虚幻の日(6)
天空の搭から世界を見下ろす。その景色の中、アルセリアは過去へ想いを馳せる。
かつてまだ彼女がただの姫君であった頃。その頃から世界はどれだけ変わったのだろうか。
繰り返される悲しみに零す涙も枯れ果てて今は既にあの頃の気持ちを思い出す事も叶わない。しかしそれでも、そんな磨耗しきった魂でも……この世界に出来る事がある。
そこは神の領域。搭の途中、広がる白き円形の広場。美しく光沢する全てが彼女の姿を映し出し、雲の切れ間に世界の姿を見る。
静かに迫る終焉の時間。自分の幕引き、せめてそれだけは自分の手でおろしたいのだと願う。心の中の優しい記憶の全てを塗り潰しアルセリアは剣を構えた。
「――――遅かったですね。リリア・ウトピシュトナ……いえ、本城冬香と呼んだ方が良いのでしょうか」
構えた剣を大地に突き刺し小柄な少女は問い掛ける。リリアの他、余計な救世主まで階段を登ってきている事は判っていた。二人を一瞥しアルセリアは悲しげな瞳で続ける。
「出来ればこの世界の問題はこの世界の人間で解決したかったのですが……。救世主夏流、ナタル・ナハがこの上で待っています。世界の始まりの場所、創造の部屋で」
「俺を妨害しないのか?」
「私が手を下さずとも貴方はナタルに敗北する。彼は私と同じくこの世界では絶対的な力を持つ戦神です。彼に何か物申すのであれば、その一言くらい告げる権利を与えてあげても良いでしょう?」
アルセリアはそう呟いて自らの背後を指差す。そこには更に空へと続く回廊が伸びている。夏流は小さく息をつき、それからリリアを見詰める。
リリアは夏流の瞳を覗き込む。そうして出会ったばかりの二人のように無邪気に笑顔を浮かべ、それから親友の剣を手に視線を振り切って。
「リリアはリリアの戦いをします! 信じていてください、夏流さん……っ!! リリア、絶対に――! 絶対に、勝ちますからっ!!」
少女の叫び。少年は頷き、それからアルセリアの真横を通り過ぎて行く。夏流を素通りさせる二人の視線が一瞬だけ交わり、そして離れて行く。
救世主は階段を駆け上がって行く。その足音が聞こえなくなった頃、アルセリアは大地に突き刺さった巨大な剣の上に飛び乗って柄の上に立つ。
「……少し、昔話でもしましょうか? この世界を生み出した神様と……世界の平和を祈ったお姫様の物語です」
夏流は階段を昇り続ける。背後に残したリリアの事が気がかりでないと言えば嘘になるだろう。しかしこの戦いはそういうものなのだ。
「昔昔、稀代の天才と呼ばれた高い魔力を持つ少女が居ました。彼女は王族にしてヨトの存在に近い高位の種族、リアの一族だった。彼女は毎日欠かさずヨトに世界の平和を祈っていました。一日も欠かす事無く、純然たる心で」
階段をずっと走り続けている。夏流は息の一つも乱す事は無い。頭上遥か、頂上がようやく目に映る。
「ヨトは少女の純粋さに目を付け世界を見届ける役目を与えました。少女は喜んでその力を受け取りました。そうして世界を渡り歩く旅が始まったのです」
階段を駆け上る間夏流は様々な事を思い返していた。もう直ぐ自分の姿も意味もこの世界で形を成さなく成るだろう。そうするのは自分の意思。嘆く事は出来ない。
「ですが直ぐに少女は後悔しました。世界は悪意に満ちている。幼い生命である人間は何度でも世界を焼き命を散らしてしまう。美しい物に溢れたこの世界を汚れた人の心が壊してしまう――。人間への怒りはやがて世界をこんな風に作った神への憎しみへと変わっていきました」
沢山の人との出会いが自分を変えてくれた。それも全てはこの世界に自分を呼んでくれた冬香の――そしてナタルのお陰だと少年は思っている。
「世界を憎しみに溢れさせ、愚かしい過ちを繰り返させる神……。世界を作った神は既にこの世には居ませんでした。在ろう事か想像主は自ら命を絶ち、この世界から居なくなったのです。そう、全ての責任を投げ捨てて――」
まるで長い長い夢を繋ぎ合わせたようなツギハギの世界。そこで夏流は充分に沢山の物を手に入れた。失った物なら何も無い。ただ心の中に、沢山溢れて滲む何か。
