2話
ギシギシと音を奏でる木造の階段を降り、1階へ着く。
まばらに埋まる客席の中、
「こっちだこっち!」
気さくな男が、肉に齧り付きながら手招きをしていた。そのテーブルには他に頑固な男も居て、背筋を伸ばし黙々と食事を取っている。
「どうも」
と軽く二人に会釈しながら席に着く。
「リルちゃん、こいつにも飯と酒を頼むよ!」
「はーい!」
「あ、すみません、水でお願いします!」
「はーい!」
こちらの声に厨房から元気な声が返ってくる。とても良い。
「祝いの席だ、酒を飲もうぜ」
「いや、酒は、当分遠慮させていただきたいです……」
と、頭を掻きながら断ると、頑固の男が
「軟弱者め。鍛え方が足りんな」
フンっと大きく鼻息を鳴らし、こちらを目線だけチラっと見ながら言った。それにじと目で返すだけに留めた。
「はいっ、お待たせ! お水と、豆と野菜のスープと、パンと、滑降牛のステーキよ! 召し上がれ!」
目の前に置かれた品々を見て、唾を飲み込む。パンは硬そうだがスープにつければ食べれそうだ。そのスープは丸いボウルにたっぷりと入れられており、これだけでもお腹いっぱいになりそうな程であった。そして、肉はこぶし大ほどもあり、香辛料がかけられているのか、その匂いは凄まじく食欲をわかせ、腹が減っていると実感させられた。
と、そこへ横からちゃちゃが入る。
「リルちゃん、滑降牛なんてあったのかよ。ずりーよー」
「祝いの席なんでしょ。奮発してあげないとね!」
そう言って、こちらを見てウィンクしていただいた。思わず見とれてしまうと、また別の横から鼻息がフスンと聞こえてきて、現実に戻された。
「それじゃ私も参加させてもらうね」
とリルさんは言って、丸テーブルの向かい側に座った。左が気さく男で、右が鼻息である。
気さく男が、ごほん、とわざとらしく咳をして、ニヤリと子供のような笑顔を浮かべ
「それじゃあ、出会いに乾杯!」
「「「乾杯!」」」
テーブルの真ん中で豪快に木のジョッキがぶつかり合った。
「うめー、うめー、うめー」
思わずこぼれ出る言葉をそのままに肉へとフォークもどきを突き刺し、齧り付く。日本に居た頃に祝いの席などで、高級肉を食べたこともあったが、何が違うのか格別美味しく、手が止まらなかった。
「自己紹介といこうか! 俺はテラン、こっちの無愛想なのはヴァト。そして看板娘のリルちゃんだ!」
「もう、テランさんは口が上手いんですから……」
といってリルさんが頬を赤くし俯く。
その間、必死に詰め込んでいた肉を飲み込み、
「――俺はシュウって言います。よろしくお願いします」
頭を下げ、そして開いた口で
「……肉、美味いです! 何か隠し味でもあるのですか? 今まで食べたどの肉より美味しいです!」
「今朝、仕入れたばかりで新鮮なのと、やっぱりお父さんとお母さんの腕前かな! そう言ってくれるとお父さん達も喜ぶよ! あと、敬語使わなくていいよ、そんな洒落たお店でも無いしね!」
「いえ、色々とお世話になりっぱなしですので……」
「ああ、そういえばお前、無一文か!」
と気さく男がケラケラと笑い始める。実際問題、今まさに上半身裸で、下半身にシーツを巻いてるだけで、服すら財産を持っていないのだ。
するとリルさんが、パンを食べながらも
「あ、そっか、そしたら後でお兄ちゃんの服を貸してあげるね。お兄ちゃんは都で暮らしてるから遠慮なく!」
と笑顔で言ってくれた。
「すみません、お言葉に甘えて借りさせていただきます。ご迷惑をかけてばっかりで申し訳ない」
「いいんですよ! 困ったときはお互いさまですから!」
天使や、天使さんがいる。と、感動し感謝していると
「実際のところ、お前この後どうするんだ?」
「どうしたものかと……。帰れるなら帰りたいですが、漂流者が帰った話とかはありますか?」
果汁入りの水で喉を潤しながら、聞いてみた。
「わかんねぇなぁ。ただでさえ漂流者何て珍しいんだ」
「そうですか……」
