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転生したら人間だった犬(件)

作者: FUKA
掲載日:2026/10/06

――ころん、ただいま

 いちばん古い記憶に、お母さんはいない。

 いるのは、小さな女の子だ。

 女の子は床に座って、僕の頭を撫でている。  少し強い。毛を引っ張られると痛い。

「やさしくね」

 誰かが言う。

 女の子の手が、ゆっくりになる。

「ころん」

 呼ばれると、うれしい。

 どうしてうれしいのか、そのころの僕にはわからなかった。

     *

 三歳のころ、雨の日のお昼寝で、楽しい夢を見た。

 夢の中では、小さな女の子がタオルを広げていた。

「こっちおいで。ふいてあげる」

 そばへ行くと、頭をふわっと包まれた。  女の子の手は少しぎこちなくて、タオルが何度も目にかかった。

「美緒、目が隠れちゃってるよ」

 後ろから声がすると、女の子は「あっ」と言って、タオルを持ち上げた。

 目が合った。  女の子が笑った。

 僕もうれしくなって、その手に顔をすり寄せ、ぺろっと舐めた。  女の子は「くすぐったい」と笑った。

 目を覚ますと、お母さんが洗濯物を畳んでいた。

「よく寝たね」

 僕は起き上がって、お母さんの膝にくっついた。

「おんなのこがね、ふいてくれた」

「夢で?」

「うん。ふわふわだった」

 お母さんが、畳んだばかりのタオルを頬に当ててくれた。

「これくらい?」

「もっと」

「もっとふわふわ?」

 僕がうなずくと、お母さんは笑った。

 その日から、ときどき似たような夢を見るようになった。

 食卓の下にある、四本の足。  洗濯物から抜き取った、柔らかい靴下。  女の子が食べこぼす、小さなごはん粒。

 そして、床から見る家族の顔。

 僕はそれを、夢だと思っていた。

 お母さんも、そう思っていた。

「奏太は、楽しい夢をたくさん見るんだね」

 僕の名前は、奏太だった。

 それなのに、ときどき夢の中では、別の名前で呼ばれた。

 ころん。

 呼ばれるたび、お尻のあたりがむずむずした。

     *

 六歳の誕生日に、僕は犬の図鑑をもらった。

 動物が好きだったからだ。

 ページをめくっていると、茶色い小さな犬がいた。

 丸い目。  細い足。  くるくるした毛。

 トイプードル。

 その写真を見たとき、夢の中の景色が一つにつながった。

 水の入ったお皿をのぞくと、同じ顔が映っていた。  女の子を追いかけると、床を蹴る前足が見えた。  走ったあとには、舌を出していた。

 あれは、犬を見ていた夢じゃない。

 犬の目で見ていた、記憶だった。

「僕、犬だったんだ」

 声に出すと、妙にしっくりした。

 図鑑を閉じて、自分の手を見た。

 指が五本ある。  毛はない。  肉球もない。

 僕は今も男の子で、ころんも男の子だった。

 あの子が首輪に蝶ネクタイをつけて、何度も言っていた。

「ころんは男の子だから、王子さまなの」

 僕は床に座った。

 目を閉じると、女の子が見えた。

 初めは、僕をうまく抱けないくらい小さかった。  やがてランドセルを背負うようになった。  制服を着るようになった。

 女の子が帰ってくる時間が、毎日待ち遠しかった。

 お母さんが玄関に置いてくれた座布団の上で、僕は待っていた。  外で足音がするたび、顔を上げた。  違う人だと、また顎を座布団にのせた。

 でも、女の子の足音が聞こえると、じっとしていられなかった。  立ち上がって、尻尾を振った。

 女の子は、大きくなっても帰ると真っ先に僕を探した。

「ころん、ただいま」

 声まで、少しずつ変わっていた。

 お父さんもいた。  お母さんもいた。

 ころんのお父さんは、新聞を読んでいても、僕がそばへ行くと片手を伸ばして、頭を撫でてくれた。