「姫は誓いました。自分の力で世界を導いて見せると……。しかし現実は残酷にもヨトの定めた『空白』を超える事もなく繰り返される。また、幼く未熟な痛みを知らない世界へと。その輪廻を食い止める事は神の力を受け入れてしまった少女には不可能でした。神の従者となった瞬間彼女は自由を失っていたのです。主である、嘗て毎日祈りを捧げた神を倒す事は彼女には不可能だった」
世界は虚幻の海に漂う小さな可能性のようだ。時に荒波にもまれて沈んでしまうその小さな輝き……。それを拾い集め、少年はここまでやってきた。
「故に必要としたのです。この世界を変え得る――神と同義の存在を。世界を救い解き放つ救世主を。願いは成就された――。千の呪いの言葉を以って殺すことの出来なかった神は今は居ない。居るのは人――。ただ人だけなのです」
階段を昇りきった夏流の目の前に広がる空の世界。白い光に導かれ遠くに太陽が輝いている。遥かなる夢の高み――。その場所でナタルは救世主を待ち構えていた。
「故に、私は人の身でこの世界を変える。私の長すぎた人生の全てを掛け金に博打に出るのです。貴方は私に引導を渡す存在……? それとも、ここで私に吹き消されてしまう愛らしい命――?」
二人の英雄が向かい合う。白い光が降り注ぐ中、二人の男は拳を構える。
「証明して欲しいのです。物語の結末を……。この世界の幸福を。貴方が――この世界を産み落とした意味を!」
二人の男が同時に駆け出す。それと同時期、二人の白きリアの姫が剣を手に取り前へ。
四つのシルエットは別々の場所で交差する。交わる力と力――。今、世界の幸福をかけた最後の戦いが幕を開けた。
⇒空白の日(6)
二人の少女の影が衝突する。白銀の光を放ちアルセリアは自身の何倍もある巨大な剣を軽々と振り回す。
リリアの戦い方とそれは酷似していた。二人の魔力も拮抗している。神に限りなく近い少女と神に選ばれた少女。二人は高速で何度も刃を交える。
「貴方は自ら命を絶った――! 何故なのですか!? 貴方は何故世界を見放したのですか!」
「――『私』は……」
「この世界を作ったのならっ!! その責任を果たさずして何が神かっ!? 貴方はただ自分の責任を投げ出して逃げ出した――! 未熟なヨトを放置して!!」
巨大な聖剣がリリアを吹き飛ばす。空中に大剣を蹴り上げ、アルセリアは両手で魔法を放つ。光の矢が雨のように降り注ぎリリアは両手に構えた二対の魔剣でそれを切り払う。
落下してきた剣を身体を捻りながら受け取り、地上を低く回転しながらリリアへと剣を振るう。巨大な剣を細身の剣では受けきれずリリアの腕に亀裂が走る。
骨が軋む。やがて耐え切れなくなった幾つかの軸が音を立てて圧し折れた。腕の骨が皮膚を突き抜ける。防ぎ切る事が出来ずにリリアの胸を切り裂いて大剣は踊る。
火花が散る。妙な方向に向いてしまった左腕に回復魔法をかける。その腕は一瞬で再生し、既に痛みも違和感も存在しない。リリアが指を鳴らすと空中に無数の白い球体が浮かび上がり、アルセリア目掛けて降り注ぐ。
接触した存在を一撃で葬り去る虚幻魔法――。ヨトの力を受け継いでいる今のリリアにとってそれは造作も無い事であった。
長大な剣を担いでいるにも関わらずアルセリアは白いドレスを靡かせながら華麗に破滅の渦を乗り越えて行く。踊るようなそのステップにリリアは剣を一つにあわせ両剣の形にして走り出す。
「そう、私は逃げ出した……。怖くなったの。これ以上この世界に関わっていいのかどうかわからなくなった――。ううん。こんな夢の世界に現を抜かして居ちゃいけないんだって、彼が教えてくれたから」
フレグランスを片手で回転させながら跳躍する。低空を一息にアルセリアまで近づいた旋風は巨大な剣を何度も強かに打ち付ける。
その度に派手な火花が舞い散る。二つの偉大な剣が激突する度に二つの巨大な魔力が鎬を削り大気を揺らす。
「この世界に私は夏流の代わりを作った。『彼』は夏流の代役……。私はね、アルセリア――? ただ、夏流とやり直したかっただけなんだよ」
アルセリアが大地に突き刺した剣を軸に体ごと蹴りを放つ。一瞬で剣を二対に分離させ身体を回転させて踊るようにそれを回避する。直後にカウンターで剣を振るうがアルセリアの生み出した魔力障壁で防がれてしまう。
