↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「木乃伊取り」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2025/09/16


落語声劇「木乃伊(みいら)取(と)り」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約40分


必要演者数:最低5名

      (0:0:5)

      (5:0:0)

      (4:1:0)【性別準拠人数比率】

      (3:2:0)

      (2:3:0)

      (1:4:0)

      (0:5:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


若旦那(わかだんな):大店(おおだな)・伊勢屋(いせや)の若旦那(わかだんな)。

    道楽(どうらく)が過ぎて、吉原(よしわら)の角海老(かどえび)に遊びに行ったきり戻ってこない。


大旦那(おおだんな):伊勢屋(いせや)の大旦那(おおだんな)で若旦那(わかだんな)の実父(じっぷ)。

    息子の道楽(どうらく)に頭を悩ませている。


佐兵衛(さへえ):伊勢屋(いせや)の番頭(ばんとう)さん。

    若旦那(わかだんな)を吉原(よしわら)から連れ戻すよう言われて向かうが…。


喜太郎(きたろう):伊勢屋(いせや)に出入りしている鳶職(とびしょく)の頭(かしら)。

    彼も大旦那(おおだんな)に頼まれて若旦那(わかだんな)を連れ戻すべく吉原(よしわら)へ向かうが…。


一八(いっぱち):太鼓持(たいこも)ち。喜太郎(きたろう)が吉原(よしわら)に遊びに来たのだと勘違(かんちが)いして、

   しつこく付きまとう。

   まあそれが仕事なんですが。


妻:大旦那(おおだんな)の妻。

  若旦那(わかだんな)に甘々で、こっそりお小遣(こづか)いをあげてるらしい。

  甘やかしも度が過ぎるとああいう若旦那が出来上がるわけで。


清蔵(せいぞう):伊勢屋(いせや)に雇(やと)われている飯炊(めした)き。

   無骨(ぶこつ)で頑固(がんこ)な男。


若い衆(しゅ):大見世(おおみせ)・角海老(かどえび)の若い衆(しゅ)。

    ちなみに若いと書いてるからとて実年齢も若いとは限らない。

    名前は喜助(きすけ)。


かしく:角海老(かどえび)お抱(かか)えの花魁(おいらん)。


語り:雰囲気を大事に。




●配役例


大旦那・若旦那:

清蔵・枕:

佐兵衛・一八・若い衆:

喜太郎・語り:

妻・かしく:





枕:道楽者(どうらくもの)というのは、いつの世にもいるものです。

  酒を呑(の)む、博打(ばくち)を打つ、女を買う、これをもって三道楽(さんどうらく)と言うんです

  が、どれか一つにでも凝(こ)ると身上(しんしょう)を危うくする、悪くすると潰(つぶ)してし

  まうなんという事は、今も昔もそう変わりはございません。

  ま、何事(なにごと)もほどほどが一番という事ですな。

  酒は呑(の)んでも呑(の)まれるな、博打(ばくち)は見切りの付け時(どき)が肝心(かんじん)、貢(みつ)ぐ女は嫁

  にだけ、とくれば万事安心安全というわけですが、世間というものは

  なかなかそう上手(うま)くはいかないもので。


佐兵衛:大旦那(おおだんな)様、失礼いたします。


大旦那:おお番頭(ばんとう)さん。

    倅(せがれ)の事、何かわかったかい?


佐兵衛:はい、あちらこちらをほうぼう捜して歩いて、

    やっと訪(たず)ねあてて参りました。

    吉原(よしわら)の角海老(かどえび)に遊んでいるとの事で。

    ああいうご気性(きしょう)でございますから、なまじな者が行きまして

    あれこれ言いますと、かえってこじれるという事がございます。

    ですので、わたくしがお迎えに参ろうかと。


大旦那:そうかい。番頭(ばんとう)さんに行ってもらえれば間違(まちが)いもなかろう。

    それじゃ素直に帰るよう、お前さんからうまく話をしておくれ。


佐兵衛:へえ、よろしゅうございます。

    さっそく行って参りましょう。


語り:大旦那(おおだんな)、番頭(ばんとう)さんを迎えにやったからこれは確かだろうと言うので

   それから待ち続けたものの、これがまた五日も帰ってこない。

   一日経つごとに、大旦那(おおだんな)の眉間(みけん)にはぎゅうううっと、皺(しわ)が寄せられ

   ていきます。


大旦那:…呆(あきれ)れかえってものが言えないよ。

    なんだい佐兵衛(さへえ)も。堅(かた)そうな事を言うから、番頭(ばんとう)になって少しは

    弁(わきま)えてきたかと思ってたが、どうせなんのかんのと倅(せがれ)に言いくる

    められて、一緒になって遊んでいるに違いない。

    もう本当に腹が立ってしょうがない、堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒(お)が切れたよ。

    今度という今度は勘当(かんどう)だ!


妻:お前さんは何かというとすぐに勘当(かんどう)するとおっしゃいますけどもね、

  一人息子を勘当(かんどう)したら、その後はどうなるって言うんです?

  お前さんは短気なことばかりおっしゃるからいけませんよ。

  短気は損気(そんき)というじゃありませんか。

  だいたいあたしは、あの番頭(ばんとう)の佐兵衛(さへえ)という男を普段からあんまり

  信用してませんから。やな男ですよ?

  お前さんのいない間にあたしを変な目で見るんですから。


大旦那:バカなこと言ってんじゃないよ。


妻:いいえ、あの男は実(じつ)がございませんよ。

  うちの倅(せがれ)を誑(たぶら)かしてるのはあの番頭(ばんとう)に決まってます。

  それよりも、店(たな)に出入りの鳶職(とびしょく)の頭(かしら)に頼んだらどうです?


大旦那:おお、良いとこに気が付いた。 

    頭(かしら)の喜太郎(きたろう)なら良かろう。

    普段から派手(はで)な付き合いもしているし、吉原の事には何かと明る

    いだろうしな。

    よし、それじゃ誰かひとっ走り頭(かしら)のとこへ遣(つか)わしてな、

    私が急用があるから大急ぎで来てくれと、こう言うんだ。

    くれぐれも余計(よけい)な事を言わずにな。


妻:わかりました、それじゃ小僧さんに行かせます。


大旦那:ああ、早くしておくれ。


    【二拍】


    遅い…いったい何をしてるんだい…!


妻:お前さん、使いの者が帰ってきましたよ。


大旦那:おおそうかい、で、頭(かしら)は、喜太郎(きたろう)は家(うち)にいたかい?


