表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「木乃伊取り」

作者: 霧夜シオン


落語声劇「木乃伊みいらり」


台本化:霧夜きりやシオン@吟醸亭喃咄ぎんじょうていなんとつ


所要時間:約40分


必要演者数:最低5名

      (0:0:5)

      (0:5:0)

      (1:4:0)

      (2:3:0)

      (3:2:0)

      (4:1:0)

      (5:0:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


若旦那わかだんな大店おおだな伊勢屋いせや若旦那わかだんな

    道楽どうらくが過ぎて、吉原よしわら角海老かどえびに遊びに行ったきり戻ってこない。


大旦那おおだんな伊勢屋いせや大旦那おおだんな若旦那わかだんな実父じっぷ

    息子の道楽どうらくに頭を悩ませている。


佐兵衛さへえ伊勢屋いせや番頭ばんとうさん。

    若旦那わかだんな吉原よしわらから連れ戻すよう言われて向かうが…。


喜太郎きたろう伊勢屋いせやに出入りしている鳶職とびしょくかしら

    彼も大旦那おおだんなに頼まれて若旦那わかだんなを連れ戻すべく吉原よしわらへ向かうが…。


一八いっぱち太鼓持たいこもち。喜太郎きたろう吉原よしわらに遊びに来たのだと勘違かんちがいして、

   しつこく付きまとう。

   まあそれが仕事なんですが。


妻:大旦那おおだんなの妻。

  若旦那わかだんなに甘々で、こっそりお小遣こづかいをあげてるらしい。

  甘やかしも度が過ぎるとああいう若旦那が出来上がるわけで。


清蔵せいぞう伊勢屋いせややとわれている飯炊めしたき。

   無骨ぶこつ頑固がんこな男。


若いしゅ大見世おおみせ角海老かどえびの若いしゅ

    ちなみに若いと書いてるからとて実年齢も若いとは限らない。

    名前は喜助きすけ


かしく:角海老かどえびかかえの花魁おいらん


語り:雰囲気を大事に。




●配役例


大旦那・若旦那:

清蔵・枕:

佐兵衛・一八・若い衆:

喜太郎・語り:

妻・かしく:





枕:道楽者どうらくものというのは、いつの世にもいるものです。

  酒をむ、博打ばくちを打つ、女を買う、これをもって三道楽さんどうらくと言うんです

  が、どれか一つにでもると身上しんしょうを危うくする、悪くするとつぶしてし

  まうなんという事は、今も昔もそう変わりはございません。

  ま、何事なにごともほどほどが一番という事ですな。

  酒はんでもまれるな、博打ばくちは見切りの付けどき肝心かんじんみつぐ女は嫁

  にだけ、とくれば万事安心安全というわけですが、世間というものは

  なかなかそう上手うまくはいかないもので。


佐兵衛:大旦那おおだんな様、失礼いたします。


大旦那:おお番頭ばんとうさん。

    せがれの事、何かわかったかい?


佐兵衛:はい、あちらこちらをほうぼう捜して歩いて、

    やっとたずねあてて参りました。

    吉原よしわら角海老かどえびに遊んでいるとの事で。

    ああいうご気性きしょうでございますから、なまじな者が行きまして

    あれこれ言いますと、かえってこじれるという事がございます。

    ですので、わたくしがお迎えに参ろうかと。


大旦那:そうかい。番頭ばんとうさんに行ってもらえれば間違まちがいもなかろう。

    それじゃ素直に帰るよう、お前さんからうまく話をしておくれ。


佐兵衛:へえ、よろしゅうございます。

    さっそく行って参りましょう。


語り:大旦那おおだんな番頭ばんとうさんを迎えにやったからこれは確かだろうと言うので

   それから待ち続けたものの、これがまた五日も帰ってこない。

   一日経つごとに、大旦那おおだんな眉間みけんにはぎゅうううっと、しわが寄せられ

   ていきます。


大旦那:…あきれれかえってものが言えないよ。

    なんだい佐兵衛さへえも。かたそうな事を言うから、番頭ばんとうになって少しは

    わきまえてきたかと思ってたが、どうせなんのかんのとせがれに言いくる

    められて、一緒になって遊んでいるに違いない。

    もう本当に腹が立ってしょうがない、堪忍袋かんにんぶくろが切れたよ。

    今度という今度は勘当かんどうだ!


妻:お前さんは何かというとすぐに勘当かんどうするとおっしゃいますけどもね、

  一人息子を勘当かんどうしたら、その後はどうなるって言うんです?

  お前さんは短気なことばかりおっしゃるからいけませんよ。

  短気は損気そんきというじゃありませんか。

  だいたいあたしは、あの番頭ばんとう佐兵衛さへえという男を普段からあんまり

  信用してませんから。やな男ですよ?

  お前さんのいない間にあたしを変な目で見るんですから。


大旦那:バカなこと言ってんじゃないよ。


妻:いいえ、あの男はじつがございませんよ。

  うちのせがれたぶらかしてるのはあの番頭ばんとうに決まってます。

  それよりも、たなに出入りの鳶職とびしょくかしらに頼んだらどうです?


大旦那:おお、良いとこに気が付いた。 

    かしら喜太郎きたろうなら良かろう。

    普段から派手はでな付き合いもしているし、吉原の事には何かと明る

    いだろうしな。

    よし、それじゃ誰かひとっ走りかしらのとこへつかわしてな、

    私が急用があるから大急ぎで来てくれと、こう言うんだ。

    くれぐれも余計よけいな事を言わずにな。


妻:わかりました、それじゃ小僧さんに行かせます。


大旦那:ああ、早くしておくれ。


    【二拍】


    遅い…いったい何をしてるんだい…!


妻:お前さん、使いの者が帰ってきましたよ。


大旦那:おおそうかい、で、かしらは、喜太郎きたろううちにいたかい?


