私のエッセイ~第五十三弾:「津山30人殺し」の衝撃!!~日本犯罪史上最悪の単独ジェノサイド
皆さん、こんばんは!ご機嫌いかがですか・・・?
ここのところ、涼しい夜が続いてますね。
今宵は、そんな皆様にもっと涼しい思いをしていただこうと・・・ちょいと怖い話をしたいと思います。
「津山30人殺し」という事件をご存知でしょうか・・・?
かなり古い事件でして・・・知る人そ知る有名な凶悪事件ですよね。
この事件が最近クローズアップされるきっかけがありましたよね・・・あの「津久井やまゆり園事件」です。
2016年7月26日未明に相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた大量殺傷事件。
犯人の「植松聖死刑囚」が、入所者19人を短時間のうちに次々と殺害、26人に重軽傷を負わせました。
戦後の日本犯罪では最も多い、19人にのぼる犠牲者を出しています。
ところが、これをさかのぼること、78年。
1938年(昭和13年)5月21日午前1時ごろ、岡山県苫田郡西加茂村大字行重の貝尾部落とその隣の坂本部落で、それを上回る30人の犠牲者を出した、「津山事件」が発生しています。
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かなり以前、この事件を追ったドキュメンタリーが、YouTubeに動画として上がっていました。
あの三島さんのエッセイのときと同じように、私がそれをノートに逐一書き取り、このエッセイ用に加筆・修正したものが、以下の文章です。
これは、いわゆる「再現ドラマ」になっていまして・・・事件を生き延びた「寺井ゆり子さん」が、この中では、「さとみ(仮名)」となっていますことを、ご了承ください。
このほかには、「大谷つる子さん」「内田定子さん」といった、当時の事件があった、まさにその夜、犯人の都井睦雄の凶行の真っ只中にいながら、難を逃れた「生き証人」も登場します。
では・・・長い「再現エッセイ」になりますが、どうぞ。 m(_ _)m
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それは、異様ないでたちでした。
黒の詰襟に身を包んだ殺人犯は、腰に日本刀を帯び、猟銃を手にしていたといいます。
そして頭には、二つの懐中電灯。
推理作家「横溝正史」は、この事件をヒントに、「八ツ墓村」を書きました。
一夜のうちに30人を殺害し、2人に重傷を負わせた 空前の狂気事件は・・・「津山30人殺し」と呼ばれました。
現場は、岡山県津山市の北部に位置する、小さな集落でした。
被害者は、すべて、犯人の「都井睦夫」と顔見知りでした。
家族全員の命を奪われた家もありました。
事件の報告書によりますと「頭脳明晰にして学業秀でる」「将来を嘱望された青年」を凶行に駆り立てた理由・・・それは、「孤立無援の生活」でした。
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事件が起きた集落には、当時の記憶を物語る痕跡が、今も残っています。
ひっそりと立つ墓石の多くに、「昭和13年5月21日」の文字。
事件当時、5歳だった女性は、間近にいた犯人、都井睦雄を覚えていました。
大谷つる子さん(当時82歳)は、都井睦雄と同じ集落に住み、会話を交わしたこともあったといいます。
「私のことを『つる、つる』言うて、色白の、目の細い女形のような人だったのを覚えております。鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたりして遊んで、私が転んだら、『ありゃりゃ』言うて、起こしてくれて、泥を払ってくれたのを覚えております。」
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凶悪犯のイメージとはズレがある青年の素顔。
当時19歳だった、内田定子さん(当時96歳)も、やはり、「好印象」を抱いていました。
内田さんは、犯人の都井とは同世代で、犯人の事件までの日常を目撃していました。
「都井睦雄は、悪魔のような男だったと思いますか・・・?」
「私は思わんな。うん。」
「なぜです?」
「うん。ぜんぜん、そんなん。悪魔のような怖いことは、ぜんぜんない。(都井を)教えた先生が、『学校教員にさせたいとわしが希望しとったんじゃ』と言うて辛がりんさった。」
周囲から慕われ、将来を期待されていたという若者が、いったいどうして・・・?