妻:ええ、ちょうどよくいたそうですよ。


大旦那:そうかい、いや、頭(かしら)に行ってもらえりゃ安心だ。

    何しろあの通り、なかなか気性(きしょう)も勝っている上に苦労もしてきて

    るからね。そんな男から話をしてもらえれば上手くいくだろう。

    それで頭(かしら)はどうした、まだ来ないのか?

    一緒に来たんじゃないのかい?


妻:それがすぐにうかがうと、そう言ってたそうですよ。


大旦那:すぐうかがうんなら一緒に来てうかがえばいいじゃないか。

    どうも江戸っ子のくせして、いやに気の長い男だな。

    もういっぺん催促(さいそく)に行かせなさい。急ぎの用だからと、そう言っ

    て。


妻:はいはい…あら?


喜太郎:大旦那(おおだんな)、どうもすいやせん、ちと遅くなりやした。


大旦那:おお頭(かしら)、来たかい。

    さ、入っておくれ。


喜太郎:いやぁすぐに出かけようとしたんですがね、道陸神(どうろくじん)は出かけちま

    ったし、家の山の神は河童(かっぱ)ァほっぽっといて湯に出かけちまうし

    で、河童(かっぱ)野郎を置いて出かける事ができなかったもんで…。


大旦那:な、なんだいその、道陸神(どうろくじん)だの山の神だってのは?


喜太郎:あ…へへ、こいつァ大旦那(おおだんな)にはお分かりがねえ事をついつい…。

    道陸神(どうろくじん)てなァうちの婆(ばあ)さんで、山の神がカカアで河童(かっぱ)野郎は

    うちのガキでして。


大旦那:…お前さんのとこはまるで化物屋敷(ばけものやしき)だな。

    まあそんなことはいいんだ。

    頭(かしら)を呼びにやったのは他の事じゃないんーー


喜太郎:【↑の語尾に喰い気味に】

    えぇえぇ!そらァもう心得(こころえ)ておりやす!

    蔵の方でござんしょ?いや、あっしも気にしてたんで。

    アレぁやっぱり、仕上(しあ)げる物は仕上(しあ)げとかなくちゃいけませんで

    。

    あっしの方からさっそく左官(さかん)の方へ使いをやって、若(わけ)ぇのはすぐ

    に足場(あしば)を組んで仕事にかかりますんで!


大旦那:ぁいやいや待て待て、蔵(くら)の話で呼びにやったんじゃないよ。


喜太郎:【↑の語尾に喰い気味に】

    あぁあぁ!でしたら長屋(ながや)の根継(ねつ)ぎの方でござんしょ!

    えぇえぇ、あれもどうもね、もう少しもう少して延(の)ばしてるうち

    に、肝心(かんじん)の家を傷(いた)めちまった日にゃあ何にもなりゃしやせんから

    ね!今のうちに継(つ)ぎをなすった方がよろしいですな!

    なァにわけねえんで。職人の方はあっしが手配(てはい)しますんで、

    さっそくーー


大旦那:【↑の語尾に喰い気味に】

    おぉいおいおい、頭(かしら)が一人でそうやってベラベラベラベラ喋(しゃべ)るも

    んだから、すっかり話が分からなくなっちまうじゃないか。

    いや、仕事の話じゃないんだ。

    実は困った事ができてね。うちの倅(せがれ)の事なんだが…


喜太郎:えっ、亡くなったんで?


大旦那:縁起(えんぎ)でもない事を言うんじゃないよ!死んだわけじゃない。

    掛(か)け先(さき)を回らせたところ、三日(みっか)四日(よっか)と帰ってこない。

    どうしたんだと気をもんでほうぼう捜(さが)して回らせた。

    そしたら吉原(よしわら)の角海老(かどえび)とかいう所で遊んでいるというじゃないか

    。


喜太郎:へええ若旦那(わかだんな)が!

    角海老(かどえび)たぁまた大見世(おおみせ)ですな。


大旦那:そこでどうしようという話になってな。

    番頭(ばんとう)の佐兵衛(さへえ)が、なまじな者が行くとああいうご気性(きしょう)の方だから

    、かえって事が面倒(めんどう)になる、だから私が参りましょうと申し出た

    。


喜太郎:はあはあ、なるほど。


大旦那:お前が行けば間違(まちが)いないだろうと出してやったら、これがまた

    行ったきり五日も帰ってこない。

    もう私は腹が立って腹が立って、いっそ倅(せがれ)を勘当(かんどう)しようと

    言ったんだ。

    そしたら女房が、「そんな短気な事を言わずに、頭(かしら)ならああいう

    所の振り合いもよく分かってるだろうから、ひとつ話をしてみた

    らどうだ」と、こう言うんだ。

    迷惑な使いですまないがひとつ、頭(かしら)に迎えに行ってもらいたいん

    だ。


喜太郎:なるほど、そうですか!いやぁ若旦那(わかだんな)がねぇ…。

    もっとも、無理もありませんや。まだ若(わけ)ぇし、男っぷりはいいし

    ね、大旦那(おおだんな)と違って金をケチるーーごほんごほん!

    ぇえその、まあ、ですからね、そらもう女の方でちやほやするの

    も無理ありませんや。

    けど向こうがいい心持(こころも)ちで遊んでるとこに入ってって、さあ帰(けえ)る

    ぞ!って目ェ三角にして帝釈(たいしゃく)様の掛(か)け物みたいな顔をしなくちゃならね

    ぇんです。

    こいつはできる事ならご免(めん)こうむりてぇと言うところなんですが

    、まぁ爺(じじ)ィの代からお出入りさせていただきまして、腐った半纏(はんてん)

    の一枚もいただいてますんで…。


大旦那:お前も言いたい事をはっきり言うね、喜太郎(きたろう)。

    腐った半纏(はんてん)はひどい言いぐさじゃないか。


喜太郎:あ、あぁぃいえいえ!そうじゃねえんで!

    半纏(はんてん)を腐るほどいただいております。


大旦那:何を言ってるんだい…。

    まぁ何でもいいから、倅(せがれ)を無事(ぶじ)に連れて帰って来てくれれば

    それでいいんだ。

    大丈夫かい?


喜太郎:ええそりゃもう、わけありませんや!

    もし帰らねえってんなら、腕の一本を叩き折ってでも連れ帰りや

    すよ!