そのまま体勢を崩したアルセリアを五回連続で左右交互に斬りつける。しかし障壁は切り崩せず、アルセリアは剣の上に着地してそこから魔法を放つ。
無数の鎖がリリアに迫る。同じく鎖で相殺し、剣を投擲するリリア。空中で幾重にも交差した鎖の上に舞い降りたアルセリアは剣を置き去りに空中からリリアに襲い掛かる。
二人は徒手空拳のまま鎖の上で拳をぶつけ合う。蹴り、拳、それが何度かぶつかり合い同時に放った魔法が衝突し相殺し爆発する。
白煙の中二人は剣を手に取り後退する。リリアが指を弾き鎖を全て消滅させるとアルセリアは目を細める。
「そんなくだらない理由の為にこの世界を犠牲にしたというのですか」
「そうだよ」
「……それが、この世界を産み落とした人間のやる事ですか」
「――君は少し誤解をしているんじゃないかな」
リリアは剣を降ろし、小さく笑う。それは決してアルセリアを見て笑っているわけではない。ただ、自分自身の気持ちが晴れやかだからこそ来る笑顔。
「この世界は生まれたくて生まれてきたの。世界は 私が居なくてもいつかは独りでに歩いて行く。それを邪魔していたのがヨトなら私にも責任はあるかもしれない。でも、『それがどうした』の?」
「…………」
「自分の力不足を私の所為にしないで。私にとってこの世界は偽りの世界。いつかは帰るべき場所があって、会いたい人が居た……。ただ、それだけで充分だった」
目を瞑り魔剣を振るう。リリアの背中に白い光の翼が現れ、それは光の粒になってフレグランスを包み込んで行く。
「――でも、そんな自分の我侭が怖くなった。止めてしまいたくなった。でももう止められなかった。だから私は逃げ出した。ヨトは私を現実の世界に返してくれなかった。だから私は――自ら死を選択した」
光の羽が舞い散る――。
それは友の願いを受けた剣。それを飲み込んだ白い光の翼が剣を黒白に装飾していく。
白と黒の交わるコントラストが願いを受けて巨大化する。リリアが瞳を開き二つの大剣を構える。
「私は死んだ。私はもう居ない。だから、今ここにいる『私』は幻……。それこそ、私こそが虚幻の存在。でも今、私は『リリア』と共にある」
光の風を受けて少女は目を瞑る。心の中に渦巻く二つの記憶と二つの心――。その両方が、一つの愛を求めている。
「『私』は消えるよ。でも、『リリア』は消させない――。『私』はこの世界の可能性。私が愛した大事な私……。だからリリア、謝らないです」
ゆっくりと、一歩一歩前進する。
「リリアは謝らないです。自分の罪も自分の存在も世界の全てを肯定する。ゲルトちゃんがリリアにそうしてくれたように……リリアもこの世界と、それから冬香さんを信じます。だからリリアは、私は――」
二つの心を重ねて一つの願いの為に歩む。その一歩一歩に迷いはない。
「一緒に消え去りましょう? アルセリア。私たちの、忌まわしい過去と共に……。この世界を新しい命に明け渡す為に――」
そう、迷いなら既にない。考えるべき事も存在しない。
あるのは戦いのみ。それは憎しみに根差すような愚かしいものではなく。自分たちの存在を確かめるために必要な儀式。
最上階で拳をぶつけ合う二つの英雄の影。二人は殆ど何も言葉を交わさないまま長い間ずっとそうして戦っていた。互いの拳が同時にお互いの頬に減り込み、二人の足が同時に二人の腹を穿つ。
同時に吹っ飛んでダウンする二人。ゆっくりと同時に身体を起こし、男二人は笑いながら向かい合う。
「……やっぱり強いな、お前は」
「恐れ入りましたよ、ナツル様……。貴方は最早ワタクシが始めてこの地にお招きした時とは別人……。その成長、心から喜ばしく思いますよ」
二人は同時に立ち上がる。ナタルがネクタイを緩め夏流が口から血を吐き出す。二人は同時に笑い合い、それから深く息をついた。
「――ワタクシは愚かな存在です。愛する人を……ワタクシを生み出してくれた人を守る事も出来なかった」
シルクハット手に取り胸に当てる。瞳を閉じ、過去へ思いを飛ばす。
「ワタクシは貴方。貴方はワタクシ……。ワタクシは貴方の代わりでした。彼女はいつでも貴方を求めていた。その気持ちに気づきつつ応え様としなかった貴方……。二人の関係にどれだけワタクシがやきもきしたか」
