頭痛は安眠の敵2
「しっかし、ほんとに菫花は梅姫様のお気に入りよねえ。贔屓のしかたがあからさますぎない?」
金平糖を貢いだため、最初は二人分の仕事を押し付けられて膨れていた鈴花は、機嫌を直していた。
そういうさっぱりしたところが性にあっていて、数少ない気の置けない侍女仲間である。
「・・はは・・。」
乾いた笑いで受け流す。
(梅姫、ねえ。)
漆黒の髪に黒曜石のような瞳。
絶世の美女でありながら、彼女はとにかく謎が多い。
(彼女ではなく、彼、だけどね。)
そう。そもそも、梅姫など存在の全てがまやかしである。とはいえ、菫花とて、その正体は知らない。
本名さえも。
だから、男であっても、梅姫は、梅姫なのである。
「私もよく分からないのよね。・・誰が聞いてるか分かんないんだから、悪口はだめだってば。」
一応たしなめる。鈴花は、ぺろっと舌を出してみせ、金平糖をまた一粒口に放り込んだ。
館持ちの姫は、後宮内で絶対の権力者だ。
だが、館持ち同士は同等。
廊下などでかち合うと、笑顔でめちゃくちゃ怖い会話が繰り広げられるのだ。
それもまた、駆け引き。
侍女たちも、それぞれに可愛がってもらう姫がいたりする。
(鈴花は、確か、藍麗様よね。)
初めの頃は、梅姫にちょくちょく呼ばれる菫花を警戒している素振りだったが、菫花が毎回苦虫を噛み潰したような顔で行くため、興味を持ったらしい。
鈴花が慕う藍麗は、梅姫と同じ館持ちの姫。
大臣の娘だったか。地位のたかさで群を抜き、いかにも高貴な姫、といった感じだ。
(笑顔がうそっぽくて私は苦手だけどね。)
鈴花との繋がりはよく知らない。
だが、菫花の知る限り、鈴花は藍麗姫に心酔しているし、平民出身の侍女であるにも関わらず、藍麗姫の方も鈴花には、声をよくかけているな、と思う。
藍麗は、鈴花と同じくらいの年齢の少女を数人、侍らせている。
花街の花魁と禿みたいだと、思ったことがある。
鈴花は、そういった華やかさ担当ではなさそうだが、藍麗のために、細かく気配りしている様子をよく見た。
梅姫のお気に入りではあるが、梅姫に好意を持っているようには見えない菫花は、鈴花にとっては、うまくいけばライバルである梅姫のいい情報源になる。
そんな打算は透けて見えるが、それでも鈴花と過ごすのは嫌いではなかった。
「そういえば、そろそろ花の義に向けて忙しくなるわね。」
鈴花が、また一粒金平糖を口にいれ、残りを名残惜しそうに包み直しながら言った。
(花の義、か・・。)
華国の気候は大きく3つの時期に分けられる。
様々な花が咲き乱れ、緑が溢れる花季、夜が徐々に長くなり澄んだ夜空に月が美しく見える月季、寒さが厳しくなり霜が降りたり、雪が降ったりする雪季である。
曆の上で、それぞれの季節の始まりになる日に後宮で行われるのが『花の義』『月の義』『雪の義』だ。
初めての時には驚いた。
着飾った後宮の姫達が勢揃いして、帝を迎えるのである。
そして、それぞれの得意分野で帝を楽しませる宴が数日にわたって続く。
帝は気に入った姫に花を贈る。
その花はそのまま閨への誘いだ。
後宮で帝の寵愛を受けて、のしあがるチャンス。
後宮では、皆女を磨き、最高の状態でその日を迎えようとする。
(梅姫様も見事な笛を披露していたわね。)
花はもらわなかったが、帝からの言葉をいただいていた。今年はどうするのだろうか?
束の間の休息を終えて廊下に出ると、共同の館の方から下級の姫が歩いてくるのが見えた。
最低限の身だしなみは整えているが、顔には生気がなく、どこか気だるげだ。
(花の義が近づいても、浮き足立たない姫もいる、か・・。)
きっと帝の訪問もないまま、半ば諦めているのだろう。後宮では、三年間帝の渡りがない姫は里に返される。
帰りたがる姫もまた、一定数はいるのである。
(彼女は確か・・。)
「桃紅様だね。お疲れ気味ね。」
横で鈴花が耳打ちしてくる。
鈴花は情報通だ。
「商家の娘さんらしいわよ。後宮に差し出されたものの、恋仲の相手がいたらしくて、来たときから影があるのよね。しかも梅姫様と入宮の時期が重なっちゃって結局お手付きなしのままで・・。」
いわゆる飼い殺しである。
(まあ、梅姫様のせいではないんじゃないかとおもうけどね。)
あの謎の美丈夫は、どれだけ美しくとも閨の相手、ではない。
(いや、もしかしたら帝にはそっちの好色も・・。)
うっかり想像してしまって、あわてて頭から追い払う。
なまじ梅姫の半裸体を目にしているせいで妙に生々しい想像になってしまった。
ともあれ花の義が近づけば、菫花や鈴花のような侍女は、こまごまとした準備に駆り出されることになる。
忙しい予感に、
(なんでもいいから梅姫様にはちゃんと自分のメンテナンスをしてもらわなければ!)
呼び出しが来ないことを祈る菫花なのである。
しかし・・。
こうならなければいいな、とあえて思う時、それは大抵現実になる。
フラグがたつ、と言うらしい。
華国では多言語を扱う者が多く、菫花もとある事情で外国の言葉にも精通している。
梅姫からの呼び出しは、まさに花の義の準備のために菫花が駆けずり回っている最中にあった。
(あのくそ姫!!こっちにも事情があるってのに!!)