大旦那:そんな乱暴な事するもんじゃない。

    怪我(けが)をさせないで家(うち)へ連れ帰って来ておくれ。


喜太郎:えぇよろしゅうござんす!

    それじゃ、さっそく行って来やす!


大旦那:ああ、頼んだよ。


語り:とまあ意気込(いきご)んで威勢(いせい)よく飛び出して来た鳶職(とびしょく)の頭(かしら)。

   やがて差し掛かります吉原土手(よしわらどて)。

   わき目もふらずのしのし歩いてる頭(かしら)を見かけたのが幇間(たいこ)の一八(いっぱち)。


一八:おっ、頭(かしら)、かしら!どこいらっしゃるの?

   ちょいと、ちょいと頭(かしら)!

   ちょいと!

   か し ら!


喜太郎:なんだァ?一八(いっぱち)か。


一八:一八(いっぱち)か、じゃありませんよ。

   大変お急ぎじゃないですか。どちらに?


喜太郎:あ?ちょいと野暮用(やぼよう)だよ!


一八:野暮用(やぼよう)ォ?何を言ってるんですよゥ頭(かしら)ぁ。

   この吉原土手(よしわらどて)で会って野暮用(やぼよう)はないでしょォ?

   目の色変えて…へへへ、待っているってんでしょ?

   へへ、あたくしがご一緒に、お供いたしましょ。


喜太郎:なに言ってやんでェ、お供なんかしなくたっていいんだよ!

    今日はそんなとこじゃねえんだ!


一八:そんなとこじゃねえってたってダメでげすよ頭(かしら)ぁ、隠したって。


喜太郎:うるせぇなッこんちきしょうめ!

    いつまでも付いてきやがると張り倒すぞ!


    【二拍】


    ったく、やっと諦(あきら)めたか…。

    まるで蠅(はえ)みたいにしつこくまとわりつきゃがる。

    おうごめんよッ!

    伊勢屋(いせや)の若旦那(わかだんな)に使いで来たんだ。

    会わせてくれッ!


若い衆:こりゃ頭(かしら)!どうも。

    若旦那(わかだんな)はこちらで。


    【二拍】


    どうぞ。


喜太郎:おう、すまねえ。


    若旦那(わかだんな)ッ!


若旦那:んん~?なァんだ、頭(かしら)じゃないか。

    ここまで来るたあご苦労だったね。

    まま、まずは一杯…。


喜太郎:いやそういうわけにはいかねえ!

    若旦那(わかだんな)!もう何日ここに居続(いつづ)けてるってんで!?

    お店(たな)じゃ、大旦那(おおだんな)もおかみさんも心配してるんだ。

    早(はえ)えとこ、帰ってやっておくんなせェ!


若旦那:なんだい頭(かしら)、野暮(やぼ)は言いっこなしだよ。

    あたしはまだまだ帰らないからね。


喜太郎:んなッ!

    あっしァね、大旦那(おおだんな)に腕の一本を折ってでも連れ戻すって言って

    きたんでェ!

    今あっしと帰らねえってんなら…


若旦那:ぉおいおい、冗談はよしてくれよ。


一八:はいはいはい、ごめんなさいよごめんなさいよォ!

   ぃよッ、先ほどはどうも頭(かしら)ァ!

   どうでげす?図星(ずぼし)でげしょ?


喜太郎:い、一八(いっぱち)!?

    おめえ後をつけて来やがったのか!?


佐兵衛:なァんだ頭(かしら)、怖い顔してやってきたわりには、ひとつ便乗(びんじょう)して

    遊ぼうって魂胆(こんたん)でげすねェ!


喜太郎:ッち、ちがッ、あっしはーー


若旦那:【↑の語尾に喰い気味に】

    おぉ~一八(いっぱち)、よく来てくれた!

    頭(かしら)の気が立っていてね、お前からもひとつなだめてやってくれ。


一八:合点承知(がってんしょうち)でげすよォ!

   ィヨォーーイヨイヨイヨイっとォ!

   どんどん注(つ)いでェ!わーっと行きましょ、ぅわーっとォ!!


語り:さあこうなるともう後はドガチャカで何が何だか分からない。

   なし崩し的にあれよあれよと巻き込まれまして、

   連れ帰りに行ったはずが一緒になって遊郭(ゆうかく)遊び。

   木乃伊取(みいらと)りが木乃伊(みいら)になるとはこの事。

   喜太郎(きたろう)も晴れて立派な木乃伊(みいら)二号となりました。

   それからさらに七日(なのか)が経(た)ちまして、伊勢屋(いせや)の方ではと申しますと。


大旦那:【長い溜息】

    ……私はね、もうつくづく世の中が嫌になってきたよ。

    迎えに行く奴みんな木乃伊取(みいらと)りが木乃伊(みいら)になりやがって…!

    しかしなんだね…番頭(ばんとう)といい頭(かしら)と言い、立派なこと言って出て

    行ってあのザマかと思うと、本当に腹が立ってたまらない。

    今度という今度は本当に勘当(かんどう)だ!!


妻:お前さんはまたそうやってすぐ勘当(かんどう)だとおっしゃいますけどね、

  勘当(かんどう)してどうするって言うんです?


大旦那:どうするもこうするもないよ!

    あんなもの、家(うち)へ置いたってしょうがないじゃないか!

    大体(だいたい)ね、道楽者(どうらくもの)をこしらえあげたのはお前が悪いよ!


妻:あたしの何が悪いって言うんですか?


大旦那:何がってそうじゃないか!

    私に隠れて小遣(こづか)いをむやみやたらにやるから、

    ああいう馬鹿者が出来(でき)あがるんだ!

    儲(もう)けることを覚えないで使う事ばっかり考えやがって、

    本当に馬鹿者だよ!女のケツばっかり追っかけまわして!

    私なんざはね、若い時分(じぶん)から道楽(どうらく)はこれっぱかしもした事がない

    んだ。


妻:お前さんは何かというと、俺は道楽(どうらく)はしない、した事がないとおっし

  ゃいますけどね。

  そりゃ確かにお前さんは、外でのお道楽(どうらく)はありませんよ?

  その代わり家(うち)に置いた女中(じょちゅう)はみんなお前さんが手を付けてるじゃあり

  ませんか。


大旦那:んなッ、何を言ってるんだ!今そんな話をしてるんじゃない!

    ?誰だ、そこへ来たのは!?