「お前が……こっちの世界で冬香を守ってくれていたのか」
「彼女はワタクシの主でした。けれどもワタクシは貴方ではない。同じようで全く同じではない。いえ、全く同じに作られたとしても……そこに意味はなかったのです」
ナタルは元々はこの世界そのものであった。生まれたいと思う意思――。それはヨトと精霊、二つの意思へと姿を変えた。
この世に産み落とされたナタルは龍の姿をしていた。全ての龍の頂点に君臨する龍王――。原初の精霊。それこそ彼の正体。
「ワタクシはトウカと一緒に様々な場所を旅しました。共に物語を刻みました。ワタクシはトウカに永遠を願っていた。彼女の微笑みが途絶えてしまわない事を、切に……。しかし、彼女は気づいてしまったのです。この世界に入り浸り、まるでオモチャを扱うように世界を簡単に変化させてしまう自分のやってきた事が、どれだけ重要なことだったのか……」
帽子を投げ捨て口元の血を拭う。そうしてナタルは鋭い龍の金の瞳で夏流を射抜く。
「彼女は恐怖に震えた。自分が間違った事に……。そう、彼女は貴方と正反対だった。失敗を恐れる余り行動を起こさない貴方。失敗よりも先に行動し、過ちから目を反らそうとするトウカ……。どちらも本質は同じなのでしょう? 彼女は一つの魂を分かち合ったと言っていました。そしてそれはきっと戯言ではなかったのです」
「じゃあ、冬香は自分の力を恐れて……」
「ええ。ヨトは彼女を手放そうとしなかった。ある意味彼女をそこまで追い詰めたのはヨトだったのかもしれません。しかしヨトはただ、生まれたばかりの意思で一人になる事が怖かっただけなのです。誰か一人が悪かったわけではないのでしょう。勿論その責任の一端は貴方にも在りますしワタクシにも在ります。しかし、誰か一人が背負うべきことではなかった」
ナタルが龍の翼を広げる。黄金の光の輪を背後に神々しい輝きを放ちながら龍神はふわりと浮かび上がり夏流を見詰める。
「アルセリアはヨトの力で存在を肯定されていた神の模造品――。ヨトが消えた今彼女が消滅するまで時間はそう多くは残されて居ないのでしょう。ですがワタクシはこの世界の根源に根差す者であり、ヨトの消滅の影響を受ける事はない」
「アルセリアが焦ってた理由はわかったよ。で、お前はそれを手伝ってやりたかったと」
「ええ。何しろ古い友人ですから。消えてしまう前の一瞬、その輝きを放つ舞台くらいは整えてあげたいじゃあないですか」
「なるほどな……」
腰に手を当て夏流は深々と溜息を漏らす。
「じゃあお前、本当に今回の件はど〜〜でもいいのな」
「ええ。ど〜〜でもいいのです。たった一つワタクシにとってどうでもよくない事があるとすれば――それは貴方との決着に他なりません。いえ、それさえも自分の過去と決別を遂げたいだけの我侭なのですが」
「――いいんじゃねえの、そういうのも」
腕を組んだまま夏流が答える。笑顔を浮かべ、それから拳を空に掲げた。
「付き合ってやるよ、世界の最後の大舞台を乗っ取って組み込んだ馬鹿喧嘩――。ここまでやって派手にやらなきゃ意味ねえからな」
「――心より感謝しますよ、ナツル。貴方と出会う事が出来てよかった」
「ああ、俺もだよ――。てめえをぶっ飛ばして、心置きなく俺は帰れる――ッ!!」
夏流が拳を構える。ありったけの魔力をそこに流し込んで。
リリアが神剣と化した黒白の剣を構える。全ての思いをそこに込めて。
「神討つ一枝の魔剣その力を我は担う――ッ!!」
「この剣に私がこの世界で見つけた全ての想いと願いを込めて――ッ!!」
黄金の光が。黒白の光が。大空を照らし上げる。
雲を突き抜け世界の限界を突き抜け未来を照らす真実の光。そこに込めるのは勇気。そこに輝くのは愛。
二人は同時にお互いの存在をすぐ傍に感じていた。場所は離れていても、心は直ぐ傍にある。
仲間たちが戦っている。その戦いのすべては『ここで二人が勝利できるかどうか』にかかっている。ここで勝てなければ全てが無意味になる。白紙に戻る。
だから敗北は赦されない。故に二人は全てを出し切る。心の奥底から湧き上がるものが魔力だというのなら、この愛も勇気も全ては力に代わる――!
