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前編


 音楽が好きだ。


 頭に浮かんだメロディをピアノで奏でれば、空気に彩が付いたように場が華やぐ。

 編成を考え、重ねる音を想像する。

 妖精が踊るようにテンポ良く、軽やかに。

 花が歌うように朗らかで。

 聴衆が聞き惚れて、酔いしれるような音を。



 …………と、そんな優雅な状態だと? そんなわけない。



 締め切りは来週。立てかけた楽譜は真っ白。ぐしゃぐしゃになった紙が床に散乱している。

 花が歌うどころか、いま思い浮かぶのは世界滅亡の序曲。妖精ではなく悪魔召喚が出来そう。

 依頼は王女殿下の誕生会用の楽曲だというのに。


「むむ……」


 仕方ない、まだ手を出したことはないが、最終手段を使うしかない。過去完成させた楽譜をひっくり返して、使えそうなフレーズを切り貼りするのだ。

 夜の晩餐会で使った曲なら出席者が違う。おそらく気付かれないだろう。メロディラインは少しずらし、テンポを変えれば違う曲だ。


「いやいや、だめだめ……」


 アイリーンは呻いて頭を抱えた。

 だめだ。やはり宮廷作曲家としてのプライドに関わる。

 宮廷の参加者は耳が肥えている。曲の使い回しなどすぐに気付かれてしまう。新しい曲を作れない作曲家など、即お払い箱だ。

 それに、彼の期待も裏切ることに──


 苦悶していると、突然バタンと部屋の扉が開いた。

 そしてたった今考えていた()が入ってきて、アイリーンはため息をついた。


「進捗はどうだ、アイリーン?」

「……良いように見えます? オリヴァーさん?」


 整えられた黒髪に切れ長の黒い瞳。美しい顔に微笑みかけられ、目を背けた。

 対するアイリーンは散乱した楽譜と同様に、アッシュグレーの髪はぐちゃぐちゃ、青い瞳は疲れで曇っている。とても宮廷に出られるような状態ではないが、締切前ではいつものことだ。

 オリヴァーは混沌状態の部屋に目をやり、にやりと笑った。


「誕生祝いの式典なのに、呪いの儀式になりそうだな」

「陳腐で型通りに祝われるのではなく、多少のイレギュラーや理不尽も学ばせた方がたくましいお姫さまに育つと思いません?」

「その考えは悪くないと思うが、二歳児にそれを課すのは酷じゃないか?」


 肩を竦めて、ピアノに向き合う。確かにその通りだ。

 求められているのは、新鮮で、なにより場に適した楽曲である。


「気晴らしに何か食べに行くか」

「えっ、いいんですか!?」


 魅力的な提案に、アイリーンは勢いよく振り返った。


「どうせここで悩んでいたって、紙がもったいないし」

「ひどくないですか?」


 散らかった床を指差したオリヴァーに文句を垂れつつ、アイリーンは彼の後をついて部屋を出た。



 連れて行かれたのは街の手頃な食堂だった。よく使う店だ。

 ちょうど昼時。宮廷で働く人たちが昼食に来ており、店内は賑わっている。揃いの制服が多いが、アイリーンやオリヴァーは彼らと同じ文官の扱いではないので制服は支給されていない。


