プロローグ
自慢じゃないが、俺の家は裕福なご家庭だ。
そこで勘違いしないで欲しいのは、家が裕福だったら絵に描いたようなボンボンが生まれるかと言うと、実はそうでもないって事だ。
少なくとも俺はこの十七年間、金持ちのせがれっぽい事は何一つしてこなかったんだから、これは間違いないと言えるだろう。
裕福な家庭ということは、両親のどっちかが金持ちと言う事になる。で、俺の両親は両方とも金持ちである。医者と弁護士のせがれなのである。
実家は、とんでもなく巨大だ。ここで誤解しないでほしいのは、家そのものが巨大なのではなく、庭がとんでもなく広いってところだ。
うっそうと木々が生い茂る山奥に、その屋敷は存在する。父方の一族が代々暮らしてきたらしいその家は、子供心にまるで城のように思えたのを良く覚えている。
さて。そんな事を考えながら進む俺の足元を覆う真っ白な雪の塊ども。なんとも憎たらしいが、この時期殆ど毎日雪が降っている北国としては、まあ仕方のないことなのだが、あまりにも人通りがないせいで足跡一つない純白の世界が広がっているというのはいかがなものなのだろうか。
少なくとも俺の帰郷を思い切り阻んでいるのは間違いない。つまり……邪魔だっ!!
「だあああああっ!! いつになったら家に着くんだよッ!!」
森の中で俺は叫んでいた。森とはいえ、一応ここは実家の領地内だ。
真冬だというのに汗だくになって、俺はこんなところで何をしているんだ? いきなりで申し訳ないが、このまま遭難して終了とかじゃないだろうか。
実家に帰るのに遭難……? そうなんですか。笑えるか! ガキの時は城だったかもしれねーが、今はただの迷宮なんだよっ!
昔はこんな劣悪な環境でも平然と生活していたっていうのに、時間の経過とは恐ろしいもんだ。何で成長したはずなのに衰えてんだよ。
いや、ガキの時は確か、雪があまり積もらない道を完全に網羅していた気がする。裏道やらなにやら、何でも知っていたっけな。
「ふうっ」
雪を掻き分けて進むと、遠くにぽつんと豆粒のような実家が見えた。サイズを考えれば、まだまだ遠いということだろう。
「帰ってきたな……。最寄の駅から歩いて四時間半……。我が家の登場だ」
思い切りため息をついて、雪が入り込んで重たい靴を持ち上げた。
吐き出す息が空に昇って、白さは淡く溶けて行った。
⇒プロローグ
南京錠の鍵は、二年前に家を出た時からカバンに突っ込んだままだった。
玄関の鍵が閉まっていた時は本気で背筋がぞっとしたが、どうやら往復九時間の道のりを無駄にすることにはならずに済みそうだった。
錆びついた錠を外し、重苦しい木製の扉を開く。両開きなのだが、雪の影響もあり片方だけ開いて小さな隙間に身体をねじ込むことにした。
洋館の中は独特のかび臭さに包まれていた。無論手入れなんて誰もやっていないのだろう。
俺が顔をしかめたのは匂いや屋敷の暗さだけが理由ではない。お気に入りのスニーカーが雪でぐっしょりだったから、そして洋館の中が何故か外より寒いじゃねえかってこと。この二つも付け加えなきゃ気がすまない。
「ったく、幽霊屋敷かここは……っ」
幼少時代を過ごした実家に対して結構失礼な物言いだったが、知った事ではない。好き好んでこんなところに自ら赴く奴は頭イカれてるとしか思えない。
つまり別に俺は好き好んでここにやってきたわけではない。勿論頭もイカれてない。至極真っ当だ。一応念を押しておく。
肩やら頭につもりに積もった雪を払い、一歩足を踏み出した。明かりはつかなかったが、暗闇の中でも俺は迷う事無く進む事が出来た。
「懐かしいな」
思わず呟いてしまうほど、そこは思い出に包まれていた。当然だ。子供の頃、ここで毎日のように遊んだのだから。
色々と見て回りたいところだが、本命はそこではない。別の明確な目的を持って足を運んだのだから、まずはそれを済ませよう。
階段を上り続け三階へ。さらに元々自分の部屋だった小部屋に向かい……扉は閉まっていたので、蹴破って中に入り、舞い散る埃に嫌気が差しながらもベッドの上に立った。
さらにベッドの上にイスを置き……昔の両親が見たら卒倒しそうな状況だ……その上に乗り、天井に手を伸ばした。
俺の部屋の天井は低い。理由は知らない。自宅の建築事情を事細かに把握している子供はそうそういないはずだしな。
