無知の顔
無知の顔
僕はバッタの足をもぎ取った。跳躍に使う後ろ足二本をもぎ取られたバッタは残った4本の細い足で僕の手の甲の上を這っている。縁側の上に置かれた虫かごには、学校の遠足で捕ってきたバッタ数匹とカマキリ一匹が入っている。バッタの一匹は僕の期待通りにカマキリに胴体の半分を食べられていた。傷ついたバッタたちは苦痛等全く感じない様子でできることをしている。僕は4本足のバッタを手の甲から地面に落とし足で踏み潰した。
縁側のそばにある直径が一円玉ほどのアリの巣穴には、1センチほどのアリが大勢ひっきりなしに出入りしていた。僕はカマキリを虫かごから取り出しアリの巣穴の真上に置いた。アリの一匹がカマキリの足から胴体によじ登ると、続いて他のアリたちがよじ登る。カマキリは事態を察したか、前足のカマを使って頭にまとわりつくアリをはたき落とし巣穴から離れて難を逃れた。
僕はもう一度カマキリをつまんでアリの巣穴の真上に置いた。今度はアリたちの動きは素早かった。カマキリはたちまち黒いアリで全身を覆われた。カマキリは体を震わせたり、前足を激しく動かすが、抵抗はむなしくその体はアリの牙によって傷つけられていく。カマキリは転倒し、体をよじらせ、そしていつしか抵抗を止めた。
アリはカマキリの体を分解し始めた。足と首が切断される。切断された部分は順次巣穴へ収容されていく。僕は最後の胴体部分がアリの巣穴へ収容されるのを見届けて次の行動に移った。
僕は家の中に入り、居間の鴨居にかかっている額の裏に隠してある爆竹とマッチを取り出しポケットへ入れた。そして古新聞と虫かごをもって河川敷へと出かける。堤防を降り草地を真っ直ぐ進む。砂地にほど近いところにしゃがみ爆竹を虫かごの中に束ごと幾つか仕込む。導火線を虫かごの外まで引っ張り出しマッチで火を点け、大急ぎでその場を離れる。ほどなく爆竹が音と共に炸裂した。
僕は再び虫かごに近づき中の様子を見た。期待に反してバッタたちにダメージは殆どなかった。僕は後片付けをするために古新聞を一枚ずつ適当に丸めて地面の上に並べた。その上に虫かごを置いて新聞紙に火を点けた。煙を通して虫かごの中のバッタたちが激しく動きだすのが見えた。直に新聞紙は燃え上がりプラスチックの虫かごは溶け、バッタの遺骸と共に混ざり合って溶岩のように流れていった。
家に戻り、アリの巣を確認した。日中のアリたちの活動は活発だった。僕は納屋からショベルとクワを持ち出しアリの巣に向かった。ショベルとクワを置いて僕はしばらく計画を練った。
何をどうすべきか。意を決して僕はクワを取って、アリの巣をめがけて力いっぱい振り落とした。もう一度力の限り振り落とす。地面はひび割れ、クワの歯が突き刺さる。何度も何度も夢中でクワを振り落とす。気付かずうちに手に血豆ができ、それが潰れ、クワの柄は血まみれになった。アリの巣穴の周りの乾いた平坦な土は直径1メートル程の範囲が崩壊していた。
僕はクワをショベルに持ち替えショベルを崩壊した土の上につき立てた。両足をショベルのさじの上に乗せ地面に深く差し込み、ショベルを手前に傾けてアリの巣を掘り起こした。掘り起こした土をアリの巣の横に盛っていく。土の中から激しく動き回るアリの成虫が飛び出し、幼虫とさなぎが盛った土の上を転がる。 目的の深さまで穴を掘った僕は、再び納屋に行きバケツを取り出す。庭にある水道の蛇口からバケツに水を注ぎ、アリの巣へ向かう。水が潰れた手の血豆にしみて激しい痛みを覚える。僕はバケツの水を掘った穴にぶちまけた。それを数回繰り返し穴を水で満たした後、盛ってあった土を穴に戻す。アリたちは再び姿を現し無秩序に走り回っている。掘った土を全部戻しきり、泥沼と化したアリの巣をショベルで滅茶苦茶にかき回す。その中にはもはやアリたちの姿はない。
僕はアリの巣を破壊するのに使った道具を納屋に戻し、家に入りグローブとボールを持って公園へ向かった。公園に接している工場の、高いコンクリートの建物の壁に向かってボールを投げ、一人でキャッチボールをする。
バッタの足をもぎ取ったところからの記憶を反芻しながらボールを何度も投げ続けた。バッタの細い足が手の甲に触れる感触、よじれるカマキリのふくよかな腹部、口から泡を吹き力を失うバッタ、巣に戻ってきて途方にくれるアリたち。――夕闇が迫る頃僕は家に向かった。
家に入ると母が帰っていて夕食の支度をしていた。
「今日は何してたの?」
「遠足で捕ってきた虫は、河川敷に放してやったよ」