清蔵:へえ、ちょっくらごめんなすって。


大旦那:なんだ清蔵(せいぞう)か。


清蔵:おらも話を聞いていただが、若旦那(わかだんな)がお帰りなさらねえで、

   さぞかしご心配なことだと思うべ。

   そんでまぁ、おらが迎えに行ってみるべかと思うが、

   大旦那(おおだんな)様はどうだべ?


大旦那:あぁいいいい、お前がそうして気をもんでくれるのは嬉(うれ)しいけど

    、行ったところで帰って来やしない、無駄(むだ)だよ無駄無駄(むだむだ)ッ。

    無駄無駄無駄(むだむだむだ)ッ!


清蔵:無駄(むだ)か無駄(むだ)でねえか、行ってみねえと分からねえべ。

   物事(ものごと)は当たって砕けろなんて言う事もあるでよ。


大旦那:清蔵(せいぞう)、お前なんかがこんなとこに出しゃばってくるんじゃないよ

    !

    番頭(ばんとう)が行って、頭(かしら)も行って帰ってこないんだ。

    お前が行ったからって、なんで帰って来るっていうんだい!

    余計(よけい)な口出しをしなくたっていいから、台所で飯(めし)が焦(こ)げないよう

    にしてりゃ役目が済むんだ。

    引っ込んでなさい!


清蔵:…ならちょっくらうかがいてえべ。


大旦那:っ、なんだ。


清蔵:そりゃあおらはこの店のまんま炊(た)きにはちげえねぇ。

   まんま炊きにはちげえねぇが、そんだらばと言ってまんま炊きーー


大旦那:【↑の語尾に喰い気味に】

    なんだ、まんままんまって…何が言いたいんだ?


清蔵:まんまさえ焦げなきゃいいってことではなかんべ。

   仮にな、この家(うち)へ泥棒が入って、大旦那(おおだんな)が泥棒に殺されるーー


大旦那:な、なにを縁起(えんぎ)でもないこと言ってるんだい!


清蔵:怒ったらダメだべ。こらぁものの例えだべ。


大旦那:そんな例えがあるか!


清蔵:黙って聞いて欲しいべ。

   大旦那(おおだんな)が泥棒に殺されるかって時に、おらぁまんま炊(た)きだ、

   飯(めし)を焦(こ)がさなきゃ役目が済むから余計(よけい)な事はしねえって、

   台所にはいつくばってるわけにゃあいかねえべ。

   泥棒と一騎打ちの勝負して、大旦那(おおだんな)を助けるのが人の道ってもんだ

   べ。

   おらの言う事に間違(まちが)いはねえはずだべ。

   理(り)がとおってるべ。

   ぐぅとでも言えるなら言ってみなせぇ。


妻:それごらんなさい。

  お前さん、清蔵(せいぞう)に一本取られたじゃありませんか。

  ねえ清蔵(せいぞう)、ぐぅとでも言えるんならお前言ってごらんなさい。

  ぐぅと。


清蔵:ぐぅ。


大旦那:余計(よけい)なこと言うんじゃない!


妻:お前さんのようにそう癇癪(かんしゃく)を起こしてガミガミ言ったって、

  それでどうなるもんじゃありませんよ。

  それじゃ清蔵(せいぞう)、お前、行っておくれかい?


清蔵:承知しましたべ。

   首に縄ァ掛けてでも、きっと若旦那(わかだんな)を連れ帰ってくるで。

   そんだら支度(したく)するだで、ちょいと待ってもらいてえべ。


語り:清蔵(せいぞう)はとっとと二階の自分の部屋へ上がって行きますと、

   国許(くにもと)から持ってきた手織(てお)り木綿(もめん)という、なんだかコブの皮のような

   ゴツゴツした着物に、元の色も分からなくなった帯(おび)を締(し)めまして、

   お手製(てせい)の熊の皮でこしらえたという煙草入(たばこい)れを前の方へ差すと

   、のそのそ降りて参ります。


妻:あ、清蔵(せいぞう)、ちょいとお待ち。

  あのね、倅(せがれ)に会ったら、おとっつぁんが大層(たいそう)怒っているけど、あたし

  が何としても詫(わ)び言(ごと)をするから、少しでも早く帰ってくるようにと、

  そう言っておくれ。

  それとこれはね、あたしのお巾着(きんちゃく)だけど、もしむこうで勘定(かんじょう)が足りな

  いといけないから、これを持ってって後始末(あとしまつ)をして、倅(せがれ)を連れて帰っ

  てきておくれ。いいかい?


清蔵:へい。では行ってきますだ。


   【二拍】


   しかし、ありがてえもんだべ。

   あんなに道楽(どうらく)こいてる若旦那(わかだんな)を案じなさっとるだよ。

   おらァきっと、首さ縄(なわ)ァ付けてでもしょっぴいてくるだで。


語り:さあ清蔵(せいぞう)先生、どんどんどんどん吉原(よしわら)へと向かいましたが、

   なにしろなりふりなんて事はまったく構(かま)わない男でございまして、

   頭の毛はぼうぼうとし、顔はヒゲだらけで鼻毛も大変に伸び、

   息をするたびに奥の方へ出たり引っ込んだりとまぁ実に忙(せわ)しない。

   これで鼻毛のぶつかりどころが悪いとくしゃみを連発するもんだか

   ら、まことに手数(てすう)のかかる人間があるものです。

   人に道を聞きつつ、ほどなくして辿(たど)り着きました吉原(よしわら)は角海老(かどえび)。

   夜と違って昼の遊郭(ゆうかく)と申しますものは、なんとなくしんとしている

   ものでございまして。


清蔵:あぁここだな。

   ごめんくだせえ!


   おい、誰かいねえのか!?ごめんくだせえ!

   …おいッ!!誰もいねぇか!!!?


若い衆:へぇぇ~~いっ。

    いらっしゃいませ!どちら様で?


清蔵:どちら様もこちら様もねえべ。

   ここさ、おらンとこの店(たな)、伊勢屋(いせや)の若旦那(わかだんな)が来てるべ?


若い衆:え、どちらのお茶屋(ちゃや)からでございます?


