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虚幻のディアノイア  作者: 神宮寺飛鳥
第四章『全てを救う者』
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空白の日(4)

「――――救世主……ですか」


天空に隔絶された領域がある。神のみぞ知る絶対空間に侵入しようとする何者かの感覚にヨトは目を瞑ったまま振り返る。

ヨトの立つ祭壇から見下ろす世界は長い長い階段と通路だけが空間に浮かぶ不思議な世界だった。白く輝く光の回廊――。闇の中にぽっかりと浮かび上がるその世界の最果て、ヨトは侵入者を待ち受ける。

侵入を妨害する事も可能である。だがそれはあえてしようとしなかった。完璧を望む神としては余りにも愚かな選択――。しかし、それがヨトの願いであった。

仮に己の願いが打倒されるべき邪なものであるのなら、救世主の刃はヨトの胸を貫く事だろう。だが、その救世主というこの世界の物ではない存在を打倒した時、彼女の願いは肯定される。

誰にではなく、自分自身でそれを肯定する為に――。来るならば来い。救世主が相手ならば、願いの真偽は託される。世界の命運を分けるに足る一戦――。

胸の前で十字を切り祈りを捧げる。どうかこの聖戦を見守っていて欲しい。願いを叶える為に――見届けてもらいたい。そう、この世界そのものに。

振り返る。結晶の中に閉じ込められたままのリリアが静かに目を開く。結晶に亀裂が走る。目覚めの時はもう間もなく。

彼女が目覚めた時、世界の道筋は決定されていなければ成らない。考えるまでも無い。世界の安定を妨害する存在を除外する――。ヨトは振り返り、天に手を伸ばした。


「さあ、訪れなさい……。この世界の話をしましょう。我が百万の祈りと願いを用いて、わたくしは救世主あなたを除外する――」


地上、イザラキの奉龍殿には既に夏流たちの姿が揃っていた。

夏流、秋斗の二名の救世主を軸にアクセル、鶴来、そしてゲルトをサポートに据えての特殊編成部隊――。

しかし、世界の命運を分ける決戦にしては余りにも戦力不足である。不安を隠さずに疑問を口にする夏流に鶴来は転術符を取り出して答えた。


「今から二年前、リリア・ライトフィールドには一度だけ会った事があってね」


それは物語の始まり直後。勇者と剣士は邂逅を果たした。それは偶然ではなく、意図された物……。


「その時にリリアには転術符を渡してある。彼女はそれをどうやら大事にきちんと持ち歩いてくれていたようでね」


リリア・ライトフィールドがお守りとして……というより、それは最早彼女の意地に近いものであったのだが、兎に角その転術符はアクセサリとして転用され今もリリアの肌に触れている。

転術符は所持者に転送魔法の能力を与える他、所持者の元へ転送する為のマーキングにも成り得る。鶴来の渡した転術符は特殊なものでこの世界上である限りは常に効果を発揮し続ける物であった。


「場所ならばはっきりしている。即座に拠点に乗り込む事が出来るのだから、長期戦にはなるまい」


「天使の類なら俺たちが相手をするからお前たちはヨトにだけ集中していればいい。サクっと倒してサクっと転術符で戻ってくりゃいいんだろ?」


「そういう事ですね。では、勇者部隊全員とは行きませんでしたが――」


「ああ。行こう、皆!」


全員の武器を中央で重ね合わせる。音が鳴り響き決戦の火蓋は切って落された。

奉龍殿内部、彼らの出発を待っていた『彼ら』の元へと移動する。地下の洞窟では既に準備が終えられ大地に巨大な転送魔法陣が浮かび上がっていた。

ヨトの居る領域へと足を踏み入れるためには彼らの力が必要になる。つまり、神の領域に足を踏み入れる許可を得ねばならないのだ。


『準備は万端か……?』


「ああ、宜しく頼む」


『…………では、転送を開始する。『我々』はお前たちの健闘を祈る……』


龍の魔力が魔方陣を輝かせる。次の瞬間には救世主たちの姿は奉龍殿のどこにも存在していなかった。

光の中を夏流は突き進んでいた。白い白い、闇の世界――。そこには何もない。虚無の空間。世界がやがて辿る結末の全て。

そこから目を反らさない。やると決めたのだ。救いたいと願った。その結末はそれだけで投げ出せない。自分の手で掴み取らねば意味がない。

かつて少年は間違いを繰り返してきた。あやふやな存在のまま世界と向き合うことを恐れてきた。しかし今闇と向き合い己の心の赴くままに戦いへと望もうとしている。

光の粒が落ちて行く少年の肌に触れる。落ちているのか昇っているのかも判らない。ただただ流されていく。風はなかった。しかし、何か大きな流れに身体が突き動かされている。