 読み終えた新聞紙を丸める音がすると、僕はすぐに立ち上がった。

「ころん、いくぞ」

 ぽん、と投げてもらった新聞紙を追いかける。  捕まえて、前足で押さえて、びりびり破く。  その音が楽しくて、夢中になった。

「お父さん、あとで片づけてよ」

 お母さんに言われると、お父さんは僕を見て笑った。

「だって、こんなに喜ぶんだぞ」

 僕は口にくわえた新聞紙を振って、もう一度びりっと破いた。

 ころんのお母さんは、料理の途中で落としたものを、僕より早く拾った。

「これはだめ」

 いつも負けた。

 でも、にんじんを切っているときだけは、小さな欠片をくれた。

 知らない家族なのに、そんなことを覚えている。

 その夜、今のお母さんに話した。

「僕、前は、ころんっていう犬だった」

 お母さんは笑わなかった。

「夢の中の犬?」

「夢じゃないと思う」

 少し考えてから、お母さんは言った。

「お母さんには、まだよくわからない。でも、奏太が覚えていることは聞きたいな」

 僕は、にんじんの話をした。

 大事なことから話したつもりだった。

     *

 ころんは、十六歳まで生きた。

 そのことを思い出したのは、七歳の冬だった。

 女の子は、もう子供ではなくなっていた。

「十九歳になったよ。ころんと、ずっと一緒だね」

 僕の隣に座って、丸いケーキを食べていた。

 僕には、別のお皿があった。  柔らかくしたごはんだった。

 そのころには、階段を上がれなくなっていた。

 以前は聞こえた玄関の鍵の音も、聞き逃すことがあった。  女の子が帰ってきてから、ようやく気づいた。

「寝てていいよ」

 そう言われても、立とうとした。

 女の子は僕を抱き上げて、自分の頬を頭にくっつけた。

 最後の日は、三人ともいた。

 お父さんが敷いてくれた毛布の上で、お母さんの手に背中を撫でられていた。

 女の子が、鼻の先に指を出した。

 小さいころからの遊びだった。

「ころん、タッチ」

 いつもなら、鼻をくっつける。  すると女の子が笑う。

 その日は、顔を上げられなかった。

 指のほうが、そっと近づいてきた。

 鼻に触れた。

「できた」

 女の子が言った。

 声が、濡れていた。

 僕は、少しだけ目を開けた。

 三人の顔があった。

 眠る前に見た、最後の景色だった。

     *

 八歳の春、僕は家族で動物園に行った。

 帰り道、お父さんの手を握っていたら、不意に別の手を思い出した。

 リードを持つ、大きな手。

 ころんのお父さんの手だった。

 家に帰って、居間のソファの端に座った。  抱えたクッションに顔を埋めると、涙が出てきた。

 悲しい記憶を思い出したからではなかった。

 何でもない散歩を思い出しただけだ。  いつもの角を曲がって、いつもの木を嗅いで、帰り道にお父さんを見上げた。

 また、あそこを歩きたかった。

 三人に会いたかった。

 でも、お母さんには言えなかった。

 今のお母さんも、僕の大事なお母さんだ。  僕に別のお母さんがいると言ったら、悲しませる気がした。

 夕飯のあと、泣いたことに気づかれた。

「何かあった?」

「ころんの家に、帰りたい」

 言ってから、お母さんの顔を見た。

「でも、こっちにもいたいよ」

 うまく言えなくて、袖をつかんだ。

「お母さんと、お父さんと」

 お母さんは僕の隣に座った。

「会いたいの?」

 うなずいた。

「今も、僕のこと覚えてるかな」

「十六年、一緒に暮らしたんでしょう?」

「うん」

「お母さんだったら、覚えていると思う」

 僕は、お母さんの袖を握った。

「会いたいって言ったら、お母さん、さみしい?」

 お母さんは、僕を抱き寄せた。

「会いたい人がいるんだね。一緒に探してみようか」

 袖を握った手を、背中に回した。

 犬だったころには、こうやって抱き返すことができなかった。

