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(3)

 妻はもうろうとしている俺に言いたいことを言って自室にひっこんでっしまったようだった。

 俺は何とか動けるようになるとすぐに家を飛び出した。俺個人の部屋はあるが、とてもじゃないが同じ屋根の下はいられなかったからだ。

 社会人の本能がそうさせたのか、仕事用のカバンに携帯、財布は持っていたので、そのまま駅前のビジネスホテルに部屋をとった。

 部屋に入るなり、ベッドの上に倒れ込む。今はとにかくなにも考えたくない。このまま泥のように眠ってしまいたかった。

 だが、眠れない。ひどく疲れているはずなのに、頭の中では妻の言葉がえんえん渦を巻いている。

 ──似ているの、あのひとに。あのひとに。あのひとに。

 何度も何度も聞かされる。あの言葉を口にするときだけ、妻の声は甘さを含んでいた。

 今日はなんて日だ。たった一日で、俺の築いてきたものがすべて崩壊しようとしている。会社も、家庭も。いったい、俺がなにをしたっていうんだ?

 ──だめだ、眠れない。

 俺はベッドから起きあがり、カバンをあさった。

 とりだしたのは睡眠薬の瓶だった。出張先などでよく眠れないときのために、だいぶ前に処方してもらったものだ。ただそれほど使う機会はなく、錠剤はまだ瓶の中にたっぷりと残っている。

 俺はふたを開け、錠剤を三錠とりだした。ホテルに備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、水で一気に流し込む。

 服を脱いで下着姿になり、ベッドに潜り込む。目を堅く閉じ、身体を丸めて、ひたすら薬が効くのを待ち続けた。


 やがて目を開くと、なんだか見覚えのある白い空間にいた。

 見回すと、少し離れたところにやっぱり見覚えのあるツインテールのゴスロリ少女が立っている。

 少女はこちらに気がつくと、てこてこと駆け寄ってきた。

「ちょりーっす。一日ぶりですー」

 自称死神の少女メイは、昨日見事に滑ったのとおなじ挨拶をまた俺にした。

 だがはっきり言って今の俺には、そのことをつっこむ余力もない。

「あー、だいぶお疲れのようですねえ」

「……悪いが、今日はバカの相手をしてやれる心の余裕はない」

「確かに容赦のない刺さりっぷりですよぅー」

 そう言いながらもメイは、すぐに脳天気な笑顔に戻った。

「でもでも、これで死にやすくなりまたよね?」

「……は?」

「会社と家族が心残りだー、って言ってたんで、心残りがなくなるようにわたしがんばったんですよぅー」

「がんばったって、なにを」

「ですからー、会社と家族を清算できるように、死神の力でちょちょいっと運命に小細工を」

 疲れきった頭で理解するのに数秒を要した。

 つまり……こいつのせいだっていうことか?

 この目の前でなにも考えてなさそうにヘラヘラ笑ってる小娘のせいで、俺の運命がめちゃくちゃに?

 理解したとたん、怒りの感情が一気に限界を突破する。

「てめーこら、どういうつもりだ!」

「めぎゅっ」

 容赦なく首根っこをわしづかみにすると、メイがブリキ缶がひしゃげたような音を出した。

「もどせ!すぐもどせ!」

「ぎゅぎゅぎゅ、ぐるじいですよぅぅぅ」

 俺は怒りにまかせて何度も彼女を前後に揺さぶったあと、最後は突き飛ばすようにしてメイを放り投げた。

「おごご、暴力反対ですー……」

 腰から落ちたメイは痛めた箇所を片手でさすりながら恨めしそうに俺をみたが、まだ俺の怒りは収まっていない。

「いいから、よけいな小細工はやめて、元通りにしやがれ」

「うぅー、申し訳ないけどそれは無理ですー」

「なんでだ!おまえがやったんだろうが!」

 俺が怒鳴るとメイは肩をすくませるが、それでも主張を変えなかった。

「死神の力はなんでもできるってわけじゃないです。運命の流れかたをすこしいじって、起こらないかもしれないことを確実に起こるようにしたり、時期を早めたり逆に遅くしたり……そういう力なんですー。うまくやれば本来は起こらないことを起こす、なんてことはできますけど、起きちゃったことをなしにするなんてことはできないですよぅー」

