3話 悲しくても一歩前へ進む―人生は強制スクロールアクション―
気がつくと私は自分の部屋で寝ていた。外は既に明るく昼まで眠りこけていたようだ。寝転がって天井を見ながら昨夜のことを思い出す。私の左目は確かに危機を伝えていた。昨夜だけではない。奴隷商の一件の時から警告していたのだろう。私はどうすればよかったのか、何ができた。私がもっと強ければ、もっと賢ければ未来は変えられたのではないか。
私は起き上がり、着替えを済ませ、お母様の寝室に向かう。寝室ではレイラ達従者が荒れ果てた部屋を片付けていた。私は昨夜のことが現実であり、もうお父様がいないことを理解して目が潤む。
「シャーロット……お腹が空いたでしょう。用意するから食堂に行きましょう。」
その後食事を終えた私はレイラに尋ねる。
「お母様は……?」
「今は外に出ています。今頃は帝都で皇帝に謁見しているはずです。あんなことがあっても立場上無視するわけにはいきませんからね。」
お母様は大丈夫だろうか。私は今までお母様の強さしか見てこなかった。泣くことなど想像することさえできなかった。
部屋に戻るとイザベルがいた。イザベルは私に歩み寄ると私を強く抱きしめた。
「大丈夫だよロッティ。私がそばにいるよ。」
昨夜の件を聞いたのだろう。その優しさと温かさで嬉しくなる。でもちょっと強く抱きしめ過ぎだ。体に痛みが走る。
その痛みで思い出し、そして理解した。昨夜意識を失ったのは精神が疲弊したからではない。お母様の大きな胸と腕に挟まれて押しつぶされたからだ。そのことに気づいて私が「ふふふ……。」と笑っていると、イザベルが不思議そうな顔になった。
「なんで笑っているの?」
「なんでもないよ。ありがとうイザベル。」
その一か月後、帝国南部に神国が侵攻してきて戦争が始まった。お母様とレイラは戦争に駆り出され、私は領主代理となった。といっても領主業務は他の従者達が片付けてくれるのでお飾りではあるが。私はお父様の代わりに別棟で暮らす子供達の面倒を見るのが仕事になったので、まずはお父様が使っていたという仕事部屋に向かった。
別棟の一室にあるその部屋は壁一面に本が並べられており、部屋の中央に机と椅子があるだけの質素な部屋だ。細かい装飾で彩られた本棟とは大違いである。
「先生ってこんな部屋で暮らしていたのね。なんというか、寂しい部屋ね。」
イザベルはお父様を先生と呼ぶ。それは私と一緒にお父様に読み書き計算を教えてもらっていた頃の名残だ。私は椅子に座って目を閉じる。今でも楽しかったあの頃のことが鮮明に思い出せる。イザベルと大喧嘩した時もお父様が間に立って仲裁してくれたなあ、と思いに耽っていると、
「ちょっとロッティ、ぼーっとしてないで先生がここで何をしてたのか探さないと。まずはその机の引き出しを開けてみたら?」
「え、ああ、うん。」
言われて引き出しを開ける。二つの内一つには筆記用具などの道具が、もう一つには書類と手紙らしきものが入っていた。書類には年齢ごとに何を教えるかという教育プログラムが事細かに書かれていた。私達が教えてもらっていた頃とはずいぶん違うようだ。もしかしたら私達より彼らの方が賢いのかもしれないと思うと少し不安になってくる。
手紙らしきものを開いてみると驚いたことに見たことない文字が書かれていた。
「ちょっとイザベル来て。これ何かわかる?」
本棚を調べていたイザベルが仕方ないわねといった顔でこちらに来る。
「なにこれ。私にもわからないわ。先生が書いたのかしら。」
私達が使っている共通語は帝国と神国両方で使われている。それはこの世界が一つの大陸の上にあり、その中央を帝国が、南北を神国が治めているからだと言われている。大陸の外は海に囲まれていて人の住める領域ではないらしい。
「もしこれがお父様の書いたものだったら、お父様は大陸の外から来たのかしら。」
「お母様によると先生を攫ったのは神国の者って話だし、神国には私達が知らない文字があるのかもよ。」
私がまたぼーっと考え始めると、
「そんなことより今は先生が何してたのかがわかるものを探さないと。」
「それならあったわ。ここに書かれている通りに子供達に教えていけばいいみたい。」
子供達への教育方針も決まり、私達は頼まれていた食品の買い出しに出かけた。普段は従者達が全てやってくれることだが、お母様とレイラ、そしてお父様が抜けた穴は大きく、フェネクス家はてんやわんやの大忙しだからだ。
街は神国との戦争が始まったとは思えないほど穏やかな雰囲気だ。戦争が始まったのは帝国南部とはいえ、帝国最北部にあるノースカ領は神国と面している。いつ攻められてもおかしくないはずだが、街の警備隊も緩みきっている。