そこには、青年を追い詰めていく、いくつもの「曲折」があったのです。
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主に、農業と養蚕をなりわいとする100人ほどの集落では、誰もが互いを知っていました。
村人たちは、幼い頃から学業に秀でていた都井を、頼もしく見ていたそうです。
都井には、想いを寄せる娘がいました。
幼馴染の彼女は、都井のことを「むつやん、むつやん」と呼んで、将来を誓い合っていたといいます。
その一方で、テレビやパチンコなどといった娯楽のない当時の村では、セックスが唯一の楽しみであり、「夜這い」という風習が残っていました。
「夜這い」とは、夜になると、女の寝間に男が侵入して性行為を楽しむことですが・・・昼間でも、目につかない場所で、ひそかに性交することもあったようです。
既婚者も独身者も、大いにこの「夜這い」の風習を堪能していたのです。
当然、睦雄の村にも「夜這い」の風習があり、彼も村の女と複数関係を持っていたようですね。
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青年を殺人鬼に変貌させていく、最初のつまづきがありました。
早くに両親を結核で亡くした都井は、やがて村人から、心ない風評にさらされるようになり、不安を募らせてゆきます。
「むつやんとこの親は・・・二人とも結核で逝ったらしいなぁ。」
「おー、そうかい。親がそうなら、むつやんも危ないで。」
「近く『肺病院』に入れとかんといかんぞ。」
「一生治らんもんなぁ・・・。」
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事件の3年前の冬・・・昭和13年12月31日。
「先生、どうなんでしょうか・・・?」
「心配せんでも、養生しとりゃあ、ようなる。」
「うそや。(ゴホッ、ゴホッ)ほんまのこと、言うてください。もう・・・ダメなんじゃろ?」
「うそやない。結核言うても、まだまだ軽い初期症状や。静かにしとったら、きっとようなる。」
「わしの人生は、もう終わりや。(ゴホッ)・・・もう、死ぬしかないんや。(ゴホッゴホッ)」
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当時、結核は「不治の病」。
「津山事件報告書」は、結核の発病が、都井を自暴自棄にさせたと読み解いています。
結核に有効な治療法は当時まだなく、不治の病である上に、遺伝する病気だと信じる人も、少なくありませんでした。
都井睦雄の日記には、こんな言葉がありました。
『今日、誰だったか、僕に聞こえよがしに、「都井の親は両人とも肺で死んだ」と声高に話していった。』
『僕の生命も、さう長いものではない。』
『僕は、今日を期して、百八十度の転換だ。』
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絶望は、やがて、「憎悪」に形を変えていきます。
結核の発病を知った都井睦雄。
年老いた祖母との生活にも、暗い影が落ちました。
食事中に、たびたび「喀血」する都井。
「(ゴホッゴホッ)もう、ええ。」
「もうええって・・・無理にでも食べなぁ。お医者さんも、言うてらしたやろ?」
「ほっとけ言うとるやろ!!・・・どうせ、すぐ死ぬる身なんじゃ。」
「睦雄・・・。」
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そんな中・・・なげやりで、すさんだ暮らしに、追い討ちをかけた出来事がありました。
自分と将来を誓い合ったはずの恋人が、睦雄に「別れ話」を切り出したのです。
「ごめん。」
「えっ?・・・なして??」
「どうしても、おっとうが許してくれんのよ。うちも、つらい・・・堪忍や。」
「わしは・・・わしは、どうなるんや・・・」
病を恐れてか、娘は別の家へ嫁いでいきました。
「わしは、どうなるんや・・・なんでじゃ!」
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口さがない人々は、結核の感染を恐れ、あからさまな言葉を都井に投げつけます。
「むつやんが来たぞぉ!」
「みんな急げぇ!」
「肺病の一族やぁ!」
「近づいたら、あかんぞぉ!」
睦雄は、ひとりつぶやきます。
「・・・どうして、わしばっかり。」