妻:ええ、ちょうどよくいたそうですよ。


大旦那:そうかい、いや、かしらに行ってもらえりゃ安心だ。

    何しろあの通り、なかなか気性きしょうも勝っている上に苦労もしてきて

    るからね。そんな男から話をしてもらえれば上手くいくだろう。

    それでかしらはどうした、まだ来ないのか?

    一緒に来たんじゃないのかい?


妻:それがすぐにうかがうと、そう言ってたそうですよ。


大旦那:すぐうかがうんなら一緒に来てうかがえばいいじゃないか。

    どうも江戸っ子のくせして、いやに気の長い男だな。

    もういっぺん催促さいそくに行かせなさい。急ぎの用だからと、そう言っ

    て。


妻:はいはい…あら?


喜太郎:大旦那おおだんな、どうもすいやせん、ちと遅くなりやした。


大旦那:おおかしら、来たかい。

    さ、入っておくれ。


喜太郎:いやぁすぐに出かけようとしたんですがね、道陸神どうろくじんは出かけちま

    ったし、家の山の神は河童かっぱァほっぽっといて湯に出かけちまうし

    で、河童かっぱ野郎を置いて出かける事ができなかったもんで…。


大旦那:な、なんだいその、道陸神どうろくじんだの山の神だってのは?


喜太郎:あ…へへ、こいつァ大旦那おおだんなにはお分かりがねえ事をついつい…。

    道陸神どうろくじんてなァうちのばあさんで、山の神がカカアで河童かっぱ野郎は

    うちのガキでして。


大旦那:…お前さんのとこはまるで化物屋敷ばけものやしきだな。

    まあそんなことはいいんだ。

    かしらを呼びにやったのは他の事じゃないんーー


喜太郎:【↑の語尾に喰い気味に】

    えぇえぇ!そらァもう心得こころえておりやす!

    蔵の方でござんしょ?いや、あっしも気にしてたんで。

    アレぁやっぱり、仕上しあげる物は仕上しあげとかなくちゃいけませんで

    。

    あっしの方からさっそく左官さかんの方へ使いをやって、わけぇのはすぐ

    に足場あしばを組んで仕事にかかりますんで!


大旦那:ぁいやいや待て待て、くらの話で呼びにやったんじゃないよ。


喜太郎:【↑の語尾に喰い気味に】

    あぁあぁ!でしたら長屋ながや根継ねつぎの方でござんしょ!

    えぇえぇ、あれもどうもね、もう少しもう少してばしてるうち

    に、肝心かんじんの家をいためちまった日にゃあ何にもなりゃしやせんから

    ね!今のうちにぎをなすった方がよろしいですな!

    なァにわけねえんで。職人の方はあっしが手配てはいしますんで、

    さっそくーー


大旦那:【↑の語尾に喰い気味に】

    おぉいおいおい、かしらが一人でそうやってベラベラベラベラしゃべるも

    んだから、すっかり話が分からなくなっちまうじゃないか。

    いや、仕事の話じゃないんだ。

    実は困った事ができてね。うちのせがれの事なんだが…


喜太郎:えっ、亡くなったんで?


大旦那:縁起えんぎでもない事を言うんじゃないよ!死んだわけじゃない。

    さきを回らせたところ、三日みっか四日よっかと帰ってこない。

    どうしたんだと気をもんでほうぼうさがして回らせた。

    そしたら吉原よしわら角海老かどえびとかいう所で遊んでいるというじゃないか

    。


喜太郎:へええ若旦那わかだんなが!

    角海老かどえびたぁまた大見世おおみせですな。


大旦那:そこでどうしようという話になってな。

    番頭ばんとう佐兵衛さへえが、なまじな者が行くとああいうご気性きしょうの方だから

    、かえって事が面倒めんどうになる、だから私が参りましょうと申し出た

    。


喜太郎:はあはあ、なるほど。


大旦那:お前が行けば間違まちがいないだろうと出してやったら、これがまた

    行ったきり五日も帰ってこない。

    もう私は腹が立って腹が立って、いっそせがれ勘当かんどうしようと

    言ったんだ。

    そしたら女房が、「そんな短気な事を言わずに、かしらならああいう

    所の振り合いもよく分かってるだろうから、ひとつ話をしてみた

    らどうだ」と、こう言うんだ。

    迷惑な使いですまないがひとつ、かしらに迎えに行ってもらいたいん

    だ。


喜太郎:なるほど、そうですか!いやぁ若旦那わかだんながねぇ…。

    もっとも、無理もありませんや。まだわけぇし、男っぷりはいいし

    ね、大旦那おおだんなと違って金をケチるーーごほんごほん!

    ぇえその、まあ、ですからね、そらもう女の方でちやほやするの

    も無理ありませんや。

    けど向こうがいい心持こころもちで遊んでるとこに入ってって、さあけえ

    ぞ!って目ェ三角にして帝釈たいしゃく様のけ物みたいな顔をしなくちゃならね

    ぇんです。

    こいつはできる事ならごめんこうむりてぇと言うところなんですが

    、まぁじじィの代からお出入りさせていただきまして、腐った半纏はんてん

    の一枚もいただいてますんで…。


大旦那:お前も言いたい事をはっきり言うね、喜太郎きたろう

    腐った半纏はんてんはひどい言いぐさじゃないか。


喜太郎:あ、あぁぃいえいえ!そうじゃねえんで!

    半纏はんてんを腐るほどいただいております。


大旦那:何を言ってるんだい…。

    まぁ何でもいいから、せがれ無事ぶじに連れて帰って来てくれれば

    それでいいんだ。

    大丈夫かい?


喜太郎:ええそりゃもう、わけありませんや!

    もし帰らねえってんなら、腕の一本を叩き折ってでも連れ帰りや

    すよ!


大旦那:そんな乱暴な事するもんじゃない。

    怪我けがをさせないでうちへ連れ帰って来ておくれ。


喜太郎:えぇよろしゅうござんす!