世界中の全ての人々の願いや悲しみが胸に去来する。それは幻想なのか、或いは――。光の彼方、扉のようなものが見える。それは決して扉ではない。しかし、それを両手で解き放った時――。人は世界の限界を超え神の領域へと足を踏み入れた。

小さく、しかし確かに響き渡る足音。顔を上げる夏流の前には闇の中に浮かび上がる白い回廊が見えていた。壁は存在しない。故にその道がどこまでもどこまでも上へと続いている事が良く判った。

振り返る。仲間の姿は確かにそこにあった。全員と視線を交わし、少年は振り返る事を止める。


「――行くぞッ!!」


返事はなかった。ただ揃えられた足音だけが世界の最果てに響き渡っていた。



⇒空白の日(4)



雪の降り続けるディアノイアの中、アイオーンは静かに息を付く。

冷たく凍えた窓ガラスに触れる。人の温もりは冷たさを溶かして行く。白い息を吐き出しながら女は空を見上げていた。

天空に続く白い回廊が見える。それは常人には見えざる領域。しかし、神の力を持つ存在であるアイオーンの目には確かに触れていた。


「……いよいよ、全てが終わり……そして始まってしまう」


その呟きは憂鬱さに包まれていた。そう、アイオーンはこんな結末は望んでいなかった。しかし世界の声は、この世界の現実は何度でもアイオーンを裏切ってきた。

そう、何度でも何度でも……。そしてその中の現実に自らの全てを失い、解けてしまった自我は最早意味を成さない。

生きているだけの木偶人形――。彼女は自らをそう称する事に何のためらいも持たない。涙は流さなかった。ただ祈るように空を見上げる。


「夏流……。君は今も、君のままなのかい――?」


振り返ったアイオーンの視線の先、壁に打ち付けられたまま死に絶えているベルヴェールの姿がある。血は凍りつき、肉体も魂も存在も凍てついてしまったかのようにその死体は腐敗する気配を見せなかった。

まるで美しい一つのオブジェのようでさえある。その死体の前には包帯を全身に巻いた男が立っていた。彼は振り返るわけでも何をするでもなく、ただアイオーンの視界の中で蠢く。

不気味なその姿に溜息を漏らし、しかしそれ以上アイオーンは何もしようとはしなかった。包帯男とアイオーンの利害は一致している。争う必要性は存在しない。

身体を抱きしめるようにしてアイオーンは目を瞑った。現実から目を反らした。もう、物語を見届ける事は出来ない。

世界が終わる音が聞こえる。滅亡の足音は、もう直ぐ傍に――。


「流石は神の城だけあって、天使の護衛もちゃんとあるんだな……!」


十二の刀剣を操り近づいてくる天使たちを次々に迎撃して行くアクセル。足場は狭く、およそ5メートルほどの幅しか存在しない。延々と続く回廊を駆け抜けながら最前線でアクセルは剣を振るっていた。

翼を持ち飛翔する天使たちは空を縦横無尽に駆け回り魔法での遠距離攻撃や空中からの奇襲を繰り返している。近づいてくれば迎撃も出来るのだが、立ち止まっている余裕はない。

遠距離の敵は秋斗が撃墜し、近づく敵は順次各々迎撃するという特殊なフォーメーションで回廊を駆け抜ける。一体どれだけの時間を走っているのか、そもそも時間という概念が存在するのかが怪しくなってくる。

その場所は非常に不安定だ。時の流れも無く、まさに永遠を体現したかのような世界……。どこまでもどこまでも走り抜けてもリア・テイルは見えてこない。神の居城など、幻のようなもの。

それでも信じて走るのならば道は開ける……夏流はそう信じていた。彼らの周囲を跳びまわるアクセルの剣が魔法を弾き返す自由行動する壁となり結界を張っている。彼らは無事、一人として怪我の一つも負っていなかった。


