旅立ちその1
そんな書類を読み終えると、ミストの黒い革手袋に覆われた左手甲に青色の光が輝き始める。そのため彼女は手袋を脱ぎ、何かと思い確認するとそこには楯とそれに収められた剣というデザインの紋章が現れていた。キリアは思わずその紋章に向かって爪を立てるが削れるのは自分の肌のみで光る紋章は一切消えなかった
「………これは……!!」
「……勇者紋。元々人類を脅かす存在、魔王が現れた時、その力に対抗できる可能性があるものを選定する大規模占術魔法、神託によって選ばれたものを表す魔法。キリア、お前が勇者候補の一員として選ばれたのだ。」
「……スゲェ、スゲェじゃねぇか、やったなぁミスト!!これでお前一山当てれば冤罪たぁいえ無罪放免だぞ!!」
キリアに与えられた勇者選抜の証明に対し我がことのように喜ぶグランゼフであったが、キリアの表情は厳しいままであった。もとより1年前の一件でキリアは王国の構造自体に不信感を持っている。たとえ完全に無罪放免になれるチャンスがあったとしても国の上層部たちの操り人形にはなりたくない、というのが本音である。それなら今ここでこの男に切り殺された方がまだマシである。
もっともそれはヴォルフも考えていたのか、さらに付け加える。
「………もしこの招集に乗ってくれるのであれば、
騎士団がお前のアトリエから押収した魔導具、その全てを私の許可付きとはいえ返却してもいい、と考えている。」
「………!!まだ破棄されてなかったのか……!!」
「さすがの騎士団でもお前が作ったあれらが魔的価値の高いものだとは理解できたらしいな。厳重に封印されているがすべて無事だ」
ヴォルフの言葉にキリアは表情こそ変えなかったものの握りこぶしはうれしさを我慢するためかフルフルと震えていた。ヴォルフはそれを見て思わず笑みを浮かべそうになるが、そんなことをしてしまえばキリアは再び機嫌を悪くし、たとえどれだけ自分が不利になったとしても首を縦に振らないだろう。なのであえてここからは厳しく接する。
「……さてキリア。我々がお前に出せる優位条件はこれで全てだ。お前はどうする?これでもなお粘るようであれば、……流石にこちらも強硬策を取らざる得ないぞ」
「………分かったよ。罪の放免や国の未来はどうでもいいが、あれらを取り戻せるなら十分メリットになる。アンタの思うよう踊ってやるさ。……ただ身辺の整理がしたい。王都出発は明朝でいい?」
「分かった、そのぐらいは譲歩しよう。サファイヤ行くぞ」
「はい、提督!」
サファイヤに声をかけて立ち上がるとともに彼女もこの空間にかけていた結界を解除し二人そろって執務室から出て行くため背を向けドアへと歩く。ドアノブへと手を掛けたヴォルフは最後の挨拶を行う。
「そうれじゃあな。一応言っておくが、逃げるなよキ……」
「ミスト。………さっきから散々言おうとしていたが……よりにもよってお前が作った軍なんかを信じた、キリア・カラレスなんて愚かな女は1年前のあの日死んだ。
私は、グランゼフ冒険者ギルドの所属の魔術師、ミスト・クリアランスだ。二度と間違えるな、ヴォルフ・カラレス……!!」
キリア、否ミストのはっきりとした拒絶に対し、ヴォルフは何も言わず振り向かずドアを開け、心配した様子のサファイヤと共に出て行った。この時、執務室に張り付いていたと思われるベテラン冒険者たちの驚きの声や悲鳴が聞こえるが、緊張から解放されたミストはゆっくりと息を吐き、脱力する。とその時だった。
感極まった表情のグランゼフが彼女に抱き着いたのだった。
「?!!ギ、ギルマス?!何してんのアンタ?!!」
「ミストォォォォォォ!!俺は、感動したぞぉ!!このギルドのことをそんなに思っててくれたなんてぇぇぇ!!!」
「や、やめろぉ!!絶妙にざらついてる肌で頬ずりするなぁ!!!いや、振りじゃないから、ほんとやめてぇ!!!」
拒絶のあまり普段は出さないような高めの声を出すミストであったが感動しきっていたグランゼフはこの程度では止まることはなかった。結局ミストが解放されたのは話を聞くために入ってきたライシャとベテラン達によるフルボッコを受けグランゼフが落ち着いた後であった。
*
ヴォルフ達の話からおおよそ3時間後。ようやく日が上り始めた明朝の、冒険者用の格安居住区の一室。ミストは王都へと出発する準備を行っていた。と言っても彼女はほとんど仕事道具以外はほとんど私物を持っていないため整理自体はすぐに終わり、現在は紙に何かを一心不乱に書いていた。
それは冒険者たちへの別れの手紙、というわけではなく今まで冒険者たちに提供していた魔導具の製造法や整備法が書かれた仕様書であった。彼らに渡している魔導具は整備し続ければ長使いでき、壊れてもこのあたりの魔的物質や掃いて捨てるほど現れる魔物を材料に作られる。これらがあれば自分がいなくともこの冒険者ギルドから魔導具は、魔術はなくならない。
「よしこれで完了。後はこれを鍛冶屋に渡して………っとそろそろ時間だな」
ミストは仕様書を封筒に入れたすき掛けカバン一つにまとまった自分の荷物と修理が完了したケース型魔導具を右手に持ち、部屋から出て行こうとするがその時一瞬だけ彼女の足が止まる。ここは所詮、ただ寝て作業するだけの場所であったはずだった。しかもいた年数は精々1年弱、思い出など大してあるはずもなかった。でも、
《はい!!ここがミストさんの新しいお部屋ですよ、自由に使ってくださいね》
《ミスト。お前ドラゴンを倒したことがあるんだよな?どんなことを気を付けたらいいのか教えてくれないか?》
《ねぇねぇ、たまには女同士ゆっくり飲まない?》
《聞いてくれよぉ~!!ライシャが俺のこと笑顔でセクハラジジイなんて言うんだぜ~!!………え、そうだね。アンタはセクハラジジイじゃなくてセクハラアル中バットスメルジジイだもんね……?……なんでそんなこと言うの……?》
「大した思い出なんかない……って思ってたんだけどね。………さようなら」
口元にわずかな笑みを作り、自分にだけ聞こえる程度の声量で言い残したミストは改めて足を進め、自分の心を少しでも癒してくれた部屋から出て行くこととしたのだった。