    それじゃ、さっそく行って来やす!


大旦那:ああ、頼んだよ。


語り:とまあ意気込いきごんで威勢いせいよく飛び出して来た鳶職とびしょくかしら

   やがて差し掛かります吉原土手よしわらどて

   わき目もふらずのしのし歩いてるかしらを見かけたのが幇間たいこ一八いっぱち


一八:おっ、かしら、かしら!どこいらっしゃるの?

   ちょいと、ちょいとかしら

   ちょいと!

   か し ら!


喜太郎:なんだァ?一八いっぱちか。


一八:一八いっぱちか、じゃありませんよ。

   大変お急ぎじゃないですか。どちらに?


喜太郎:あ?ちょいと野暮用やぼようだよ!


一八:野暮用やぼようォ?何を言ってるんですよゥかしらぁ。

   この吉原土手よしわらどてで会って野暮用やぼようはないでしょォ?

   目の色変えて…へへへ、待っているってんでしょ?

   へへ、あたくしがご一緒に、お供いたしましょ。


喜太郎:なに言ってやんでェ、お供なんかしなくたっていいんだよ!

    今日はそんなとこじゃねえんだ!


一八:そんなとこじゃねえってたってダメでげすよかしらぁ、隠したって。


喜太郎:うるせぇなッこんちきしょうめ!

    いつまでも付いてきやがると張り倒すぞ!


    【二拍】


    ったく、やっとあきらめたか…。

    まるではえみたいにしつこくまとわりつきゃがる。

    おうごめんよッ!

    伊勢屋いせや若旦那わかだんなに使いで来たんだ。

    会わせてくれッ!


若い衆:こりゃかしら!どうも。

    若旦那わかだんなはこちらで。


    【二拍】


    どうぞ。


喜太郎:おう、すまねえ。


    若旦那わかだんなッ!


若旦那:んん~?なァんだ、かしらじゃないか。

    ここまで来るたあご苦労だったね。

    まま、まずは一杯…。


喜太郎:いやそういうわけにはいかねえ!

    若旦那わかだんな!もう何日ここに居続いつづけてるってんで!?

    おたなじゃ、大旦那おおだんなもおかみさんも心配してるんだ。

    はええとこ、帰ってやっておくんなせェ!


若旦那:なんだいかしら野暮やぼは言いっこなしだよ。

    あたしはまだまだ帰らないからね。


喜太郎:んなッ!

    あっしァね、大旦那おおだんなに腕の一本を折ってでも連れ戻すって言って

    きたんでェ!

    今あっしと帰らねえってんなら…


若旦那:ぉおいおい、冗談はよしてくれよ。


一八:はいはいはい、ごめんなさいよごめんなさいよォ!

   ぃよッ、先ほどはどうもかしらァ!

   どうでげす?図星ずぼしでげしょ?


喜太郎:い、一八いっぱち!?

    おめえ後をつけて来やがったのか!?


佐兵衛:なァんだかしら、怖い顔してやってきたわりには、ひとつ便乗びんじょうして

    遊ぼうって魂胆こんたんでげすねェ!


喜太郎:ッち、ちがッ、あっしはーー


若旦那:【↑の語尾に喰い気味に】

    おぉ~一八いっぱち、よく来てくれた!

    かしらの気が立っていてね、お前からもひとつなだめてやってくれ。


一八:合点承知がってんしょうちでげすよォ!

   ィヨォーーイヨイヨイヨイっとォ!

   どんどんいでェ!わーっと行きましょ、ぅわーっとォ!!


語り:さあこうなるともう後はドガチャカで何が何だか分からない。

   なし崩し的にあれよあれよと巻き込まれまして、

   連れ帰りに行ったはずが一緒になって遊郭ゆうかく遊び。

   木乃伊取みいらとりが木乃伊みいらになるとはこの事。

   喜太郎きたろうも晴れて立派な木乃伊みいら二号となりました。

   それからさらに七日なのかちまして、伊勢屋いせやの方ではと申しますと。


大旦那:【長い溜息】

    ……私はね、もうつくづく世の中が嫌になってきたよ。

    迎えに行く奴みんな木乃伊取みいらとりが木乃伊みいらになりやがって…!

    しかしなんだね…番頭ばんとうといいかしらと言い、立派なこと言って出て

    行ってあのザマかと思うと、本当に腹が立ってたまらない。

    今度という今度は本当に勘当かんどうだ!!


妻:お前さんはまたそうやってすぐ勘当かんどうだとおっしゃいますけどね、

  勘当かんどうしてどうするって言うんです?


大旦那:どうするもこうするもないよ!

    あんなもの、うちへ置いたってしょうがないじゃないか!

    大体だいたいね、道楽者どうらくものをこしらえあげたのはお前が悪いよ!


妻:あたしの何が悪いって言うんですか?


大旦那:何がってそうじゃないか!

    私に隠れて小遣こづかいをむやみやたらにやるから、

    ああいう馬鹿者が出来できあがるんだ!

    もうけることを覚えないで使う事ばっかり考えやがって、

    本当に馬鹿者だよ!女のケツばっかり追っかけまわして!

    私なんざはね、若い時分じぶんから道楽どうらくはこれっぱかしもした事がない

    んだ。


妻:お前さんは何かというと、俺は道楽どうらくはしない、した事がないとおっし

  ゃいますけどね。

  そりゃ確かにお前さんは、外でのお道楽どうらくはありませんよ?

  その代わりうちに置いた女中じょちゅうはみんなお前さんが手を付けてるじゃあり

  ませんか。


大旦那:んなッ、何を言ってるんだ!今そんな話をしてるんじゃない!

    ?誰だ、そこへ来たのは!?


清蔵:へえ、ちょっくらごめんなすって。


大旦那:なんだ清蔵せいぞうか。


清蔵:おらも話を聞いていただが、若旦那わかだんながお帰りなさらねえで、

   さぞかしご心配なことだと思うべ。

   そんでまぁ、おらが迎えに行ってみるべかと思うが、

   大旦那おおだんな様はどうだべ?