     *

 探し始めても、すぐには見つからなかった。

 僕は、住所を知らなかった。

 ころんだった僕は、家の住所なんて気にしたことがなかった。  散歩の帰り道なら、ちゃんと覚えていたのに。

 角を曲がったあとの匂い。  玄関の前の、少し浮いたタイル。  門が開くときの音。

 地図を見ても、そんなものは載っていなかった。

 思い出を絵に描いた。  散歩道を何度も描き直した。

 ころんのお母さんが話していた言葉も、書き留めた。

 買い物。  駅。  娘の学校。

 僕が聞いていなかった話ばかり、今は聞きたかった。

 娘の名前は、美緒だった。

 それは思い出せた。  お母さんが、毎日呼んでいたから。

 名字は、なかなか出てこなかった。

 九歳の夏、テレビから流れた駅の名前に、聞き覚えがあった。

 ころんのお父さんが、散歩の途中で誰かに教えていた。

「駅なら、あっちですよ」

 その駅だったかもしれない。

 お父さんが周辺の写真を調べてくれた。

 知らない建物ばかりだった。

 でも、一枚の写真に、小さな神社があった。

 鳥居の右側に、大きな木。  横の細い道に、石の段差。

 そこを越えるとき、美緒はいつも僕を抱いた。

 年を取ってからのことだった。

「ここ」

 僕は画面を指さした。

「ここに、行きたい」

     *

 十歳の夏休み、僕は旅に出た。

 リュックには、着替えと、二年間描きためた地図。  それから、ころんの絵。

 お父さんと二人で、電車に乗った。

 お父さんは仕事を休んでくれた。  お母さんは、帰ったら話を聞かせてねと言った。

 泊まるところも決めてあった。

 犬だったころ、僕の持ち物は家族が全部持ってくれた。

 今日は自分で背負った。

 駅に着くと、胸がどきどきした。

 改札の外は、知らない場所だった。  犬だった僕は、ここまで来たことがなかった。

 地図を見ながら、神社へ向かった。

 鳥居が見えた。

 右側の木は、写真よりずっと大きかった。

 横の道に、段差があった。

 僕は、そこで立ち止まった。

 美緒の腕が、思い出の中で僕を抱き上げた。

「帰ろっか」

 声がした気がした。

 僕は段差を越えた。

 ここからなら、帰れる。

 細い道を抜けて、坂を下りた。  曲がり角で、少し迷った。  家と家の間にあった空き地が、なくなっていた。

 それでも、見つけた。

 門の横にある、青いタイル。

 ころんの家の隣の家だ。

 その隣には――何もなかった。

 土だけだった。

 低い柵に、売地と書かれた看板がついていた。

 僕はリュックの肩ひもを握った。

 玄関がない。  窓もない。

 庭の、僕が穴を掘って怒られた場所も、どこだかわからない。

「奏太」

 お父さんが呼んだ。

 僕は首を振った。

 間違えたのかもしれない。

 でも、青いタイルは知っていた。  門の下の欠けたところも、覚えていた。

 ここだった。

「おうち、なくなっちゃった」

 声に出すと、膝の力が抜けた。

 お父さんが隣にしゃがんだ。

「家がなくなっても、引っ越しているかもしれない」

「どこに?」

「それを、聞いてみよう」

 お父さんは、青いタイルの家の呼び鈴を押した。

 出てきたのは、白い髪のおばあさんだった。

 お父さんが事情を話している間、僕はその人を見ていた。

 散歩の途中、おやつをくれた人だった。

 ころんのお母さんには、内緒だった。

「トイプードルを飼っていた、美緒さんという娘さんのいるご家族を探していまして」

「ああ、佐伯さん?」

 佐伯。

 聞いたことがあった。

 電話に出るとき、お母さんが言っていた名前。

「今は、娘さんの近くに越したのよ。お孫さんもいるからね」

 孫。

 僕は、おばあさんを見上げた。

「美緒に、子供がいるの?」

「ええ。あなたより、ずっと小さい子」

