護りたいのは貴方だけ
鈍い衝撃音が響いた。
まるで世界から一瞬だけ音が奪われたような錯覚のなか、アーロンの身体がロゼリスへ覆いかぶさる。
「ア、アーロン殿下……?」
彼の背から突き出した黒い矢が、月光を受けて禍々しい光を放っていた。
燕尾服の上からでも血がじわりと滲み、赤い染みが広がっていく。
胸の奥を、冷たく掴まれたような痛みが走る。
ロゼリスは息をすることさえ忘れた。
「な、なんで……どうして私を庇うのですか!!」
震える声が勝手に漏れた。
アーロンは苦痛の色を浮かべながらも、なぜか微笑んだ。
「どうしても何も……俺がお前を庇うのは、当たり前だろうが……」
「当たり前じゃありませんわ!! 貴方は王子なのに……っ!」
「……王子とか、そんな肩書き……俺には関係ねぇよ」
アーロンは、かすかに震える手をロゼリスの頬に添える。
「俺は……お前に、生きててほしいんだ。他の誰でもなく……お前を守りてぇ……ロゼリス……」
涙が溢れそうになる。
(どうして……どうしてこんなにも……)
「しっかりしてくださいまし! 必ず貴方を助けますわ!!」
涙に濡れた瞳で叫ぶロゼリスに、アーロンは弱く笑った。
「泣くなよ……ロゼリスが泣くと……俺まで苦しくなる……」
「泣きませんわ!! 泣きませんけれど!!
だから……絶対、絶対に死なないでくださいましっ!!」
その必死な声に、アーロンは小さく息を吐き、薄く笑んだ。
「……あぁ。生きるさ……お前の隣に……まだ、立ちてぇからな……」
そう言い残し、アーロンは力に抗えず意識を失った。
「殿下! 殿下!! お願いですわ、目を開けて……!」
わずかに震えながらも、ロゼリスはすぐに動いた。
涙を流している暇はない。
(私がやらなくては……!)
ロゼリスはすぐにルミナスへ治癒師の手配を頼み、崩れ落ちそうになるアーロンを背中に抱え、彼の私室へと運んだ。
アーロンの体温は重くて温かくて、しかし恐ろしく遠のきそうで、それがロゼリスの心をさらに急かした。
私室に着くと、ロゼリスは震える手でアーロンのシャツを脱がせ、傷口を消毒し、包帯を丁寧に巻いていく。
(どうか……どうか間に合って……)
そこへルミナスが治癒師を連れて駆けつけた。
治癒魔法の柔らかな光がアーロンの背を包み、血の色が徐々に薄れていく。
アーロンの苦しげだった表情が、少しずつ安らぎを取り戻した。
ロゼリスは、いつのまにか握っていたアーロンの手を離せなくなっていた。
(……良かった……本当に……)
震えがようやく収まった頃、ロゼリスの瞳には、もう迷いはなかった。
(絶対に、二度と貴方を傷つけさせませんわ)
その決意は、静かに燃える炎のように彼女の胸に宿っていた。
アーロンの寝息だけが静かに響く部屋で、ロゼリスは祈るようにその手を握り続けた。
***
治癒師を送り届けたあと、ロゼリスは静かに扉を閉めた。
その音さえ、眠るアーロンを起こしてしまいそうで、彼女は息をひそめる。
部屋の明かりは暖かく灯り、ベッドの上には安らかに眠るアーロン。
だが、背中にはまだ残る血の跡が痛々しい。
ロゼリスはタオルを湯で濡らし、そっとアーロンの身体に触れた。
「……殿下……」
血で固まった布地や肌を傷つけないよう、指先まで丁寧に。
一拭いするたびに、胸の奥が締めつけられる。
タオルが赤く染まっていくのを見るたびに、ロゼリスの涙は止まらなかった。
(私を庇って……こんな……)
清潔なシャツを着せ、布団をかけ直す。
その動作の間も、ロゼリスの頬を涙が何度も伝った。
拭っても拭っても、止まらない。
そのとき、アーロンのまつげがかすかに揺れ、彼は薄く目を開いた。
「……ロゼ……?」
弱々しい声。
彼は、こぼれるロゼリスの涙を拭おうと手を伸ばす。しかし、力尽きたようにその手は空を掴み、再び眠りへ落ちていった。
「…………っ」
ロゼリスは唇を噛む。
けれど、堪えきれなかった。
(生きていて……本当に、生きていてくださって……)
安堵が胸の奥に溢れ、ロゼリスは声もなく涙を流し続けた。
(私はアーロン殿下を失いたくないと強く思うほど……アーロン殿下を好きで……愛してしまっているのですわね……)
眠る彼の手をそっと握りしめ、その温もりを確かめる。
そのぬくもりが生きている証で。
「アーロン殿下……」
震えた声で、ロゼリスは囁いた。
「……私、アーロン殿下のことを、心の底から……お慕いしております。
あの時、婚約破棄を言い出した自分を……今は心底、恨んでおりますわ」
その声には迷いも、虚勢もなかった。
「これからも……ずっと、ずっと……貴方のそばにいたい。
貴方と……生きていきたいですわ……。」
涙が落ち、アーロンの手の甲を濡らす。
その瞬間、アーロンの指先が、わずかに動いた。
「……っ……!」
驚くロゼリスの瞳が大きく揺れる。
しかしアーロンは眠ったまま、ただ微かにロゼリスの手を握り返すような、そんな動きだった。
「アーロン……殿下……」
堪えきれなくなって、ロゼリスはアーロンの胸に顔を埋めた。
胸を押し当てれば、確かにそこに命の鼓動がある。
生きている。
この人は、ちゃんと、生きている。
ロゼリスは震える息を整え、アーロンの手の甲にそっと唇を寄せた。
それは祈りのキス。
愛の告白のしるし。
そして、二度と手放さないという誓い。
「……大好きですわ、アーロン殿下……」
静かな部屋に、ロゼリスの切実な声だけがそっと落ちていった。