清蔵:そんな事(こた)ァおらァ知らねえ。

   喜太郎(きたろう)てェ鳶職(とびしょく)の頭(かしら)と、佐兵衛(さへえ)さんてェ番頭(ばんとう)さんと伊勢屋(いせや)の若旦那(わかだんな)

   の三人、おめえがとこにいるはずだべ。

   下手(へた)に隠しだてすると野郎、ためになんねえぞ。


若い衆:別に隠しだてなぞいたしませんが…

    あっ、お三人てえと、引手茶屋(ひきてぢゃや)の山口巴(やまぐちどもえ)からのお客さんでござい

    ますな。ええ、おいででございます。


清蔵:おらが迎えに来たこと、ちょっくら取次(とりつ)げ。


若い衆:へっ?

    …ああ、さようでございますか。お迎えでございますか、へへへ

    。

    お寒い所、ご苦労様でございますな。へへへ…。


清蔵:…なんだこの野郎。おかしくもねえ事へらへら笑いやがって。

   笑うならあははと笑ったらいいべ。

   なんだ鼻の先で、いひひひてな。蔑(さげす)み笑いて言って良くねえべ。

   あばら骨の三枚目から声が出ねえか。


若い衆:へっ…恐れ入りました。


清蔵:おめえのツラは曇りがあって、相貌(そうぼう)のはなはだ良くねえ野郎だ。

   おらが来たこと、若旦那(わかだんな)に取次(とりつ)げ。


   早く取次(とりつ)がねえと、ぶっ張(ぱ)り返(けぇ)すぞ!


若い衆:ぁっわっ、しょ、少々お待ちを願います!


    あの、恐れ入ります!少々お静かに願います!

    伊勢屋(いせや)の若旦那(わかだんな)に申し上げることがございます!


若旦那:おぉおぉ、若い衆(しゅ)の喜助(きすけ)じゃないか。

    ぁ~こっちへ来てな、一杯(いっぱい)呑(の)んでけ!

    遠慮しねえで呑(の)んでけ呑(の)んでけ!


若い衆:いえあの、それが、お人(ひと)が見えまして。


若旦那:なに、人が?

    誰が来たんだ?


若い衆:ぁ~…誰と申しましても…とにかく迎えの方だそうで。


若旦那:あぁあぁ、どうせ親父の使いだろ。

    俺を呼び戻そうってんで言われて来たに違いないよ。

    この後もどんどん人をよこすに違いないから、来た奴はみんな

    こっちへ止めてな、だんだん人を増やして賑(にぎ)やかにしようじゃな

    いか。どうだ、面白(おもしろ)いだろ。


若い衆:それが今度はだいぶ風変(ふうが)わりなお方がお見えになりましてな。

    毛色(けいろ)が違うと申しますか…。

    お迎えでございますか、お寒い所ご苦労様でございますな、

    へへへ…と言いましたら、

    「いひひひだなんて言うのは蔑(さげす)み笑いで良くない笑い方だ。

    あばら骨の三枚目から声を出せ」なんて言われまして。

    あばら骨の三枚目から声が出てくるなんて言うことは、素人(しろうと)には

    気が付きませんで。

    ツラに曇りがあってとか何とか難(むずか)しいことをおっしゃいましたが

    、あれは何ですかな、易者(えきしゃ)と柔(やわら)の先生ではないかと。


若旦那:はて、そんな奴は家(うち)にいたかな…?

    番頭(ばんとう)さん、いったい誰だい?


佐兵衛:さあ…わたくしにも分かりませんな…。


若旦那:どんななりをしていた?


若い衆:えぇと、手織(てお)り木綿(もめん)のような硬(かた)いお身(み)なりで…

    あ、あの、熊の皮の煙草入(たばこい)れを前に差しておいででした。


若旦那:熊の皮の煙草入(たばこい)れ…?


佐兵衛:あッ!分かった!

    分かりましたよ若旦那(わかだんな)!


若旦那:え、分かった?

    誰だい?


佐兵衛:飯炊(めした)きの清蔵(せいぞう)ですよ。

    熊の皮の煙草入(たばこい)れは奴の自慢の品物で、

    どこへ行くにもあれを持って行くんだそうで。


若旦那:あ、清蔵(せいぞう)か。

    …プッ、くくく…お、親父も変わった奴をよこしたもんだ。

    ははは、いいよいいよ、上げてやってくれ。


    いや、いま来たってのは、清蔵(せいぞう)っていう、家(うち)の飯炊(めした)きでね。

    人間はちょいと頑固(がんこ)だが、なかなか面白(おもしろ)い所もあるんだ。

    あぁ清蔵(せいぞう)、こっちだこっち。


一八:はぁぁ…あれが、何でげすか?おたくのご飯炊(はんた)きで。


喜太郎:いや、まさかあっしの代わりに今度は清蔵(せいぞう)をよこすとは思わなか

    ったな…。


若い衆:こりゃどうも恐れ入りました。

    若旦那(わかだんな)のような粋(いき)なお宅に、よくまあこういう頑固(がんこ)な獣(けだもの)を飼(か)って

    らっしゃいますなァ。放し飼いでござんすかなァ?

    面白(おもしろ)いもんで!


清蔵:…なんだとこの野郎。

   

若い衆:ぇぁああいえいえ、どうぞ、こちらへ!どうぞどうぞ、旦那(だんな)!


清蔵:この二股(ふたまた)野郎…!

   さっきと態度がぜんぜん違うでねえか!

   手の平(ひら)くるっくる返(けえ)しやがって!

   ぶっ張(ぱ)り返(けえ)すぞ!


若い衆:ぁぁあいや、ごめんくださいまし!


若旦那:おぉいおい何をやってんだい。

    揉(も)めてちゃいけないよ。

    まぁまぁそんな事はいいから、こっちへ入りな清蔵(せいぞう)。

    入って吞(の)め吞(の)め!


清蔵:若旦那(わかだんな)でごぜえますか。

   ごめんくだせえ。


   頭(かしら)。

   番頭(ばんとう)さん。


   あんた達は長(なげ)えことご苦労さんだ。

   番頭(ばんとう)さん、あんた、なんて言いなすって家(うち)を出た?

   自分が行きゃぁきっと若旦那(わかだんな)をお連れするべ言ったべ。

   あんたァ白ネズミでねえ、ドブネズミだこのバカ野郎。


   頭(かしら)、あんたも出る時、でけえこと言ってたべ。

   腕(うで)ェ叩き折ってでもしょっぴいてくるて。

   なんだそのザマぁ。

   頭(かしら)、頭(かしら)ってりゃいい気になりやがって、おめえは頭でねえ、

   芋頭(いもがしら)だ。


喜太郎:はははキツイなァ、勘弁してくれよ。

    まぁまぁ大将、そう膨(ふく)れっ面(つら)しちゃいけねえよ。

    たしかに大旦那(おおだんな)の前じゃちょいと啖呵(たんか)を切ったけどな、

    ここへ来てみりゃそういかねえわけもあるんだ。

    こっちにはこっちの掟(おきて)があるんだよ、な?

