4.オーレリア自室、キャンベル家居間
「なにを言うの」
何秒か分からない。
数十秒だった気がするし、瞬く間だった気もする。
オーレリアとレオナルドが見つめあう時間がしばし続いて、はっとしたオーレリアは信じられないといった目つきというでレオナルドを見つめ返した。
オーレリアを慰めるためにしては、あまりに物騒な言葉だ。
「俺は本気です。」
レオナルドは怫然と返した。冗談だと思われたくはない。
オーレリアの幸せは、もはや王宮の暮らしにはない。
それはこれからゆっくりと見つけていかなければいけない。邪魔するものがいるならば取り除かなければならない。
自分がどうにかしてあげるから、オーレリアはなんら心配することはないと、そう訴えているつもりだった。
オーレリアはレオナルドの瞳を探った。
幼いころ、二人はよく一緒に遊んでいた。レオナルドは純粋に、そしてかわいらしくオーレリアを慕ってくれた。外では決して口にできない言葉ではあるが、慰めようとしての言葉だろう。
オーレリアは首を振る。
「できもしないことを話すのはやめて。
私は支度をします。お父様に指示を仰がなくては。」
昨日バルコニーから落ちようとしたところを見られている。
公爵に従う意思があると示しておきたかった。
オーレリアはレオナルドを一蹴すると退室を求める。
真剣に受け取ってもらえなかったことに小さな絶望を覚えるレオナルドだが、彼自身義姉が現状に絶望しているのではないかと心配し、起きたという知らせを受けて押しかけてきた自覚はあったので、あきらめて退室の礼をとる。
「でも、レオナルド」
レオナルドが部屋を出ようとしたとき、聞こえるか聞こえないか程度の大きさでオーレリアはまるで独り言のようにつぶやいた。
「ありがとう。うれしかったわ。」
レオナルドは一瞬だけ歩みを止めると、踵を返そうとするのをなんとかこらえて退室した。
己の運命を覚悟する、かわいそうな義姉にそうではないと語りかけたかった。
オーレリアが積み上げてきた多大な努力と犠牲を、レオナルドは知っていた。
ソファに腰かけたキャンベル公爵と公爵夫人がオーレリアに向かって声をかけた。
二人は婚約破棄などなかったかのように穏やかな表情でいる。
オーレリアもいつも通り優雅にふるまいながら、それが自分を安心させるためであることを知っていた。
やはりこの人たちに自分は断罪できないと、その態度からオーレリアは察した。
「オーレリア、お前はどうしたい?」
義父であるキャンベル公爵、ハリーが極めて優し気にオーレリアに問いかけた。
優しい方。
オーレリアは静かにほほ笑む。
自分の後始末を、自分でする気概くらいは残っていると見せかける。生きる気力があるとアピールする。
「はい、養子縁組を破棄し、生まれのエッツォ侯爵家の領地でつつましやかな生涯を送りたいです。」
オーレリアは深々と頭を下げた。
謝罪は求められていない。したところでどうにもならないからだ。
だが、オーレリアはせめてもの気持ちを所作で表す。
王都のはずれに点在する修道院と違って、エッツォの領地に行くにはかなりの日数がかかる。距離があればあるほど、チャンスもあるはずだ。
自死するチャンスが。
エッツォに向かうのだから、もしかすると数人エッツォから人員が送られてくるかもしれない。騎士かメイドか、なんでもいいが、私の死が責任問題になった時両家の人員がそこにいれば複雑になるし、複雑な問題はもみ消してうやむやにしてしまうのが貴族の常だった。
自分の死がそうなればいいとオーレリアは願っている。
「そうか。」
キャンベル公爵が鷹揚にうなずいた。
「さて、オーレリアの意向は理解したが、レオナルド、お前はどう思う?」
「修道院を選ばなかった理由が気になります。」
レオナルドはじろりとオーレリアを見た。
オーレリアは少しどきりとすると同時になんだか不可解で、頭をあげて斜め方向に座るレオナルドを見上げた。レオナルドと視線が交錯する。
「レオナルド、お前はどうするべきだと思う?」
キャンベル侯爵が少し面白そうな口調で再び尋ねた。
どうしてレオナルドに尋ねるのか、いったい何を尋ねているのかわからない。オーレリアの不思議な表情を彼はじっくりと観察した後、静かに口を開いた。
「この件、つまり不当な婚約破棄について、正式に王家に抗議するべきです。」
その時の、オーレリアの驚いた顔、夫妻の面白そうに眼を丸くした顔。
キャンベル家に長く使えている老執事はもっていた盆を落としかけた。
なぜならレオナルドは品行方正、規律を守り、規律に正しく、体面を重視し、キャンベル家の名誉を守る清く正しい公爵令息だからである。
貴族なら家名を第一に考えるべきだからである。
「な、なにを言っているの。そんなこと、メリットはあるの?
王家と対立してしまうかもしれないわ。」
震える声で、かろうじてオーレリアはレオナルドをとがめる。
この義弟、どうにも今朝から様子がおかしい。自分は都合のいい夢を見ているのだろうか、オーレリアは頬をつねりたい気持ちを我慢した。
レオナルドはそんな義姉を一瞥して、夫妻に向かって切り出した。
「そもそもこの婚約破棄、王太子の独断の可能性が高いです。」
夫妻はゆっくりと瞬く。
王権に対抗するモウブレー公爵家の勢力が強まる中、どうしてキャンベル家との仲を引き裂くような動きをする必要があるのか、納得がいっていなかった。
「待ってください、王太子は優秀な王子です。王家の意向を無視した行動をとるとは到底考えられません。しなければいけない理由があったのですわ。」
オーレリアは必死にそれを否定する。事実、ヘヴンは成績も功績も優秀だった。
人当たりもよかった。評判は上々だった。
その中で、唯一といっていいほど、オーレリアには冷たかった。
何が原因かは、知っていた。
だからこそ彼女は、ヘヴンが自分を愛さなくても、妃として頼りなるような女性になるために努力した。
結局婚約破棄は避けられなかったが。
「そこが不思議なんです。」
レオナルドがオーレリアに向き直って言った。
「どうして婚約破棄を?お二人の仲は良好だったのでは?」
オーレリアは体を固めた。
そういう疑問が浮かぶのは当然だった。思考できなくなっている。
視線が集まって、唇が震えた。まともに義弟の顔を見られない。
レオナルドは顔面を蒼白にする義姉に気が付いて、すぐに話し出す。
実のところ、理由については思い当たる件があった。
昨夜オーレリアを部屋に送り届けた後、侍従たちに情報収集をさせた。学園は婚約破棄で騒がしくなっていたから情報を集めるのは比較的容易だった。
「私の調べでは、王太子には別に愛する女性がいます。彼はその女性を妃に迎え入れるつもりです。
それが正しければ、もうすぐ、王家からの謝罪と婚約破棄の破棄を求める、、、」
話している途中、従者に耳打ちされた老執事が公爵にそっとなにかを告げる。
レオナルドはそれみたことかと顎を少しあげ、何がなんだかわからないオーレリアは義弟と義父を交互に見やる。
公爵は頷き、オーレリアに向かって優しく微笑んだ。
「王家からの使者がいらっしゃったようだ。」