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識別No.0631_2  作者: 良木眞一郎
8/19

08

 リグが目をさますと、ほぼ正午だった。薄目を開けたままぼんやり周囲を見回すと、向かいのベッドで大の字になったガスが気持ちよさそうに寝ている。ガスの腕と足の下敷きになったユウは苦しげに眉を歪ませながら、それでも寝続けていた。

 リグはゆっくりと上半身を起こす。頭に霞がかかったように物事がはっきりしない。体中に眠気の甘い毒が重く回っていた。

 リグの気配に気づいたのか、隣のテオが仰向けになってリグを見た。

「隊長……?」

 それから天井を見て、自分のベッドにいるのではないことに気づく。

「すみません、隊長。僕……」

「いいよ。寝ていろ。食事をもらってくる」

 リグはそっとベッドを抜け出し、食堂へ向かった。小隊の部屋で食べたい旨を伝えると、食堂の担当者は了承してくれた。食事の載ったプレートをラップで包み、朝の分もまとめて重ねてくれる。ついでにチョコレートキューブをおまけしてくれた。

 礼を言ってから、リグは尋ねる。

「でも、いいんですか。もらっちゃって」

「いいさ。昨日、結構死んだからね。余ってるんだ」

 彼は何でもないことのように言った。リグはとっさに言葉を返せず、そう、とつぶやいてその場を去った。

 小隊の部屋に戻ると、ユウがだるそうに椅子に腰掛けていた。流石にガスの下敷きでは安眠できなかったのだろう。テオも目を開けていたが起き上がる気配はない。

「やあ、リグ」

「食事をもらってきた。朝昼二食分におまけもついてる」

 食事と聞いて、ユウは喜んでプレートを受け取った。テオも起き出してくる。ガスは動かない。

「ガス、飯だぞ」

 ベッドを小突くと、ようやくガスは目を覚ました。のっそり起き上がり、ボサボサの髪を掻きながら大あくびすると、リグにもあくびが移った。

 その後、無言で食事をすませる。眠気や疲労で食べきれないかと思いきや、全員きれいに食べ尽くしてしまった。意地汚いというより、健康な証拠だろう。

 チョコレートキューブをかじりながら、テオがぼそりと呟く。

「どうしよう……」

 それは明らかに敵戦闘機への対処を指していた。

「だな。なにからやる、隊長」

「まずは戦闘詳報からだよ……リグ、通知読んだ?」

「さっさと戦闘詳報出せって通知なら寝る前に読んだ。そんな余裕はなかったから、生データを送り返してしまったけど」

「実は僕もそうなんだ。二十四時間以内に起きれる自信がなかった。でも、少なくとも僕と君は戦闘詳報から手を付けよう。そういう要請が来ているんだから」

 うーん、とリグが唸っていると、テオがまた呟いた。頭が働いていなくて、思ったことをそのまま口にしているようだ。

「どうして昼まで寝ていたんでしょう」

「そういや、そうだな。いつもならクソみたいな覚醒信号が叩き起こしてくるのに」

 そうは言ったが、ガスはたいした問題ではないと捉えているようだった。とにかく昼まで寝れたから、儲けものというわけだ。

 三人がリグの指示を待っている。リグは天井を見たり首を傾げたりして考えをめぐらした。あの戦闘機にどうやって対抗するか。いや、それより先に被害状況はどうなのだろう。他の隊の戦闘詳報が読みたい。待て待て、明らかにみんな疲れている。そちらの対処が先だ。おっと、戦闘詳報よりもか? え、戦闘詳報を作るの? ただでさえ苦手なのに、この状態で? 一から書き直したほうが早いくらいユウから指摘を受けるに決まってる。指摘を受けるのは毎度のことだが、いまやるのは明らかに非効率だ。