大旦那:あぁいいいい、お前がそうして気をもんでくれるのはうれしいけど

    、行ったところで帰って来やしない、無駄むだだよ無駄無駄むだむだッ。

    無駄無駄無駄むだむだむだッ!


清蔵:無駄むだ無駄むだでねえか、行ってみねえと分からねえべ。

   物事ものごとは当たって砕けろなんて言う事もあるでよ。


大旦那:清蔵せいぞう、お前なんかがこんなとこに出しゃばってくるんじゃないよ

    !

    番頭ばんとうが行って、かしらも行って帰ってこないんだ。

    お前が行ったからって、なんで帰って来るっていうんだい!

    余計よけいな口出しをしなくたっていいから、台所でめしげないよう

    にしてりゃ役目が済むんだ。

    引っ込んでなさい!


清蔵:…ならちょっくらうかがいてえべ。


大旦那:っ、なんだ。


清蔵:そりゃあおらはこの店のまんまきにはちげえねぇ。

   まんま炊きにはちげえねぇが、そんだらばと言ってまんま炊きーー


大旦那:【↑の語尾に喰い気味に】

    なんだ、まんままんまって…何が言いたいんだ?


清蔵:まんまさえ焦げなきゃいいってことではなかんべ。

   仮にな、このうちへ泥棒が入って、大旦那おおだんなが泥棒に殺されるーー


大旦那:な、なにを縁起えんぎでもないこと言ってるんだい!


清蔵:怒ったらダメだべ。こらぁものの例えだべ。


大旦那:そんな例えがあるか!


清蔵:黙って聞いて欲しいべ。

   大旦那おおだんなが泥棒に殺されるかって時に、おらぁまんまきだ、

   めしがさなきゃ役目が済むから余計よけいな事はしねえって、

   台所にはいつくばってるわけにゃあいかねえべ。

   泥棒と一騎打ちの勝負して、大旦那おおだんなを助けるのが人の道ってもんだ

   べ。

   おらの言う事に間違まちがいはねえはずだべ。

   がとおってるべ。

   ぐぅとでも言えるなら言ってみなせぇ。


妻:それごらんなさい。

  お前さん、清蔵せいぞうに一本取られたじゃありませんか。

  ねえ清蔵せいぞう、ぐぅとでも言えるんならお前言ってごらんなさい。

  ぐぅと。


清蔵:ぐぅ。


大旦那:余計よけいなこと言うんじゃない!


妻:お前さんのようにそう癇癪かんしゃくを起こしてガミガミ言ったって、

  それでどうなるもんじゃありませんよ。

  それじゃ清蔵せいぞう、お前、行っておくれかい?


清蔵:承知しましたべ。

   首に縄ァ掛けてでも、きっと若旦那わかだんなを連れ帰ってくるで。

   そんだら支度したくするだで、ちょいと待ってもらいてえべ。


語り:清蔵せいぞうはとっとと二階の自分の部屋へ上がって行きますと、

   国許くにもとから持ってきた手織てお木綿もめんという、なんだかコブの皮のような

   ゴツゴツした着物に、元の色も分からなくなったおびめまして、

   お手製てせいの熊の皮でこしらえたという煙草入たばこいれを前の方へ差すと

   、のそのそ降りて参ります。


妻:あ、清蔵せいぞう、ちょいとお待ち。

  あのね、せがれに会ったら、おとっつぁんが大層たいそう怒っているけど、あたし

  が何としてもごとをするから、少しでも早く帰ってくるようにと、

  そう言っておくれ。

  それとこれはね、あたしのお巾着きんちゃくだけど、もしむこうで勘定かんじょうが足りな

  いといけないから、これを持ってって後始末あとしまつをして、せがれを連れて帰っ

  てきておくれ。いいかい?


清蔵:へい。では行ってきますだ。


   【二拍】


   しかし、ありがてえもんだべ。

   あんなに道楽どうらくこいてる若旦那わかだんなを案じなさっとるだよ。

   おらァきっと、首さなわァ付けてでもしょっぴいてくるだで。


語り:さあ清蔵せいぞう先生、どんどんどんどん吉原よしわらへと向かいましたが、

   なにしろなりふりなんて事はまったくかまわない男でございまして、

   頭の毛はぼうぼうとし、顔はヒゲだらけで鼻毛も大変に伸び、

   息をするたびに奥の方へ出たり引っ込んだりとまぁ実にせわしない。

   これで鼻毛のぶつかりどころが悪いとくしゃみを連発するもんだか

   ら、まことに手数てすうのかかる人間があるものです。

   人に道を聞きつつ、ほどなくして辿たどり着きました吉原よしわら角海老かどえび

   夜と違って昼の遊郭ゆうかくと申しますものは、なんとなくしんとしている

   ものでございまして。


清蔵:あぁここだな。

   ごめんくだせえ!


   おい、誰かいねえのか!?ごめんくだせえ!

   …おいッ!!誰もいねぇか!!!?


若い衆:へぇぇ~~いっ。

    いらっしゃいませ!どちら様で?


清蔵:どちら様もこちら様もねえべ。

   ここさ、おらンとこのたな伊勢屋いせや若旦那わかだんなが来てるべ?


若い衆:え、どちらのお茶屋ちゃやからでございます?


清蔵:そんなこたァおらァ知らねえ。

   喜太郎きたろうてェ鳶職とびしょくかしらと、佐兵衛さへえさんてェ番頭ばんとうさんと伊勢屋いせや若旦那わかだんな

   の三人、おめえがとこにいるはずだべ。

   下手へたに隠しだてすると野郎、ためになんねえぞ。


若い衆:別に隠しだてなぞいたしませんが…

    あっ、お三人てえと、引手茶屋ひきてぢゃや山口巴やまぐちどもえからのお客さんでござい

    ますな。ええ、おいででございます。


清蔵:おらが迎えに来たこと、ちょっくら取次とりつげ。


若い衆:へっ?

