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 目が覚めると、なんだか真っ白な世界にいた。

 おかしな話だ。俺はしっかりと自室で眠りについたはず。

 寝る前には会社から持ち帰った書類をいくつかやっつけて、それからとっておきのウイスキーをグラスに半分だけ飲んで寝たんだ。

 いつもと変わらない夜だったはず。こんな見たこともない場所に連れてこられるいわれはない。

 ということはこれは夢だろうか。そう思うと、なんとなく足下がふわふわしているように感じられた。

「あのー」

 夢っていうものは自分の記憶が関連してうんちゃらかんちゃら、と聞いたことがある気がするが、辺りじゅう霧に包まれたような、こんな風景は記憶にない。

「あのー」

 それにしても、これだけ意識がはっきりしている夢というのも珍しいな。

「ちょっと……」

 ただ立っていても仕方がないし、向こうの方まで歩いてみようか。

「あっ、待って……」

 俺は辺りをきょろきょろと見回しながら、霧の向こうを目指して歩きだした。

「待ってくださいっ!」

「ぐぇっ」

 とたんに背後から首根っこをひっつかまれ、俺ののどから蛙が踏みつぶされたような情けない音が出た。

「話を聞いてくださいよぅー」

「げっ、げほっ!げほっ!」

 咳こみながら振り返ると、少女がひとり立っている。染めているのか、紺色の髪をツインテールにし、ゴスロリ系の黒と白の服を身につけている。

 ……誰だ、こいつ?

 少なくとも俺の交友圏に、こんな格好をする女はいない。

 顔も全く見覚えがない。不細工というほどでもないが目がちゃんと開ききっておらず眠そうで、全体的にも陰気な印象を与える女だった。

 夢の中に唐突に現れた女に、俺が無遠慮かつ不審な視線を浴びせていると、女は困ったようにこちらをちらちらと盗み見るようにする。

「なんだ、おまえ」

「え、えーっとぉ」

 あえて威圧的な声を出すと、女はあからさまにおたおたとしだした。いきなり人の首をわしづかみにした相手に丁寧に接する必要はないと思うのだが、こうしているとなんだかこちらがいじめているようでもある。

「あ、あのですねぇー」

「なんだよ」

 用件があるならさっさと言えばいいのに、なかなか切りだそうとしない。間延びした話し方も俺をいらいらさせた。

 それでも女はようやく決心がついたのか、猫背になっている背筋を伸ばして深呼吸を一度した。

 そして右手の指先をそろえて顔の前に出し、

「ちょりーっす」

 と言った。

「……」

「……」

 なんだか肌寒い。

 この霧のなかから早く出た方がいいだろう。俺は辺りを見回しながらこの白い空間から外に出るために歩きはじめ

「ああーっ、待って、待って下さいよぅー」

 背を向けた俺の腕に女がしがみついてきた。

「なんだってんだ」

「今、わたしのこと無視してっていうかなかったことにしようとしませんでした?」

「いきなりヘンなことするからだろ」

「だって、最初はああしろってマニュアルに書いてあるんですよぅー」

「マニュアルって何の」

「死神の接客マニュアルですよぅ」

 何のマニュアルだって?