 リグは数を数えるように指を折っていた。ユウたちはそれを見ている。やることを数え上げていると思ったのだが、残念ながらリグはなんとなく手を動かしたかっただけである。

 よし、とリグは本日の方針を固める。やることは山ほどあるが、今日できることはたった一つだ。

「全員、よく聞け。これは命令だ」

 三人はうなずく。真剣にしているつもりなのだろうが、どこか弛緩した雰囲気が消えない。それでリグは自分の判断に自信を持った。

「本日、631は休暇とする。すべての作業は明日以降に行う。各自、最大限の努力を払って休め。以上」

 その言葉の意味をゆっくりと理解したユウの顔つきが変わる。どこかぼんやりしたそれから真顔へと。眠気は吹っ飛んだらしい。

「すまない、リグ。聞き取れなかったみたいだ。もう一度言ってくれ」

「今日は休みだ。何もかも明日やる。今日は粉骨砕身して休め」

「……そういう命令がきたの? GMSや戦略部から? 医療班?」

「そんな命令は来ていない。どこからも」

「じゃあ、リグの自主的な判断?」

「ああ」

「ようするに、勝手に休むってこと?」

「そうだ」

「あのねえ」

 ガッツポーズしかけたガスは、ユウの声色を聞いておとなしくなる。

「兵士に休みなんて制度はないよ。奴らが攻めてきたらどうするの。だいたい、ただでさえ人手が足りないのに休みなんか欲しがりだしたら……」

「まあ聞いてくれ、ユウ」

 強い口調だったユウは一応口を閉じる。不満げだが。

「いま、君の体調はどうだ? 頭は回ってるか? 俺は自慢じゃないが、物事の優先順位もつけられないくらい参ってる。飯を食ったせいか眠くてたまらない。ほら、ガスとテオもあくびを噛み殺してる。こんな状態でなにができるっていうんだ」

「それはそうだけど、戦闘詳報は必要だよ。昨日の戦闘でまともに……まともでもなかったけど、とにかく交戦し続けたのは僕たちくらいだ。それも、君がまっさきに指示を出したおかげだ。君の見解が欲しいのはGMSや戦略部だけじゃない。他の兵士も、都市の市民もみんなが一刻も早く必要としているんだ。君はその重要性を理解していないのかい」

「ああ。問題はそこなんだ、ユウ。俺は眠いから休むと宣言したわけじゃない。好き勝手して生き残れるほど甘い相手じゃないのは嫌ってほどわかってる。考えてみてくれ。俺たちの体は疲れ切ってる。脳も体の一部だ。こんなに疲れていて、まともな判断ができるはずがない。今日無理やり戦闘詳報を作ったり、敵戦闘機への対処を考えたりするとしよう。うまくいったと大盛り上がりして、次の日見てみたら愚にもつかない出来だったと気づく。そんなハメにきっとなる。そして疲れの抜けきらない身体で一からやり直すんだ。一体誰が幸せになる? フェムトだけだ。照準の狂った銃では的に当たらないように、俺たちには調整が必要なんだ」

「でも、GMSと戦略部の要請はどう躱すのさ。彼らは急げと言ってる」

「おそらくだが、あいつらは俺たちの休暇を黙認するよ。一日だけだろうけどな」

「なんでそうわかるの?」

「根拠は二つだ。一つは、戦闘詳報の要求に対して生データを送りつけたのに、突き返してこないこと。いつもなら『お前の頭は大丈夫か?』とメッセージ付きで返してくるはずだ。もし生データを向こうで分析するなら、その旨を伝えてくるはずなのにそれもない。何にしても向こうが反応する番のはずなんだ。なぜなにも言ってこないんだろう。ユウ、GMSと戦略部は俺たちの身体状態を監視できるよな?」

「うん、全兵士に対して可能だよ。じゃあなに、GMSと戦略部は僕たちに配慮してくれてるってこと?」

「そうだと思う。それでなにも返事を返してこないんだ。返事を返せば俺たちはそれに対応しなきゃいけない。命令だからな。だが、いまやらせてもろくな結果が出ないことを見越しているから、なにも言ってこないんだ。戦闘詳報が欲しいのも本音だろうから、板挟みだな。で、それが次の根拠につながる」

「二つ目だね。なに?」

「テオが言ったことだ。戦術コンは起床時間に覚醒信号を出さなかった。戦術コンに思いやりという言葉はない。ぶっ壊れたのかと思って動作ログを調べてみたら、GMSから差止命令が来ていた。お前たちにも来ていると思う」

「……ああ、来てるな」

 ガスが答え、ユウも調べてみる。たしかにそれはあった。

「あるね……GMSが僕らに配慮しているって根拠か」

「他の兵士の手前もあるし、休暇命令はださないんだろう。そもそもあるか知らんが。とにかく、指揮系統の上位者がなにも言わない以上、小隊の指揮権は俺にある。休め、ユウ。これは命令だ。反論は聞くが、受付けはしない」

 ユウはなにか言いたそうにしていたが、やがて身体を弛緩させた。

「わかったよ。君の言うとおり、反論したくてもいまは言葉が出てこない。正直に言うけど、君の案には大賛成だ。命令とはいえ、この状態で君の書類をチェックするのかと思うと気が遠くなるよ」