    …ああ、さようでございますか。お迎えでございますか、へへへ

    。

    お寒い所、ご苦労様でございますな。へへへ…。


清蔵:…なんだこの野郎。おかしくもねえ事へらへら笑いやがって。

   笑うならあははと笑ったらいいべ。

   なんだ鼻の先で、いひひひてな。さげすみ笑いて言って良くねえべ。

   あばら骨の三枚目から声が出ねえか。


若い衆:へっ…恐れ入りました。


清蔵:おめえのツラは曇りがあって、相貌そうぼうのはなはだ良くねえ野郎だ。

   おらが来たこと、若旦那わかだんな取次とりつげ。


   早く取次とりつがねえと、ぶっけぇすぞ!


若い衆:ぁっわっ、しょ、少々お待ちを願います!


    あの、恐れ入ります!少々お静かに願います!

    伊勢屋いせや若旦那わかだんなに申し上げることがございます!


若旦那:おぉおぉ、若いしゅ喜助きすけじゃないか。

    ぁ~こっちへ来てな、一杯いっぱいんでけ!

    遠慮しねえでんでけんでけ!


若い衆:いえあの、それが、おひとが見えまして。


若旦那:なに、人が?

    誰が来たんだ?


若い衆:ぁ~…誰と申しましても…とにかく迎えの方だそうで。


若旦那:あぁあぁ、どうせ親父の使いだろ。

    俺を呼び戻そうってんで言われて来たに違いないよ。

    この後もどんどん人をよこすに違いないから、来た奴はみんな

    こっちへ止めてな、だんだん人を増やしてにぎやかにしようじゃな

    いか。どうだ、面白おもしろいだろ。


若い衆:それが今度はだいぶ風変ふうがわりなお方がお見えになりましてな。

    毛色けいろが違うと申しますか…。

    お迎えでございますか、お寒い所ご苦労様でございますな、

    へへへ…と言いましたら、

    「いひひひだなんて言うのはさげすみ笑いで良くない笑い方だ。

    あばら骨の三枚目から声を出せ」なんて言われまして。

    あばら骨の三枚目から声が出てくるなんて言うことは、素人しろうとには

    気が付きませんで。

    ツラに曇りがあってとか何とかむずかしいことをおっしゃいましたが

    、あれは何ですかな、易者えきしゃやわらの先生ではないかと。


若旦那:はて、そんな奴はうちにいたかな…?

    番頭ばんとうさん、いったい誰だい?


佐兵衛:さあ…わたくしにも分かりませんな…。


若旦那:どんななりをしていた?


若い衆:えぇと、手織てお木綿もめんのようなかたいおなりで…

    あ、あの、熊の皮の煙草入たばこいれを前に差しておいででした。


若旦那:熊の皮の煙草入たばこいれ…?


佐兵衛:あッ!分かった!

    分かりましたよ若旦那わかだんな


若旦那:え、分かった?

    誰だい?


佐兵衛:飯炊めしたきの清蔵せいぞうですよ。

    熊の皮の煙草入たばこいれは奴の自慢の品物で、

    どこへ行くにもあれを持って行くんだそうで。


若旦那:あ、清蔵せいぞうか。

    …プッ、くくく…お、親父も変わった奴をよこしたもんだ。

    ははは、いいよいいよ、上げてやってくれ。


    いや、いま来たってのは、清蔵せいぞうっていう、うち飯炊めしたきでね。

    人間はちょいと頑固がんこだが、なかなか面白おもしろい所もあるんだ。

    あぁ清蔵せいぞう、こっちだこっち。


一八:はぁぁ…あれが、何でげすか?おたくのご飯炊はんたきで。


喜太郎:いや、まさかあっしの代わりに今度は清蔵せいぞうをよこすとは思わなか

    ったな…。


若い衆:こりゃどうも恐れ入りました。

    若旦那わかだんなのようないきなお宅に、よくまあこういう頑固がんこけだものって

    らっしゃいますなァ。放し飼いでござんすかなァ?

    面白おもしろいもんで!


清蔵:…なんだとこの野郎。

   

若い衆:ぇぁああいえいえ、どうぞ、こちらへ!どうぞどうぞ、旦那だんな


清蔵:この二股ふたまた野郎…!

   さっきと態度がぜんぜん違うでねえか!

   手のひらくるっくるけえしやがって!

   ぶっけえすぞ!


若い衆:ぁぁあいや、ごめんくださいまし!


若旦那:おぉいおい何をやってんだい。

    めてちゃいけないよ。

    まぁまぁそんな事はいいから、こっちへ入りな清蔵せいぞう

    入ってめ!


清蔵:若旦那わかだんなでごぜえますか。

   ごめんくだせえ。


   かしら

   番頭ばんとうさん。


   あんた達はなげえことご苦労さんだ。

   番頭ばんとうさん、あんた、なんて言いなすってうちを出た?

   自分が行きゃぁきっと若旦那わかだんなをお連れするべ言ったべ。

   あんたァ白ネズミでねえ、ドブネズミだこのバカ野郎。


   かしら、あんたも出る時、でけえこと言ってたべ。

   うでェ叩き折ってでもしょっぴいてくるて。

   なんだそのザマぁ。

   かしらかしらってりゃいい気になりやがって、おめえは頭でねえ、

   芋頭いもがしらだ。


喜太郎:はははキツイなァ、勘弁してくれよ。

    まぁまぁ大将、そうふくれっつらしちゃいけねえよ。

    たしかに大旦那おおだんなの前じゃちょいと啖呵たんかを切ったけどな、

    ここへ来てみりゃそういかねえわけもあるんだ。

    こっちにはこっちのおきてがあるんだよ、な?