    ま、そう怒らねえで大将、こっちへ入って、機嫌直(きげんなお)しに一杯(いっぱい)やれ

    よ。


清蔵:大将だ?戦(いくさ)なんかしたことねえ!

   なんだ、大将大将って。


   おい芸者さん!いま話してるべ!

   三味(しゃみ)ィジャンガラジャンガラかまして、話の邪魔するでねぇ!

   他の者はどうでもいいだ。

   おらァ若旦那(わかだんな)のお迎えに来たで、どうぞ、すぐに帰っとくなせぇ。

   若旦那(わかだんな)、お願(ねげ)えだべ。


若旦那:あぁあぁ帰る、帰るよ、帰りますよ?

    俺ァ何も生涯(しょうがい)吉原(よしわら)にいたいってわけじゃないからね。

    帰ろうと思ったら俺は帰る。

    帰る気が出たらいつでも帰るんだ。

    帰る気がまだ出ないから、俺は帰らない。


清蔵:そんじゃ、若旦那(わかだんな)は帰る気があったらすぐお帰んなさるてぇんだな

   。

   じゃあこれを若旦那(わかだんな)にお見せすべえ。

   このお巾着(きんちゃく)、見覚えあるべ?

   おふくろ様がおらが使いに行くべ言ったら、これ持ってって勘定(かんじょう)が

   足りなかったら渡してくれ、どうか倅(せがれ)を連れて帰って来てくれ言う

   たべ。

   …親てえものはありがてえもんだべ。

   寝る目も寝ねえで泣いていなさるだ。

   どうか、この巾着(きんちゃく)に免じて、おらと一緒に帰ってーー


若旦那:あぁわかったわかった。じゃ巾着(きんちゃく)だけ置いておめえは帰(けえ)んな帰(けえ)ん

    な。

    いいじゃねえか、俺が受け取るんだから間違(まちが)いはねえだろ。

    おめえは帰っていいんだよ、巾着(きんちゃく)は俺が受け取るから。


清蔵:…そんじゃ何(なに)けえ?

   巾着(きんちゃく)だけ置いておらだけは帰るって、子供の使いじゃあるめえ。

   巾着(きんちゃく)は若旦那(わかだんな)に渡して来やしたが、おら帰りやしたて、

   そんなこと言えねえだ。

   どうかひとつ、帰っておくんなせえ。

   若旦那(わかだんな)、帰っておくんなせえ!


若旦那:うるせえ野郎だな…嫌だよ!


清蔵:嫌だよ言うたって、おらァ首に縄ァかけてでもしょっぴいて来るて

   、言うてきただよ。


若旦那:首に縄かけてでも…?

    なに言ってんだい、俺ァ犬じゃないよ!

    お前なんぞにああだこうだ言われることは無いんだ!

    だいいち、俺は主人でお前は家の奉公人だろうが!

    そんなにぐずぐず言われると酒がマズくなるから、

    帰(けえ)んな帰(けえ)んな!目障(めざわ)りだからよ!

    これ以上言うようなら、親父に代わって暇を出してやる!


清蔵:…おらがこれほど頼んでも、若旦那(わかだんな)はどうあっても帰らねえかい?


若旦那:ああダメだね、帰らないよ。

    俺はお前なんぞに何か言われて帰るような人間じゃないんだよ。


清蔵:…なら暇をもらうべ。

   おめえの方でいてくれと頼まれたっておらの方でいねえぞ!

   この、バカ野郎ッッ!!

   これほど頼んでなぜ帰らねえ!

   おふくろ様が涙ァ流して心配してるのをなぜわからねえ!

   おめえが嫌だと言っても、このままにするわけにゃあいかねえべ。

   こうなればおめえ、腕ずくでもしょっぴいて行くど。

   邪魔だてするなら、どいつもこいつも容赦(ようしゃ)しねえ。

   片(かた)っ端(ぱし)から殴ってやるだ。

   こう見えても村相撲(むらずもう)で大関(おおぜき)までとった男だ。

   【手に唾を吹きかけて】

   野郎、覚悟せえよ…!!


佐兵衛:あぁぁいけません若旦那(わかだんな)っいけませんよ…!

    覚悟しろと言ったら顔色が変わりましたよ…!


喜太郎:こらぁ洒落(しゃれ)にならねえ。

    お帰りになった方がいいですよ、若旦那(わかだんな)…!


若旦那:ぉ、ぉおいおいおい、その松の木みたいな腕を振り回されちゃ

    困るよ!

    い、今のはな、冗談(じょうだん)だ、冗談冗談!

    冗談で言ったんだ!

    冗談が過ぎて悪かったよ。

    お前の顔を立ててすぐ帰ろうじゃないか。

    今までの事は悪かった。

    この通りお前に両手をついて謝るから、勘弁しておくれ。


清蔵:っお、お手を上げてくだせえ若旦那(わかだんな)!

   …おらァ、お暇(ひま)が出てもいい。

   おふくろ様は、若旦那(わかだんな)が帰らねえって…寝てばかりいなさるだ。

   おらあ暇(ひま)が出ても、若旦那(わかだんな)さえ帰ってくれたらそれでええだ…。

   ぐすっ…頼むから、帰ってくだせえお願いしますだ…!

   ぐすっ、うぅぅうぅ…!


若旦那:ぉ、おいおい、めそめそ泣いちゃいけないよ。

    女郎(じょうろ)屋の二階で大きな野郎が泣いちゃ困るじゃないか。

    わかった、わかったよ。

    けど帰るにはなんだ、このまんまじゃ座が白(しら)けちまって心持(こころも)ちが

    悪いから、こうしようじゃないか。

    ちょいとここで一杯飲んで、皆がわっと笑ったところで引き上げ

    よう。

    な、一杯だけ付き合えないか?


清蔵:そんなに言われちゃおらぁ困るべ。

   若旦那(わかだんな)さえ帰っておくんなさりゃ、それでいいだ。

   なら、一杯だけ付き合うべ。


若旦那:おぉそうかそうか!