 ユウの小さな反撃に、テオががくっと頭を揺らす。

「えっ、いま、寝ていいって言いました?」

「まだだぞ」

「すまんテオ、ちょっと待ってくれ。ユウ、治療室かどこか、疲労回復に効くものが置いてないかな」

「あったと思う……ああ、あるね。興奮剤が入ったその場しのぎのものじゃなくて、血行促進で疲労回復をうながすタイプだ。これならいいと思う。みんなで貰いに行こう」

「よし。そのあとで各自、最大限休息しろ。どんな手を使ってもいい。明日には元通りになるんだ。はじめよう」

 ぞろぞろと四人は動き出す。当然ながら足取りは重い。特にテオはひどくて、ガスは手を引いてやらねばならなかった。

「テオよう、あの射撃はどうやったんだ」

「なんとなく……ここだって時があるんですよ。すみません、いま、うまく思い出せなくて」

「こりゃ才能だな、隊長」

「だろうな。空対空射撃なんて、評価項目どころか要求性能にもなかったはずだ。何の訓練もなしにやってみせたんだから、テオ独自の才能だ」

「難しい話はしないでよ。明日からって言ったじゃないか」

 目をこすりながら言ったユウに、リグは首をかしげる。

「いつもはこういう話に積極的じゃないか。具合が悪いなら手を貸そうか」

「大丈夫だよ。あのね、休めって言ったのは君でしょ。僕はね、命令に忠実なの。君と違ってね」

 先ほどからちくちく反撃されているが、とりあえず元気そうだな、とリグは安心した。

 治療室で栄養剤をもらうと、リグとユウとテオは寝に帰った。ガスは基礎訓練してから、と強がったが一時間もたたないうちに帰ってきた。

 そのまま誰もが死んだように眠りこけた。

 夕食の一時間前、リグはむっくりと起きる。こっそり部屋を出ると、展望室へ向かった。燃えるような夕焼けに染まった無人のそこは、リグの疲れを癒やしてくれそうだ。

 リグはぼうっと景色を眺めた。心底呆けていた。死んだユキを思い出すことすらなかった。ただ純粋に、自然の美しさに見とれていた。

「おい」

 だから、声をかけられたときは飛び上がるほど驚いた。

 ユキだ。幻覚じゃない。生きてる方のだ。なぜ即座に区別がついたかというと、前のユキと違って不機嫌そうに眉をひそめていたからだ。

「もう来ないんじゃなかったのか」

「今日は例外だ」

 リグはだるそうに座っていたベンチに両手を乗せた。

 ユキは二人分離れたところに座る。

「ずいぶん呆けているな。十分ほど後ろにいたのに、気付きもしないとは。噂の631はその程度か」

「うちは性能が売りじゃない。それに、今日は特別だめだ」

「昨日の戦闘のせいか」

 ユキは顎をつまむ。

「WF第二小隊の戦闘詳報を読んだ。お前が戦況を主導したようだな。お前を褒めるのは癪だが、見事な対応だった。私たちは地上迎撃任務についていたが、お前たちが囮になって味方を帰還させなければ防衛はおぼつかなかっただろう。あの決断はどうやって導き出した? それに、お前の部下のテオは機関砲で敵機を撃墜までした。二度もだ。絶対に偶然じゃない。あの能力はどうやって身につけた?」

「いま聞かないでくれ。ただでさえ頭が悪いのに、今日は特に血の巡りが悪いんだ」

 言ってから、リグはユキの言葉になにか引っかかったものを感じた。

「……ああ、第二小隊は元気か?」

「いや、かなり参っている。戦闘詳報の作成と基礎訓練まではこなしたが、シミュレータには入らずに休んでいる状態だ」

「たいしたもんだな。さすがはWF、出来が違う。うちは一日中寝てるよ」

「一日中? 戦闘詳報はどうした。基礎訓練と受講もあるだろう」

「ぜんぶ休んだ。今日は休暇だ」

「そんな命令が来たのか……まあ、昨日の活躍は特筆ものだったからな。都市が滅びかねなかった」

「命令は来ていない。自主休暇だ」

 ユキの目が丸くなる。

「勝手に休んでいるのか!?」

「そうだ」

 ユキは唖然としてから、怒りで肩を震わす。

「なんという奴だ! いくら都市を救ったとはいえ、小隊長どころか、兵士の義務まで放棄するとは! こんな奴に救われたとは、自分が情けない!」

 激怒するユキを見ながら、リグはこのやりとりで前のユキを思い出さなかったことに気づいた。似ているところはあるが、たしかに別の個体だ。俺も心の整理がついてきたぞ、とリグは安心すらした。

 足音も荒く目の前を通り過ぎるユキに、リグは声をかけた。

「用事があるなら明日以降にしてくれ」

「うるさいっ!」

 相変わらず夕陽を眺めるリグを置いて、ユキは展望室を出た。通路を一歩進むたびに怒りが引いていき、代わりに困惑が生まれる。

 確かにユキはリグに用事があった。それも私的な。なぜリグがそれに気づいたのか、ユキにはわからなかった。そんな素振りは一切見せなかったはずだ。正体不明のその能力が、631特有の戦術開発や不測事態への対応能力の高さに関わっているのだろうか。

(……それとも、前のユキが惹かれたように、互いに感知しあう遺伝子の相性があるとでもいうのか)

 ばかばかしい、と吐き捨てるユキだが、胸の中の困惑は大きくなるばかりだった。


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