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・・・「村八分」も同然でした。
当時の共同体は、「掟」や「秩序」を破った者に、制裁を加えました。
「葬式」と「火事を消す」以外、一切手助けしない。
村人たちの本当の思いは分かりませんが・・・都井は、そのすべてを「悪意」ととらえました。
そのときの様子を、都井は日記にしたためています。
『周囲の者は、皆、鬼のようなやつばかりで、あれほど深くしていた女でさえ、「病気になった」と言ったら、すぐに心変わりがする。』
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「結局・・・そのぉ、のけ者じゃな。もうちょっとな、手を伸ばして、こう、囲うてやったら、あんなこともなかったんじゃろうと思うけどな。」
都井の日常を知る、内田定子さんは、そう語ります。
・・・やり場のない怒り。
都井は、猟銃を手にするようになりました。
「あいつらぁ、今にみちょれよ!!」
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昭和12年、日中戦争が始まると、集落の若者たちも戦地に駆り出されました。
しかし都井は、「肺結核」を理由に、「徴兵検査」にもはねられます。
鬱屈は・・・ますます増幅していきました。
「生かしてはおかぬ・・・」
猟銃とともに、都井が、ひそかに日本刀を集めはじめたのは、このころです。
「殺してやる・・・」
5連発の猟銃を、9連発に改造。
「狂気」ともいえる衝動が、わきあがっていたのです。
「皆殺しじゃあ・・・。皆殺しじゃあ!」
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「理性の堤防」が決壊したのは・・・昭和13年5月。
かつて恋した娘と再会したときでした。
「さとみ・・・さとみやないか!」
「むつやん。」
「久しぶりやないか!・・・戻ってきてくれたんけ?」
「いや、弟が結婚するんで、お祝いに来ただけや。」
「わしに・・・会いに来てくれたんやないんか・・・今夜、久しぶりに、ふたりきりで会えんか?」」
「もう、あんたには会いとうない、ほっといて。」
娘は、都井につかまれた袖を振り払うと、雨の中、去っていきました。
「・・・殺してやる!」
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事件を起こす前の都井を、内田定子さんは、今もはっきりと覚えています。
「その日は、ちょうど今ごろ(=夕方)だったかなぁ。私は用事があって、奥から帰ってきよった。むつやんは自転車でこっちから下に戻ってきて、『帰りました』って、むつやんが言うて、『お帰りなさい。えらい遅かったんですな。』言うたら、『今日はなにやらしよったら、遅うなって』言うて、それで『さいなら』言うて別れて、私はこっち戻るし、むつやんは帰りがけに、あれがあるんです、電信棒が。それに上がって、線を切ったらしいんじゃ。」
昭和13年5月20日、夕方。
犯行を決意した都井は、周到にも、集落に通じる電線を切断したのです。
どの電線を切れば、どの地域が停電するか・・・あらかじめ、調べをつけていました。
昭和13年5月21日未明。
夜を照らすのは・・・煌々(こうこう)とさえる月明かりだけ。
村人が深い眠りに落ちるまで、都井はずっと待ち続けました。
このときのために用意していたのは、「白いシャツ」。
・・・そして、「黒の詰襟」。
兵隊になることを拒絶された男の・・・「軍服」でしょうか。
足にも、兵隊のように「ゲートル」を巻き、頭には、「鬼のツノ」を思わせる、2本の懐中電灯。
殺戮の準備が整います。
「よし。全員、殺してやる!」
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最初の犠牲者は・・・都井の祖母でした。
両親を亡くした都井にとっては、親も同然。
その祖母の首を、都井は、ためらうことなく、斧で一刀両断の元に切断します。
殺人鬼の家族が、後にどんな目に遭うか・・・祖母を殺したのは、それを恐れての「身勝手」でした。
史上類を見ない大量殺人は・・・こうして幕を開けます。
自宅を出た都井は、向いの家に足を向けました。
のどかな昔の農村に、厳重な戸締りなどしている家などありません。
その家には、日頃から都井に、辛辣な言葉を浴びせてきた女性がいたといいます。
都井は、布団に寝ている家族に日本刀を突き刺し、ターゲットの女性を含む、一家3人を殺害。
