6.オーレリア自室
自室に戻されたオーレリアは一人、写真立てを持ち上げた。
そこにはキャンベル公爵家の面々。当然、オーレリアもいた。
養女だと聞かされてから、オーレリアが覚悟していたのは決して迷惑をかけないこと。
キャンベル公爵家に利益をもたらすこと。
それはつまり、自分の存在価値を証明する必要があったからだ。
オーレリアが養女になったのは、女公爵となるためだった。
キャンベル夫妻は結婚して6年、子供が生まれなかった。二人が固い絆で結ばれていたことは事実だったが、跡継ぎについて対処を求められた。
名門となるキャンベル家を継ぐものは、幼少から厳しい教育をなされる。
養子をとるならばなるべく若くて、キャンベルの血が入った親戚―
そこで夫妻が目を付けたのが、キャンベル夫人の妹が嫁入りしたエッツォ子爵家だった。
エッツォ子爵家はキャンベル家を本家とする親王権派のうちでも、穏健派で有名だったし、ちょうどキャンベル夫人の妹が嫁入りしたので血のつながりもあった。
当時エッツォ子爵家には3人の子供がおり、次女のオーレリアは生まれたばかりだったことも、全てがいい条件だった。
エッツォ夫人、アイリスは定期的にオーレリアと面会することを条件に養子縁組を受け入れた。
その一年後に生まれたのがレオナルドである。
レオナルドは莫大な魔力を持って生まれた。キャンベル特有の魔力特性にも恵まれた。
早くに成熟し、武芸に優れた。
オーレリアは焦った。
自分が、両親のもつ魔力適性を受け継がなかった違和感が、幼いながらに、自分が何か異なると察していた。家から追い出されないために成果をあげる必要があった。
家を継ぐ未来が潰えたオーレリアが存在価値を証明する手段は、名家に嫁ぎ、キャンベルとつなぐことだった。血は受け継いでいないが、幼児の時に引き取られた自分を養女として知る人も多くなかったし、夫人の姪であることは確かだったからだ。
幸いにも王子とは同年代だった。
同学年に第二王子はいたが、二歳上だが嫡男である第一王子の妃になれたら、王妃の道が開ける。
キャンベル家から久しぶりに王妃が出ることとなる。
魅力的だった。
オーレリアは血のにじむ努力をした。
義弟に魔術でかなわないことはわかっていたから、まだ頭角を現していない分野での成績を重視した。
王妃に求められる外交をアピールするために、言語には特に時間を費やした。
礼儀や外見は、小さいころからの教育で自然に身についていた。
母によく似たこの顔は、特別美人ではなくとも顔を背けられる醜女ではないはずだった。
周辺国の歴史や産業、この国との関係を頭にたたきこみ、娯楽を排除し、ひたすら己を高める日々だった。
その甲斐あってか、第一王子の妃候補の中でもオーレリアは優秀で、早くに婚約者になった。
ヘヴンも優秀で評判も高く、オーレリアの地位も確立した、そんな風に思われた。
オーレリアは不安だった。
ヘヴンがほかの何に興味をもってもどうでもよかった。
男爵家の令嬢に熱をあげようが、外交にとことん興味がなかろうが、オーレリアの目的はキャンベル家の繁栄だったから、自分の立場さえあればよかった。
しかし、ヘヴンの当たりは年々強くなっていた。
オーレリアは政略結婚に胡坐をかいていたのかもしれない、と思う。
自分の罪が情勢によって帳消しにされるわけでもないのに。
「お前、俺は知ってるぞ。8つのとき、お前が叔父上に何をしたのかを。」
ある日、ヘヴンはオーレリアに言った。
頭の中が真っ白になった。
ヘヴンの叔父上とはたった一人、ギュロスター公爵家のノヴァ様だ。
あのとき起こった事件を、彼は一切騒ぎ立てることなくオーレリアを許してくれた。
幼い子供のしたことを騒ぐほど甲斐性がないとは思わないでほしいと、片目をつぶって言われた。もしも公になっていたらオーレリアは第一王子の婚約者にはなれなかったに違いない。
それを、なぜこの人が知っているのか。
「フンッ、汚れた女め。」
ヘヴンに言われた。
自分がこの人と共に歩む未来が見えなかった。
学園でオーレリアの立場を心配して声をかけてくれるひとは大勢いた。
しかし、それが嘲笑の意味であるとオーレリアは知っていたから、決して弱音を吐かないように、第一王子の婚約者として誇り高い姿であろうとむしろ虚勢を張った。
学園のパーティーの1週間ほど前、ヘヴンの側近がオーレリアに手紙を送ってきた。
オーレリアの幸せを願うことに終始していたその文は、ヘヴンが婚約破棄をするかもしれないということが綴られていた。
オーレリアは諦めて、自分の命を諦めて計画を立てた。
自分を被害者に仕立て上げる計画を。
覚悟をしていたつもりだった。
どうせ結婚したとしても、王宮では孤独なのは目に見えていた。ヘヴンはオーレリアに近寄ろうとしないだろう。別に構わないが、嫡男だけは産んでおく。そこまでがオーレリアの役目だ。
だから今孤独でも、何の問題もなかった。
いつも通り静かにほほ笑んで、必死に虚勢を張っていれば時間は過ぎるはずだった。
婚約破棄が告げられた。
きらびやかな王宮に集う学園の生徒。
優秀な第一王子とお高くとまった偽物の公爵令嬢のゴシップ。
自分が悪役だと、オーレリアはずっと前から自覚している。
なぜか、キャンベル家の広い屋敷を思い出した。義弟と遊んだ川と、魔術で作った土人形を思い出した。
可愛い銀髪を濡らして笑う幼いレオナルドを拭いているのは私。
もう二度と戻ることのない日々。
大切なのに、薄れてしまった記憶。
ざわめきが聞こえなくなる。
目の前に立つ男性が誰なのか認識できなくなった。
足が震え、視界がぼやける。
シャンデリアの明るさが、男性の大声が、不快。気持ち悪い。
オーレリアは会場を抜け出した。
鼻で笑う声が背後から聞こえて、ぎゅっと目をつむった。
オーレリアは確かに死ぬはずだった。
ただ、感情も伴ってしまっただけだった。
婚約破棄された直後に令嬢が死ねば、事実はどうだったとしても同情が集まるし、キャンベル家も喪に服しながらある程度は動きやすくなるはずだ。
もし万が一うまく運べば、オーレリアが孤独な王妃となったときよりも家が発展しやすくなるかもしれない。優秀なレオナルドなら、きっとオーレリアの意図を受け取って、活用してくれるだろう。
そうして死ぬ直前、オーレリアが考えていたのはもう何年も言葉を交わしていない義弟のことを考えた。
努力を欠かさない姿勢に張り合いつつも、いつも勇気をもらっていたと伝えていなかった。
姉らしくしようと負けまいと、いつも厳しい言葉を使っていたが、本当は実の弟のように愛していたと、そう伝えておけばよかった。
孤独なオーレリアにとって、彼と過ごした日々が心のよりどころだったことを感謝した。
だから、情けない姿だけは彼に見せたくなかった。
呆れられなくなかった。
強い義姉として生涯を終わらせてほしかった。