02
その後、戦略部より奪還作戦の詳細が伝達された。作戦をリグが要約したところ、出たとこ勝負、ということだ。対象が地下都市だから事前偵察も十分にできず、敵の規模も大気浄化装置の場所もわからないとあってはどうしても、とりあえず入ってみる、となるのは仕方がなかった。
代わりというわけでもないのだろうが、物資は充実していた。全兵士にポインターの予備弾倉が二つ支給されたし、631とWFには四つも渡される。突撃銃の予備弾倉も多めに持たされた。これで安心できるかと思ったが、かえって一人あたりの負担は増えると予想され、リグの気持ちは暗くなった。
また、奪還作戦用に戦闘スーツの改修が行われた。なぜかというと、フェムトの群体に遭遇した場合、人間はフェムトに対抗するすべを持っていないためだ。フェムトは群体になると未知の力場を発生させる。これまでは都市内の防衛ばかりだったので人間がフェムトに包まれるとどうなるのか前例はないのだが、侵入個体の力の強さから推察して、力場を使って人間を引きちぎることは容易と思われた。その対策が必要だったのである。
この問題はGMSと戦略部も早くから認識していたらしく、その懸念を指摘したリグとユウは早々に再度呼び出され、戦闘スーツ改修について意見を求められた。最低でもフェムトと接触しないよう、呼吸可能な大気を周囲に展開する必要がある、と述べたリグであったが、具体案は工廠層との相談になるらしく、それで話はいったん終わった。
次に呼び出されたときは完成品のお披露目だった。戦闘スーツにメッシュ状の被膜を巻き付け、そこに増設された多数の小型ボンベから常時大気を排出する、という仕組みだ。フェムトは人間が呼吸可能な大気に触れると死滅する。これなら接触されることはない。
しかし、とリグは思った。効果と使い勝手をもっとも重視するのが兵士ではあるのだが、このデザインはいただけない気がする。小型ボンベをびっしりとつけた帯を上腕や下腕、脛、腿、胸と背中につけたそれは、産み付けられた昆虫の繭の集まりにしか見えない。それに触れはしなかったものの、帰り道にユウまで、なんとかならなかったのかな、とこぼした。
数日して、都市イオミン・ペイ奪還作戦は実行された。631を含めた侵攻部隊五十名ほどが胴体下に増槽をつけた戦闘機に乗り込み、移動を開始する。他にも補給物資や大型ボンベ、整備班や戦略部、医療班など直接戦闘員以外を乗せた輸送機が飛んだ。GMSが新たに製造したのではない。輸送機はずっと昔からあったのだが、何しろ防戦一方だったのでまったく出番がなく、格納庫のすみで埃を被っていた。今回ようやく陽の目を見たのである。
都市イオミン・ペイに着くと先行部隊が高度を下げて地表部を偵察する。戦闘機が出入りする出撃口や帰還口は機能していなかった。そういった場合や輸送機などの離着陸のために都市の地表部には滑走路が作られている。都市イオミン・ペイのそれは使用可能だったので全機そちらに降りる。
ヘルメットを確かめてから操縦棺から降りて、リグは大気状態を確認した。確かに呼吸可能だ。
作戦本部の設営と周辺の索敵が実施される。哨戒にあたっていた631とWFは作戦本部に呼び出された。
作戦本部は天幕の下に通信や周辺監視、調査用の機器を集めただけのものだ。薄暗く、リグたちが中に入ると緊張した雰囲気が伝わってきた。
すでにWFがいる。ユキもいて、リグと目が合うとかすかに笑ってくれた。
奥には情報分析を得意とするのであろう兵士が四名。それと戦略部の人間が一人中央に立っている。ハルだった。
「先日はどうも」
「挨拶はいい。全員揃ったようなので、はじめる」
「作戦前の打ち合わせですか」
「違う。これから先行部隊が突入する。その様子を見てもらう。地下への開閉部に動力が供給されていることは確認された。ただ、この都市のGMSから反応がない。破壊されているか、単に起動していないのか、休眠モードなのかわからんが」
リグは不満げに眉をひそめる。
「先行部隊が突入? 我々ではなく?」