そんな街の様子を眺めながら歩いていると、私とイザベルはフェネクス家がいつも使っているという商人の家に辿り着いた。ベルを鳴らすとバタバタと足音がして一人の青年が出てきた。
「なんだこのデカ女は!?」
茶髪で快活そうな雰囲気のその青年は私達を見上げてそう言った。
「なんだはこっちのセリフよ。私達に対してそんな態度をとっていいのかしら。」
イザベルが挑発するかのように笑う。それを見た青年がたじろいでいると、奥から青年に似た中年の女が出てきた。
「何してんだこの馬鹿息子が!」
青年は女にビンタされ地面に叩きつけられる。
「失礼いたしました、シャーロットお嬢様。この馬鹿にはきちんと言って聞かせますのでどうか何卒。」
「いえ、特に問題はありません。頭を上げてください。」
「ありがとうございます。ではお話は中でいたしましょう。」
女に客室に案内され、お茶を飲みながら待っていると部屋の外から声が聞こえてくる。
「あれが領主の娘だったのかよ。」
「まったく、身だしなみを見ればわかるでしょうに。」
それからすぐに女が部屋に入ってきた。
「お待たせしました。それで本日はどのようなご用件でしょうか。いつもは別の方がおいでになりますが。」
「諸事情で私達が代わりに来ただけで、いつも通りこの紙に書かれたものを用意してください。」
紙を受け取った女は意外にも渋い顔をしている。
「誠に申し訳ないのですが、ここに書かれた茶葉は現在ご用意できないのです。」
「困ったわね。私はあれが大好きなのだけれど。」
イザベルがよく好んでいれてくれるお茶なので私も少し悲しい。
「この茶葉は神国に直接買いつけに行っているものでして、戦争が始まったせいで手に入らないのです。うちの旦那も神国から帰ってこれない有様で……。」
「そうですか。街の雰囲気はいつも通りだったので驚きました。」
「ノースカだけが特別なのです。ミア様が領主になられてから神国軍が攻めてきたことは一度もありません。私が子供の頃より治安もずいぶんとよくなりました。」
「ずっと平和が続けばよいのですけどね。」
そう言って私がお茶を飲むと、
「ロッティ、長話してる時間はないわ。早く帰って子供達の勉強の準備をしないと。」
「茶葉は別のものをご用意するということでよろしいですか。」
「ええ、それで構いません。」
商人の家からの帰り際に後ろを振り返ってみると青年が頭を下げて見送っていた。彼も悪気はなかったのだろう。まだ商人としての経験が浅く、魔人を見たことがなかったのかもしれない。帝国には魔人と人間が共生しているが、魔人の人口は1パーセント未満と言われていてその数は段々と減少しているらしい。
家に帰るとルーシーが待ち構えていた。
「おかえりなさい、お姉様。またイザベルとばかり遊んで……ずるいわ。たまには私とお茶しましょう?」
「ルーシー、私達は遊んでいたわけじゃないわ。子供達の世話をするのは私達の仕事だもの。ついでにロッティのお世話をするのも姉として私の仕事みたいなものね。」
「イザベル、あなたは私の姉ではないし、私の方が生まれはひと月早いでしょう。」
「あら、そうだったかしら。」
イザベルはすっとぼけている。
「もう、そんなことはどうでもいいの。せっかくお姉様の仕事も代わりに片づけてあげたんだから今日は私とお茶をすること。いい?」
「私の仕事……?」
何かやらなきゃいけないことがあったかなと思い返してみるがよくわからない。
「領主としての仕事よ。まさか全部従者に任せるつもりだったの?」
何もしなくてもいいと言われていたから全部任せる気でいたが、私が書類作業が苦手だと見抜かれていただけだったようだ。
「ありがとうルーシー。もし私に何かあったときはあなたが領主ね。」
「もう……自分勝手なんだから。」
「ところでルークはどこにいるの。姿が見えないようだけど。」
「ルークなら剣の修行だって言ってたわ。師匠ができたとかで最近昼はずっと外に出てるみたい。」
「ちょっと心配ね。」
「ルークならきっと大丈夫。それより心配なのはお姉様の方よ。お父様がいなくなってからずっと元気がないでしょう。」
「私は……。私は大丈夫。」
あの時私の体に起こった異変についてまだ誰にも相談できていない。話していいものなのか、話して解決することなのかも判断できていない。だが家族を一人失った今、余計な心配をかけたくはない。
その後は頑張ってルーシーのご機嫌を取りながら三人でお茶会をして過ごした。次の日からは私とイザベルの熱血教師編が始まったのだが、それはまた別のお話。




