鬼姫と忍者 (シノブ55)
勝手知ったる城内を全力で駆けていくシノブ。無心のままのその速さに涙もアカイも後方へと吹き飛んで消えていった。
そして王子の部屋の前に到達するとシノブは有り得ないものを見た。扉の前に立つマチョと対峙する大臣とその夫人。
「自分がしていることが分かっているのか! 部屋に入れさせろ!」
大臣が叫ぶとマチョは血塗れの手を前に出し、静かに言った。
「お父様……どうかお願いです。どうかおやめになってください」
「なんを言っているんだお前は! どうして今更そんなことを! もう計画は完遂寸前なのだぞ。瀕死の王子に完全なる眠りをこの手で成し遂げるのだ!」
「お父様……妾はあの御方を……王子を愛しております」
「マチョ! 父親の前ではその演技の必要はない!」
「いいえ、演技でもなく嘘でもなく、真実なのです。妾は心からこの御方をお慕い申しております」
「そんな……マチョよ、しかしいまとなってそんなことを言われてはこちらはもう……なら話合おう、な?」
「いけません」
跪くマチョの懇願によって狼狽える大臣の後ろに沈黙を守り続けていた夫人が前に出る。見上げるマチョ、見下げる夫人、空気が一気に重くなった。
「いけませんよマチョ、情にほだされては。あの男は我らが一族の宿敵であり打倒しなければならない存在。あなたの思いつきな愛など長きに渡る一族の哀しみに比べものになりません。どきなさい、あなたができないのなら私が手を下すまでです」
「なりません!」
マチョは立ち上がり母を見つめ睨む、互いに睨みあい一歩も引かない。重苦しい空間は歪みだし熱さえ帯びて来る。
「覚悟はできているということですね」
「なければあなたの前に立ちふさがりません」
「そう……」
夫人は間合いを取るためか一歩下がるとその隙間に大臣が割り込んだ。
「よっよすんだお前たち! 母娘だろ? 話合おうじゃないか。ほらマチョだって今はこう言っているが、もしかしたらがあるだろ。こんなときに内輪揉めはやめようじゃないか。ほらボウギャックだって言いたいことがあるだろ? 二人に言うんだ」
「……ボウギャック、どうぞ」
夫人の後ろに立っていたその男が振った拳を誰も見ることができなかった。聞こえたのは風を切った音、それから衝撃音から壁にめり込んだ衝撃音、それだけ。悲鳴も呻き声もなくある意味でとても静かなものであった。
「お父様!」
マチョの悲鳴が遅れて発せられたが大臣は壁にめり込み無反応のまま動かない。
「所詮は頭の良さを買われただけの婿。封印が解けだしたというのに、なおもその土壇場での弱さでは次の世界では必要ありませんわね」
「お父様! お父様! ぐっ! お母様にお兄様! なんということを!」
「その呼び方はやめなさい廃妃殿。いまので親子の縁は切ったのがわかりません? まっそもそも封印が解かれ出したのならばあなたはもう用済みです。協力するのならばこの先の世界でもちゃんと立場を与えるつもりでしたが、敵となるのならもう結構。私には息子だけがいるだけでもう十分です。これからの世界の王となる息子がいるだけでね」
するとマチョは驚いた。兄の姿が見る見る間に変わっていく。元から大きかった兄の身体が強くたくましくそして異形なるものの形と成り代わっていく。
「お兄様!!」
マチョは悲鳴にも似た呼びかけを行った。それはまるで別れの挨拶のようであり、返事がないと分かっていながらも出てしまうものにも似ていた。
「もう兄ではありませんよ廃妃」
応えぬ兄に代わって傍らに立つ変わらぬ母が応えた。
「新たなる王です。今は戦闘モードに入ったのでそういった呼びかけには応えませんが、戦いが終われば元に戻ります。まっあなたと王子の死を以てですからあなたにはもう無関係なことですがね」
「お兄様! まさかそのようなお姿に」
夫人は微笑みながら息子であったものの腕を撫でる。
「私の血を濃く受け継ぐあなた様なら真っ先に影響が出ると思っていましたよ。廃妃さんにはあの弱虫男のつまらない血を濃く受け継いでいるのがよく分かるわね。あまり影響が出ていないのがなによりの証拠で」
「許せません!」
「許さないのならどうするおつもりで? 一人で戦うというのなら容赦はしません。もとよりするつもりもありませんけれどね」
母であったものが嘲笑じみた歪んだ笑みを娘であったものに向けると同時に指し示した。
「王よ、前代である過去の遺物となる王妃と王子とおります。即刻の排除を致しましょう」
「分かった」
躊躇なく答えると同時に風が鳴るも、遮るような爆発音が城内に響いた。
「なっこれはいったい! 王よ!」
夫人の金切り声が煙が充満する空間で発せられるも誰も答えはしない。やがて煙は流れ無傷のまま立っているボウギャックが現れ、対峙するマチョの隣に一人の忍者の姿が、シノブがそこにいた。
「チィッ! ありったけの火薬を詰め込んで爆ぜてやったのにまるで効果がないなんて、あれってあなたが使っていた豪体術ってやつ?」
シノブの出現にマチョは驚くもすぐにそれを受け入れた。なんだか知らないが、昔からそうであったように。
「はい、封印が解けた兄様は常時豪体術を使っているようなものとなりました。それは攻撃を受ける同時に発動するタイプのもので動きにも支障はありません」
「それは勝てる気がしないわね」
「一人では、という意味ですわよね」
「それはもちろん。つまりこうよ、あなたが盾となって攻撃を捌きながら」
「その通りですわ。つまりこうです、私が前に出ますので一撃の隙を窺ってください」
「あなたならできるでしょ」
「あなたならできるはずです」
言葉が重なり共鳴し一つとなってその場で意思が発動する。
「これは王子を護る戦い。要するに私の戦いとなる、マチョ、協力をお願いね」
「いいえ妾の戦いですわよ。手を貸しなさいシノブ」
決定的に重ならない不協和音を鳴らしながら最後の戦いが始まる。