まあともかく、そこには取っ手がある。少し硬くなっていたが、扉は押せばきちんと開いた。小さくなってしまった出入り口を恨めしく感じながら俺は身を乗り出した。
「よっと」
三階立ての屋敷だが、その上にはさらに屋根裏部屋がある。
そこだけは昔っから埃っぽくて、昔っから散らかっていて――――そして、昔のまんまだった。
上着についた埃を払い、窓を開ける。 木製のテーブルの上に鞄と上着を置き、ランプに火を灯した。
暗闇の中浮かび上がったのは、幻想的な景色だった。何が幻想的というわけでもない。ただ俺にとってそれは、懐かしい思い出の景色であり、十分過ぎるほど幻想的だった。
小さな本棚には沢山の本がびっしりと敷き詰められていた。そこに収まりきらないものは、床の上に直接塔を作っている。乱雑に散らばった一つ一つの本に見覚えがあり、俺は思わずため息を漏らした。
そう、ここは秘密基地だった。机の上を指で撫でると、埃が時間の経過を教えてくれる。
もう十年以上前の事だ。この家にまだ家族が暮らしていた頃の話。俺と彼女は、よくここで一緒に時間を過ごした。
彼女、というのは別に将来結婚する事を誓い合った幼馴染とかではない。普通に生まれた瞬間からそばに居た、妹の事である。
ではなぜ彼女などと他人行儀名呼び方をするのかということだが……まあ、それはひとまず置いておく。
何はともあれ彼女は俺にとって唯一の妹であり、幼少時代を共にすごした人なのである。
その妹が死んだのが一月ほど前である。思い返すと少々ヘビーだが、とりあえず問題なのはそこではなかった。
数日前、その死んだはずの妹から手紙が届いたのである。俺の住んでいるアパートの郵便受けに、白い封筒で。
差出人は不明。いつ届いたのかも全く不明。ただ、俺には妹から手紙だという確信めいた想いがあった。
「……本当にあった」
今自分がどんな顔をしているのか想像できない。
手にしたのは一冊の本だった。本……。本、なのだろうか? ぱらぱらとめくってみるが、そこに記されている文字は活字ではない。
ハードカバーの中身、書面は完全に手書きだったのである。まっさらな書面に、恐らく彼女が記したのであろう様々な文字。それは長い長い時間をかけて、不思議と当たり前のように俺の手元に届いた。
本は机の引き出しに入っていた。ちなみに引き出しは二つある。左右に一つずつだ。左が彼女ので、右が俺のアイテムボックスだった。本は左側に入っていた。
ただ、本が入っていただけだ。引き出しを全部引っ張り出してみたが、他には何もみあたらなかった。手書きの本が一冊だけ。
雪で湿った上着から封筒を取り出し、もう一度手紙を読み返した。俺はそれから椅子に腰掛け、ランプを机の上において本を開いた。
夏流、元気ですか? 私は多分、元気ではないでしょう。
この手紙が届いたら、秘密基地に行ってみてください。夏流に見せたかったものが、そこにあります。
何もかも、ただそこに残してきました。夏流ならきっと私の思いに気づいてくれると信じています。
もしかしたらとても大変な事かも知れません。夏流を苦しめる事になるかも知れません。
それでも私は、夏流に託したいのです。お父さんでも、お母さんでもなく、他の誰でもなく……夏流に。
あの夏を覚えていますか? 私は今でも鮮明に思い返す事が出来ます。
なっちゃん。きっと、あの時のなっちゃんは、正しい事を言っていたんだね。
そろそろ、お別れです。書き始めたらきりがなくなっちゃうから……名残惜しいけど、これまでです。それじゃあ、お元気で。
最後に……さようなら、なっちゃん。 ありがとう。
本城 冬香。
「……」
気づけば夜になっていた。
本を読んでいたはずなのだが、どうやら眠ってしまっていたらしい。目をこすりながら窓の外を見ると、すっかり日が暮れてしまっていた。
「冬香……」
ポツリと呟いた名前。まあ、そういう気分だったんだろう。大きく身体を伸ばし、首を鳴らしながら立ち上がると、足元から悲鳴が聞こえた。
「み……みず……」
「うぉぁあっ!?」
驚きのあまりマンガみたいなリアクションをとってしまった。
だがそれも仕方のない事だ。つい先ほどまで俺一人だけだったはずの屋根裏部屋に、見ず知らずの男が倒れていたのだから。
若い男である。所謂タキシード姿であり、ステッキとシルクハットは床の上に転がっていた。
見るからに顔色が悪い。今にも死んでしまいそうだ。そういえばこんなのを映画とかで見たこともある。