「俺はリリアを愛してる――ッ!!」
「私は夏流を愛してる――ッ!!」
「「 だからッ!! 」」
英雄神が雷撃を放つ。夏流はそれを掻い潜り、光の拳を担いで跳躍する。
光の翼が救世主の身体を大空へと飛翔させる。一息に夏流は拳を降りぬく。
鋼鉄の姫君が巨大な剣を振りかざす。リリアは二対の剣を低く構え、体ごと舞うように斬りかかる。
踊るような二つのステップが交錯する。二つの拳が激突する。少年少女は同じ夢を見る。同じ願いをそこに描く。
「ブチ抜けぇぇぇえええええええッ!!」
「鳴り響けぇぇぇえええええええッ!!」
「もっと――!」
「もっと、もっと――!!」
「「 もっとだああああああああっ!! 」」
全てが光に包まれていく。胸の内側から溢れ出す思いは留まる事を知らない。世界に溢れた心は拳に、剣に宿り、眩く輝く力を放つ。
夏流の拳がナタルの拳を砕く。リリアの剣がアルセリアの剣を断つ。二人の神は目を見開いた。自らの敗北が決定した瞬間であった。
しかし二人の神は同時に微笑む。二人もまた同じように心を通わせていた。夏流の光が、リリアの光が、自分たちの存在を――そして過去から続く世界の闇を薙ぎ払う。
誰かに管理される世界は終った。そして彼らが育んだ英雄たちは確かに今こうして世界の脅威を前に心を通わせている。憎しみ合う全ての命が一つに交わっている。
それこそが彼らの願い。アルセリアがディアノイアを作った理由。未来の英雄たちを――。神の居なくなったこの世界を守れる、真っ直ぐで熱くて火傷しそうな魂。アルセリアが確かに残したかった物は――。幸福の予兆は――。ハッピエンドの兆しは――。バッドエンドを乗り越える力は――。
今、その願いの全ては、ここに――――。
光が降り注いでいた。その景色をアイオーンは仰向けに倒れたまま見上げていた。
その体には無数の剣が突き刺さり、全身からじわりじわりと血の雫が零れて行く。同時にアイオーンは感じていた。自分の主が倒された事を。
体の自由が利かなくなっていく。騙し騙し動かしていたその身体も最早限界を迎えた。しかし今、こうして倒れる彼女に後悔はなかった。
アイオーンの視界に彼女を倒した剣士の姿が映りこむ。笑顔でそれを見詰めると、剣士はアイオーンを担いで歩き始めた。
「……どこへ、行くんだい……?」
「決まってるだろ……! 夏流たちの所だよ! あいつらが勝ったんだ! もう、終わったんだよ!」
空を舞う天使たちが輝きと共に塵に還って行く。光の粒がディアノイアの空を埋め尽くしている。まるで雪のような、しかし暖かな光の粒――。
アイオーンを担いで歩くアクセルの正面、ブレイドが駆け寄ってくる。ブレイドは直ぐに状況を察してアイオーンを担ぐのを手伝い歩き出す。
「……君たち、は……」
エアリオが、マルドゥークが走ってくる。アクセルは何も答えずに搭を上る。間に合わないかもしれない。それでも今は、搭を昇りたかった。
「どうやら時間切れみてえだな」
レプレキアと戦っていたヴァルカンの身体が突然輝き出す。周囲で天使が光の泡となって消えて行く中、ヴァルカンもその例に漏れずに消えてしまう。
世界に存在する全ての監視者が消えて行く。ヴァルカンは斧を降ろし、光に消えて行く体で孫たちを見詰めた。
「そいじゃあ、まあ、しんどい世界だが……せいぜい頑張れよ」
風が吹き、突然目の前から姿を消してしまうヴァルカン。レプレキアは剣を下ろし、ヴァルカンの消えて行く空を見上げていた。
「…………行くのか?」
搭の途中、踊り場に座り込んだ秋斗が呟く。自らの周囲に倒れこむ無数の機械人形たちとの戦闘で傷ついた救世主の肩から飛び降りた白いうさぎ。
サイファーは人の姿に変身する。座ったまま相棒の姿を見上げ、秋斗は優しく微笑んだ。
「今まで、ありがとうな……。サイファー」
「――こちらこそ。無理しないで、頑張って生きてね……。たまには素直に成る事も、大事」
「……余計なお世話だ、バカ」
サイファーは優しく微笑む。その姿に腕を伸ばす秋斗の目の前で風が吹き、気づけばその姿はどこにもなくなっていた。
伸ばしかけた腕を落とし、秋斗は目を瞑る。その場に大の字に倒れこみ、深く息を付いて悲しみを飲み込んだ。
