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識別No.0631_2  作者: 良木眞一郎
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05

 今回の631の戦闘詳報は書くべき内容が多すぎた。大気循環器と通常の開閉口からの同時突入による敵戦力の分散、フェムトが充満した大気の中の侵攻方法、隔壁を利用した敵戦力の管理、待ち伏せの危険性、地図情報の入手法、最短経路の『作成』方法、最奥に潜んでいた高密度群体の特性と対処法。ついでに侵攻用スーツへの不満も。

 リグの実感として、侵攻用スーツは大気の噴出量と勢いが不足していた。テオは楽だと言ってくれたが、あのボンベを投げて壊す侵攻方法は暗闇を手探りで進むのにも似て、実に面倒くさい。戦場ではそんなちまちました作業にとらわれず、もっと別のことに集中したかった。

 しかし、侵攻用スーツの改修には工廠層との相談が必要だ。それにリグ自身が代替案となるボンベ破壊を考案してしまった。GMSと戦略部は改修の必要性を高くは見積もらないだろう。

 だからといって書くべきことを書かないわけにもいかない。面倒だが代替案もあることだし、採用されなくても怒るなよ、とリグは自分に言い聞かせた。

 半日以上かけてリグは戦闘詳報をいったん書き終え、ユウに添削してもらう。申し訳なさそうに書かれた大量の指摘点に対応し終えると、リグは展望室にいた。いまは修正内容が妥当かどうかの確認待ちだ。

 都市アンバースに戻ってから丸一日がたっていたが、そのあいだにいい知らせが二つあった。

 一つは奪還した都市イオミン・ペイに潜んでいた侵入個体の掃討作戦が完了しつつあること。都市が広いので最終的な確認はまだだが、主要区画は掃討済みとのことだ。リグが気にしていた高密度群体も大気浄化装置稼働後十二時間たって確認したところ、完全に消滅していたとのことだった。

 二つ目はガスの手が治ったことだ。都市アンバースに到着するとすぐに治療機に運ばれたガスだが、小隊の部屋に戻ってきたときはいまにも唸り声を上げそうなほど機嫌が悪かった。

「どうかしたのか。痛かった?」

「いや、麻酔されてたから痛みはなかったんだけどよ。見てくれ、隊長」

 ガスは手首から指先までギプスで固定された左手を差し出した。リグはわずかにのぞいた指先をちょんとつつく。

「きれいに治ってるじゃないか。あの状態から、たいしたもんだ」

「治した!? まあ、言い方一つだよな!」

「元の状態になっているんですから、治った、でいいでしょう?」

「最初と最後だけ見ればだ! あのポンコツ、俺の手を見てなんて言ったと思う? まともに治すと時間がかかるから、新しいのをくっつけたほうが早いんだとさ! それで奴は俺の手をちょん切ったんだ! 俺の遺伝子からクローン培養した手をくっつけてハイおしまい。あの野郎、俺の手を機械のパーツか何かと思ってやがる!」

 ぐるる、と唸りだしたガスを、ユウは笑いながらなだめた。

「まあ、医療ってどうしてもそういう側面があるから、仕方ないよ。人間だって機械のメンテで似たようなことをするんだし、お互い様さ」

「機械に自己再生能力がないからだろ。納得いかねえー」

 むすっとしたガスを囲んで、三人は忍び笑いを漏らしたのだった。

 そんなことを思い出しながら、リグは展望室のベンチに座っていた。そろそろ夕暮れ、ユキが来る時間だ。ここに来る途中、WFも帰還していることは確認していた。でも、今日は来ないかもしれない。あれほどの作戦のあとだ。戦闘詳報を書かなくていいとはいえ、連携や戦闘法、作戦の振り返りや見直しがある。ユキも忙しいだろう。別に何が何でも今日会わなければいけないわけではない。会うのは明日でも明後日でもいいのだ。

 ユキに会ったら何を話そうか、リグは考えた。やはり高密度群体のことだろうか。ユキならどう対抗するか、さぞ思い悩むだろう。その様子を想像して、リグは笑みを浮かべた。それとも床を撃ち抜いて味方の予定を滅茶苦茶にし、ユウに叱られたことを話そうか。なぜか知らないが、リグが怒られた話をするとユキはよく笑う。

 考えを巡らせていたせいで、リグは人の気配に気づくのが遅れた。振り向くと、ユキではなかった。内心残念に思いつつ、その人物には見覚えがある。

 リグの視覚にその人物の輪郭が強調され、戦術コンが何者か教えてくれる。

 識別No.0276、個体名エマ。WF第一小隊の隊員だ。短くカールした髪と黒い瞳、褐色の肌を持った長身の女性兵士。

 見覚えがあるはずだった。都市イオミン・ペイ奪還作戦時、作戦本部で顔を合わせている。

 挨拶代わりに片手を上げてから、リグは視線を景色に戻して自分の思考に沈んだ。たとえユキが来たとしても二人きりでないのは残念だ。いや、案外そうでもない。ユキが普段どう過ごしているか、ユキ以外から聞くのも面白そうだ。いまユキが来たらエマも会話に誘ってみよう。