「何だと……」俺が握りこぶしを作ると、メイはまた暴力を振るわれると思ったのか、あわてて付け加えた。

「それに、今回のことに関していえば、わたしは本当にちょっとしか関わっていませんよ?取引先にほかの会社がちょっかいかけてたのも、銀行が融資の再検討をしてたのも元からあった事実ですし、お子さんに別の男性のDNAが入ってるのも厳然たる事実ってやつなんですー。わたしは問題発生のタイミングをすこしいじっただけなんですよぅー」

 メイは早口でまくし立てると、両手を頭の上にやって「だから、ぶつのはなしでお願いしますー」などと言っている。

 が、俺にはもうそんな気はなかった。メイの言葉は、俺の怒りをそぐのに十分だったのだ。

「結局──俺は周りが見えていなかったってことか……」

 俺は肩を落とし、その場に崩れるようにいて座り込んだ。

「あの……だいじょうぶですかー?」

 さんざん脅かしてやったのに、メイが気遣うような声をかけてきた。

「ああ……」俺はふと思い出して、メイの方をみた。

「そういえば、昨日のスイッチ──まだ使う権利があるのか?」

「もちろんですよぅー。ていうか、気兼ねなく使ってもらうためにがんばったわけで」

「だったら使わせろ。今すぐ」

 そう言うと、メイは驚いたように目をぱちくりとしばたたいた。

「えっ、今ですか?でもまだ離婚も会社の清算も終わってませんし、今死ぬといろいろ周りに迷惑かけちゃいますよ?」

「いいんだよ、もう」

「えー、だったら別に昨日押してくれたって──」

「いいから早く出せ!」

 怒鳴りつけると、メイはあわててポケットに手を突っ込んだ。

「ええっとぉ……」

 しばらくごそごそとポケットを探った後、昨日見たのとおなじ物騒なデザインのスイッチをとりだした。

「じゃじゃーん!ちなみにですねー、正式名称は、とうじしゃけっていしきあんら」

「いいからよこせ」

「練習したのにー。ひどいですよぅー」

 俺はメイのたどたどしい言葉を遮って、装置をひったくった。

「これを押せば、俺は死ぬのか」

「そうですー。しかもやすらかに死ねます。すごいです。すてきです」

「死んだら、俺はどうなるんだ?」

「えっとー、魂はスイッチの購入代金なので、いただいていきますー。でも悪いようにはしないので、安心してくださいねー」

「そうか……ま、どうでもいいか」

 一日にしてすべてを失うようなこの苦しみから解放されるのなら、どうだっていいことだ。

 俺はスイッチを覆う透明なカバーをはずした。あとはこの赤いボタンを押し込むだけだ。

「さすがに、すこし緊張するな」

「ファイトですよぅー。気合いが大事。そこだ、一発、さあぐっと!」

「……おまえ、すこし黙っててくれ」

「でもでも、こういうのは後押しがないと、なかなか一歩踏み出せない人が」

「いいから、黙ってろ」

「うぅー、もう少し優しい扱いを望mrrrrrrrrrrrrrr」

「だから、うるせー!」

「rrrrrrrrrrrrrrrrrr」

 急に意味のない言葉をけたたましく叫びだしたメイを見ると、まるで静止画を見るように不自然な姿勢で固まっている。

 ──どうなってるんだ?

 俺はもう一度スイッチを見ようとしたが、視線を動かせない。目の前のメイの姿も急速に色を失って──


 rrrrrrrrrrrrrrrrrr……。

 鳴り続ける携帯の音で、俺は目を覚ました。

 いつもの癖で枕元に携帯を置いてしまったせいで、起こされてしまったようだ。

「くそっ……」

 俺は毒づきながら、携帯を手に取る。これが鳴らなければ、俺は今頃安らかな永遠の眠りについていたはずなのに。

 着信番号は、見覚えのないものだった。

 着信音は鳴り続けている。ひょっとしたら、社員の誰かが私用の携帯からかけているのかもしれない。もしそうなら、時間帯からいっても緊急の案件だろう。

 俺は通話ボタンを押した。耳に当てる。

「よう、にいちゃん」

 聞こえてきたのは妙にドスの利いた、まったく聞き覚えのない声だった。

「……誰だ?」

「とぼけんなや。借金の返済期限、とうに過ぎてんのはわかっとんのやろ」

 借金?こいつはなにを言っているんだ。

「身に覚えがないな」

「なんやと、ゴルァ!」電話口の声が一気に迫力を増した。

「おまえ、ふざけんなや!いっとくがなぁ、もうどこに潜んどんのかは割れとんのや。そっちがその気なら今から取り立てにいったるわ。身ぐるみ剥いでやるから覚悟しとけや!」

 男は一方的にまくし立てると、一方的に電話を切った。

「……なんだったんだ」

 今のは相手を間違えているとしか思えない。会社としての借入金はあるが、俺個人が取り立てを受けるような借金は一度たりともしたことはないのだ。

 だが──よりにもよってこのタイミングだ。ひょっとして、これもあの死神の仕業だろうか?