全ての人々が空を見上げていた。光の泡が世界を照らし上げる。幻想的な、神々しい景色――。そこに沢山の悲しみと喜びを織り込んで、誰もが祈りを捧げる。
それは誓い。これからの世界を守り続けて行くと言う事。
それは労い。今までの世界を守り続けてくれてありがとう。
それは弔い。全ての犠牲になった命を、滅びかけた世界へ捧ぐ。
空に舞う数え切れない祈り。その全てはきっと今、搭の中で消えようとしている者へと向けられていた。
胸に剣を突き刺され、アルセリアは口元から血を流しながら微笑んでいた。剣を握り締めた勇者は涙を流し、目を瞑る。
「ごめんなさい……」
「何故、謝るのですか……? 貴方は、『悪』を倒したのですよ……? 誇り褒められる事ではあれ……謝らねばならないような事は何もありません」
「でも……っ!!」
「行き、なさい……。私の子供たちを……貴方に、託しても……良いの、でしょう……?」
そっと、痛みを与えように。リリアは剣を引きぬいた。傷だらけになった互いの顔を寄せ、少女は小さく頷いた。
「ありがとう……。この世界を、作ってくれて。この世界を……守ってくれて。さあ、行きなさい……! 貴方の物語はまだ、終わっていないのだから……っ!」
リリアはアルセリアの小さな身体を優しく抱き寄せた。そうしてその口元の血を拭い、それから涙を振り払って駆け出した。
勇者が走り去っていく。階段を駆け上がっていく。それを見送りながらアルセリアは静かに目を閉じた。
長い長い夢を見ていたような気分で深く息を付く。全ての眠りはもう覚めた。世界は今、本当の姿へと移り変わっていくだろう。
神の手を離れた世界。しかしそこで人々は生きていける。そのためにディアノイアがあった。そのために物語があったのだから。
「――私の身には余る……良い、夢物語でした。世界はやはり……美しいのですね――」
一陣の風が姿を攫っていく。ゆっくりと解け、光に代わっていく。舞い散る泡は花弁のように――。世界の空へと回帰する。
リリアは階段を息を切らして走っていた。激しい戦いで消耗し、足元もおぼつかない。それでも必至に走り続ける。転んでも、縺れても、それでも前へ。
「夏流……っ」
遥か上空、階段は続いている。決着はもうついたのだろうか? 焦る気持ちを必至で抑え、階段を駆け上がる。
一つ一つそれを駆け上がる度に別れの瞬間が迫っていく。それでも少女は走らずには居られなかった。これまでずっと走り続けてきた。そう、それはこれからも変わらない。
一生懸命に走り抜けてきた道、その記憶を一段一段踏みしめて。勇者は辿り着いた。全ての終着、世界の最果て、物語の始まり、そして全てが終わった場所。
そこにはナタルが倒れていた。倒れたナタルの傍には夏流の姿もある。二人はどうやら相打ちだったらしい。凄まじい戦いの後、そして傷だらけの二人だけが残っている。
「夏流さあんっ!!」
倒れた夏流に駆け寄る。リリアの声に反応して救世主はゆっくりと身体を起こした。その傷だらけの身体を気遣う余裕も無く、全力で腕の中に飛び込んだ。
「夏流さーんっ!」
「おぶうっ!? 死ぬっ!?」
「夏流さん! 夏流さん、夏流さん……っ!」
口から血を吐く夏流を無視してリリアは泣きじゃくった。その様子に救世主は口元の血を拭い、勇者の身体を抱きしめる。
別れの時が迫っていた。それはお互いに何も言わなくても判っていた。ほんの、この時間だけでもいい。二人はお互いの存在を確かめ合う。
「リリア、忘れないよ……。夏流さんとの想い出、貴方がここに居たって事……。何もかも、全部――!」
「俺も忘れないよ。泣き虫なへこたれ勇者がこの世界に居たって事……。一緒に過ごした時間の全て。いつか時が過ぎて、記憶は薄れて行くのかもしれない。それでも俺は、自分がリリアを好きだった事だけは忘れない」
「うん……。うん……っ」
二人はそうして暫く抱き合った後、ゆっくりと立ち上がった。リリアの涙を指先で拭い少年は苦笑する。
「そんなにぴいぴい泣くなって。もう、俺が居なくても……大丈夫だろ?」
「うん……」