    ま、そう怒らねえで大将、こっちへ入って、機嫌直きげんなおしに一杯いっぱいやれ

    よ。


清蔵:大将だ?いくさなんかしたことねえ!

   なんだ、大将大将って。


   おい芸者さん!いま話してるべ!

   三味しゃみィジャンガラジャンガラかまして、話の邪魔するでねぇ!

   他の者はどうでもいいだ。

   おらァ若旦那わかだんなのお迎えに来たで、どうぞ、すぐに帰っとくなせぇ。

   若旦那わかだんな、おねげえだべ。


若旦那:あぁあぁ帰る、帰るよ、帰りますよ?

    俺ァ何も生涯しょうがい吉原よしわらにいたいってわけじゃないからね。

    帰ろうと思ったら俺は帰る。

    帰る気が出たらいつでも帰るんだ。

    帰る気がまだ出ないから、俺は帰らない。


清蔵:そんじゃ、若旦那わかだんなは帰る気があったらすぐお帰んなさるてぇんだな

   。

   じゃあこれを若旦那わかだんなにお見せすべえ。

   このお巾着きんちゃく、見覚えあるべ?

   おふくろ様がおらが使いに行くべ言ったら、これ持ってって勘定かんじょう

   足りなかったら渡してくれ、どうかせがれを連れて帰って来てくれ言う

   たべ。

   …親てえものはありがてえもんだべ。

   寝る目も寝ねえで泣いていなさるだ。

   どうか、この巾着きんちゃくに免じて、おらと一緒に帰ってーー


若旦那:あぁわかったわかった。じゃ巾着きんちゃくだけ置いておめえはけえんなけえ

    な。

    いいじゃねえか、俺が受け取るんだから間違まちがいはねえだろ。

    おめえは帰っていいんだよ、巾着きんちゃくは俺が受け取るから。


清蔵:…そんじゃなにけえ?

   巾着きんちゃくだけ置いておらだけは帰るって、子供の使いじゃあるめえ。

   巾着きんちゃく若旦那わかだんなに渡して来やしたが、おら帰りやしたて、

   そんなこと言えねえだ。

   どうかひとつ、帰っておくんなせえ。

   若旦那わかだんな、帰っておくんなせえ!


若旦那:うるせえ野郎だな…嫌だよ!


清蔵:嫌だよ言うたって、おらァ首に縄ァかけてでもしょっぴいて来るて

   、言うてきただよ。


若旦那:首に縄かけてでも…?

    なに言ってんだい、俺ァ犬じゃないよ!

    お前なんぞにああだこうだ言われることは無いんだ!

    だいいち、俺は主人でお前は家の奉公人だろうが!

    そんなにぐずぐず言われると酒がマズくなるから、

    けえんなけえんな!目障めざわりだからよ!

    これ以上言うようなら、親父に代わって暇を出してやる!


清蔵:…おらがこれほど頼んでも、若旦那わかだんなはどうあっても帰らねえかい?


若旦那:ああダメだね、帰らないよ。

    俺はお前なんぞに何か言われて帰るような人間じゃないんだよ。


清蔵:…なら暇をもらうべ。

   おめえの方でいてくれと頼まれたっておらの方でいねえぞ!

   この、バカ野郎ッッ!!

   これほど頼んでなぜ帰らねえ!

   おふくろ様が涙ァ流して心配してるのをなぜわからねえ!

   おめえが嫌だと言っても、このままにするわけにゃあいかねえべ。

   こうなればおめえ、腕ずくでもしょっぴいて行くど。

   邪魔だてするなら、どいつもこいつも容赦ようしゃしねえ。

   かたぱしから殴ってやるだ。

   こう見えても村相撲むらずもう大関おおぜきまでとった男だ。

   【手に唾を吹きかけて】

   野郎、覚悟せえよ…!!


佐兵衛:あぁぁいけません若旦那わかだんなっいけませんよ…!

    覚悟しろと言ったら顔色が変わりましたよ…!


喜太郎:こらぁ洒落しゃれにならねえ。

    お帰りになった方がいいですよ、若旦那わかだんな…!


若旦那:ぉ、ぉおいおいおい、その松の木みたいな腕を振り回されちゃ

    困るよ!

    い、今のはな、冗談じょうだんだ、冗談冗談!

    冗談で言ったんだ!

    冗談が過ぎて悪かったよ。

    お前の顔を立ててすぐ帰ろうじゃないか。

    今までの事は悪かった。

    この通りお前に両手をついて謝るから、勘弁しておくれ。


清蔵:っお、お手を上げてくだせえ若旦那わかだんな

   …おらァ、おひまが出てもいい。

   おふくろ様は、若旦那わかだんなが帰らねえって…寝てばかりいなさるだ。

   おらあひまが出ても、若旦那わかだんなさえ帰ってくれたらそれでええだ…。

   ぐすっ…頼むから、帰ってくだせえお願いしますだ…!

   ぐすっ、うぅぅうぅ…!


若旦那:ぉ、おいおい、めそめそ泣いちゃいけないよ。

    女郎じょうろ屋の二階で大きな野郎が泣いちゃ困るじゃないか。

    わかった、わかったよ。

    けど帰るにはなんだ、このまんまじゃ座がしらけちまって心持こころもちが

    悪いから、こうしようじゃないか。

    ちょいとここで一杯飲んで、皆がわっと笑ったところで引き上げ

    よう。

    な、一杯だけ付き合えないか?


清蔵:そんなに言われちゃおらぁ困るべ。

   若旦那わかだんなさえ帰っておくんなさりゃ、それでいいだ。

   なら、一杯だけ付き合うべ。


若旦那:おぉそうかそうか!

    よし、じゃ、この大きいのでな、むといい。


清蔵:え、こんなでけえのに…ってぁっ、あっ、そんたにがねえで、

   半分でええ半分で…って……またえらくいだべ…。


   こうなりゃむしかねえべ…んッ…んッ……。

   ぷはーっ…!