「ったく、数だけは多いぜ……!」


「ぼやくなよ秋斗。もう少しだ」


「あ? 何がもう少しなんだよ。全然先なんか見えてこねえじゃねえか」


「この空間に距離や時間や早さは関係ない。恐らくは信じる心があれば直ぐにでも神に辿り着けるだろうな」


「……という事は、誰か信じてない人がいるってことですか?」


全員の視線が秋斗に向けられる。その居心地の悪さに思わず青ざめた笑いを浮かべ、それから仲間に銃口を向けそうになる。

そんな秋斗を背後から叩き、諌める鶴来。全くその剣の動きが見えなかった秋斗は疲れた表情で立ち止まり目を瞑った。


「わーったよ、くそっ!! 信じりゃいいんだろ、信じりゃあ!!」


「そうそう、素直が一番だぜ?」


「貴方も救世主なら少しは協力してください!」


「て、てめえら……。ここぞとばかりに言いたい放題言いやがって……っ!!」


「秋斗! 早くしてくれ! このままじゃあ体力が持たない!」


「…………がああああっ!! 信じる信じる信じる信じる……ッ」


一人で立ち止まりぶつぶつ呟き続ける秋斗。その秋斗をカバーするように残りの四人が円陣を組む。

しかし、辿り着ける事を信じろと言われてもそれをどうすればいいのかは秋斗には判らなかった。一先ず頭の中にシンプルな構図を思い描いてみる。

ヨトを倒す秋斗。ヨトは土下座をして秋斗に命乞いをする。その気分のいい構図の中、何故か夏流が納得して秋斗の配下に下った。

そしてリリアは実は冬香でハッピーエンド……自分でも気持ち悪い妄想に発展してしまった。余りにも子供染みた夢に思わず苦笑しながら目を開くと――。


「あん?」


そこはつい先ほどまで彼らが走り続けていた回廊ではなくなっていた。リア・テイル――その入り口に彼らはいつの間にか辿り着いていたのである。

或いは元々この場所に居たのか。それに気づかなかっただけで――。何はともあれ侵入に成功した五人は各々乱れた呼吸を正しながら状況を確認する。

そこは白い白い空間だった。不浄の世界――。穢れを知らず、美しさを体現し続ける無垢なる空間。空気さえも澄んでいる気がして自分たちの存在は世界に現れた穢れのような考えさえ浮かぶ。


「リア・テイル……。本当にここが、最後の……」


ゲルトが呟き周囲を見渡す。そこは無人の居城。かつては彼らも何度も出入りした、クィリアダリアの象徴そのもの。

この場所が決戦の場所に選ばれたというのであれば、それは皮肉であろう。ゲルトは自らの胸元に手を当て辛そうに視線を落した。


「で、ヨトのヤツは何処にいやがるんだよ。速攻ぶっ潰してやる」


「えーと? まあ普通に考えて、こういうのは玉座か謁見の間か……二択って感じじゃないかね」


「ヨトなら謁見の間だろうな。あいつは俺たちを待っている気がする」


夏流の一言に全員が顔色を変えた。そんな気は確かにしていた。だがそれはつまり神が万全の準備を整えて待ち構えている事を意味する。


「はは……。今更だけど、俺たち伝説の神様と戦おうとしてるんだよな……。神話上の人物とバトるとか、正直想像わかねー……」


「……そうですね。ヨト神は、わたしたちにとっては当たり前のように身近な存在でしたから……。まさか、世界を産み落とした神が滅びを望んでいるなんて……」


鶴来は何も言わずに二人を見やる。夏流や秋斗のような異世界人にとってはただの虚幻の神だが、彼らにとっては真実の神……。世界を産み落とした全ての存在の頂点なのである。

世界を滅ぼそうとしていたとしてもそれが神であることに違いは無い。むしろその滅びが神の決定打というのであれば、それは裁きである。神の采配に逆らうべきではない……そうも考えられる。