 僕の知らない時間が、そこにあった。

     *

 おばあさんは、ころんのお母さんに電話をかけてくれた。

 僕のことは、昔飼っていた犬について話したい子がいる、と説明した。

 電話の向こうで、お母さんが何と言ったのかはわからない。

 おばあさんは何度かうなずいてから、こちらを向いた。

「会ってくださるって」

 約束は、翌日の午後になった。

 その夜、宿でなかなか眠れなかった。

「僕だって、わかるかな」

 隣の布団のお父さんに聞いた。

「どうだろうな」

 お父さんは、天井を見ていた。

「お父さんも、奏太から初めて聞いたときは、わからなかったから」

「今は?」

「ころんのことを話す奏太は、いつも同じ顔をしている」

「どんな顔?」

「楽しそうなんだけど、どこか寂しそうな顔だよ」

 僕は布団を引き上げた。

 会えたら、言いたいことがたくさんあった。

 でも、何から話せばいいのかわからなかった。

     *

 翌日、教えてもらった家の呼び鈴を押した。

 扉が開いた。

 ころんのお母さんだった。

 髪に白いところが増えていた。  昔と違う眼鏡をかけていた。

 僕を見て、それからお父さんを見た。

「こんにちは」

 その声を聞いて、胸がいっぱいになった。

 にんじんを切っていた人だ。

 落ちてくるのを、台所で待っていた。  この声に呼ばれたら、どんなに眠くても起きた。

「こんにちは」

 僕は、ようやく答えた。

 居間に、ころんのお父さんがいた。

 隣には、美緒がいた。

 十九歳の美緒しか、僕は知らなかった。

 目の前の美緒は大人で、膝の上に小さな女の子を乗せていた。

 三歳だと、あとで教えてもらった。

 ころんがこの家に来たころの、美緒と同じくらいだった。

「ころんのことを知っているって、聞いたんだけど」

 美緒が言った。

 僕はうなずいた。

 お父さんが、持ってきた絵を机に並べた。

 昔の家。  散歩道。  食卓の下から見た、三人。

 ころんのお母さんが、一枚を手に取った。

「このカーテン……」

「裾に、穴があったでしょう」

 僕は言った。

「僕が噛んだ」

 誰も、すぐには答えなかった。

 ころんのお父さんが眼鏡を直した。

「それは、どこで聞いたのかな」

「覚えてるの」

 自分の膝を握った。

「僕、ころんだった」

 部屋の音が、なくなった気がした。

 美緒が、ゆっくり女の子を床に下ろした。

 僕の前に来て、しゃがんだ。

「……ころん?」

 その呼び方だった。

 散歩へ行く前。  おやつをくれる前。  夜、隣で眠る前。

 僕はうなずいた。

 美緒の目に、涙が浮かんだ。

「ごめんね。急には、信じられなくて」

「うん」

 当たり前だと思った。

 僕だって、六歳になるまでわからなかった。

 美緒は机の絵を見た。

「これは、私の部屋?」

「うん。枕のところに、紙、隠してたでしょう」

 美緒の指が止まった。

「僕が引っ張ったら、怒った」

「……テスト?」

「うん。お母さんに見つかっちゃって」

「美緒?」

 ころんのお母さんが言った。

 美緒が口元に手を当てた。

「それから、僕の届かないところに置いたよね」

「……それ、誰にも話してない」

 僕は、美緒の膝にある小さな傷を見た。

「転んだとき、僕もそこにいた」

 昔の傷だった。

「転んだのに、ずっとリード持ってたよね」

 美緒は膝を押さえた。

「離したら、ころんが車のほうに行くと思ったから」

「僕、美緒のそばにいたよ」

「うん。私の顔、なめたよね」

「泣いてたから」

 美緒の顔が、くしゃっとなった。

 僕が知っている泣き顔だった。

 僕は両手を伸ばした。

 美緒が、僕を抱いた。

 昔とは、抱き方が違った。  僕の体は、もう片腕には収まらなかった。

 でも、肩に顔をつけると、懐かしかった。

