シルビア殿下、誕生祭イベント開幕!
アーバートン邸の夜。
窓の外では月が静かに輝き、ロゼリスの部屋にはペンを走らせる音だけが響いていた。
「さて……次なるリリネ嬢の反撃作戦は――っと。」
机の上に広げたノートには、びっしりと書き込まれたメモと矢印、そして赤ペンで囲まれた大きな文字。
『ケーキ崩壊事件』
「そう、次はこれですわ!」
ロゼリスは目を輝かせ、立ち上がった。
(ルチア様が三日三晩徹夜して作った、シルビア殿下のための“愛のケーキ”。
それをリリネ嬢がわざと転倒したフリをして、ぶち壊すなんて……!)
拳をぎゅっと握りしめ、鼻息が荒くなる。
「この誕生祭イベントは、私にとって最重要イベントですのよ!!!」
机の上のペンがガタガタ震えるほどの熱意。
(だって……このイベントで、シルビア様がルチア様に婚約指輪を渡すんですもの!!
婚約を申し込む伝説の“神シーン”!!)
頬を両手で押さえ、夢見るように天井を見上げるロゼリス。
「はぁぁ……尊いですわ……っ!! 鼻血、噴出ものですわ!!」
興奮で転げ回りながらも、すぐに真顔に戻る。
(ですが、ここでケーキが壊れてしまったら婚約イベントが延期になってしまう……!)
「絶対に阻止してみせますの!」
その決意を胸に、翌朝。
王都の中心、王宮の白い塔が見えてきた。
ロゼリスはリュックを抱えながら、アーロンの隣を歩く。
「それにしても……聞いてませんでしたわよ……」
「何がだ?」とアーロンが振り返る。
「“アーロン殿下との不仲説が国王陛下の耳に届いたため、婚約者としての距離を縮めるように”――というお達しですわ!」
「……ああ、それか。」アーロンが小さくため息をついた。
(まさか、その結果が“殿下の私室での一ヶ月同居”だなんて誰が想像しましたの!?)
ロゼリスは顔を真っ赤にしながら叫ぶように言った。
「予想外でしたわ!!!」
「俺だって驚いたさ。」
アーロンは苦笑いを浮かべながら、ロゼリスの肩に手を置く。
「でもまぁ、いい機会だろ? 一ヶ月も一緒にいれば、俺のことをもっと知れる。」
「そ、そんなこと言われても……! 準備のためだけですわ!」
(だって、アーロン殿下の部屋って……寝室も書斎も一緒なんですのよ!?
無理無理無理無理! 乙女的危機ですわ!!)
ロゼリスの脳内では、ありとあらゆる乙女ゲームイベント(※年齢制限なし)が高速再生されていた。
一方のアーロンはというと、
(……この状況、悪くないな)
と内心ニヤリと笑っていた。
***
昼下がりの王宮。
陽光が磨き上げられた大理石の床を柔らかく照らし、静かな空気が満ちていた。
アーロン殿下の私室では、机の上に積み重ねられた書簡と、香り高いインクの匂いが漂っている。
ロゼリスは、真っ白な封筒に金の封蝋を押しながら、貴賓への招待状を一枚ずつ丁寧にしたためていた。
その隣では、アーロン殿下が会場配置や誕生祭の段取り、そして当日のスピーチを考えながら、眉間に皺を寄せている。
(……ふふっ。やっぱり、真剣に何かに取り組むアーロン殿下は素敵ですわね。)
彼の横顔は、まるで絵画のように整っていて、ただ見ているだけで胸が温かくなる。
しばらくして、ペンを置いたロゼリスは、そっと立ち上がり、机の端にミルク入りのコーヒーを置いた。
「よければ、少し休憩いたしませんか? 殿下。」
アーロンは手を止め、ふっと優しい笑みを浮かべる。
「ありがとな。……お前も疲れただろ? 一緒に座れ。」
彼はロゼリスが座っていたソファの隣に腰を下ろす。
距離が、近い。
香水でも香りでもなく、アーロン自身の体温がすぐそばにある。
「貴族への招待状まで任せてしまって悪いな。」
「いえ、これも第二王妃候補としての務めを果たしているだけですわ。……それより、その……そんなに私を見つめないでくださいまし。照れてしまいますわ……。」
アーロンは、彼女の言葉に小さく息を漏らすと、ゆっくりとロゼリスの腰へと手を添えた。
そのまま、ぐっと引き寄せる。
「……もっと、お前を見つめていたい。
俺のそばから、離れないようにな。」
「そ、そそそそそんな、心臓が……持ちませんわ!!」
ロゼリスの頰は薔薇よりも赤く染まり、手に持っていたカップを落としそうになる。
アーロンはその手をそっと包み込み、指を絡めてから、その甲に軽く唇を落とした。
「……っ!?!?」
ロゼリスの脳内で何かが爆発した。
(ア、アーロン殿下!?!? え!? 嫌っていたはずでは!?!? な、なぜそんな激甘モードに!? 心の準備が……っ!!)
そんなロゼリスの混乱をよそに、アーロンはくすりと笑う。
「お前は本当に、いつ見ても可愛いな。……お前といると退屈しねぇ。」
ロゼリスの心臓は、もはや打楽器のように鳴り響いていた。
夜。
風呂から上がったアーロンが部屋に戻ると、ソファに寝転がるロゼリスの姿があった。
淡いレースのナイトドレス。
毛布は蹴飛ばされ、肩紐は片方ずり落ち、長い睫毛の下から穏やかな寝息が聞こえる。
「……はぁ。男と同居してんだから、もう少し危機感というものを持て。」
呆れつつも、その寝顔があまりにも安らかで、思わず口元が緩む。
寝返りを打ち、ソファから落ちそうになったロゼリスを、慌てて抱き留めたアーロンは、
「……まったく、お前は。」と小さく呟きながら、彼女をそっとベッドに寝かせた。
(ロゼリスは“婚前に同じ床で寝るのはよろしくありませんわ!”とか言って、ずっとソファに寝てたんだよな……。
俺としては、隣にいた方が安心できるんだが。)
毛布を掛け、彼女の頭を優しく撫でる。
寝息の合間に、ほんのりと「……尊いですわ……眼福です……」という寝言が聞こえて、思わず吹き出しそうになる。
「……ほんとに、変な女だな。」
そう言いながら、アーロンはそのままロゼリスを抱き寄せ、彼女の髪に顔をうずめた。
(……ロゼリスが、そばにいると落ち着くな。)
そう思いながら、ゆっくりと目を閉じた。




