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虚幻のディアノイア  作者: 神宮寺飛鳥
第四章『全てを救う者』
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虚幻の日(3)


「はい、おしまい」


一言そう呟いてメリーベルは顔を上げる。治療をしてもらったお陰で体の具合は大分良くなっていた。

バテンカイトスの一室、今や彼女の研究室となったその部屋で二人きりで向かい合う。メリーベルにこうして世話になっていると二年前の事を思い出す。

初めて出会った時からメルには無理ばかり言ってきた。今までこうして戦ってこられたのもメルのお陰だと言えるだろう。


「こうしていると昔を思い出すわ」


「奇遇だな。俺も同じ事を考えていた所だよ」


二人して笑いあう。メルは昔よりずっと素直な笑顔を浮かべられるようになっていた。

この二年間の間、彼女もきっと自分の目的の為に努力を続けてきたのだろう。病弱に戻ってしまった身体を引き摺ってまたこうして俺たちの為に力を貸してくれる。それが全ての過去が無駄じゃなかったと教えてくれる。


「二年前、ナツルは死んだと思ってた」


「……だろうな。俺も死んだと思ったくらいだ」


「でも生きてた。こうしてまた会えた……。ゲルトの事は、残念だけど……。だからこそもう、これ以上誰にも死んで欲しくない」


車輪が軋む音がする。彼女は涙を流さなかった。でも、彼女が一番ゲルトの事を気にかけていたんだ。ゲルトが死んで悲しくないはずがない。

俺だって今も悲しい。でも今は涙を流す時じゃない。戦うべき時なんだ。だから悲しむのは後に回す。そうしなきゃ、ゲルトがきっと赦してくれない。


「今のあたしに出来る全てで武器を強化しておくから……。それがどれだけナツルの力になるかはわからないけど……」


「……なんか、悪いな。昔からずっとメルには頼りっぱなしだ」


「……いい。それくらいしか出来ないから。一緒に戦えるのは……これだけだから」


寂しげに微笑み、それから俺の手を握り締める。祈るようなその姿に俺は苦笑を浮かべて肩を叩く。


「……死なないで。まだ、話したい事が沢山あるから」


そうだ。二年前俺は生きて戻ってくると彼女に告げて、それっきり……。戻る事はなかった。

そういえばあの時メルが何かを言っていたような気がしたが……体感時間で二年前、しかも何度も死に掛けたとあって良く覚えて居ない。うーむ、こんなんじゃゲルトにぶっ飛ばされるな……。

一人で悩んでうなり声を上げているとメルは口元に手を当てて笑っていた。無邪気な笑顔……それは彼女が何かを乗り越えた事を意味しているのだろうか。


「死なないよ。俺は、死なない……。死ねないんだ、まだ」


神を倒した責任を取らなければいけない。自分自身の手を汚してここまで這い上がってきた意味を失ってしまうから。

無かった事には出来ない。口先だけにもしちゃいけない。だから最後まで貫き通さなければ意味がない。俺も、彼女も――。

メルの手を握り締め、屈んで彼女の頭を撫でる。メルは今にも泣き出しそうな顔で俺の背中に腕を回すと、ゆっくりと……温もりを確かめるように俺を抱きしめた。


「夏流さんはいらっしゃいますか――っと、あわわ……!? もしかして僕、お邪魔でしたか!?」


ふと、行き成り扉が開いてそんな声が聞こえてきた。メルは全くお構いなしに俺を抱きしめたまま文句ありげに首だけで振り返る。

そこにはトレイズが立っていた。なにやら俺に用事があったようだが、俺たちの状態を見て顔を紅くしてしどろもどろ……。いや、別にそういう関係じゃ……ないよね?


「どうかしたのか、えーと……弟君」


「え、いや、どうかしたっていうか……。この二年間で姉が調べた事をご報告しておこうと思いまして……」


「そ、そう……。えーと、メル……? ごめん、ちょっと行ってきていいかな?」


彼女はいかにも不満たらたらな様子で腕を放す。『あたしは武器を作るだけの存在なわけ?』とでもいいたげだ。胸に突き刺さる……。

適当に笑って誤魔化しながらトレイズ君の腕を引っ張ってバテンカイトスの廊下に飛び出る。嫌な汗をかいてしまった……。なんだこのプレッシャーは……。


「それで、本題は?」


「はい! アルセリアと学園と古代文明の関係についてなんですけど……! 最初にこれに気づいたのって夏流さんだったんですよね? 姉がそう言ってました」


過去に確かに俺はベルヴェールと一緒にミスリルの流通がおかしな事になっているという話をした事があった。まさかあいつ、二年の間にそれを追っかけてたのか?