「まぁ、気を落とすなって! 俺が言えるのは楽しく生きたもん勝ちってことぐらいだ!」
と言って、テランはバカ笑いすると酒を豪快に飲み干した。
「ねぇ、行くあてが無いなら、うちで働かない?」
「えっ?」
そう切り出したのはリルさんだった。
「最近、この村に来る人も増えて、お客さんが増えているんだ。お父さんも、男手が欲しいな、とか言ってたし……うん! ちょうどいいと思うよ! ねえ、お父さん! シュウさん雇おうよ!」
リルさんは思いつくや否や、即厨房の方へ行き、カウンター越しに奥の方で調理している人物に声をかけると、奥からこちらへやってきた。
たくましい肉体をしており、1人で牛の解体ぐらいやってのけそうな風格を持っていた。そしてこちらを一瞥するや否や
「ダメだ」
「あら、いいじゃない」
「お、お前……」
威厳をたっぷりに一刀両断したが、すぐに横から現れた女性に崩されていた。様子を見るに、リルの母であろう。
「リルもいい歳になってきたし、生き遅れって言われる前に、婿さん見つけてもらわないとって、この前、話したじゃないか」
「いや、だがな……、ひょっこり現れたひょろい男にうちのリルをやるわけには……」
「いやねー。この子を雇って、リルの時間を作って、男漁りさせて良い男を捕まえて貰うのよ」
「ちょ、ちょっと! お父さんお母さん何を言ってるのよ! や、やめてよ!」
リルさんは急に話の展開が自分のことになって、顔を真っ赤にしながら厨房に入り二人を止めていた。わいわいと厨房が騒がしくなり、それを見ながらパンをスープにつけて食べていると、
「シュウ君って言ったかしら、貴方はここで働くことについてはどうなの?」
「とっても有り難い話ですので、よろしければ是非ともお願いしたいです」
そう、宿なし、飯なし、服なし、金なし、そんな自分にとって、ここには全てがある。
「それじゃあ決定! シュウ君を"揺り篭の宿"の従業員として歓迎するわ!」
「むむ……」
「シュウさん、これからよろしくお願いします!」
「はい、こちらこそ、皆さんよろしくお願いします」
リルのお母さんには大手を広げて歓迎され、お父さんは腕を組んだままこちらをにらめつけており、まだ少し顔に赤みを残したリルさんとお辞儀を交わした。
「ほら、あんたも一言」
「むむ……、娘はやらんぞ」
そういうや否や、リルのお父さんは厨房の奥へ下がっていった。
「今日はゆっくりしなさい。明日からこき使わせてもらうわ!」
「お手柔らかにお願いします」
と、話がひと段落ついたところで、テーブルに戻ろうとしたら、テーブルに居たヴァトが立ち上がり、
「お母さん! 僕もここで働きます!」
元気よく宣言した。
「ヴァト坊、あんたは衛兵の仕事があるでしょ」
「衛兵は今日で卒業します!」
「そんな気軽に仕事を卒業する男に、リルはやれないね」
「衛兵、がんばります……」
ヴァトはさっくりと撃墜されてやけ食いを始めた。おかしな人だ、と見ていると、
「ちょっと! ヴァトさん、それ俺のパン!」
「職無し銭無しは引っ込んでろ!」
「っく……言い返せない」
わいわいと騒ぎながら食事を終えたところで、一人の男がフラフラと2階から降りてきて、リルさんが慌てて駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか? ファイさん」
「問題無い」
そうは言っているが、顔は青白くみえる。ファイさんの体調は気になるところではあるが、まず先に自分も立ち上がり、挨拶とお礼を言うことにした。
「俺、シュウと言います。会話できるようにしていただいたようで、ありがとうございます」
「リルさんに頼まれたからな。仕方なく、だ」
「はい、それでも助かりました」
「ふん、それより、声が聞こえていたが、お前は魔術ギルドで雇ってやる」
「魔術ギルド? どういうことでしょうか?」
自分もリルさんも首をかしげる。
「"通訳"の魔法をかけた時に、ついでに記憶も見たところ、中々に知識豊富のようだったから、俺様が有効活用してやる」
