第一夜/前編
街灯がある場所から、少し離れた所にある路地裏に二つの影。
「あら、お約束の時間ですのよ?なのにどうして今更、死にたくない、なーんて…一体どういう神経してんのかしら。」
「そ、それは…気が変わったんだよ!お嬢ちゃんにもあるだろ?そういう時がさあ…」
一つは、まだ幼さを残しながらも美しさを持つ少女の影。二つめは、必死で死から逃れようと足掻く哀れな男の影。その二つの影は決して交じることなく一定の距離を保ちつつある。
少女は、男の話を始終つまらなさそうな表情で聞きながら、腰までまっすぐに伸びた綺麗なクリーム色の髪を高い位置で一つに纏めていき、腕首につけていた細いシンプルな黒ゴムで結んだ。その光景さえ美しいもので、男は我を忘れて少女に魅入っていた。
「死ぬ前に言い残すことは全て言えたようですわね。それでは、タイムリミッ—」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
少女の声で我に返った男は慌てて叫ぶ。少女は苛つき始めたのか顔に似合わない舌打ちをしたかと思えば、今度は男を睨んだ。それに対し、壁を背に座り込んでいる男は滝のごとく流れ出る冷や汗を止める術さえも浮かばず、今はただ、冷酷なまでに冷たい少女の青い目から自分の目を逸らすことで精一杯だった。
「お、俺の話、聞いててくれてたんだよな…?」
男は必死に声を絞り出して聞いた。すると少女は睨むのをやめ、静かに空を見上げる。数えきれない無数の星たちはこの場にふさわしくないほど瞬いていて幻想的な空間を創り出していた。そんな星たちを見て、少女は一息。そして視線は空に向けたまま、静かに口を開く。
「お約束の時間は守らなきゃ」
先ほどまでの低い声ではなく、優しさを含んだ綺麗な声色だった。男は驚きを隠せない表情をし、少女を見つめる。そして決心したのか、力強くうなずくと重い腰を上げて立ち上がり、少女の目の前に立った。
「制限時間、とっくに過ぎてんだろ?さっさと終わらして、お嬢ちゃん帰らせてやんねぇとな。」
二カッと笑う男に、先ほどあったはずの恐怖心は一ミリも残っていない様子だった。少女は少し驚きを見せたが、すぐさま平然とした表情になると指をぱちんと鳴らす。それに合わせて大きな扉が出現した。赤と青の薔薇が巻きつくような形で飾られている扉は怪しげな雰囲気を醸し出している。
ごきげんよう、少女は口には出さなかったが心の中でそう呟き、男を見つめる。男の目からは微かに涙が零れていた。
「時間切れ!」
扉が開くと同時に、無数の手が男を掴み、中へと引きずり込んで行った。
「なぜ笑って…。」
男の姿も大きな扉も跡形もなく消え去ったあと、再び静寂に包まれた街に少女のか細い声が一つ。その言葉さえ、風に流れていくかのように留まることなく消えていった。