   えらくうめえ酒だべこれ…。

   おら達のむ酒とはえれぇ違いだべ…。

   安くなかんべえなぁこれ…。

   番頭ばんとうさん、これ一合いちごうあたりいくらだべ?


佐兵衛:これこれ清蔵せいぞう、この吉原よしわらはな、見栄みえの場所なんだ。

    値段を聞くは野暮やぼ、聞かずにむのがいきなんだよ。


清蔵:はあ、そういうものだべか。

   へへ、それじゃ、黙って頂戴ちょうだいするべ。

   んッ…んッ…んッ………


   ぷはーっ…!

   あぁうめぇ。

   それじゃ、このへんでお迎えに…。


若旦那:おいおい、お前のみっぷりはまるで水を飲んでるようだね。

    ガブガブガブガブ呑んで、もうけちゃったのかい。

    こっちはまだなんだから、もう一杯いっぱい付き合いな。

    な、いいじゃないか。


清蔵:そんならもう一杯いっぱいいただくけんど、でけえさかずきだから半分でいいだ。

   半分でぇってっも、もういぃいぃぁあっあっ!

   …そんなに徳利おっけえすように勢いよくぐからいけねえだ…。

   これじゃ口からお迎えだべ…。

   んッ…んッ…んッ………ぷふぁーっ。


   【だんだん酔いが回ってくる】

   これでねぇ、若旦那わかだんな様が帰っておくんなさりゃ、おふくろ様も

   お喜びだで…大旦那おおだんなはもう勘当かんどうだーッてがなっていなすった…。

   けど若旦那わかだんなは一人っ子だで、勘当かんどうもできなかんべ…。


   番頭ばんとうさんやかしらもすんませんでした…芋頭いもがしらだの、ドブネズミだの言っ

   て…。

   けっして腹にある事じゃねえだ。ただおらァ、若旦那わかだんなに帰ってもら

   いてえから、あんなこと言っただ…。

   どうか、許しておくんなせえ。


佐兵衛:いいよいいよ、あたしも分かってるから、気にするんじゃないよ

    。


喜太郎:そうだ、かえって俺たちの方が面目めんぼくねえ。


清蔵:【だんだん酔いが回ってくる】

   んッ…んッ…ぱはーっ。


   お?魚をおらに下される。あぁそれはすまねえ事で…。

   はぁぁ綺麗なもんだね…。

   それじゃ頂戴ちょうだいして…んむ。


   …なんだかあめえような、っぺえような、あんまり食べたことの

   え魚だ。

   なんて魚だべ?


佐兵衛:ははは清蔵せいぞう、そりゃ杏子あんずだよ。


清蔵:【だんだん酔いが回ってくる】

   あ…こりゃ杏子あんずかぁ。

   そら道理どうりで骨がねえと思ったべ。

   杏子あんずじゃあ骨はねえだね。


   んッ…んッ…んッ………

   ぷはーーっ。

   ごちそうになって…。

   そんじゃ、この辺で…。


若旦那:おぉいなんだな、どうも色気いろけのねえみかたをするなお前は。

    あともう一杯いっぱいみな。いいじゃないか。

    駆け付け三杯と言うだろ。

    あとはもう決して勧めないから、な、もう一杯だけ!

    そいつをキュッとやったとこで、みんな引き上げよう。


清蔵:【大分酔いが回り始めている】

   …もう二杯もんでるだで…勘弁してほしいべ…。

   おらァ酔っぱらっちまってダメだ…。


佐兵衛:清蔵せいぞう、せっかく若旦那わかだんながああおっしゃってるんだ。

    もう一杯だけいただきなさい。


喜太郎:そうだそうだ、あとはすすめねえってんだから、な?


清蔵:【大分酔いが回り始めている】

   …そんなら、本当にあと一杯だけだべ…。

   あ、すまねえべ…たびたびしゃくさして…。

   あぁいや、へへへ……ん…?


   ちょっくら足りなかんべぇ…。

   一杯ちゅうのはやっぱり一杯でなきゃいかんべぇ。

   いやぁははは、すまねえべ…。

   んッ…んッ…

   いや、芸者さんがたも、おらァでけえ声でがなったでたまげたべぇ

   。若旦那わかだんな様も帰って下さる、ありがてえことだべ…。

   何かひとつ、聞かしてもらいてえだな…。


若旦那:あぁいいよいいよ、何でも聞かしてやる。

    おい何をしてんだ、かしく。

    そんな後ろの方でもじもじぼんやりしてんじゃないよ。

    清蔵せいぞうのそばへ行って、しゃくでもしてやらないか。


かしく:そうでありんすか。

    それでは皆さん、大目おおめに見てくんなましよ。

    わっちはうちのそばに行きんすから。

    さぁぬし、おしゃくをさせてくんなまし。


清蔵:【酔っぱらっている】

   ぁっ、ちょ、おらに断りもねえでーー

   【しばらくかしくに見とれている】

   っ~~…。

   !ぁ、す、すまねえべ…いやぁ…へへへ…。

   …若旦那わかだんなぁ、えらく綺麗なあまっ子だべぇ…

   さとのとは比べ物にならねえだぁ…。


若旦那:お前の敵娼あいかただよ。

    「かしく」と言うんだ。可愛がってやんな。

    吉原よしわらという所はな、二階へ一人上がる時には敵娼あいかたというのが必ず

    付くのが規則になってるんだ。

    すぐ帰るにしてもそれまではお前の女房にょうぼうだから、遠慮えんりょなく用でも

    何でも言いつけな。


かしく:若旦那わかだんな、わっちは今日は、まことに嬉しいんですのよ。

    こな所へ来るお客さんは、口では様子ようすのいい事をおっしゃっても

    、みんな浮気うわきの方が多いでありんしょう?