案の定彼女はこの世界の裏にある様々な真実を追い掛けていた。大聖堂の生き残りや元ザックブルムの騎士などに話を聞き、なんと魔王大戦の真実にまで漕ぎ着けていたのだ。

魔王大戦、それは神を滅ぼし自由を得ようとする者と神を守り安息を守ろうとする者に二分された史上最大の戦争だ。しかしその真実、闘争の根本は空白の日リ・ヴァースに根差している。

その闘争は結局勇者と魔王、その両者が同時力尽きた事によりなあなあに終わってしまった。結果的に王という頭脳を失った魔王軍が瓦解し、あとは物量作戦でクィリアダリアが勝利を収めた……。


「勇者と魔王が相打ちになったのって、プロミネンスの横槍が入ったからなんですよね? そのプロミネンスを当時任されていたのがアルセリア・ウトピシュトナ……後のディアノイア学園長だったんですよ!」


「アルセリア……ウトピシュトナ――?」



⇒虚幻の日(3)



「……アルセリアはヨトに選定された監視者ゲイザーだった。ゲイザーになった人間は、全員元々はただの人間だった。その人間が時の流れを停止させられ世界の流れから外される事でゲイザーは完成する」


「それじゃあ……今回のことって、アリアたちリアの一族の問題って事なの?」


「そういう事になるな」


奉龍殿を前にした水路の淵、リリア、アリア、そしてレプレキアの三人の姿があった。

朽ち果てたイザラキの街に夕日が差し込む中三人は対峙する。それは運命でもあり因縁でもあり、そしてこれから解決せねばならない事でもある。


「僕の母の願いは、お前たちの手で叶えられた……。いや、正確にはまだ叶えられたわけではない。リリア・ウトピシュトナ――お前がいる限りは」


そう告げてレプレキアは剣をリリアに向ける。リリアは何の抵抗もせずに切っ先を突きつけられたまま眉を潜めた。


「お前は最早神に等しい――いや、それさえも超えた存在だ。ウトピシュトナの最高峰にまで昇り詰めたお前が、ヨトの代理人に成らないとは誰にも保障出来ない」


リリアは既に冬香との同化に成功し、二つの人格と記憶と心を両立させた非常に不安定な存在になってしまっている。それに付け加え、ヨトに力を与えられた事で限りなくヨトに近い――この世界を生み出した冬香に近い存在に変わり果てた。

ヨトの力が半減していた事も、全てはリリアに力を与えてしまった事が原因。つまり今のリリアは神であり勇者であり王であり……そして何者でもない。何でもなく、何にもなれる者……アンバランスな存在。


「アルセリアがこの世界をどうするつもりなのかは僕にも判らない。だからこそお前の答えを聞かなければならない。勇者王……お前はその力で何を成すつもりだ?」


レプレキアにとって空白の日の回避とヨトの打倒こそが至上の目的であり唯一の未来でもあった。母親が成し遂げようとしてしかし夢と散った人の世界の解放……。そのためだけに全てを注いできた。

魔王と名乗った事も、クィリアダリアとの衝突を避けようとした事も、全てはその目的と母の願いの為……。決してクィリアダリアという国そのものを滅ぼそうとはしなかった、ロギアの意思を継いでの事。

ヨトは倒された。ヨトを打倒することこそ生きる意味だった彼にとってそれは衝撃的だった。しかし結局全ては無駄だったのかもしれない――そんな諦めが心を支配した事もあった。

リリアとの戦いに敗北した時、自分の存在の全てを否定されたような気がしていた。リリアとレプレキア、二人は勇者と魔王という反対の存在であるというだけではなく、彼にとってはもっと深い繋がりがある物だった。

そのつながりこそが彼を苦しめ、しかし今こうしてこの場所に立たせている。それは何かの導きなのかも知れない。運命と言い換えても良いかもしれない。レプレキアは迷いを押し殺した眼差しで問い掛ける。


「……お前は世界を導く存在に成り得るのか? 人々の自由を……この終わりかけた世界の中に見つけられるとでも言うのか?」


「……私は」


「ちょっと! さっきから聞いてれば、リリアにばっかりそんな事を押し付けないでよ!!」


二人に間に割って入り、レプレキアを押し戻して切っ先を反らすアリア。小さな少女の乱入に二人の王は目を丸くする。


「アルセリアがウトピシュトナの一族だっていうなら、今の状況は確かにアリアたちに責任がある! 一族としてそれは何とかしなきゃいけない! でも、それはリリア一人が悪いわけじゃないでしょっ!」