「君たちは主要戦力だ。作戦を立てるにしても情報が必要なのはわかるだろう。そのためには先行して威力偵察する必要があるし、君たちを先行部隊に振り分けるわけにはいかない」
「それじゃ生贄でしょう」
そう言いかけたリグの腕をユウが抑える。リグはユウに振り向くと、黙ることにした。ハルのいうことは正しい。
「突入開始」
ハルの合図で先行部隊の座標が変化する。戦術コンでも確認できたし、いくつも設置されたディスプレイの一つにも映し出されている。隣のディスプレイには先行部隊の視覚情報が送られていた。照明はついているはずなのに暗い。大気がフェムトに満ちているせいだ。
侵攻用スーツから大気を放出しながら、黒い大気の中を先行部隊はゆっくりと進む。突然、黒い靄の中から侵入個体が飛び出してきて戦闘がはじまった。
先行部隊は健闘した。視界の効かない中で五体の侵入個体を撃破し、生き残った。一人が重傷、一人が軽症を負ってはいたが。
侵攻用スーツから放出された大気のおかげで周囲のフェムトはほぼ死滅し、黒い靄は薄まりつつあった。これ以上の侵入は難しい、と判断した先行部隊の戦術コンは、それでも作戦本部のハルに意見を求めてきた。いつもGMSと戦略部の判断に従うように、今回はハルにうかがいをたてたのだ。
「後退しろ。傷を負った兵の救助を急げ」
それが合理的な判断だった。簡単に欠員補充できない状況で兵を失うわけにはいかない。そうわかっていてもリグは安心した。ここで兵の命を無駄遣いするようなら、リグは自分でも何をするかわからなかった。危ういことに、リグはいま戦闘スーツを着て武装している。
ハルはリグたちとWFを見回した。
「状況は見たとおりだ。充満したフェムトで視界は効かず、侵入個体はそれに紛れて待ち構えている。我々にとって大いに不利だ。多大な犠牲と時間がかかるだろう。戦力が足りないのだろうが、これが現在の我々に用意できる精一杯だ。なにかうまい攻略法を、一緒に考えてほしい」
それぞれが各自の考えに沈む。リグは先行偵察で判明した地表データを呼び出した。ハルの言う通り、まともに通路から侵攻したのでは全滅しにいくようなものだ。他の、フェムトが予想していないであろう突入口がほしい。
さほど時間をかけずにリグはそれを見つけた。汚染した大気を取り込み、浄化した大気を排出する大気循環器だ。名前は大げさだがその実態は、巨大なファンをいくつも備えたやたら広い竪穴である。それは大気浄化装置につながっている。少なくとも、リグたちの住む都市アンバースではそうだった。
それを起点にして、リグの考えが固まる。
「ユウ」
「なに?」
ユウの返事は早い。まるでリグの問いかけを待っていたかのようだ。
「大気循環器って蓋とかあったっけ?」
「……枯れ草なんかを入れないために網が張ってあっただけだと思う。え、大気循環器から侵入するの?」
「いい考えだ」
真っ先に反応したのは、WF第一小隊の隊長であり、WF全体のリーダーも務めるレオだった。
「この都市の大気浄化装置は稼働していない。大気循環器もそうだろう。もし稼働していれば、地表に滞留した人間用の大気で都市内部のフェムトは死んでいるはずだ。ということは途中の巨大ファンも動いていない。侵入できそうだ」
「その通りだ」
ユキが悔しそうに呻く。
「私は通路での戦い方ばかり考えていた。視野が狭かった」
「問題がいくつかある」
WF第一小隊の副長、識別No.0298、個体名ダイが発言する。
「大気循環器の内部は深いし、動いていないとはいえ途中にファンもある。どうやって降下する。ファンに激突するぞ」
「工廠層の技術者を何人か連れてきている。操縦棺のパラシュートを改修すればいいだろう。多少時間はかかるだろうが」
レオが回答する。どうやらレオとユキはリグの考えをすぐに飲み込んだらしい。リグはもう蚊帳の外で、あとは彼らとダイのやり取りというか、要点の確認だった。
「内部に明かりはないだろう。大気はフェムトで充満している」