 俺が歩みを止めると、女は俺の腕から離れてまた向かい合って立った。

「いま、死神って言った?」

「はいー、死神です」

「誰が?」

「わたしですよぅー。わたし、死神です。はい」

 女はにこにこと笑顔でそう言うのだが……。

「ただのコスプレ女だろ、どう見ても」

「ひどい!」

「アキバとかによくいるんじゃないの?おまえみたいなの」

「一緒にしないでくださいよぅー。わたし本物の死神です!あっ、死神の鎌見ますか?」

 自称死神の女はそう言うとスカートのポケットをごそごそ探った。

「ほらこれ!かわいいでしょ?」

「ケータイのストラップじゃねぇか!」

 シンプルな黒いデザインの携帯電話に、確かに昔本か何かで見たことがあるような柄の長い鎌……のストラップがぶら下がっている。

「うぅー……うちの部署にも十年くらい前までは立派なのがあったんですけど、経費削減ってやつでなくなっちゃいました」

「なんだそりゃ……」

 死神に部署だの経費だのがあるのか。

「まあいいや。で、その死神さんが俺に何の用だよ?」

「あっ!お話聞いてくれますか?」

「だってこれ、夢だろ?」

「そうですー、あなたの夢にお邪魔しちゃってるんですよー?」

「いつ覚めるかわからんし、この霧もずっと続いてるみたいだしな……暇つぶしに聞いてやるよ」

「わあー、ありがとうございますー」

 自称死神は笑顔で俺に礼を言うと、またポケットをごそごそと探って今度は一枚の紙を取り出した。

「えーっとぉ、まずは本人確認しますね。お名前は大河内虎之助さま、三十八歳既婚、ご家族はふたつ年下の奥様に、三歳になる娘さんがおひとりで、職業は会社経営──で、間違いないですか?」

「おお」俺はうなずいた。

「すごいお名前ですねぇ。漢字六文字なんてなかなか見ないんでびっくりしましたよぉ。あっ、ちなみにわたしの名前はメイっていいます。メイちゃんって呼んでくださ」

「いいからさっさと本題にいけ」

「あう、すいません」

 メイと名乗った自称死神はこほんと息を整えた。

「えっと、じゃいきます」

 そしておもむろに両手を振りあげた。

「ぱんぱかぱーん」

「……」

「……」

 また肌寒くなった。

「……それもマニュアルなのか?」

「今のはわたし風のアレンジなんですけど……ううっ、わたしセンスないですか?」

「ないな」

「断言された……」

 メイはべそをかいた。

「ううー、ではマニュアルどおりに──おめでとうございます。このたびあなたさまはめでたくご当選されましたー」

「……」

「……」

「……で?」

「あれ?やったー、とかすごーいとかないですか?」

「なにに応募したのかも知らないのにいきなり当選なんて言われて喜ぶやつがいるか」

「心がすさんでますねぇ」

「そろそろ殴っていいか?」

「暴力反対ですー。えっと、あなたさまがご当選されたのはこちらのアイテムの購入権利です!」

 そういうとメイはまたポケットを探った。あのポケットどれだけものが入っているんだ?

「じゃじゃーん」

 よけいな効果音とともに俺の目の前に突き出されたのは、手のひらサイズの押しボタンだった。

 グレーの台座の上に、透明のカバーに覆われた赤くて丸いボタンがひとつきり。ご丁寧に台座の縁には黄色と黒のラインが引かれて、いかにも押したらやばそうなデザインになっている。

「なんだ、これ」

「やすらかに死ねちゃうスイッチです」

 メイは胸を張った。

「……は?」

「やすらかに死ねちゃうスイッチです」

 得意げにもう一度言った。

「おまえなに言ってんだ?」

「ほんとーは漢字がいっぱいの長いちゃんとした名前があるんですけど、覚えきれないし、文字見ながら読んでも百ぱーかむんで省略です」

「おまえがバカだっていうのは見てればわかるから別にいいが……」

「ほんとーにひどいですよぅー」

「それ、押したら死ぬってことか?」

「そうですー」

「俺が?」

「もちろんですよぅー」

 メイはにこにこしながら答えている。

「あ、ちなみにお代はあれですよ、おまえの魂をいただくぜ!ってやつですよー。かっこいいですよねー」

 俺はついに我慢ができなくなり、げんこつを振りおろした。

「んぎゅっ」

 メイは発泡スチロールがつぶれたときのような音を出してうずくまった。

「いきなり出てきて人に死ねとか、どういうつもりだ!」

「うぅー……そんなこと言われても、わたし死神ですからー」

「なにが悲しくて自分でボタン押して死ななきゃいかんのだ」

「ええー、でもでも、安らかに死ねますよ?」げんこつを落とされたあとを撫でさすりながら、メイが反論した。

「死ぬときって、結構痛かったり苦しかったりすることが多いんですよぅ。しかも、たいてい死に方は選べないですし。これを使えば、確実に痛みも苦しみもなく死ねるんですよ?すごくないですか?」