「「「記憶を見た?」」」
リルさん、テランさん、自分の声が重なった。
「おいおい、それって禁術に指定されてなかったっけ?」
テランさんが言った。
「ああ、そうだ。しかし前日、使用が許可される例外が認められた」
「……」
「都の方で、漂流者が大きな事件を起こした。そんな事件もう起こさない為に、漂流者への閲覧が許可された訳だ」
「なるほど……それで、使って"見た"わけか。あまり良い趣味とは言えいな?」
「ふん、これも魔術師の務めだ」
テランさんとファイさんのやり取りはあまり良い雰囲気ではい。そんな様子を見ながら当事者の自分が思うことは、エロい煩悩がどこまで見られたのかという心配だった。
そんな中、テランさんが、あー! と大げさに何か思いついたように前置きを置いて
「――それで、知識負けして、フラフラな訳かっ!」
「ち、知識負けなどしていない! 良いか! 俺は勝った! そいつはすぐさま気絶して、俺は気絶をしなかった! 良いか! 負けてなどいないからな!」
「ははーん、リルちゃんの前だからその場では何とか耐えて、部屋でも借りて今まで寝てた訳か。で、起きてもまだ頭がフラつくと。現状、飯食って騒いでいるシュウと、青ざめてフラフラのお前じゃ、どう見ても、お前――負けてるぞ?」
ニヤニヤと人を馬鹿にした顔つきで、テランさんが畳み掛けている。
「っく……」
反論できずに居るファイさんにさらにテランさんが口を開く。
「まぁ、真面目な話をすると、この町一の魔術師といわれたファイが知識量で負けるって、お前、何をしてたんだ?」
そう言われても、と考えてみると、思い当たった。
「あー……、お国柄で物心ついた時から今までずっと学校で勉強していた、からですかね」
「おいおい、どんな国だよ。そして、お前何歳だ?」
「20だから、15年近く勉強してきたことになりますね」
そう考えると、どんだけ勉強してきたのかと自分でもおかしく感じてしまう。
「学者の息子か何かか?」
「いや……商人ですね」
「長男か?」
「はい」
「おいおい、とんでも無いのが来たな。ファイ、大商人の跡取りで英才教育を受けて育ったやつには流石に負けてもしょうがないって! 諦めな!」
なんだか凄い盛られているが、こちらの世界の感覚だとそうなってしまうのだろう。
「く、くそっ、なら、なおさら、ここで働かせる訳にはいかない!」
その発言をどう受け取ったのか、ファイの隣に居たリルさんが、むっと拗ねたような顔になった。
「この世界の常識や、魔術について全く知らないですので……」
「ぐっ……」
「それにもうここで働くと契約しちゃいましたし……」
「そ、そうだ、魔術ギルドで働けば、帰る方法も見つかるかもしれないぞ! ここでは無理だろう!」
確かに餅は餅屋に聞け、摩訶不思議現象は摩訶不思議魔術ギルドとやらで調べた方が分かるだろう、と思うが、
「それならファイ君が調べてくれればいいの! シュウ君はここで私と一緒に働くの! 大商人の跡取りに相応しくない様な宿で悪かったわね! もう、ファイ君、帰って!」
「えっ、いや、あのっ、ち、違うんです」
ファイさんの隣に居た、火山が噴火した。青い顔を、さらに青くさせ必死に言い訳をしようとしているが背中を押し出され、店から追い出された。
リルさんは、フンと、満足げに扉を閉めた。そしてこちらに戻ってくるや否や、なぜか自分のお腹に顔を埋めてぐりぐりとした後で、人1人分離れ、伸長差から上目遣いで
「ここで働くよね!」
と力強く聞かれたので
「はい、勿論」
と答えると、満足げに腰に両手を当て、胸を張った。幾分かそのまま静かに時間が過ぎた後、何をしたのか思い出したのか顔を急速に真っ赤にし、2階へと走り去って行った。
「今まであのポジション、俺だったのに……」
リルさんのお父さんが哀愁を漂わせて、お母さんにポンポンと背中を叩かれていた。どうもこれはがんばるしかなさそうだ。