ロゼリス、尊さの過剰摂取で倒れる
校庭の中央――陽射しの下、煌めく二振りの剣がぶつかり合う。
男子による剣術授業。
アーロンとシルビア――王国を代表する王子兄弟が対峙すると、学院中の歓声が一気に沸き上がった。
「きゃー! シルビア殿下、今日も麗しいー!」
「アーロン殿下、頑張ってくださいー!」
黄色い声援が響き渡る中、ルチアの方へとシルビアがふっと微笑み、軽くガッツポーズをして去っていく。
それを見たロゼリスは、思わず両手を握りしめた。
(出たーーー!! これはあのイベントですわ!!)
ロゼリスの脳内で、かつてプレイした乙女ゲームのBGMが鳴り響く。
(このあと兄弟対決が起きて、決戦の末に勝つのはシルビア殿下……!
そして……! ルチア様がシルビア殿下の怪我を手当てする“尊すぎる名場面”が発生するんですの!!)
(はぁぁぁっ!! 思い出しただけで尊死寸前!!)
胸を押さえながら、ロゼリスはこっそりハンカチを握りしめた。
(鼻血対策は万全ですわ!)
◆
授業終了後。
決戦は予想通りシルビア殿下の勝利で幕を閉じた。
兄弟は互いに一礼し、周囲は歓声に包まれる。
そして今、尊いシーンが保健室で進行中のはず。
「ふふふっ、これは見逃せませんわ……!」
こっそりと保健室へ向かうロゼリス。
だが途中、廊下の端で誰かが背を壁に預けているのが見えた。
「アーロン殿下?」
ロゼリスが声をかけると、アーロンはハッとしたように視線を逸らした。
「……何の用だよ」
「殿下も、怪我をなさっているのでしょう?」
「!? してない」
「いいえ。シルビア殿下の剣を避けるとき、左腕を少し切ったのを見ましたわ。見せてくださいな」
観念したように、アーロンは腕を差し出した。
ロゼリスはため息をつきながら、丁寧に消毒を始める。
「少し痛みますが、辛抱くださいな」
「……っ」
ロゼリスの指先が、そっと包帯を巻いていく。
その動きに、アーロンはなぜか目が離せなかった。
彼女の表情は穏やかで、真剣で――まるで、自分ではなく“誰か大切な人”を思っているような優しさが滲んでいた。
「ど、どうせなら、お前じゃなくてルチア様みたいな美人に手当てしてほしかったな」
わざと憎まれ口を叩く。
けれど、ロゼリスはにこりと笑った。
「はいはい。またそんなことを。
…アーロン殿下、私と婚約破棄した後、きっと新しい方と婚約なさるでしょう?
その方にそんなこと言ってはダメですよ。
女性は、想う人に“好き”と言ってもらえるだけで幸せなのですから」
一瞬、空気が止まった。
「……できましたよ」
包帯を結び終えたロゼリスは、そっと微笑む。
「……あ、ありがとな」
「どういたしまして」
そう言い残して軽やかに去っていくロゼリス。
廊下に一人残されたアーロンは、しばらく腕を見つめたまま動けなかった。
(……なんなんだ、あいつ……)
その頃、ロゼリスは全力疾走で保健室へ向かっていた。
「今ならまだ尊いイベントが発生しているはずですわー!!
急がなければ、尊さの目撃チャンスを逃してしまいますの!!」
保健室の前――。
ロゼリス・アーバートンは、壁にぴったりと張り付いていた。
息を殺し、ドアの隙間から中を覗きこむその姿は、どう見ても不審者。
けれど、今の彼女にそんな自覚はない。
(……あ、ああっ! 来ましたわ、尊き瞬間が!!)
保健室の中では、ルチア様がシルビア殿下の傷をそっと手当てしている。
包帯を巻く手つきは丁寧で優しく――その光景は、まるで愛そのもの。
そして――。
静かな時間の中で、二人の距離がゆっくりと近づいていく。
(来るっ……来るわ……!!)
次の瞬間。
ルチア様とシルビア殿下の唇が、そっと触れ合った。
「~~~~っ!!」
ロゼリスの脳内で祝福のファンファーレが爆音で鳴り響く。
「尊い……!! 尊いにも程がありますわ!! もはや絵画!! いや神話!!」
興奮のあまり、ロゼリスは両頬を押さえて震えた。
その頬を伝うのは――情熱の涙……ではなく、鼻血。
「こ、これは……尊さが……限界突破しましたわ……っ」
よろめきながら、それでもドアに張り付き続けるロゼリス。
完全に“推しの尊さに命を賭ける女”の姿である。
そんな彼女を、廊下の角から見ている人物が一人。
「……何してんだ、あいつ」
呆れたように眉をひそめながらも、アーロンは視線を外せなかった。
ロゼリスの横顔は、いつもみたいに無表情でも冷静でもない。
瞳を輝かせ、心の底から嬉しそうに笑っていた。
まるで、愛するものを見つめるように。
(そんな顔、俺の前でも見せろよ……)
心の奥で、何かがチリチリと焦げるような感覚。
胸の奥がざわつくのに、理由はわからない。
そのとき――。
「ふ、ふふふ……尊い……限界ですわ……」
鼻血を出しすぎたロゼリスが、ぐらりと身体を傾けた。
「おいっ!」
慌てて駆け寄ったアーロンが、その身体を抱きとめる。
彼女の頬はほんのり赤く、目尻には涙の跡。
何を見ていたのか、誰に向けた笑顔なのか。
そんなこと、アーロンにはどうでもよくなっていた。
ただ、腕の中で熱を帯びたロゼリスを見下ろしながら、思わず呟く。
「……ほんと、手のかかる女だな」
その声は、どこか優しくて、誰にも聞こえないほど小さかった。




