゲルトさんは心から尊敬してるんです。ゲルトさんのお父さんも、勇者だったんですよ?」


「そうなのか?」


白の勇者フェイトと黒の勇者ゲイン。二人は聖騎士団での相棒だった。

二人は類まれなる才能で魔王を打ち負かした大英雄。しかしゲインもまた命を落としている。


「リリアと同じ境遇なのに、どうしてゲルトさんはあんなに頑張れるんだろうって、いつも思うんです。リリアはこんなダメで、へなへなで、部屋の隅っこで膝を抱えて泣いてたのに、ゲルトさんはその間に強くなる為に頑張ってました。それってすごくすごく、すご〜く大変な事だと思うんです。だから、ゲルトさんのことがリリアは大好きなんですよ。同じ勇者なのに、あそこまで立派で……あ、すいません、なんか一気に喋っちゃって」


慌てるリリア。リリアがここまで饒舌なのはいつもゲルトの事を話す時だな。苦笑を浮かべながら相槌を打つ。リリアは一所懸命、ゲルトが以下に凄いのかを身振り手振り説明してくれた。

同じ境遇、同じ痛みを背負うリリアとゲルト。しかしその二人の間にある壁は、限りなく巨大だ。しかしそこで少々疑問が生まれる。


「それにしてはお前たち一緒に行動していないんだな」


父親同士が仲間でその役割を引き継いだ二人の勇者なら、仲良く切磋琢磨しているのが普通のような気がするのだが。

リリアは俺の言葉に苦笑を浮かべる。そうしてそれから何とも言えない寂しげな口調で、ゆっくりと想いを言葉にした。


「ゲルト、さんは……。遠すぎて、近づけないんです。見ているだけで、いいんです。リリアはあんなふうにカッコ良くはなれないから……だから」


「――――なれるさ」


リリアの肩を強く叩き、同意を求める。


「つーか、なるんだよ。そうだろ?」


リリアは照れくさそうに頬を朱に染めながら、小さくこくりと頷いた。

だが俺は逆にわからなくなっていた。リリアはゲルトを心の底から尊敬している。

だったらどうしてなのだろう。

原書に記された近い未来、リリアを殺そうとしているのがゲルトにしか見えないのは――。

リリアは少しだけ気持ちがすっきりしたのが、元気良く立ち上がった。俺はその背中に不安を覚えながらも、普段通りのトレーニングメニューをこなすことにした。


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