だがそれでも二人は迷いを振り切っていた。もしも神様が世界の存続を赦してくれなくても。否――。この世界の誰かに赦しなんて乞わなくても。

自分たちが続けたい、自分たちで選びたい未来がある。その為に罪を背負う覚悟ならば決めねばならない。生きる事は、罪と罰を繰り返す事でもある。


「……行こうぜ。真実を知る人間として、この世界の人間として……。出来る事を今やるんだ!」


「たとえ誰かに語り継がれる事が無い戦いだとしても……わたしはそれでも、リリアを救いたい」


「……よし、行こう。何があってもヨトを倒す!」


たとえこの中の誰かが欠ける事に成ろうとも――。

救世主たちは走り出す。謁見の間を目指し……。目的地へと進む道の途中、それを阻むように回廊には無数の異形の姿があった。

それらは全てが黒い影に飲み込まれた悪意そのもの――。預言されし者マリシアと呼ばれた怪物たちが救世主の行く手を阻んでいた。


「マリシア……!? 神の尖兵って所か!」


「見覚えのあるマリシアも居ますね……。彼らの魂はまだ、ここに囚われたままという事ですか」


斧を振り上げて迫るミノタウロス。翼を広げて紅蓮の炎を撒き散らすフェニックス。化物が同時に襲い掛かる中、夏流たちは武器を構えて迎撃に移ろうとしていた。

しかし次の瞬間、マリシアの動きが静止した。チリンと鈴の音が静かに響き、直後マリシアは細切れになって通路に霧散していた。

何が起きたのかと全員が驚いている中、鶴来が長大な刀を肩に乗せ前に出る。その刀には先ほどのマリシアを切り裂いた血痕が残されていた。


「マリシアの相手は拙者が。君たちはヨトの元へ向かいたまえ」


「……鶴来」


「彼らの相手なら慣れている。それに拙者は……この決戦に関与すべき人間ではない」


この戦いが、世界というものが一つの物語だとすれば。鶴来の出番はとっくの昔に終わりを迎えている。

十四年前のあの日、彼女の戦いは終わりを告げた。今だ彷徨う勇者の末裔たちの全てが既に戦いを終えている。そう、神に抗うも世界の未来を望むも全ては子供たちの世界。


「神に抗い、未来を得るのは我々ではない。大人ではなく、子供なのだ。君たちが勝利すべき相手はこんな雑魚ではない。君たちは無傷でヨトと対峙し、それを打倒せねば意味がない。故に拙者の出番はここまでだ――」


長大な剣を片手で構え、その刀身に指先をなぞらせる。今までの鶴来とは違う、英雄と呼ばれた力を持つ達人の気配が空間を支配して行く。

鋭い視線で射抜かれたマリシアたちは思考することを赦されないその身に恐怖を刻む。化物、魔物をひたすらに討伐し続けてきた狩人を前に彼らは余りにも哀れな獲物に過ぎない。


「拙者はな、少年たち。この世界がどうなっても別段構わないのさ。イザラキの人間というのは得てしてそういうものでね……。世界が滅んでも、イザラキだけは存続を赦される。あの国は箱舟なのさ」


世界の全てが真っ白に飲み込まれても、イザラキだけは存続し続ける。永遠にして幻想の国――。彼らの国が古代技術を用いたまま存在する事も、ヨトの手で滅ぼされない事にも意味がある。

全てが真っ白になってしまった時、始まりの人間を輩出するのはイザラキなのだ。神のよって選定された人間の子孫によって成り立つ神に順ずる存在の国……。それこそがイザラキの存在意義。