「みず……」
「……あんた、どっから入ったんだ?」
「そんなことより水を……」
「そんなもんねぇよ!! 屋根裏に蛇口着いてたらビックリだろが!」
「それもそうですね」
男は何事もなかったかのように立ち上がった。俺はもう、何も言うまいと思った。
「これはこれは。とりあえずジョークで場を和ませようと努力してみたのですが……。ユーモアのセンスはお持ちになっておられないようで」
シルクハットについた埃を叩き落としながら見下すような視線で俺を見つめる男。俺はただ口をぽかーんとあけたままそれを見ていた。
言うまでもなく、ここは俺の実家だ。まあ、古い実家の蔵とかには、何か幽霊とか入っていたりするもんだが、別に囲碁って感じの格好でもないし、なんだこいつ。
とにかく突然過ぎて疑問だらけで思考が追いついていない。ただただ呆けることしか出来ない。
「……大丈夫ですか? 貴方がホンジョウナツル様でよろしいのでしょう?」
「え? あ、ああ……。確かに俺の名前は本城夏流だが……」
「フフフ。今、何故俺の名前を知っているんだ……とか考えたでしょう?」
「あ、ああ……そりゃな」
「そんなありきたりなリアクションで人気が取れると思ったら大間違いですよ」
やれやれと肩を竦める長身の男。無駄に腹が立ったのでとりあえず蹴倒しておく事にした。
「ぐはあっ!」
と、悲鳴を上げながら本棚に突っ込んでいく男。腕時計で時間を確認すると、あれからまだ一時間も経過していなかった。
一体どこから入ったのか。入り口の鍵は……閉めたかどうかは定かではないが、そもそもこんな森の奥にいる時点で十分不審だ。
それにしても妙だ。この男、雪などで汚れた様子が一切見られない。まるで最初からこの屋敷の中に住んでいたかのようだ。
「……この幽霊屋敷に住み着いてたのか?」
「まあ、そうとも言いますが……乱暴はやめなさい! 弱いものをいじめて楽しいのですかッ!?」
自分で言うな。
「とりあえず自己紹介をさせてください、ナツル様」
「……お前の名前に興味はねぇ。とっとと出て行け」
「そうはいかんざき」
殴った。
男は血を吐きながら土下座をした。
「お願いします、話を聞いてください……」
「……聞いたら帰れよ」
椅子に腰掛け、土下座する男の頭をぐりぐりと踏みつけながらふんぞり返る。なんだか良くわからないが、とりあえず悪い奴でもなさそうだった。
「ワタクシの名前は、ありません。ちょっと!! 話は最後まで聞きなさい! 貴方はすぐ暴力で物事を解決しようとしますが、それはいけないことですよ! 平和的に話をするという選択肢は存在しないのですか!?」
「……まぁいいだろう。続けろ」
振り上げた拳を引っ込めため息をついた。男も安堵したのか、きりっとした表情に戻り話を続ける。
「ワタクシのご主人は、ワタクシの事を『ナナシ』と呼んでいました。ですが名称など形式上の物……特に、ワタクシにとっては必要なものではありませんので、ワタクシのことはナナシとお呼び下さい」
タキシードの男、ナナシはそう言って深々と頭を下げた。
長い白髪と真紅の瞳。日本人とは言い難い整った顔立ちで微笑むその姿は、間違いなくイケメンなのだが、先ほどのなよなよした態度を見ている俺の目にはその姿がかっこよく映る事はなかった。
「無論、貴方に用件があるからこそここにやってきました。手っ取り早く話を進める為に、あらかじめ明言しておきます」
「何をだ?」
ナナシは微笑み、それからシルクハットを被って背を向けた。
「今からお話する事に関して、貴方は全ての自由と権利を所持しています。話を途中で聞くのをやめるのも、最後まで聞くのも、それを信じるも信じないも貴方の自由です」
「はい?」
「結果、貴方は『選択』する事になる……ということを、心の片隅に残して置いてください」
わけがわからないセリフだったが、ナナシの態度は本気であるように思えた。
他人の真面目な話を無下にするのもあれなので、俺はしぶしぶ頷いて話の続きを聞くことにした。
難しい言い回しをしているが、要はここから先はご勝手に、ということだ。ならせいぜい勝手にさせてもらおうじゃないか。
「ワタクシの役目は、ご主人の願いを叶えることにあります。そのためにワタクシはもう何年もここで貴方を待っていました」
「ご主人……願い?」