    しんからかたいといわすお客さんへ、生涯しょうがいにいっぺんでいいから出し

    てもらいたいと信心しんじんをした甲斐かいがあって、今日はこういう堅い

    お客さんに出られて、わっちはまことに決まりが悪いけど、

    初回もれをしてしまいんしたの。

    わっちみたいなお多福たふくでありんすが、せめておしゃくだけでもさして

    くんなましよ、ねえ、ぬし。


清蔵:【酔っぱらっている】

   ぅ、うるせぇよぅ…へへ…。

   おらにれてるてぇ、バカこいてらぁ。

   こんなツラにれる女もねえべぇ…。


かしく:あらいやだ、顔や形でれたんではありんせん。

    その堅い心、実のある気持ちに岡惚おかぼれしたんでありんす。

    長芋ながいもみたいなにょろにょろした男は、わっちは大嫌い。

    まあ、男らしくて頼もしいわ。

    手でも何でも木造蟹もくぞうがにみたいに、こなに毛むくではらで。


清蔵:【酔っぱらっている】

   じゃ、じゃれるないィ…へ、へへ…おらがかてえからいいって…

   おらァ人間だけでねェ、なんでもかてぇだぁ。

   手だってこんなにかてぇべぇ。


かしく:まあ、いい手をしていんすわぇ。

    その固い手でいっぺん、思い切りわっちの手を握ってくんなまし

    、ね、ぬし。握ってくんなまし。


清蔵:【酔っぱらっている】

   ぇへへ…そんなにおらの手ェ握りてぇて…なんぼでも握ってやるだ

   ぁ…。


若旦那:どうだい番頭ばんとうかしら

    実に似合いの夫婦めおとじゃないか!


佐兵衛:ええそれはもう!

    かしらもそう思うでしょう?


喜太郎:まったくだ!

    【手を叩いてはやす】

    いよォよォッ!ご両人ッ!

    へへへ、おい清蔵せいぞう!はにかんでねえで、ほれ、もっとちゃんと

    握ってやれよゥ!


清蔵:【酔っぱらっている】

   そんたにみんな言うなら、おらァ握るだぁ…!

   いいかァ、握った後で嫌だったって、おらァ離さねえぞォ…!

   ほらァ…!!


   ぅえッへっへへァ!だぁめだァ!よせってェ、じゃれるなァ!

   おらァこんなアマっ子と野良のらぁこいてるだァ…!

   おらの方がけえれっちゅうのが無理かもしれねえだァ…!


若旦那:ぉおいおい清蔵せいぞう、だらけちまっちゃいけないよ。

    さ、そろそろ引き上げよう。


清蔵:あ?けえるってェ?


   勝手にけえるがええだ、おらァもう二、三日ここにいるだよ。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


三遊亭圓生(六代目)

立川談志(七代目)



※用語解説


角海老かどえび

吉原遊廓に存在する屋号。明治時代に吉原で奉公していた宮沢平吉が

「角尾張楼」という見世を始め、その後「海老屋」という見世を買い取

り、そこに「角海老楼」という時計台付きの木造三階建ての大楼を建てた

のが起源とされる。当時の「角海老楼」は総籬の高級見世で、歴代の総理

大臣が遊びに来るような格式の店であったという。

のちの角海老グループは↑の後継者の承諾を得て屋号を継いだものである


鳶職とびしょく

建設現場で高所作業を担当し、足場や鉄骨の組み立てなどを行う、

建設工事に不可欠な専門職。作業内容によって足場鳶、鉄骨鳶、重量鳶

などに細かく分類され、現場全体の安全を支え、他の職人が安全に作業

できる基盤を作る役割を担う。高所を華麗に動き回る姿から「現場の華」

とも称され、体力と精神力、そして高度な技術が求められる職種。


道陸神どうろくじん

道六神とも表記される。

村境や峠、辻などに祀られ、悪霊や疫病の侵入を防ぎ、旅人の安全や

村人の健康・子孫繁栄を司る神様。

地域によっては「道祖神」「塞の神」とも呼ばれ、自然石や文字を刻んだ

石碑、男女が手を取り合う「双体道祖神」など多様な形態で信仰されてお

り、足の神様として祀られることもある。


左官さかん

コテを使い漆喰やモルタルなどの材料を壁や床に塗って仕上げる職人、

またはその仕事を指す。熟練した技術が求められ、壁や床に独特の風合い

や表現をもたらすほか、下地調整など現代建築でも重要な役割を担う。


根継ねつ

柱の傷んだ根元部分を切り取り、新しい材料で継ぎ足す大工の高度な技術

を用いた修理工法。

主に寺社や町家などの伝統的な木造建築で用いられ、腐朽や蟻害で損傷し

た柱を補修するために行われる。


さきを回る

代金をツケているところを回って代金回収に歩く事。


大見世おおみせ

江戸時代に最高位の遊女である太夫を、太夫の消滅後は花魁を抱えていた

、吉原遊郭における最上級の妓楼(遊女屋)を指す。

規模が大きく格式も高く、一般の遊女の店(中見世・小見世)とは異なり

、引手茶屋という案内人を通さなければ利用できなかった。


り合い

つり合いやバランスという意味で、二つ以上のものの力や重さなどが均衡

を保つこと、または物事の様子や具合を表す。


幇間たいこ

宴席などで客の機嫌を取り、即興の芸を披露して場を盛り上げる男性の

職業。別名「太鼓持ち」とも呼ばれ、芸者や舞妓の仕事を助ける役割も

担っていた。


野良のらこいてる

基本的に怠ける、ズルをするという意味。

(比喩的に)ろくなことをしない、悪いことをするという意味もあるので

この噺では後者の意味だと思われる。


敵娼あいかた

かつての遊廓において、客の相手をする遊女のことを指す言葉。

もともと「相方」という言葉で使われることもあったが、「敵娼」と書く

場合は遊女を意味した。


・毛むくではら

毛むくじゃらを廓言葉で変換掛けたらこうなりました。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