「……アリアちゃん?」


「リリアは……お姉ちゃんは、これでも頑張ってきたんだよ!? 魔王あんたは分かり合う為に努力をしたの!? 世界を変えるために何をしたの!? 戦ってるだけで何も見ようとしないくせに、偉そうな事を言わないでっ!!」


アリアの暴言をリリアはハラハラしながら眺めていた。おろおろしながら背後からアリアの首根っ子を引っ張って自分に引き寄せるリリア。一応相手は魔王とまで呼ばれた少年なわけで、妹の身を案じての行為だった。

どんな反応を示すのかと成り行きを見守っていたリリアの目に映ったのは何故か剣を収めるレプレキアの姿だった。確かにアリアの言うとおり――その顔はそんな心境を物語っていた。


「それでも僕は証明したかった……。正しかったのは、母なのだと。僕が君たちに敗北する事は……君たちの存在が正しかったのだと言う事は……。それは、母の存在を無駄にしてしまう気がしたから」


「なによそれ! そんなわけわかんない理由で突っかかってくんなーっ!!」


「いいんだよ、アリアちゃん。違うんだよ……。レプレキア君の父親は――フェイト、なんでしょ?」


「えっ?」


「ど、どうしてそれを……」


二人が驚きを隠せずに居る中、リリアは一人優しげに微笑を浮かべて答える。


「何となく、そんな気がしてた……かな? ホントの事を言うと、冬香さんの記憶が流れ込んできて……この世界の事は、もう大体なんでもわかっちゃうみたいなんだ」


「……うそ、じゃあ、えっ!? レプレキアは、アリアたちの弟ってことになるの!?」


アリアの叫び声をレプレキアは顔を赤くしながら腕を組んで聞いていた。その態度にアリアが口をぱくぱく開けたり閉じたりを繰り返しながらリリアに詰め寄る。

リリアは一人目を瞑ったままなんともいえない表情を浮かべていた。アリアがリリアの胸倉を掴んでグラグラ揺らすのだが、リリアは何も言わずにただ笑い続けていた。


「アリアたちの父親ってっ!! サイッテ――ッ!!」


「何を今更……」


「うん……。ちょっと今更過ぎたよね」


「にゃああああああああああああああああっ!!!!」


髪を掻き乱し空に叫ぶアリア。そんな次女の様子を長男と長女は苦笑しながら眺めていた。


「……結局、勇者の血には逆らえない。僕は母の願いをこの手で叶える事も出来なかった。彼女の無念を晴らす事も……何一つ」


拳を握り締め、悲しい瞳でそれをじっと見詰める。そんなレプレキアに歩み寄りリリアは両腕を広げて少年を優しく抱きしめた。


「ロギアは君にそんな事は望んで居ないんだよ」


「…………っ」


「ロギアはただ、君には普通に生きて欲しかっただけなんだよ。フェイトもマリアも、私たちにそれを望んでいた。それなのに親とか世界とかに囚われてこんな事になっている私たちは、きっと親不孝者だね」


レプレキアはただ抱かれるまま、成されるがままで目を瞑っていた。リリアの暖かい温もりに優しさを覚える。それは初めて彼が覚える母の温もりだった。


「それにね、ロギアならここにいるよ? 身体はなくなっちゃったけど――でも、心はまだここにある」


神剣を軽く掲げ、それをレプレキアにそっと手渡した。羽のように軽く、神の威光を示すように美しく、荘厳な刀身――。神剣フェイム・リア・フォース、そこにロギアの魂を封じ込めたフェイトの気持ちを今なら理解出来る。

彼が望んだ事、そして彼女が望んだこと……。何故ロギアがリリアを守り続けたのか。リリアを冬香という存在と分断させ続けていたのか。それは全て、フェイトの願いを叶える為に他ならない。

ロギアは常にリリアと冬香という二つの強い力の板ばさみを続けてきた。今やその意志は限りなくゼロに近く磨耗し、その声を聞き取る事は出来なくなっていた。

それでもロギアの魂はそこにある。それをリリアは感じている。だから神剣を手放し、魔王の元へ――意思を受け継ぐ者の元へと手渡す。人から人へと受け継がれていく魂のバトン……それは今、遠回りをしてようやく在るべき場所へと回帰した。