都井は、次なる家へ踏み込みました。
今度は、一家4人を猟銃で殺害。
都井は、復讐に備え、射撃の腕を磨いていたのです。
「さとみ、出てこおおい!!」
都井は、憎しみに火をつけた、かつての恋人が眠る家へ迫りました。
「さとみいい!!」
銃声におびえてか、固く閉ざされた扉。
「おまえだけは・・・おまえだけは許せん!殺してやるう!!」
銃の台尻で開けた穴から、次々と猟銃で殺していきます。
しかし、目指す相手は、一瞬のスキをついて、外に逃げ出します。
「誰か・・・誰か、助けてえ!」
「さとみい、待てえ!!待たんかあ!!」」
途中、逃げようとして転んだ、村人の男性ひとりに、都井は銃口を向けます。
「誰じゃあ!?」
「た・・・たっ、助けてくれえ!」
「お前は・・・わしに悪いことは言わなんだなあ。許しちゃるわ。」
狂気を爆発させながらも、都井の中には、「敵と味方」の分別がありました。
「さっとみいいい!えあああ!!」
凶行への経緯を、「津山事件報告書」は、こうまとめています。
『凶行ノ原因。将来ノ希望、蹉跌シ、純情ハ偏狭ノ一途ヲ辿リ、隣人ノ敬遠ヲ怨嗟ノ的トシ、計画ヲ決行スルニ至リタル。』
わずか2時間たらずのうちに、自宅を含む12軒を襲撃、30人を殺害し、2人に重傷を負わせたのです。
難を逃れた男性が、内田定子さんの家に駆け込みました。
以下は、その内田さんの証言です。
「『むつやんが今、暴れ回りおるんじゃけ、これから警察行ってくるけん、自転車貸してくれ』って、言うて来なさったんじゃ。それで、私らも目が覚めて、『なんで、むつやん、暴れよるんじゃろか』いうような噂で起きて、そしたら、警察が上がってくると・・・。」
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夜明けとともに、都井は山へ逃れます。
警官隊、消防隊など千数百人が、「山狩り」に動員されたそうです。
内田さんは、その「山狩り」の様子を、こう証言しています。
「警察は怖いけ、よう(山へ)上がらずにまぁ、もごもごしよったら・・・」
凶器を手にする犯人に、誰もがおびえていたといいます。
けれど、やがて一発の銃声が・・・。
バーーーン!
内田さんの証言です。
「バーンと、何時頃だったかな。7時なる前ぐらいだと思う。『今、むつやんが死んだで』言うて。・・・自殺したんじゃろ。」
自らの心臓を打ち抜いた都井睦雄は・・・「遺書」を遺していました。
『決行するにはしたが、うつべきをうたづ、うたいでもよいものもうった。』
『もはや、夜明けも近づいた。死にませう。』
世の中を震撼させた犯人の・・・それが、最後の言葉でした。
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この「津山30人殺し」に関する、興味深いブログを見つけましたので、皆さんに紹介します。
『津山事件(津山30人殺し)寺井ゆり子さんのその後』
また、例のYouTube動画でも、以下のものがあります。
「津山事件」の再現映画です。なかなか今まで上がってこなかった貴重な名作ですので・・・ぜひ、消されないうちに。
(※)(※) 1.の動画が削除されてましたので・・・新たな動画を紹介!!
1.『『【邦画】 丑三つの村 ギネスに載った津山の三十人殺しの映画化:主演 古尾谷雅人』』→ UP主様は、「2きゅらら」様。
以下は、上の映画より、「殺戮シーン」のみを切り取ったものです。
2.『Village of Doom Massacre Scene Part 1 (English Subtitles)- Cannibalwolf Reupload』
→ UP主様は、「Spagett Doggo」様。
3.『Village of Doom Massacre scene Part 2 (English subtitles)- CannibalWolf reupload』
→ UP主様は、「Spagett Doggo」様。
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ちなみにですね・・・この映画で見事な「怪演」をされた俳優、古尾谷 雅人さんなんですが・・・ 2003年3月25日に自ら命を絶たれています。
このエッセイを閉じるとともに、今さらながら、そのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
m(_ _)m