「単刀直入に申し上げましょう。貴方が手にしているその名も無き本……それを、完成させて欲しいのです」
俺の手元には、冬香が残した一冊の本がある。
タイトルは……そう、ナナシの言う通りまだつけられていない。白紙のタイトルをじっと見つめていると、ナナシはゆっくりとページをめくった。
「先ほど貴方はこの本を全て読み終えたところです。それはお分かりですね?」
「ああ……。えっと、俺はさっきまでこの本を読んでて……読み終えたのか? 一時間も経っていないのに?」
「読み終えた、というのとは違うかもしれませんが、ともかく内容を把握したはずです。それでは、内容を思い出していただけますか?」
「そんなのは簡単だ。さっき読んだんだし…………?」
途端、俺は首を傾げていた。
何度も何度もつい先ほどまでの記憶を思い返してみるのだが、まるでそこだけがぽっかりと切り抜かれているかのように思い出す事が出来なかった。
ナナシを見つめると、そうなる事を知っていたかのように微笑んでいる。じっと睨みつけ、立ち上がった。
「何をしやがった!?」
「その質問に答えるのは少々難しいところです。とりあえず、この一頁目をご覧下さい」
トントンと、指先で開かれた頁を叩いてみせるナナシ。そこには左側に文章が、そして右側には全画面を使って挿絵が描かれていた。
挿絵に描かれているのは、どこかの神殿のようだった。右画面半分はその神殿で儀式のようなものを行っている黒い髪の少女の様子が。そして下半分には、草原を慌てて走っている茶髪の少女の様子が描かれていた。
文章に目をやる。しかし、そこに描かれているのは一番上の部分にたった一行、一言だけだった。
「『始まりの日』?」
むしろそれはサブタイトルか何かのように見えた。
それにしても右半分がまるきり全部絵とは、まるで絵本だ。俺が読んだときは、こんな絵なんかなかったと思ったんだけどな……。
不思議な事は重なるものだ。始まりの日という一行は、淡く金色に輝いていた。まるでそれを読み上げる事を活字が待ち望んでいるかのようにも見える。
恐らく怪訝な表情を浮かべていただろう。俺の視線を受け、ナナシは腕を組んだ。
「その物語は、貴方に読み解かれる事を待っています。そしてそれを読み解くという事は他でもなく貴方の妹、ホンジョウトウカの願いでもあるのです」
「……冬香の、願い?」
郵便受けに入っていた白い封筒。いなくなった彼女からの不思議な手紙。
導かれるようにやってきたこの場所で見つけた名も無き本と名も無き男。
そこに俺は、いなくなった妹の思惑を感じずにはいられなかった。
「貴方はその物語を読み解いてもいいし、読み解かなくてもいい。ただ、ホンジョウトウカの願いを叶えるつもりがあるのならば、物語を読み解いてください。何、それほど不安に思う事はありません。嫌になったのならばいつでも辞める事が出来ますし、貴方に危険もありません」
「……」
いかにも胡散臭いのだが、ナナシの言葉に嘘があるようには思えなかった。だからそう、きっと俺は自分の手で選ばねばならないのだろう。
妹が俺に託したものが何なのか……それを果たして知るべきなのか、知らざるべきなのか。
いや、答えなどとっくに出ている。俺はそのために、ここまでやってきたんだ。
「どうすればいい?」
顔を上げて正面からナナシを見つめた。
目を細め、男は微笑んだ。それから深々と頭を下げ、金色に光る始まりの文字を指差す。
「よろしいのですね?」
「ああ」
「それでは参りましょう。全ての始まりの日へ」
文字は金色に光っている。
神殿の女も、草原を走っている女も、今はとにかくワケがわからない。 ただ、俺はそうする事が前に進むきっかけになるのだと知っているかのように、深く息を吸い込み――――、
「『始まりの日』へ」
そう、呟いていた。
眩い金色の光が本からあふれ出し、部屋を眩く染め上げていく。
そうして何もかもが光に溢れた頃、上下左右の間隔が消滅し……俺の意識は途切れていた。
それが、様々な問題やら冒険やら何やら、そんな彼女の仕組んだゲームに俺がハマってしまった瞬間だった。
えー、なんかファンタジーを書きたくなりました。
今回掲載分は事前に書いてあったものなので、とりあえずプロローグ部だけ掲載して後はちまちま上げてきます。
年末年始は忙しいので、更新ペースは微妙になるかもしれません。
何はともあれよろしくおねがいします。かしこ。