「この剣は、レプレキア君にあげるよ」


「……神剣を……? しかし、これは……」


「いいんだよ。もう、ロギアにはいっぱいいっぱいお世話になったから……。それにこれはただの剣。ただ剣で、それ以上でも以下でもない。価値を決めるのも、在り方を定めるのも……全ては持ち主次第だから」


そう微笑みかけリリアは一歩身を引いた。そうして背にしていた二対の魔剣を鞘ごと手にとってそれをじっと見詰める。


「私には、こっちの剣があるから……。この剣と一緒に戦うよ。これはきっと神剣には劣るものだけど……でも、神剣よりもずっと価値のある、大事な友達の形見だから」


ぎゅっと握り締め、それを腰に挿してリリアは空を見上げる。そこに描く姿をレプレキアとアリアは見る事は出来ない。だが、何を見ているのかは見えずとも判ってしまった。

神剣を握りしめ、レプレキアはそれを強く握る。顔を挙げ、それから目を閉じて呟いた。


「――確かに受け取った」


「いや、ちょ、ちょっと! それ、ウトピシュトナに伝わる大事な大事な剣なんだよ!? いくら女王だからって勝手に渡しちゃ困るってば!」


「う、うん……。でもなんかもう、いいかなっておもって……」


「何がいいのかわかんないからーっ! もー、だからリリアが女王なんて認められないんだよっ!!」


「うん、そうだね。だから今日から女王様はアリアちゃんに譲るよ」


また突然のリリアの発言に二人が目を丸くする。しかしこう何度も驚かされていると驚く気も失せて来る。何よりもリリアは既にもう決めてしまったからと言わんばかりに笑みを浮かべ、反論を聞くつもりはないように見えた。


「……そりゃ、構わないけど……。リリアはどうするの?」


「うーん? まあ、やることをやってから考えるよ〜。レプレキア君もアリアちゃんを手伝ってくれるよね?」


「え? 僕も……!?」


「当然でしょ! アンタはアリアの弟なんだから!」


「そ、そりゃそうなんだろうけど……そういう問題なのか?」


「そういう問題なのっ!」


笑いながらレプレキアに詰め寄るアリア。その二人の様子を見てリリアは笑いながら背を向ける。


「――そういう未来を、守らなきゃ行けないから。こうなってしまった責任は、私がちゃんと取るから。だから、大丈夫だから……」


呟きと共にその場を去ろうとするリリア。その腕を背後から二人は握り締め引き留めていた。


「……僕たちも一緒に行く」


「そうだよ。リリア一人にだけ……お姉ちゃんにだけ、全部背負わせたりしないから」


「同じ運命を歩いてきたのなら……僕たちにだけ出来る事もあるはずだ」


「だから、そうやって一人で抱え込まない事っ!」


背後からリリアに飛びつくアリア。リリアは暫くの間呆けたような顔でアリアを見詰め、それから涙を流しながら優しく微笑んだ。



「アルセリアは、マリア女王の代より三つ前の女王の娘の一人だったそうです。年齢的に言えば、もう百歳近いはずですね……。なのにまだ生きてる。うーん、謎です!」


「謎ですって……そ、それだけなのか?」


「はい。詳しいことは、姉が全部一人でやっていたことなので、僕は端的にしか……」


使えない情報を一人胸を張って報告しにきたのだという事に気づいた時、夏流は深々と溜息を漏らした。

ふと、冷静に考えてみれば最早全ては調べるという段階ではなくなっているとも言える。アルセリアの真意……それは最早彼女に直接問い掛ける事でしか理解出来るものではないのだろう。

一人で腕を組んで納得している夏流だったが、トレイズは何故かそのまま話を続けた。


「それともう一つ報告があるんですけど」


「何だ? 今度はちゃんと調べてあるのか?」


「ええ、勿論! それぞれの古代遺跡を動かす為の管理ユニットの話です」


管理ユニット――。それは古代遺跡全体を統括してコントロールする為に監視者ゲイザーに一つずつ与えられた従者の事である。

それらは機械仕掛けの命であり、人間に限りなく近い存在であると同時に全く別の存在でもある。監視者と管理ユニットはワンセットで行動する。監視者にとって管理ユニットは世界を監視する上で必要になる道具でもあるのだ。


「古代兵器は幾つかありますけど、天照プロミネンスの管理ユニットは夏流さんもご存知の通り、アイオーン・ケイオスと呼ばれるタイプです。ですがアイオーンを倒すだけではプロミネンスは停止出来ません」


