03.接点
私の頬に唇を寄せて「好きよ」と呟いてくれる母が大好きだった。
柔らかな手で頭を撫で、愛を囁き、包み込むように抱きしめてくれる母が大好きだ。
だから、私にとって「好き」は幸せなものだ。私は母のように誰かを愛したかったし、もう一度愛されたかった。
けれど、同時に愛は化け物でもある。父が私に向けているものも歪んでいるが愛なのだろうから。
告白をしようと決めた私が直面したのは、ルイス様とそもそも接点がないという問題だった。
けれど、そんな問題もすぐに解決した。
なければ作ればいいのだ。会いにいけばいい。
それで注目を浴び、嫌がらせが悪化したとしても、私は『1か月後に死ぬ』のだから、今更どうこうなってもいいじゃないか。
もはや自棄ともいえる考えに突き動かされて、私はお昼休憩になるとルイス様のクラスに行き、丁度クラスから出てきたルイス様に声をかけた。
「こんにちは」
目の前で湖畔のような青い瞳が見開かれている。
私はにこにことした笑顔で、その様子を目に焼き付けていた。
「お昼、一緒に食べませんか?」
男爵家の令嬢が筆頭公爵家の長男にランチの誘いなど、笑い話もいいものだ。
案の定、ルイス様は無言で私の隣を通り過ぎていった。ぽつんと残された私は、肩をすくめて中庭のベンチへと向かう。
悲しみも寂しさもみじめな気持ちもあったが、驚いたように見開かれた青い瞳は美しくて、それだけで今日は十分な気がした。
しかし、それで満足していてはいけない。
中庭のベンチに腰を下ろして、ランチボックスを開けば、いつも通りの硬いパンにしなびたレタスとたまごが挟んでいるだけのサンドイッチが入っている。
ここに来るまでも、ここに来てからも、話が広まるのは一瞬だったようで指をさされて笑われ続けた。
けれど、それがどうしたとさえ思える。
この行動力は父譲りなのだろうか。そう思うと吐き気がしてサンドイッチは半分も食べることができなかった。
翌日もルイス様の教室へと向かったが、ルイス様はいなかった。
これには私も眉間にしわを寄せたが、そうしたところでルイス様が現れるわけでもない。
くすくすと愚か者を笑う声をBGMに、中庭のベンチへと足を向けた。
「あれ……?」
私が好んでいるベンチは私以外が使っているのを見たことがない。
たまに「こんなところあったんだ」という声が聞こえるくらい人目に付きづらくなっている。それなのに、今日は先客がいた。
光を集めた銀の髪の男はルイス様で間違いないだろう。
「……」
「座ればいいだろう」
予想していなかった展開に私はとりあえず一度作戦を立て直すべきかと、踵を返そうとしたのだが、こちらに目を向けないまま、ルイス様が言った。
私は生唾を飲むとそろそろとベンチの端っこに座る。
じわりと緊張で手に汗がにじむ。
「こんにちは」
「……」
挨拶をしてみたが、返されることはない。
ルイス様が手に持っているのはハムやチーズ、甘く焼き上げた鶏肉が具材のきちんとしたサンドイッチだった。自分のランチボックスにはきっといつもと変わらない硬いパンに質素なものを挟んだだけのものが入っていることだろう。
昨日ランチに誘った時には気にしていなかった、というか忘れていたのに、今はためらってしまう。
手早く口に押し込んでしまおうと、ランチボックスを開けて、無言で食べ進めることにした。
「それは……」
「?」
2個入っているうちの1個を食べ終わったあたりで、隣から声がした。
口に入っていた分を飲みこんで、顔を向ければ、ルイス様が信じられないものを見ている顔をしている。
「君の家は貧しいのか?」
「いえ、普通だと思います」
贅沢ができる程潤沢ではないだろうが、綺麗に保たれている屋敷、手入れの行き届いた庭園、ぴかぴかの調度品の屋敷は、貧乏ではないだろう。
どうしてそんなことを聞くのか、とルイス様を見ていたが、苦し気に眉を寄せているだけだ。
「いつもそれを食べているのか?」
「そうですね。いつも食べてます」
サンドイッチを見て聞いてきたのだと思えば、納得ができ、同時に見られてしまったことにややうつむいてしまう。ルイス様の目にこれ以上触れるのは恥ずかしく、そっとランチボックスの蓋を閉めた。
私の様子に、がたっと音をたててルイス様が立ち上がる。
見るに堪えなくてきっと呆れてしまったのだろう。うつむいた視界の隅にしかルイス様の姿が見えないことに救われた。
顔を上げたらみじめな私を笑っているかもしれなくて、その顔を見ることは怖かった。
「また、明日。……ルティリア」
「え」
去っていく足音にパッと顔を上げたものの、ルイス様の長い脚の歩幅は広く、その姿は遠くに見えた。
最後はとても声が小さくて、何を言っているのかうまく聞き取れなかったが、気のせいじゃなければ。
「名前……呼んでくれた……?」
勘違いだろうが、名前を呼んでくれたように聞こえて、私は手を握り締めた。
そのあと食べたサンドイッチは甘酸っぱい味がした。
翌日も翌々日も、ルイス様は中庭のベンチへと来てくれた。
あの日、名前を呼んでくれたのか聞きたいような気がしたが、勘違いだったら恥ずかしすぎるので聞くことはできなかった。
相変わらずのサンドイッチを食べている私に、ルイス様はぎゅっと眉を寄せて見ている。見苦しいものを見せて申し訳ないばかりだ。
それでも来てくれるルイス様は優しいのだろう。
話すこともなく、ただ静かに食べているだけなのに、1人で食べていた頃よりも、サンドイッチが美味しく感じられて私は嬉しかった
1つ変わったことがあるとすれば、ルイス様がある日、私にサンドイッチを1つ押し付けてきたことだ。
白くてふかふかしたパンでイチゴジャムとクリームを挟んでいるサンドイッチは美味しそうに見える。
「残すと料理人がうるさい。食ってくれ」
ルイス様は甘いものが嫌いなのだろうか。
私は「ありがとう」と感謝を述べて、そのサンドイッチをいただいた。
受け取るのを催促してきたことと、手を出したらさらに押し付けてきた仕草は昔のルイス様のままで、私は泣きそうなくらいに胸が熱くなった。
甘くてふわふわで、そのサンドイッチはまるで私の胸の中のようだ。
続きは明日15日に投稿します。
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