8 キャンベル家居間
バタン
手荒にドアが開けられる。
公爵夫妻は動じず笑みを浮かべたまま、老執事を残して使用人を退室させた。
彼らの優秀な息子はいつになく真剣な表情をしていた。
彼らは可愛い義娘に起こった不祥事を一刻も早く解決する必要があった。
昨夜のうちにオーレリアの身に何が起こったかはレオナルドが夫妻に伝えておいた。
夫妻がときたま義娘に聞く婚約者の様子は常に良好だった。
エスコートしてくれるし、パーティーの前はドレスを送ってくれると。
公務が忙しく最近はじっくり話せていないが、それも自分が学園を卒業するまでだと。
卒業を半年後に控えたこの時期のパーティーで、なんの予兆もなく起こった婚約破棄を夫妻は信じられなかった。
「姉さまは、死なれるおつもりでした。」
席に着いたレオナルドはさっそく切り出した。
夫妻は言葉の意味がわからなかった。
長い時間が過ぎたように感じられた。
どうにか次の言葉を継ごうとするのが、ひどく難しかった。
「どうして?、、、婚約破棄が原因で?」
夫人が震え声で話した。
オーレリアの母は13年前に死んだ。美しい人だった。
夫人、アイビーは姉が死んだ絶望を思い出して身がすくんだ。
「姉さまは、この家にすべてをささげる覚悟だと話しました。」
「不名誉が家門を傷つけると思ったのか?」
「というよりも、自死するで集められる同情が、家門にとって有利だと」
「なんてことを!」
悲鳴をあげたのは夫人だった。
空恐ろしいことだった。
なぜ?家門を守ることの名誉を使命を、そんな凝り方まった思想を、あの子に教えただろうか?
「そんなこと、願っていないわ!私たちはずっと、あの子自身の幸せを優先させようと、、、。」
貴族らしい価値観を愛する子供たちに刷り込ませるつもりはなかった。
保身を優先させた言動は、今後の社会ではよい未来をもたらさない。
「どうしてそんな考えになるんだ?」
青ざめた妻の背中をなぞりながら、公爵は平静に尋ねた。
第一王子の婚約者になりたいと言ったあの日、彼女はどんな顔をしていただろうか?
公爵は必死に思い出を探ったが、思い出せなかった。
安心しきっていた。
楽しそうに日常を語る義娘の姿に。
婚約破棄のその瞬間、彼女はどんな顔をしていたのだろうか?
急激に現実味を帯びたその出来事に、公爵は身震いした。王太子の独断であると陛下が公言したことで、あれはなにかの間違いなのだと、その考えが深まった。
単なる婚約者とのすれ違いが大きな問題になってしまったのだと。
あくまで政略結婚なのだ。彼らの多少の相性の悪さは無視しても仕方ないだろう。
愛さなくても支えあえる夫婦になればいいのだから。
まさか、
公爵は思い至る。
婚約破棄は当然の帰着?
婚約はうまく進んでいなかったのか?
「わかりません。わかりませんが…姉上は限界だった。姉上は第一王子にひどい扱いを受けていました。家門的にも自死するメリットがあるなら、それを選んでしまう方です。」
夫妻を責め立てたいわけではなかった。自分に責任があることも知っていた。
彼女の周りにいたすべての人が、彼女の見せかけの言葉に安心していたのかもしれなかった。
実際、先ほど言葉を交わした彼女は一切傷ついているように見えなかった。
気丈に、姉らしい言葉をつづけ、素顔を見せようとしなかった。
いままでもそうして重圧を耐えていることを知られまいとしてきたのかもしれなかった。
レオナルドは思わずうつむいて、白くなった手をさらに力強く握りしめた。
夫妻はこれからどうしたらいいのかわからずに黙っていた。
暗闇の中にいるようだった。
少し道を間違えれば、落ちるのは自分たちでなく、オーレリアになるかもしれなかった。
再び長い沈黙が流れた。
「レオナルド。オーレリアを…」
口を開いたのは公爵だった。
続く言葉を選んでいるようだった。敏い息子はそれで何を言おうとしているのかおおよそ察した。
婚約破棄の件を撤回しようとしている王家への返事次第で、キャンベル家の権威は変わる。
婚約破棄の撤回を受け入れ、オーレリアを再び第一王子妃として持ち上げることにキャンベル家にとってのデメリットはない。
しかし、オーレリア自身にとってはまた別だ。
彼女にとってこの婚約は苦痛だ。
「婚約の結びなおしはしない。婚約は破棄ではなく白紙という状態にしてもらう。」
公爵が告げた。
「父上。」
レオナルドが声をあげ、公爵と目をあわせた。
「姉上は休養する必要があります。」
公爵はうなずいた。今後オーレリアがどうしたいのかを彼女自身が決めるには、オーレリアの意識を変える必要があった。
「私とオーレリアで王都を離れ、キャンベルの領地で残りの長期休暇を過ごしたいです。」
公爵はしばし悩んだ。
レオナルドがなんのために努力を重ねたか知っていた。
実子は一人しかいないのに、近衛もしくは王太子の側近、魔術師として王宮勤めしようとして聞かなかった時期もあった。
その甲斐あってか学園だともてはやされているらしいが親の目から見たらまだまだ青い子供だ。
息子にオーレリアを任せられるだろうか?
「貴方。」
愛しい妻が自分の手に彼女のものを重ねた。
「ここ数年は距離があったかもしれないけれど、婚約する前二人の仲は良好だったわ。
余計なしがらみがなくなったんだもの、きっと前のように話せるわ。それに…」
自分には言わなかったことも、レオナルドには話した。
そんな少しの自嘲は呑み込んで、夫人は真剣に夫の瞳を見つめ上げた。
夫人にとってオーレリアは生後3か月から育てた子供だ。慕っていた姉の孤児であることもあり、本当に大切に育ててきた。
オーレリアが死んでしまう未来なんて想像したくもなかった。
夫人はそのとき、姉アイリスにオーレリアを重ねていたことを気が付いた。
誰からも愛される姉だった。
「そうだな。」
公爵は頷いた。
その言葉で夫人の思考は断ち切られる。
レオナルドは公爵を見つめ、同じようにうなずいた。
「幸いこれから学園は長期休暇だったな。
お前たち二人だけといわず、私たちもキャンベルの領地で療養してもいいかもしれないな。」
「しかし政務が」
「まあそれはどうとでもなる。
それよりレオナルド。
レオナルドは再度席を立った。
昨夜調べたうちは、仲が良好であるような証言は聞かなかった。
しかしまずはオーレリアから本心を聞き出さなくてはならなかった。