「俺も、リリアが居なくても大丈夫だ。俺、この世界に来て良かったよ。変われたんだ、きっと……。こっちの世界でもきっと幸せには生きていける。でも俺の世界は向こうだから――。俺の戦いは、俺の物語は、あっちでちゃんと自分で紡がなきゃ意味が無いから」
「うん……」
「だから、向こうの世界で頑張るよ。皆と過ごした事、学んだ事忘れない。今まで蔑ろにしてきた俺の事、俺の世界の事……全部、ちゃんとするから。ちゃんと頑張れるから」
「…………」
「だから、泣くなって……。大丈夫だから……」
涙が止まらないリリアを抱き寄せ、自分の胸にそっと押し当てる。夏流もまた涙を流していた。笑いながら、しっかりとした口調で話しながら、それでも涙は止まらなかった。
「離れたく、ないよう……」
「……俺もだ」
「ずっと一緒に居たいよう……」
「俺もだよ」
「でも……。夏流さんの事が大好きだから……。その夏流さんの頑張るって気持ちを無駄にすることだけは、絶対にしちゃいけない――」
リリアがそっと顔を上げる。涙で潤んだ瞳で、それでも笑ってみせる。
「リリアも頑張るよ? こっちの世界で、精一杯頑張る! 自分の物語を終わりには出来ないから……。たくさんたくさん、いーっぱい色んな人の思いを受け継いだから! だからリリア、世界の心に応えたい!」
「俺も、リリアの頑張る気持ちを無駄には出来ない」
「「 だから―― 」」
夏流が目を瞑る。その身体はゆっくりと、光になって解けて行く。
いつの間にか階段を登ってきていた秋斗が階段に腰掛けたまま溜息を漏らす。そうして光に成り始めた自分の掌をじっと見詰めた。
秋斗の視界に階段を登ってくる仲間たちの姿が見えた。しかし少年はその道を通そうとはしなかった。せめて最後の瞬間、あと少しだけでも二人きりにしてあげたいという彼にしては珍しい御節介だった。
夏流の背後、傷だらけのナタルが笑う。そうしてどこからともなく取り出したシルクハットを頭の上に乗せてタキシードの男は空に指を鳴らす。
天空に巨大な門が開かれる。全ての光の泡がそこに吸い込まれていく。全ての悲しみも願いも連れて、夏流の身体さえもそこに飲み込まれてしまう。
夏流は無言でリリアの唇を奪う。二人は抱き合ったまま長い間そうして唇を重ねていた。ナタルが空に浮かび上がり、門の前に立つ。
別れの時を告げる光。夏流はリリアの頭を撫で、それから心からの笑顔を浮かべる。
「……それじゃあな。へこたれ勇者――――」
夏流が背を向けて歩いていく。リリアは胸に手を当ててその後姿を見詰めていた。
少年の姿はゆっくりと、一歩一歩空に舞い上がっていく。秋斗の身体が一足先に解けて消えて行く。少年はアイオーンを背負ったアクセルに笑いかけ、それから指を鳴らした。
光と成って在るべき世界へ消えて行く秋斗。その友とそして相棒であるナタルが待つ門へ夏流は舞い上がっていく。
「……夏流さん。夏流! 夏流――ッ!!」
リリアは走り出していた。見送るだけのつもりだったのに。想いが止められず、待ちきれず、走り出す。
途中で盛大に転んでしまった。それでも立ち上がって走り続ける。搭の端、それ以上先は存在しない場所まで。
「忘れないから! 絶対絶対忘れないからっ!! さようならっ!! また!! 絶対また、逢えるからぁあああああっ!!!!」
夏流が最後に一瞬振り返る。救世主はその時微笑んだような気がした。それはリリアの思い込みだったのかも知れない。或いは真実だったのかも知れない。
空に消えてしまった全ての光がはじけて門を掻き消して行く。雪のように降り注ぐ光の雨の中、仲間たちは最上階へと足を踏み入れた。
「……ニーチャン、いっちまったなあ」
「ああ。ヤツらしい、あっけない最後だ」
「夏流君〜……今までごくろうさまでした〜」
「ナツル〜〜〜〜ッ!!!! 元気でなあああああああああっ!!!!」
「…………ありがとう、夏流」
仲間たちの声が空に響き渡る。リリアは胸の前で手を組み、静かに祈りを捧げる。
そんなリリアの体からゆっくりと、影が抜けるようにして本城冬香の姿が現れた。冬香の魂とも言えるその光を前に二人の存在は向かい合う。