    よし、じゃ、この大きいのでな、呑(の)むといい。


清蔵:え、こんなでけえのに…ってぁっ、あっ、そんたに注(つ)がねえで、

   半分でええ半分で…って……またえらく注(つ)いだべ…。


   こうなりゃ呑(の)むしかねえべ…んッ…んッ……。

   ぷはーっ…!


   えらくうめえ酒だべこれ…。

   おら達の呑(の)む酒とはえれぇ違いだべ…。

   安くなかんべえなぁこれ…。

   番頭(ばんとう)さん、これ一合(いちごう)あたりいくらだべ?


佐兵衛:これこれ清蔵(せいぞう)、この吉原(よしわら)はな、見栄(みえ)の場所なんだ。

    値段を聞くは野暮(やぼ)、聞かずに呑(の)むのが粋(いき)なんだよ。


清蔵:はあ、そういうものだべか。

   へへ、それじゃ、黙って頂戴(ちょうだい)するべ。

   んッ…んッ…んッ………


   ぷはーっ…!

   あぁうめぇ。

   それじゃ、このへんでお迎えに…。


若旦那:おいおい、お前の呑(の)みっぷりはまるで水を飲んでるようだね。

    ガブガブガブガブ呑んで、もう空(あ)けちゃったのかい。

    こっちはまだなんだから、もう一杯(いっぱい)付き合いな。

    な、いいじゃないか。


清蔵:そんならもう一杯(いっぱい)いただくけんど、でけえ杯(さかずき)だから半分でいいだ。

   半分でぇってっも、もういぃいぃぁあっあっ!

   …そんなに徳利おっ返(けえ)すように勢いよく注(つ)ぐからいけねえだ…。

   これじゃ口からお迎えだべ…。

   んッ…んッ…んッ………ぷふぁーっ。


   【だんだん酔いが回ってくる】

   これでねぇ、若旦那(わかだんな)様が帰っておくんなさりゃ、おふくろ様も

   お喜びだで…大旦那(おおだんな)はもう勘当(かんどう)だーッてがなっていなすった…。

   けど若旦那(わかだんな)は一人っ子だで、勘当(かんどう)もできなかんべ…。


   番頭(ばんとう)さんや頭(かしら)もすんませんでした…芋頭(いもがしら)だの、ドブネズミだの言っ

   て…。

   けっして腹にある事じゃねえだ。ただおらァ、若旦那(わかだんな)に帰ってもら

   いてえから、あんなこと言っただ…。

   どうか、許しておくんなせえ。


佐兵衛:いいよいいよ、あたしも分かってるから、気にするんじゃないよ

    。


喜太郎:そうだ、かえって俺たちの方が面目(めんぼく)ねえ。


清蔵:【だんだん酔いが回ってくる】

   んッ…んッ…ぱはーっ。


   お?魚をおらに下される。あぁそれはすまねえ事で…。

   はぁぁ綺麗なもんだね…。

   それじゃ頂戴(ちょうだい)して…んむ。


   …なんだか甘(あめ)えような、酸(す)っぺえような、あんまり食べたことの

   無(ね)え魚だ。

   なんて魚だべ?


佐兵衛:ははは清蔵(せいぞう)、そりゃ杏子(あんず)だよ。


清蔵:【だんだん酔いが回ってくる】

   あ…こりゃ杏子(あんず)かぁ。

   そら道理(どうり)で骨がねえと思ったべ。

   杏子(あんず)じゃあ骨はねえだね。


   んッ…んッ…んッ………

   ぷはーーっ。

   ごちそうになって…。

   そんじゃ、この辺で…。


若旦那:おぉいなんだな、どうも色気(いろけ)のねえ呑(の)みかたをするなお前は。

    あともう一杯(いっぱい)呑(の)みな。いいじゃないか。

    駆け付け三杯と言うだろ。

    あとはもう決して勧めないから、な、もう一杯だけ!

    そいつをキュッとやったとこで、みんな引き上げよう。


清蔵:【大分酔いが回り始めている】

   …もう二杯も呑(の)んでるだで…勘弁してほしいべ…。

   おらァ酔っぱらっちまってダメだ…。


佐兵衛:清蔵(せいぞう)、せっかく若旦那(わかだんな)がああおっしゃってるんだ。

    もう一杯だけいただきなさい。


喜太郎:そうだそうだ、あとは勧(すす)めねえってんだから、な?


清蔵:【大分酔いが回り始めている】

   …そんなら、本当にあと一杯だけだべ…。

   あ、すまねえべ…たびたび酌(しゃく)さして…。

   あぁいや、へへへ……ん…?


   ちょっくら足りなかんべぇ…。

   一杯ちゅうのはやっぱり一杯でなきゃいかんべぇ。

   いやぁははは、すまねえべ…。

   んッ…んッ…

   いや、芸者さんがたも、おらァでけえ声でがなったでたまげたべぇ

   。若旦那(わかだんな)様も帰って下さる、ありがてえことだべ…。

   何かひとつ、聞かしてもらいてえだな…。


若旦那:あぁいいよいいよ、何でも聞かしてやる。

    おい何をしてんだ、かしく。

    そんな後ろの方でもじもじぼんやりしてんじゃないよ。

    清蔵(せいぞう)のそばへ行って、酌(しゃく)でもしてやらないか。


かしく:そうでありんすか。

    それでは皆さん、大目(おおめ)に見てくんなましよ。

    わっちは家(うち)のそばに行きんすから。

    さぁぬし、お酌(しゃく)をさせてくんなまし。


清蔵:【酔っぱらっている】

   ぁっ、ちょ、おらに断りもねえでーー

   【しばらくかしくに見とれている】

   っ~~…。

   !ぁ、す、すまねえべ…いやぁ…へへへ…。

   …若旦那(わかだんな)ぁ、えらく綺麗なあまっ子だべぇ…

   里(さと)のとは比べ物にならねえだぁ…。


若旦那:お前の敵娼(あいかた)だよ。

    「かしく」と言うんだ。可愛がってやんな。

    吉原(よしわら)という所はな、二階へ一人上がる時には敵娼(あいかた)というのが必ず

    付くのが規則になってるんだ。

    すぐ帰るにしてもそれまではお前の女房(にょうぼう)だから、遠慮(えんりょ)なく用でも

    何でも言いつけな。


かしく:若旦那(わかだんな)、わっちは今日は、まことに嬉しいんですのよ。

    こな所へ来るお客さんは、口では様子(ようす)のいい事をおっしゃっても

    、みんな浮気(うわき)の方が多いでありんしょう?