「むぅ」

 メイが意外と筋の通ったことを言ったので、俺はうなった。

「それにしたって、今はいらん。それとも、将来老衰して死ぬときまで持っていていいのか?」

「残念ながら、それはだめですー。購入したら、その場で使ってもらう決まりなんですー」

「なら、俺が老衰して死ぬときにもう一回出てこい」

「そんなぁ」

「いいか、よく聞け。今は会社の業績も好調だし、美人の妻はいるし、娘もかわいい盛りだ。なんでそんなときに死ななきゃいけないんだ。今の俺は絶頂期だぞ!」

 俺は両手を腰に当てて力説した。が、メイもなかなかひるまない。

「そうそう、絶頂期なんです」

「?」

「虎之助さんは今が絶頂期、ってことはー、あとは落ちるだけなんですよぅー」

「なっ、なんだと!?」

「世間はふけーきですから、会社もいつまでも右肩上がりとは行かないですし、奥さんはどんどん老けるし、娘さんもあと数年もすればお父さん臭い、あっち行って!とか言うようになっちゃうんですよ?」

「なっ……」

「しかももっと時間が経つと、会社は後継者問題とか出てきますし、奥さんは要介護認定されるし、娘さんはお父さん、わたしこの人と結婚するの!とか言い出す始末なんですよ!」

「みっ……美幸(←愛娘の名前)が結婚なんて、そんなこと認めるかー!」

 メイの言葉につられて、一瞬成長した娘──美しいに決まっている──の隣に見知らぬ野郎が立っている場面を想像してしまい、俺は叫んだ。

「わっ、すごい反応」

「おい女」俺はメイをにらみつけた。

「メイちゃんって呼んでく」「うるさい」「しゅん」

「今のはあれなのか。神らしく予言のたぐいなのか。それとも適当に言っただけか」

「えっ?えーと……」

「適当だったら承知しねぇ」

「もちろん予言です!確実です!」

「そうか……」

 俺はがっくりと肩を落とした。

「信じられないが……俺の美幸が嫁に行く日が来るなんてこと……」

「いやー、それはふつうに成長すればそのうち……」

「なんか言ったか?」

「なんにも言ってないですよぅー」

 俺はメイの手に握られたスイッチを見た。

「それを押せば……安らかに死ねるのか」

「はいそれはもう。心地よい眠りに落ちるかのごとくですよ?」

 メイがスイッチをずい、と俺の目の前に差し出してくる。

 俺はしばらくの間そのスイッチを見つめていたが、やがて首を振った。

「いや──やっぱり押せねぇ」

「えー、だめですか?」

「たしかにおまえの言うとおりなら、俺の人生はもう終わったも同然だ。だが、だからって自分勝手に死んじまうわけにはいかねぇさ。会社には俺を慕って集まってくれた部下たちがいるし、妻にも悲しい思いをさせちまう。なにより、美幸のためだ。あいつが健やかに成長するためには、やっぱり片親じゃ、いけねぇよな」

「むぅー、そうですかー」

 メイはしばらく下を向いて考えるような素振りを見せた。

「わかりました。そういうことなら、今日はお開きにしますねー」

「すまねぇな。せっかく俺のために未来まで教えてくれたっていうのに」

「いいえぇ。お気になさらずですよぅー」

 メイはそう言って笑顔を見せた。

「おまえ、笑うとそれなりに見られる顔になるな」

「えへへー、わたしに惚れるとやけどしちゃいますよ?」

 俺はひとつ悟りを開いたような、すがすがしい気分だったので、メイの言葉も華麗にスルーできた。

「死神にいう言葉じゃないかもしれんが、元気でな」

「ではまたー」

 あっさりとした別れの挨拶のあと、メイの姿がかすんでいく。

 それとともに、俺の意識も揺らぎ始め、夢の終わりが告げられた。


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