 俺は夢の中の、あの頭の悪い少女の言葉を思い出す。

 ──死神の力は、なんでもできるってわけじゃないです。

 そうだ、確かにそう言っていた。だが──。

 ──うまくやれば本来は起こらないことを起こす、なんてことはできますけど……。

 そうだ、そうとも言っていた。

 ひょっとしたらこれもあの死神の力で、本来してもいない借金をしたことになっているのではないか?

 そんな考えが脳裏をよぎったそのとき。

 ドン!と部屋の入り口のドアが乱暴に叩かれた。

 さらにガチャガチャとノブを回す音も聞こえる。だが、さすがに施錠はしてあったのでドアは開かない。

 またドアが叩かれる。かなり思い切り叩いているようだ。

 ──もうどこに潜んどんのかは割れとんのや。

 直前の借金取りの声が思い出され、おれの頬を冷や汗が伝った。

 まさか……本当に?

 ドン!ドン!ドアは叩かれ続ける。

 俺はベッドの上で固まったまま動けない。

 その後もしばらくの間ドアは叩かれ続けたが、やがて唐突に静かになった。

 俺は溜めていた息を深くつく。汗が大量に流れ、背中が冷たい。

 これはもうやばい。限界だ。

 もう俺の人生はおしまいだ。また借金取りがくる前に、もう一度眠って今度こそあのスイッチを押すしかない。

 俺は睡眠薬の瓶のふたを開け、錠剤を五錠とりだして水で流し込んだ。

 そしてまた布団にくるまって目を閉じる。

 だが、どれだけ堅く目を閉じても、一向に眠気がやってこない。

 俺は起き上がり、再び睡眠薬の瓶を手に取った。

 もう錠剤の数を数えるのも面倒になり、片手にこぼれてきた十錠以上の錠剤を口にほおりこむと、ぼりぼりと歯でかみ砕く。

 おかしい、ちっとも効かない。

 眠りさえすれば、スイッチを押してやすらかに死ねるのに。このままここで起きていたら、いつまたドアが叩かれるのかと気が気じゃない。

 朝になったらなったで、会社の問題のために奔走しなければならない。また夜になれば、今度は妻が離婚の話を蒸し返すだろう。

 いやだ、いやだ。俺はもう起きていたくない。早く眠らせてくれ。

 睡眠薬をひたすらかみ砕き、飲み込む。水で流し込むのも手間に感じる。

 早く、早く。俺は眠りたいんだ。

 俺は意識が途切れるまで、錠剤を夢中で飲み込み続けていた。




 ──翌々日の新聞記事。


   昨日早朝、東京都某所のホテルの一室で、男性が倒れているのを従業員が発見。

   病院に搬送されたが、死亡が確認された。

   死亡したのは東京都の会社経営、大河内虎之助さん(38)。

   遺書などはないものの、睡眠薬を多量に服用しており、警察は自殺と見て捜査している。





「あーあ、結局スイッチ押さずに死んじゃいましたねー」

「あっ、最後のは私なんにもしてないですよ?偶然です。ホントですよぅー」

「まーせっかくなので、魂はもらっていきます。やったー、これで今月のノルマは達成ですー。ぱちぱち」

「使わなかったこのスイッチは次回のターゲットにまわしましょー。経費削減ってやつです。わたし、できる女!」

「というわけで、次回も美少女死神メイちゃんの活躍に乞うご期待!なのですよぅー」



          終わり



「あれっ、続かないんですか?」


          終 わ り 。



お読みいただきありがとうございます。


「時計の音」同様、簡単に読めるものを……とのつもりで書き始めたのですが、また長くなってしまいました。

とはいえ、これは二日で書けたので、労力としてはそれほどでもないのですが。会話文多めだったからかな?


おバカの子を書くのは楽しかったです。ですが続きの予定はありません(笑)


よろしければ、ぜひご感想をお聞かせください。

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