「だがな、拙者にも見たい物というのは存在するのだよ。例えば世界の人間の行く先や……。そうだな――。物語の続きと言ってもいい」


今度こそ、世界は救われるのだろうか。それは鶴来には判らない事だ。

イザラキという国の中で何度も繰り返されてきた歴史。彼らが観測し続けてきた人間たち。世界の流れ。それらを管理する事は出来ない。

世界は遷ろう物なのだ。神にも人にも予測は出来ない。犇き蠢くその一見すれば醜悪で目が回りそうな可能性こそ、世界と同義なのだから。


「拙者も『彼ら』と気持ちは同じだ。故に君たちに託す。過去の尻拭いは任されよう。君たちは未来を切り開け――!」


「……ああ。ここは任せるぞ、鶴来」


「…………承知」


目を瞑り微笑む鶴来。彼女が太刀を奮うと風が渦巻きマリシアたちを吹き飛ばして道を作って行く。


「往け! 己の戦いをする為に!」


「お前こそヨトを倒す世紀の瞬間に乗り遅れるなよ! 待ってるからな……!」


四人が走り去って行くのを見送り鶴来は一瞬でマリシアを素通りして夏流たちの背中を守るように道を遮って剣を構える。

正面には蠢くマリシアの群像……。しかし女は全く恐れる事も無く、呼吸をするように剣に命を賭ける。


「……そうだな。最後の最後、おいしい所は見させてもらおうか。それまで君たちの相手は拙者だ」


剣を構える。風が渦巻く。長い髪を風に舞わせながら鶴来は鋭い瞳を見開き静かに告げた。


「――イザラキ龍王、八代鶴来……。いざ、参る――!」


鶴来を置いて走り抜ける夏流たちの耳にも戦いの音が聞こえてくる。一瞬不安になる心を殺し、今はただ前だけを見る。

やがて見えた謁見の間へと続く扉を四人で同時に開け放つ。その先に広がっているはずの広間は存在せず、そこには光の祭壇があった。

白い闇の回廊へと戻ってきてしまった彼らの背後にはただ扉だけが浮かんでいる。先ほどまで彼らが走ってきた通路の姿は影も形も無い。

しかし今は振り返らなかった。階段を駆け上り。広々とした祭壇に立つヨトに駆け寄る。その背後では結晶に閉じ込められたリリアが眠っていた。


「リリアッ!!」


「生きてた……! リリアはやっぱり、生きてたんですね……!」


「当たり前だろ! リリアちゃんはなんだかんだで実は結構世渡り上手なんだよ!」


「テメエら、リリアが無事なのはわかったが問題はその手前にいるヤツだろが」


秋斗の言葉で三人は気を引き締める。目を瞑ったままのヨトは何も告げずにただ俯いたままその場に立ち尽くしている。

神々しい光に包まれたヨトの存在に思わず息を呑む。それは紛れも無く本物の神――。人の形を持ち、同時に人を超越した存在。

白く輝く髪、そしてその服装もどこかリリアの姿を彷彿とさせる。それもその筈、彼女は始まりの人間でもあるのだから。

世界が生まれる意思を体現した彼女のベースとなったのはやはり冬香なのだ。その姿がリリアと似通っているのは当然とも言える。改めてヨトと対峙し、夏流は悲しげに目を細めた。


「ヨト……」


「……来てしまったのですね、救世主。わたくしは悲しい……。どうして貴方達はこの世界の新たなる始まりを祝福してくれないのですか……?」


「何が新しい始まりだ……っ! ヨト! 俺たちの世界を、お前の気まぐれでどうにかさせてたまるかっ!!」


「わたしたちはまだこの世界で生きていたい……。叶えたい夢や、願いがある! 皆未来がほしいんですっ! 滅びや正しい道なんて、誰も望んでいませんっ!!」


「……それは、貴方達の我侭です」


ヨトが小さく呟く。そうして女はゆっくりと瞳を開いた。虹色に輝く瞳で人間を見詰め、ヨトは言葉を続けた。


「わたくしはもう、人間の世界を導く事に疲れてしまいました……。貴方達はいつになっても進歩しない。正しい未来を選ぼうとしない。争う事がまるで宿命であるかのように、危機として命を奪い合う……。世界は狂っています。混沌の息吹が大地を焼き、天さえも焦がそうとしている……」


「俺たちは確かに、間違ったり擦れ違ったりしてばかりだった。戦ってばかりで……。でも、それでもこうしてここにいる!」


「わたしも彼も、そして彼らも……。今までわたしたちが戦ってきたその全てが、無駄だったとは思いません」


振り返り、ゲルトは夏流を見詰める。そう、後悔はしても無かった事になんてしようとは思わない。痛みが前へと歩ませてくれる。正しい道を選ぶ力になる。


「だからっ! たとえ世界が混沌でも! 痛みを忘れてはいけないんです!! 悲しみも苦しみも、それを引き摺って進まねば意味がないから!」


「……貴方達も、彼女ロギアと同じ事を言うのですね」


その言葉に彼らは少なからず衝撃を受けていた。しかし夏流と秋斗だけは落ち着いた様子でヨトの言葉に耳を傾ける。


「彼女は、いずれ訪れる空白の日リ・ヴァースに備え、世界を一つにしようとしていました……。それは確かに崇高で美しい願いでしょう。しかしそれが齎した結末は、無尽蔵に増幅し続ける悪意の連鎖と戦火の炎……」