    芯(しん)から堅(かた)いといわすお客さんへ、生涯(しょうがい)にいっぺんでいいから出し

    てもらいたいと信心(しんじん)をした甲斐(かい)があって、今日はこういう堅い

    お客さんに出られて、わっちはまことに決まりが悪いけど、

    初回もれをしてしまいんしたの。

    わっちみたいなお多福(たふく)でありんすが、せめてお酌(しゃく)だけでもさして

    くんなましよ、ねえ、ぬし。


清蔵:【酔っぱらっている】

   ぅ、うるせぇよぅ…へへ…。

   おらに惚(ほ)れてるてぇ、バカこいてらぁ。

   こんなツラに惚(ほ)れる女もねえべぇ…。


かしく:あらいやだ、顔や形で惚(ほ)れたんではありんせん。

    その堅い心、実のある気持ちに岡惚(おかぼ)れしたんでありんす。

    長芋(ながいも)みたいなにょろにょろした男は、わっちは大嫌い。

    まあ、男らしくて頼もしいわ。

    手でも何でも木造蟹(もくぞうがに)みたいに、こなに毛むくではらで。


清蔵:【酔っぱらっている】

   じゃ、じゃれるないィ…へ、へへ…おらが堅(かて)えからいいって…

   おらァ人間だけでねェ、なんでも堅(かて)ぇだぁ。

   手だってこんなに堅(かて)ぇべぇ。


かしく:まあ、いい手をしていんすわぇ。

    その固い手でいっぺん、思い切りわっちの手を握ってくんなまし

    、ね、ぬし。握ってくんなまし。


清蔵:【酔っぱらっている】

   ぇへへ…そんなにおらの手ェ握りてぇて…なんぼでも握ってやるだ

   ぁ…。


若旦那:どうだい番頭(ばんとう)、頭(かしら)。

    実に似合いの夫婦(めおと)じゃないか!


佐兵衛:ええそれはもう!

    頭(かしら)もそう思うでしょう?


喜太郎:まったくだ!

    【手を叩いて囃(はや)す】

    いよォよォッ!ご両人ッ!

    へへへ、おい清蔵(せいぞう)!はにかんでねえで、ほれ、もっとちゃんと

    握ってやれよゥ!


清蔵:【酔っぱらっている】

   そんたにみんな言うなら、おらァ握るだぁ…!

   いいかァ、握った後で嫌だったって、おらァ離さねえぞォ…!

   ほらァ…!!


   ぅえッへっへへァ!だぁめだァ!よせってェ、じゃれるなァ!

   おらァこんなアマっ子と野良(のら)ぁこいてるだァ…!

   おらの方が帰(けえ)れっちゅうのが無理かもしれねえだァ…!


若旦那:ぉおいおい清蔵(せいぞう)、だらけちまっちゃいけないよ。

    さ、そろそろ引き上げよう。


清蔵:あ?帰(けえ)るってェ?


   勝手に帰(けえ)るがええだ、おらァもう二、三日ここにいるだよ。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


三遊亭圓生(六代目)

立川談志(七代目)



※用語解説


・角海老(かどえび)

吉原遊廓に存在する屋号。明治時代に吉原で奉公していた宮沢平吉が

「角尾張楼」という見世を始め、その後「海老屋」という見世を買い取

り、そこに「角海老楼」という時計台付きの木造三階建ての大楼を建てた

のが起源とされる。当時の「角海老楼」は総籬の高級見世で、歴代の総理

大臣が遊びに来るような格式の店であったという。

のちの角海老グループは↑の後継者の承諾を得て屋号を継いだものである

。


・鳶職(とびしょく)

建設現場で高所作業を担当し、足場や鉄骨の組み立てなどを行う、

建設工事に不可欠な専門職。作業内容によって足場鳶、鉄骨鳶、重量鳶

などに細かく分類され、現場全体の安全を支え、他の職人が安全に作業

できる基盤を作る役割を担う。高所を華麗に動き回る姿から「現場の華」

とも称され、体力と精神力、そして高度な技術が求められる職種。


・道陸神(どうろくじん)

道六神とも表記される。

村境や峠、辻などに祀られ、悪霊や疫病の侵入を防ぎ、旅人の安全や

村人の健康・子孫繁栄を司る神様。

地域によっては「道祖神」「塞の神」とも呼ばれ、自然石や文字を刻んだ

石碑、男女が手を取り合う「双体道祖神」など多様な形態で信仰されてお

り、足の神様として祀られることもある。


・左官(さかん)

コテを使い漆喰やモルタルなどの材料を壁や床に塗って仕上げる職人、

またはその仕事を指す。熟練した技術が求められ、壁や床に独特の風合い

や表現をもたらすほか、下地調整など現代建築でも重要な役割を担う。


・根継(ねつ)ぎ

柱の傷んだ根元部分を切り取り、新しい材料で継ぎ足す大工の高度な技術

を用いた修理工法。

主に寺社や町家などの伝統的な木造建築で用いられ、腐朽や蟻害で損傷し

た柱を補修するために行われる。


・掛(か)け先(さき)を回る

代金をツケているところを回って代金回収に歩く事。


・大見世(おおみせ)

江戸時代に最高位の遊女である太夫を、太夫の消滅後は花魁を抱えていた

、吉原遊郭における最上級の妓楼(遊女屋)を指す。

規模が大きく格式も高く、一般の遊女の店(中見世・小見世)とは異なり

、引手茶屋という案内人を通さなければ利用できなかった。


・振(ふ)り合い

つり合いやバランスという意味で、二つ以上のものの力や重さなどが均衡

を保つこと、または物事の様子や具合を表す。


・幇間(たいこ)

宴席などで客の機嫌を取り、即興の芸を披露して場を盛り上げる男性の

職業。別名「太鼓持ち」とも呼ばれ、芸者や舞妓の仕事を助ける役割も

担っていた。


・野良(のら)こいてる

基本的に怠ける、ズルをするという意味。

(比喩的に)ろくなことをしない、悪いことをするという意味もあるので

この噺では後者の意味だと思われる。


・敵娼(あいかた)

かつての遊廓において、客の相手をする遊女のことを指す言葉。

もともと「相方」という言葉で使われることもあったが、「敵娼」と書く

場合は遊女を意味した。


・毛むくではら

毛むくじゃらを廓言葉で変換掛けたらこうなりました。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。