「ケミカルライトを先に落とせばいい。自分たちも持っておこう。フェムトについては壊したボンベを先に投下しておけば解決する」
「侵入した後はどうする」
「整備用の通路があるはずだ。それを使って大気浄化装置の操作卓に向かう」
「不意をつく前提で話を進めてきたが、侵入個体が待ち構えていたら?」
「その時こそ私たちの出番だ。一体も残さず消滅させてやる」
「最大の問題は退路がないことだ。これは?」
「退路はどうしようもない。予備弾倉とボンベを多めに持っていって、それでも足りなければ投下してもらうしかないな」
「片道切符というわけか」
「だが、最短路でもある」
ユキがにやりと笑う。
「我らWFに最適の作戦だ。リグ、よく提案してくれた」
「ありがとう。気をつけて行ってきてくれ」
ユキとレオがびっくりしてリグを見た。
慎重にユキは問いかける。
「……いまの言い方だと、お前たちはついてこないように聞こえるが」
「ああ、ついていかない。WFについていける性能はないしな。俺たちは足手まといだ」
ユキは目を丸くした。
「じゃあ、私たちが突入しているとき、お前は何をしているんだ。まさかここで寝てるのか?」
リグは答えかけ、視線を感じて振り向いた。ユウ、ガス、テオの三人、よりによってリグの部下たちが疑わしげな視線を向けている。
リグは慌てた。隊長としての危機だ。
「ちょっと待ってくれ。俺は寝るのが好きなわけじゃない」
「でも、仕事っていうと嫌そうじゃない」
「書類作成だからだろ。講義ではちゃんと起きてる」
「戦術コンが覚醒信号を送ってくるから寝られないだけでしょ」
「ここは俺の欠点をあげる集まりなのか? 話を聞いてくれ!」
リグは全員に向けて話しかけた。何もしていないのに、まるで言い訳している気分だ。何もしないと思われたからこうなったのだが。
「631は先行部隊が使った突入口から侵入する。WFと同時に」
「危険なのはさっき見てのとおりだ。なぜそんなことをする」
非難がましいユキの発言に、リグはまたも言い訳する気分を味わいながら答えた。
「WFの突入は遅かれ早かれ、感知されるだろう。仮に敵に指揮系統があるとしたら、同時突入はどちらに戦力を振り分けるか、判断を迫ることになる」
「充満しているフェムトはどうする」
「君たちと同じだ。壊したボンベを放り込めばいい」
「侵入個体が待ち構えているぞ。数多くな。敵が本来予測している侵入ルートなのだから、私たちが迎え撃つ数よりも多いだろう。お前はさっき、自分たちはWFより性能が低いと言ったくせに」
「言ったさ。目的は敵戦力の分断だ。WFに向かう侵入個体を減らせればいい。幸い、退路はあるから、まずいと判断したら逃げ回る。俺たちは囮だ。仮にうまく進めたら、後続部隊に拠点を作ってもらって慎重に進むだけだ。俺たちか君たち、どっちかでも大気浄化装置にたどり着ければ勝ちなんだから」
不満そうなユキだったが、一応納得したらしい。
「……無理はするな」
「そっちこそ」
それで終わりだった。レオはハルに向かって告げる。
「作戦はいま話し合った方法で行います。突入時刻はパラシュートが完成し次第。これからWFは工廠層の技術者に話をつけに行きます。戦略部におかれましては、作戦内容の周知をお願いします」
「承知した」
WFが作戦本部の天幕を出ていき、631の面々もそれに続いた。リグがちらりと後ろを見ると、ハルは目を閉じていた。戦略コンを使って作戦内容をまとめているのだろう。ハルは普段、作戦立案をする戦略部にいながら、今回は問題解決能力を持ったWFと631のやり取りに一度も口を挟めなかった。
リグはそんなハルに同情はしたが、希望も持った。この記憶、思い出をきっかけにハルも問題解決能力を持ちはじめるかもしれない。そうすれば戦略部の対応はより柔軟になるだろう。いつか来るフェムトの新戦術に対抗しやすくなる。そのためにはハルを生きて返すことだ。
どうしても生き残って欲しい人リストにハルを加えて、リグは天幕を出た。