冬香はリリアに微笑みかけ、それから光となって世界に広がっていく。それと同時にリリアは両手を広げ、天高く聳え立つ塔の上から静かに歌い始めた。
それは、再生の歌。神の力の全てを使って世界を痛みから解放する力。滅びかけた世界に、荒野と化した大地に歌声が響き渡る。
死に掛けた人々は次々に息を吹き返し、全ての傷が癒えて行く。大地には緑が戻り、空は晴れ渡り全ての世界の淀みが晴れて行く。
「この歌……? ママが、歌ってた……?」
「きっと、リリアが歌っているんだよ。この世界を作った時のように……。命を生み出す力を持つ、彼女だから……」
地上から空を見上げるレプレキアとリリア。リア家に伝わる子守唄、創造の歌が流れる中二人は見詰め合い笑い合う。
リリアという少女が生まれた時から持っていた究極の力。その全てを燃やしつくし、世界を再生させる。命を一瞬で奪いつくす虚幻魔法――。それは究極の回復魔法でもある。
触れる全ての命を再生させる究極の歌声。死者の命さえも救い、世界を潤して行くだろう。
本城冬香という彼女の力の源が消えて行く。リリアはそれから長い間ずっと搭の上で歌い続けていた。
真実の空白の日が世界を満たして行く。一人の少年の事を想い続ける。きっとこれからも、ずっと。
「――――ありがとう、夏流」
消えてしまった冬香。リリアはその場に座り込み、両手を空に伸ばす。
晴れ渡る蒼穹の空。その日、世界は生まれた意味を知る。そして勇者の少女は己の物語の新たな始まりを予感していた。
世界は流れ続ける。永遠に。その目先にあるハッピーエンドを、その向こうにあるバッドエンドも超えて。
少女は空を見上げ続けた。それからずっと、見上げ続けた。それからお腹が音を立て生きている事を思い出させるから。仕方が無く、立ち上がり――。
「…………よしっ!」
元気な笑顔で振り返る。少女は去っていく。搭の最上階から。
それが原初に記されたラストエピソード。それはつまり――。虚幻の日――。
虚幻のディアノイア
〜完〜
〜それゆけ! ディアノイア劇場Z〜
*最終回*
リリア「……おわっちゃった」
ゲルト「終わりましたね」
夏流「終わったな」
三人「「「 ………… 」」」
ゲルト「ま、まあ……何はともあれ完結記念ということで」
リリア「なんだか燃え尽きちゃって何もする気が起きないよ」
夏流「俺もだ」
ゲルト「も、もう二人ともしっかりしてください! まだエピローグが残ってるんですよ!?」
リリア「え? まじで?」
夏流「あ、そうなんだ」
リリア「でも終わっちゃったよね……」
夏流「終わったな」
ゲルト「……え? こんなんでいいんですか、このコーナー最終回なのに……」
夏流「いいんじゃないかな?」
リリア「なんかやることは大体やった気もするのですよ」
ゲルト「ま、まあ……それもそうですが」
夏流「そんなわけで」
リリア「今まで連載にお付き合いいただきありがとうございましたっ!! 本当に本当に長くなってしまいましたが、ここまで読んでくれた人はみんな愛してる!」
ゲルト「ありとあらゆる意味で未熟でしたが、少しでも面白いと思っていただけたのならば幸いです」
夏流「むしろ本当にお疲れ様でした。もうちょっとだけ続きます」
リリア「むふふ、完結記念でリリアちゃん今までありがとうメッセージが山のように来るに違いないんだよう! 今のうちにお返事を考えておかないと〜」
ゲルト「……気楽ですねえ」
夏流「つーか、もう俺たち出番ないんじゃねえの? もう劇場これでラストなんだろ? じゃあ返事するトコないじゃん」
リリア「あ」
ゲルト「……今気づいたんですか?」
リリア「虚幻のディアノイア2nd Paradxとかに続く!」
二人「「 それはない 」」
リリア「にゃーっ!」
ゲルト「なんだかすごくグダグダですが……」
夏流「ま、むしろ劇場らしくていいか」
リリア「それじゃあみんなーっ!! いつかまたリリアの事を思い出してねー!」
三人「「「 今までご愛読ありがとうございました〜! 」」」
リリア「神宮寺先生の次回作にご期待ください……!」
夏流「俺たちの戦いはまだ始まったばかりだ!」
ゲルト「えぇ?」