「え……? そ、それじゃあ……あの戦争は……?」


「今はその事は考えるな。兎に角目先の事を片付けるぞ」


背後からの夏流の言葉ではっとする。夏流は一番前に進み、ヨトと対峙する。

神と救世主の視線が衝突する。ヨトは悲しげに、しかし喜びを浮かべる。微笑みと共に胸に手を当て、そうして言葉を紡いだ。


「世界を超え、時を超え……。世界わたくしを壊しに来たのですね……? 救世主、夏流――」


「もうやめろ、ヨト。俺はお前と戦いたくない。お前がそんな事をしなくても、人間は明日に進んでいける。


「でも、それでは設計図通りではなくなってしまう……。予定と異なってしまう……。わたくしは……ただ、恐ろしいのです……」


目を瞑り、苦しそうに喉元に爪を立てる。まるで喘ぐようにしてヨトは狂気染みた、怯えたような瞳で笑う。


「世界は人の悪意に満ちている……。その全てが世界を焼いてしまうのはないか……? わたくしの祈った平和な世界は、わたくしが守ろうとした人間の手で滅ぼされるのではないか……? それは、裏切りではありませんか? 不安なのです。わたくしの愛しい愛しいこの世界が……わたくしを裏切るっ!!」


空に叫んだ。それは今までのヨトの落ち着いた儚い声色とは違っていた。ヒステリックな、今にも壊れてしまいそうなガラスのような声。


「怖い、怖い、怖い――! 誰でもいいからわたくしを導いてほしい……! 正解を教えて欲しい……! ただ、それだけなのです! 愛する世界が捻れて歪んで燃えてしまうくらいなら、わたくしはその世界を自らの手で壊し続ける……」


「…………お前」


「わたくしは間違っているのですか!? それとも正しいのですかっ!? 誰でもいい、答えてくれれば! わたくしの言葉に、頷いてくれれば……っ! なのに、貴方達は何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もッ! 何度も何度も邪魔をするッ!!」


「違う! 間違いか正解かなんて誰にも判らないっ! お前は自分の目で世界を見ようとして居ないだけだ! 俺たちは間違えて進んで行く……! この世界で俺はそれを知ったんだ! 間違う事を恐れて、それで何もしなかったらお前は俺と同じだっ!!」


正しい事だけを選びたかった。間違えたくなかった。後悔したくなかった。

だから世界を突き放した。彼女を突き放した。それは同じこと。己を恐れる心……。恐怖と罪悪感と絶望と、全てを一つの器に注いで書き混ぜて生み出された悪意とも混沌とも言える感情。

しかしその全ては恐怖と保身に根差している。人の心にならばあって当然のほの暗い想いの影……。夏流はそれと向き合う事をこの世界で学んだ。

だがもしもそれを知らないままならば、今でも瞳を閉ざして世界と向き合う事をしようとはしなかっただろう。痛みを見詰めた時、本当の心に気づく。世界の可能性に気づく。傷つきながらも進める明日が見える。


「もうやめるんだ、ヨト……ッ! 誰かの言葉を待っているだけじゃ、何も解決しない! 痛みと向き合って生きるんだ!」


「いや……っ! わたしはそんな、痛みなんて知りたくない……! 悲しみも絶望も……見たくない! 見ないに越した事はないのだから……。そんなもの、無ければいいのだから……!」


神の虹の瞳が救世主を睨みつける。夏流はそれに仕方が無く拳を構えて応えた。


「貴方がまたわたくしの大切な大切な彼女を奪うというのであれば……わたくしは神として貴方の存在を否定する! 在るべき世界に還りなさい! 全てを虚幻に委ねるのです!! 救世主――!!」


ヨトが光の翼を広げて舞い上がる。白い光の粒が降り注ぐ中、夏流たちは武器を構えた。


「どうしてそうやって自分の事しか考えられないんだ……! 否定を繰り返しているだけでは何も肯定することなんて出来やしないっ!! 恐れているだけでは前には進めないんだッ!!!!」


「黙りなさい! 貴方は――この世界から消えてしまえばいいっ!!」


ヨトの掌に魔力が収束する。天に翳した手は虚無の空間から光の弾丸を降り注がせる。膨大な魔法の雨を前に夏流は片足を大地にたたきつけて応えた。

大地から一瞬で空間全てに迸る電撃の嵐が全てを掻き消して行く。炸裂する光の乱舞の中、少年は静かに顔を上げた。


「消えるのは俺たちでも世界でもない……。消えるのは、ヨト――! お前の歪んだ願いだっ!!」


最後の戦いが始まろうとしていた。

救世主と神の終焉――。二つの影は今、確かに交わろうとしていた。


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