「リグ」

 呼ばれて、リグは再び振り向いた。エマがすぐそばに立っている。

「やあ、エマ。俺に用があったのか」

「……やはり知らなかったか」

 リグは首をかしげる途中で、すばやく飛び退いた。エマの瞳の奥には痛みに似た光があった。それが何を意味するのか完全には理解できないまま、身体をそらして止まる。そして息を止めてゆっくりを背を丸めた。いつでも飛びかかれるように。浅く長く息を吐いてからエマに向けた視線は敵意に満ちていた。

「エマ。俺は君のことをよく知らないが、これだけは言っておく。たったいま、俺は嘘や冗談が大嫌いになった。いいか、それは害のないものから、絶対に許してはいけないものまであるんだ。俺は君にかなわないだろうが、それでもいい加減なことを言ったら絶対に許さない。よく覚えておいてくれ。さあ、用件はなんだ」

 エマは沈痛な面持ちでリグを見つめる。

「ユキは行方不明になり、死亡認定された」

 リグは拳を握り、奥歯を噛みしめる。

「大気循環器の底では多数の侵入個体が待ち構えていた。着地の瞬間を狙われてはたまらないから、空中にいるときから攻撃がはじまり、そのまま乱戦になった。私たちは隣にいるのが誰かもわからないまま戦った。戦術コンが情報共有してはいたが、それを理解する余裕がなかったからだ。奴らは整備用の通路から続々と現れ、我々を一瞬たりとも休ませなかった。長い長い戦闘が終わったとき、私はやっとユキがいないことに気づいた」

 沈んだ表情のまま、エマは続ける。

「すぐにレオに報告した。WF全員、ユキの居場所を知らなかった。座標を探っても反応がない。ありえないことだ。知っての通り、戦術コンは脳に埋め込まれ、生体電流から給電している。エネルギー切れはない。だから戦術コンが反応しなくなる状況は、一つしかない」

 エマは慎重に言葉を選んでいた。そのくらいはリグにもわかる。それでも、少しでもそれを連想させる言葉が出たら、即座に殴りかかりそうだった。

「私たちはユキを探すことにした。情報共有によって互いの戦術コンに記録されていたユキの情報を突き合わせ、ユキの反応が消えた座標に向かった。整備用通路の奥だ」

 エマは唇を震わせる。

「残留物はなかった」

 しばし沈黙が展望室を支配した。穏やかな陽の光は変わり果て、いまや燃えるようだった。

 ようやっとリグが背筋を伸ばす。呆れたように首を振った。

「前々から思っていたが、君たちは戦術コンを信用しすぎる。GMS、大昔に作られたガラクタが作ったものだ。想定外の状況でマトモに動かない可能性は十分ある」

「……私たちの戦闘詳報はまだできていないが、戦闘データをすべて渡す。検証してくれ。もし可能性があるなら、私もそれにすがりたい」

 エマの戦術コンから大量の情報が送られてくる。リグは受信し終えると、ベンチに座って手を組んだ。戦場にいるときよりはるかに厳しい顔になっていた。

「私はユキと組んで前衛を務めていた。戦術コンと異なる考えを持つようになってから、ユキとはいろいろ話をした。お前の話が多かった。お前の話をしているときのユキは、楽しそうだった」

 エマはリグがほとんど聞いていないことを承知で続ける。

「だから私は、この事をお前に知らせるべきだと思った。誰よりも先に知る権利が、お前にはある。レオは反対した。レオが冷酷だからじゃない。お前たちの戦闘詳報がまだできていなかったから、お前が小隊長としての責務を果たすまで待つべきだと言った。お前たちの戦闘詳報はこの都市どころか、他の都市まで救う可能性がある。レオはお前たちに敬意を表しているからこそ止めたんだ」

 エマは困惑げに眉をひそめる。

「私は隊長の言いつけを破った。動機は不明だ。合理的な理由もなしに私は知らせるべきだと判断し、631の部屋に向かった。お前がいなかったら、ここだろうと思った。ユキからここの話を聞いていたからな。案の定、631の部屋に行ったらお前の副長がそう教えてくれた。だから、私の用件はこれで終わりだ」

 座り込んだまま動かないリグを一瞥すると、エマは踵を返した。去り際、呟くように言う。

「お前たちの戦闘詳報ができ上がったようだ。明日あたり、レオが話をしに来るだろう」

 リグは返事をしなかった。WF十二名分の戦闘データを検証するのに忙しかったのだ。なにか見落としがあるはずだった。想定外の欠陥が。ユキを見失ったのは、そのせいに決まっている。

 戦術コンまで最大限に利用して、リグは頭を働かせた。かつてないほどに。リグがそうと意識しなくても脳は暴走したように動いた。酸素を求めてもがく本能のように、リグは可能性を求めた。

 日が沈み夜になっても、ずっとそうしていた。

 ずっと。ずっと。ずっと。

 いつの間にか身体を照らしていた星々の瞬きも、意識の底までは届かなかった。目を開けでも開けなくても変わらないほどの濃密な闇。高速で稼働する思考の波動を祈りの言葉のように聞きながら、リグの意識はその中を手探った。

 その日、リグは部屋に戻らなかった。


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