「……アルセリアもプロミネンスを動かせるんだろ? 結局アイオーンは代理に過ぎないからな」


「はい! それと、恐らく他にも何機かの管理ユニットがアルセリアの管理下にあるのではないかと言われています。その辺りにも注意して戦ってください!」


「……これまた役に立っているのか立ってないのかよくわかんない情報だなあ……」


「役に立てられるかどうかはまさに夏流さん次第ということですね……あいたたた!?」


余りにも投げっぱなしの態度に思わずトレイズの頭を鷲づかみにして捻る夏流。首が妙な方向にねじれそうになり妙な音が鳴り響く。


「い、痛いじゃないですか……」


「お前はもういいから戻って他のメンバーの手伝いでもしてやれ……」


「判りました。それでは夏流さんもまた後ほど」


態度だけは爽やかなのだが、それだけといってしまえばそれまでである。夏流は腕を組んだままトレイズが去って行くのを見送り深々と溜息を着いた。


「やっぱり血筋なんだな……あの頭の悪い感じは……」


後頭部をぽりぽり掻きながら歩き出す。作戦開始まではまだ時間があるが、全員と一々話しているほどの余裕はない。ほんの僅か空いた空白を埋めるために夏流が向かったのはイザラキの街だった。

どこへ向かうでもなくぼんやりと歩き続け、そうして気づけば砂浜へと辿り着いていた。つい先日ゲルトと共に訪れたそこで、しかし既に隣に彼女の姿はない。感傷に押しつぶされそうになる心をぐっと堪え、肩の上に乗ったうさぎの耳を唐突に鷲づかみにする。

そうして海目掛けてうさぎを投げ込む夏流。悲鳴を上げながら水の中に飛び込み、それと同時に人の姿になって這い上がってくるナナシ。ずぶ濡れになったタキシードの男を前に夏流は真剣な表情で言った。


「――いつまで俺と一緒にいるつもりだ、ナナシ」


その言葉にナナシもまた深刻な表情で顔を上げる。シルクハットの鍔に手を伸ばし、鋭く輝く視線で夏流を射抜くように見詰めた。


「アルセリアが俺たちを裏切った……。なら、お前だってそうなんだろ? しらばっくれても無駄だぜ監視者ゲイザー――。いい加減、本性表せよ」


「……やれやれ、貴方にだけは敵いませんね……。本当は、ワタクシ自ら貴方に告げるつもりだったのですが――」


二人の救世主と呼ばれた男が対峙する。緊迫した空気の中、二人が発する力が渦を巻いて行く。ぴりぴりと肌を突き刺すような高い魔力が張り詰めた空間でナナシは踊るように前に出る。


「――騙すつもりは無かったのですが。こういう形になってしまった事を残念に思いますよ、ナツル」


「どういうつもりだ。どうしてアルセリアは……お前たちは俺たちを狙うんだ?」


「それは貴方がこの世界の存在ではないからです。そうですね……。では、こうしましょうか?」


ナナシの全身が黄金に輝き、その様子が変貌を遂げて行く。光の翼を広げ、鋼鉄の爪を取り戻した英雄神ナタル・ナハ――。そこに存在しているのは最早うさぎのナナシではなく、夏流を敵と認識する存在だった。


「ワタクシに一撃加える事が出来たなら、貴方にそれを教えて差し上げましょう。尤も――貴方はワタクシからの魔力供給を絶たれた生身の人間となったわけですが」


それは圧倒的なハンデを課せられた賭け試合。しかし夏流は全く動じる事無く強気な視線で笑みを浮かべた。


「――そんな条件でいいのか? だったらさっさと始めようぜ。あんまりお互い、時間もないみたいだからな」


魔力供給を絶たれた――それはナタルの言うとおりのはずだった。

そもそも夏流はこの世界の人間ではない。先天的に魔力というものを扱う能力は存在して居ないのである。故にナナシという魔力の充電器を使用することで魔力を得ていたに過ぎない。

今までのどんな戦いも全てはナナシの力を借りて何とか乗り越えてきた――少なくともそれがナタルの認識であった。しかし今、目の前の救世主はその当たり前の条件を踏破していた。

夏流の体からは今まで以上に溢れ出す力強い魔力が感知出来る。黄金色の輝きを前にナタルは目を細め小さく笑みを浮かべた。

二人が同時に駆け出し、拳を振り上げる。二人の男が共に歩み鍛え上げてきた二つの拳――。それが今、一つの場所で力強く衝突しようとしていた。


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