「会いたかった」

 言えた。

 犬だったときには、何度鳴いても言えなかった言葉だった。

「私も」

 美緒が言った。

「私も、会いたかったよ」

     *

 ころんのお父さんも、お母さんも泣いた。

 僕は二人のところへ行った。

 お父さんは僕の頭を撫でた。  お母さんは手を握って、何度も顔を見た。

「にんじん、好きだったね」

「うん。でも、お肉のほうが好きだった」

「知ってる」

 お母さんが笑った。

 棚には、ころんの写真があった。

 小さな美緒に抱かれている写真。  家族で旅行に行った写真。  年を取って、毛布にくるまっている写真。

 全部に僕がいた。

「最後、タッチできなくて、ごめんね」

 美緒に言った。

 美緒は首を振った。

「できたよ」

「美緒が、指を動かしたから」

「それでも、できた」

 僕はうなずいた。

 あの日も、そう言ってくれた。

 美緒が、人差し指を出した。

「ころん、タッチ」

 僕は顔を近づけた。

 鼻の先を、そっとつけた。

 美緒は、笑いながら泣いた。

 その横で、小さな女の子が見ていた。

「ママ、どうして泣いてるの?」

 美緒は涙を拭いた。

「大好きな子が、会いに来てくれたから」

 女の子が、僕に指を差し出した。

「たっち」

 僕は、今度は自分の指で触れた。

 女の子は笑った。

 同じ笑い方を、知っていた。

     *

 帰る前に、家族みんなで写真を撮った。

 ころんのお父さんとお母さん。  美緒と、その娘。  僕と、今のお父さん。

 撮ってくれる人がいなかったので、お父さんが携帯電話を棚に立てかけた。

 昔は僕だけ、床にいた。

 今日は、みんなと同じ椅子に座った。

 写真の中で、美緒の娘が僕の手を握っていた。

「また来てね」

 玄関で、美緒が言った。

「今度は、お母さんも一緒に」

 僕はうなずいた。

 靴を履いて、外に出た。

 振り返ると、三人がいた。  小さな女の子も、美緒の隣にいた。

 僕は、胸の奥にずっと残っていた言葉を言った。

「僕、幸せだったよ」

 三人が僕を見た。

「みんなのおうちに来てから、ずっと」

 顔を見ながら、一人ずつに伝えた。

「ありがとう」

 ころんのお母さんが口元を押さえた。

 お父さんが、その肩に手を置いた。

 美緒がうなずいた。

「私たちもだよ」

     *

 ころんが眠った日から、四十九日目。

 家族が写真の前に花を置いたころ、遠くの町で、別の母親のお腹に新しい命が宿った。

 その子は、生まれたときには何も覚えていなかった。

 三歳で、知らない女の子の夢を見た。  六歳で、ころんだった自分に気づいた。  八歳で、会いたいという気持ちに名前をつけた。

 そして十歳で、家族に会いに行った。

     *

 旅から帰ると、お母さんが玄関で待っていた。

「おかえり」

 僕はリュックを下ろした。

「ただいま」

「会えた?」

「うん」

 お母さんに抱きついた。

 話したいことが、たくさんあった。  写真も見せたかった。

 でも、その前に伝えておきたいことがあった。

「僕、人間になってよかった」

「どうして?」

 お母さんを抱く腕に、少し力を入れた。

「大好きって、言えるから」

 お母さんの手が、僕の頭を撫でた。

 僕は顔を上げた。

「お母さん、大好き」

 犬だったころにも、何度も伝えたつもりだった。

 尻尾を振って。  隣に座って。  帰ってくる足音を待って。

 今は、言葉でも伝えられる。

 お母さんが笑った。

「お母さんも、奏太が大好きだよ」

 うれしくて、お尻のあたりがむずむずした。

 そこに尻尾はなかった。

 でも、お母さんには、ちゃんと伝わった。

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