 食事が運ばれてきて、アイリーンは向かいに座ったオリヴァーにうっとりと視線を向けた。

 姿勢良く、完璧なマナーでカトラリーを使う彼は育ちが良いことがわかる。それもそのはず、オリヴァーは音楽一家の上流貴族の出だ。


「……綺麗ですよねぇ」

「なんだ?」

「いいえ、なんでも」


 首を振り、アイリーンも食事を始めた。



 アイリーンが宮廷作曲家となったのは十九の夏、今から二年前。

 田舎貴族の娘であるアイリーンは、教会の聖歌隊に属していた。そこで曲を作っていたところ話題となり、前宮廷楽長に勧誘され、今の職に就いた。


 宮廷楽団とは王家お抱えの楽団で、式典や行事、夜会の際の楽曲の作曲から演奏まで一通り行う。

 二十代半ばのオリヴァーは音楽一家の中でも早くから才能を発揮し、アイリーンの入団と同時期に若くして宮廷楽長に就いた。

 これまでは指揮者が作曲家も兼ねることが多かったが、今は主にアイリーンが作曲、指揮と楽団のとりまとめはオリヴァーが行っている。


 宮廷楽団は行事の度に新しい曲を求められるため、簡単な仕事ではない。

 それでも、尊敬するオリヴァーと一緒に仕事が出来るので、アイリーンは日々彼の隣で頑張っているのだ。



「来週までだな」


 言うまでもなく締切を提示され、アイリーンは食べていた鶏肉を「ぐっ」と喉に詰まらせた。慌てて水を飲む。


「……ご心配をおかけしてすみません」

「心配などしていない。アイリーンがきっちり仕上げてくることは分かっているし、もし間に合わない場合には俺が作る」


 確かに、毎度ギリギリではあるがなんとか締切には間に合わせている。それに心の底では「彼がなんとかしてくれる」という安心感が拠り所となっているのは事実だ。

 とはいえ、毎回不安になる。


「大丈夫かなぁ……」


 アイリーンがそう呟くと、オリヴァーは微笑んで力強く頷いた。


「大丈夫だ、君ほど独創性を備えて、行事に適した曲を多く作れる作曲家はいないからな」


 手放しで褒められて嬉しいものの、複雑な気持ちも入り混じる。彼が必要としているのは自分ではなく生み出される楽曲の方なのだ。

 まあいい、賞賛されて悪い気になる人間などいない。


 アイリーンが食事を続けていると、後ろの席から「キイイ」とガラスを擦るような音がした。不快な音に、オリヴァーが眉を寄せる。

 振り向くと、水の入ったコップを幼児がフォークで引っかいている。慌てて母親が「止めなさい」と止めていた。


 閃いた。


「あ、思いついた」

「ええ、今ので?」


 アイリーンは手持ちのポーチから携帯用の紙とペンを取り出すと、急いで頭に浮かんだメロディを書きつけた。手書きの五線譜は幅がまちまちで斜めになっているが、後で分かればいいのだ。

 オリヴァーはやれやれといった様子で椅子の背にもたれ、しばらくアイリーンを眺めた。


「出来ました!」

「お疲れ」


 とりあえず出来た。王女の誕生会用の楽曲の一部だ。

 手元の紙をオリヴァーが覗き込んだが解読出来なかったようで、「後で清書してくれ」とすぐに体を戻す。


「アイリーンは作曲室から離れた方が捗るよな、いつもそうだ」

「えっへへ、おかげさまで」


 実際、煮詰まっているとオリヴァーが部屋から連れ出してくれて、そこで思いつくことが多い。


 オリヴァーはアイリーンにとっての仕事仲間で、ライバルで、救世主で、そして好きな人なのだ。



 ♦



 王女の誕生会からしばらくして、アイリーンは楽団のメンバーたちの練習を見学していた。

 今の楽団員は約20名。貴族出身者もいれば、音楽学校を出た平民の楽団員もいる。男性と女性が半数ずつ。

 現在の宮廷楽団員は仲が良く、アイリーンが曲をギリギリに作ってきても、すぐに理解して仕上げてくれる。これも楽団を取りまとめているオリヴァーの手腕のおかげだ。


「アイリーンさんは次は何の曲を作ってるんですか?」


 年下のヴァイオリン奏者に問われ、アイリーンはにんまりと笑った。


「今はなにも。落ち着いてこうやって見学出来るなんて至福ですね」

「アイリーン!」


 突如、バタンと扉が開いてオリヴァーが駆け足で入ってきた。


「残念、短い至福でしたね」

「……本当に」


 肩を竦めてヴァイオリン奏者と目配せする。

 オリヴァーは真っ直ぐにアイリーンの元へ来ると、紙を一枚出した。


「次の仕事だ。王弟殿下の結婚発表パーティの楽曲」

「えっ!?」


 驚いて紙を二度見する。周りの奏者もざわついた。


 なぜかというと、王弟の私生活はここ最近の社交界では一番のゴシップだからだ。

 王弟は三十代前半だが未だ独身で、若い頃から多数の女性と浮名を流している軟派な人物である。

 しかしここ最近彼は、離婚歴のある元侯爵夫人と裕福な商家の娘、二人の女性との逢瀬が頻繁に目撃されており、近くどちらかの女性とゴールインするのではないかと噂されていた。


 そして書類には王弟と元侯爵夫人が結婚すると記されている。彼は商家の娘ではなく元侯爵夫人を選び、王家が彼らの結婚を承認したということだ。

 

「へー、離婚歴ありでも承認したんだ」

「やっぱ家柄なのかなあ」


 楽団員たちも興味津々で書類を覗き込む。

 

「急に決まったようでな、文官たちがバタバタしている」


 アイリーンはぎくりと固まった。

 急に決まったということは、自分がこれから請け負う仕事も──


「し、締切は……」


 オリヴァーがにっこりと微笑む。


「五日後だ」

「むりむりむりむり!!」


 先日の王女の誕生会用の曲だって、締切まで三週間はあった。それでもギリギリだったのだ。五日だなんて、不可能である。

 しかしオリヴァーがやたらと自信ありげに頷く。


「大丈夫だ、きっと出来る」

「出来ません!」

「いや、アイリーンは追い詰められれば追い詰められるほど素晴らしい楽曲が出来上がると評価を受けている。むしろもっと追い込めと言われているくらいだ」

「ひどくないですか……?」


 楽団員たちが励ますようにアイリーンの肩を叩いて去っていく。

 アイリーンは絶望的な気分になって項垂れた。


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