信号無視
「なぁ、渡らないの?」
俺は少年に声をかけた。
ここは某国のとある信号機の前。
信号は赤である、しかし車が来る気配がないため、
みんな信号なんて守らず、平気で道路を渡っている。
無論俺もそれに倣い、道路を渡るつもりだった……が、
その直前、視界の端に、
一人律義に信号が青になるのを待っている少年が目に入った。
その高校生ぐらいの少年は、
他の人が信号無視をして渡って行くのを
全く気にしていない様子で赤く光る信号機をぼーっと見ていた。
「………はい?」
俺が声をかけて数秒後、ようやく話しかけられたことに気づいたらしく、
少年はこっちを見て、呆けた声を出した。
「渡らないの?」
「……はい、信号赤ですし」
「何で?車なんて来てないし、みんな平気で渡ってるぞ?」
「………渡りたい人は渡ればいいと思います。
………あなたも渡りたいのならお好きにどうぞ」
少年はそう言うと、また信号機をぼーっと見始める。
……そんなことをいわれると、逆に渡りにくくなる。
俺は信号無視をすることに急に罪悪感を覚えてしまい、
仕方なく信号が青になるまで待つことにした。
「………渡らないんですか?」
と、少年が俺に話しかけてくる。
「いや、なんか渡りにくくてさ」
「……自分のことは気にしなくていいですよ?」
「そういうわけじゃないんだけど……」
「……そうですか」
少年はこっちに向けていた顔を、信号機の方へと移す。
「……君はいつも信号を守ってるの?」
「………はい、よほど急いでいなければ」
「じゃあ、急いでたら信号無視するの?」
「………時と場合によります。絶対とは言えません」
……なんだか難しいことを言う子だな……。
「何でわざわざ信号守るの?」
……我ながらなんて質問だろう。
『信号を守らなきゃいけない』なんて常識だろうに。
……でも実際みんな守ってないし~……。
「………逆に、どうして守らないんですか?」
少年が心底不思議そうな目で俺を見てくる。
「……そこまで急いでるわけでもないのに、
わざわざ信号無視をする理由が分かりません」
「だって、わざわざ青になるまで待たなきゃいけないだろ」
「……たった数分でしょう。
……いえ、その数分が惜しいのかもしれませんが」
「う~ん……時間よりも、
わざわざ待つのが面倒、ってことが大きいかな、俺の場合」
別にここで数分無駄にした所で、そんなに困ることはないと思う。
ただ単に、立って待っているのが面倒くさい。
「………成程、それが理由ですか」
少年が手を顎に当てて、納得したように傾く。
「それじゃ、俺は理由を言ったんだから、
君も聞かせてくれない?」
「………」
少年は顎に手を当てたまま、数秒考える。
「………自分の場合、
やはり安全だということが一番大きいですね」
「安全か、……まぁ普通はそうだろうね」
「……とはいっても、
物事に絶対などない、とよく言いますが、
正にその通りで交通事故に絶対遭わない方法などないでしょう。
こちらがいくら信号を守っても、
歩道に車が突っ込んできたり、
運転手が信号無視をしたら轢かれます」
「悲しいなおい」
「……事実ですから」
この少年一体何才なんだ?
高校生の考えじゃないって……。
「……ですが、それでも信号無視をするよりは、
信号を守っていた方が轢かれる確率は低いでしょうから」
「だから守るの?……車が来てなくても?」
「……はい」
う~ん……、
少なくとも今ここを渡って、
車にひかれる確率は0だと思うんだけどな~……。
「……もう一つ、あるといえばあります」
「え、理由?」
「………こちらはあまり良い理由ではありませんが」
「いいよ、聞かせて」
「………万が一轢かれた時のため、ですね」
「……え?」
「………つまり、
信号無視をして車に轢かれた場合、
自業自得……は言い過ぎかもしれませんが、
こちらにも責任があるでしょう?」
「そりゃあね」
まぁ、人と車の事故じゃ
やっぱり車の方が責任重くなるだろうけど。
「……しかし、信号を守っていたのに車に轢かれたら、
100%轢いた側の責任だと言えます」
「………」
「………ようするに、保険ですね。
轢かれた時のための」
「考えすぎじゃない?」
「……そうですか?
家を持っている人はほぼ全員火災保険に入っていて、
万が一のためにお金を払っているでしょう。
……自分は万が一車に轢かれた時のため、
それ以前に轢かれないために信号を守ってます」
「いや、火災保険と信号を守ることは全然問題が違うような……」
「………まぁ、例えですから。
……それに、こうしてぼーっとしてる時間、
自分はけっこう好きですし」
「あ~、それはあるかも」
……いや、あんまりぼーっとしてると、
それこそ危ないような気がするけど。
「………というか、
ここまで話し合いをしてきてなんですが……」
「ん?」
「………信号無視って、『道路交通法違反』ですよ?」
「あ」
「……あまり詳しくないですが、
違反したら『二万円以下の罰金』って聞いたことあります」
「罰金!?」
それは知らなかった。
……ってかこうして話してる間も
どんどん道行く人が信号無視してるけど……、
……この人たち全員から罰金取ったら
すごいことになるだろうな……。
「……まぁ、実際に捕まった人なんて見たことありませんけどね」
「違反者が多すぎるからじゃ……」
全員取り締まるなんて絶対無理だもんな。
「……というわけで、
先程自分は信号を守る理由として
『安全のため』と言いましたが、
交通事故に遭わないためだけでなく、
違反をしない、という意味でも『安全』と言えるかと」
「……なるほどなぁ」
「………まぁ、最後のは後付けですが、
元々自分はそこまで深く考えて
信号を守っていたわけではありませんから」
「あ、俺もそう。
特に深く考えず信号無視してた」
と、そこでようやく信号が青になる。
……この信号長かったな、
俺とこの少年だいぶ話し込んでたぞ。
「じゃ、俺こっちだから」
「はい」
道路を渡った所で、俺は右、少年は左に曲がる。
数歩歩いた所で、少年は振り返った。
「お話、なかなか楽しかったです」
「……おう、俺も」
最後は互いに笑い合い、手を振って別れた……。
「……変わった子だったな」
さっきまで話していた少年を思い出す。
……ってか、その変わった少年と話し込んでた俺も
十分変わってるのか?
「……っと、赤か」
また赤信号だ。
さっきと同じで車が来る気配はない。
「………たまには、信号守るかな」
別にあの少年に感化されたわけじゃない。
明日になったらまた平気で信号無視するかもしれない。
……でも、なんとなく今は信号を守りたい気分だった。
「お、青だ」
待ち始めて数十秒、信号が青に変わる。
「今回は早かったな」
俺はそう呟いて、
『安全』な道を渡り始めた。
軽い気持ちで書いてみました。
オチが考えつかず
ちょっと微妙だったかもしれません……。