言葉に出さなければ聞こえないのをいいことに、心の中で、盛大に悪態をつきつつ向かったのは梅姫の館である。
出迎えた女官に連れられて部屋に向かうと、そこには青い顔で横たわる梅姫がいた。
それを見ると、急を要していたことは分かるため、無下にもできなくなる。
「・・痛むんですか?」
そっと聞くと、もぞっと動いて梅姫がこちらを見る。
「・・吐き気もする。3日ほど満足に寝れてない。」
潤んだ目で上目遣いにそう告げる梅姫は、いつもより若干幼く見える。
(だから、言ったのに。)
ため息をついてから、菫花は処置をこころみる。
「失礼します。」
早口で断りをいれて首筋に触れると、ガチガチの筋肉がひんやりとしている。
「蒸しタオルを。まずは、血を巡らせましょう。」
女官に指示をしてから、
「締め付けを緩めます。帯を弛めて、重たい着物は脱げますか?」
梅姫に聞けば、
「・・無理。」
弱い返答に思わず小さく舌打ちをする。
「じゃあ失礼して。」
菫花はえいっと帯をほどき、側に控えていた女官頭と二人で服を脱がせた。
肌着のみにさせて、かるく布団を掛け、上半身の肩をはだけさせる。
「はじめます。」
梅姫の上に背中から跨がるようにして、菫花は指圧を始めた。
押すべきところを押しながら、腰の辺りから念入りに揉み、凝り固まった肩の辺りも力を加減しながら徐々にほぐしていく。
届けられた蒸しタオルを首筋から肩にかけてあてがいながらしばらく続けると、やや筋肉に柔らかさが戻り、梅姫の血色が良くなってきた。
仰向けにさせ、今度は冷やしたタオルを目にあて顔全体をなぞるように力をいれる。
そのまま耳の付け根に移動し、首筋、鎖骨周り、と血を巡らせていくと、梅姫は、時折呻いたり息をついたりしつつも抵抗せず、菫花に身を委ねた。
じわじわ汗ばんできたのを確認して、体を起こさせる。
後ろから肩を揉んでみると、始める前よりも明らかに柔らかくなっていた。
「痛みは?」
尋ねる。
「先程よりはかなりましだ。今は拍動性のものが微かに残っている。」
梅姫は素直に答える。
「そちらは筋肉をほぐすだけではおさまりません。患部を冷やして、しばらく休む方がよいです。」
「・・分かった。」
「聞く気、ないですね?」
梅姫の返答までの僅かな間を、菫花は聞き逃さない。
「この後、またあなたは無理をして、仕事を終わらせる気でしょう?そしてまた私を呼びつけて、寝かせろとか強引なことを言うんです。後宮に入れたなら、仕事の邪魔になるかどうかとか、ちょっとは気遣ってください。」
日頃の不満を言ってやる。
梅姫は出会った時からそうなのだ。
疲れに鈍感で、限界をいつも超える。
「ごめんね、菫花。」
うなだれた梅姫に、うっとなるが、このやり取りすらいつものお決まりである。
一年で、諦めはついている。
だが。
「・・私の手におえなくなるときもあります。頭痛は軽く見てはだめです。」
梅姫の無理をするところだけは、諦めきれない。
梅姫は相変わらず困ったように微笑むだけだった。
「ありがとう。助かったわ。」
女官頭が言う。
「今度からはもう少し早く・・と言っても無理なんでしょうけど。」
少し拗ねた言い方になってしまった。女官頭は苦笑いする。
「あなたを呼ぶのも、躊躇う方だから・・。」
そうなのだ。梅姫は、呼ばずにすむなら手を煩わせないようにしようとする。だから呼ぶ時は限界の時。
ただの我が儘ではないから、たちが悪い。
「頭痛のもとを潰さないと、無理し続けるんでしょうね?花の義に関することですか?」
なんとはなしに尋ねてみたが、返答はない。
結局いつものように茶菓子を持たされて、戻ることになった。
菫花退室直後。
「墨と筆を。」
「・・かしこまりました。」
椅子に座り、そう指示を出す主を、物言いたげに一瞥して、女官頭の梨閃は指示に頷いた。
「・・どうぞ。」
梨閃は盆に、墨と筆、それから冷たく冷やしたタオルを載せて運ぶ。
「菫花、怒っていたな。意外とお人好しだ。」
梅姫とて、菫花の物言いに、自分を気遣う気持ちが見え隠れするのに気づいている。
「菫花をどうなさるおつもりですか?」
梨閃は問う。
「試しに飼ってみたが・・飼い慣らせば情が移りそうだ。」
「お戯れを。これ以上背に負ってはなりません。」
梨閃は口調こそ穏やかだが、きっぱりと言いきる。
「菫花の手は神がかっているぞ。充分役に立っている。」
梅姫はそう言っては見るが、梨閃が不満を隠そうともしないので苦笑いする。
「引き入れないなら手放すべきです。我々に指圧師はいりません。それ以外に使えるなら、話は別ですが、守るだけならば枷になります。」
後宮で、下働きをしながら動ける女が必要だった。
菫花が盲目的に梅姫に従っているなら、まだ使えるのだが。
菫花は初めて会った時から、一貫して梅姫にはなびかず、ただ義理で約束の期間、約束したとおりのことをしているに過ぎない。
義理堅い女だが、それだけでは駒としては不十分。下手をすれば敵に丸め込まれてこちらに不利に動く可能性もある。
「だけどなあ。なーんか、菫花にはある気がする。」
梅姫は誰にともなく言う。
出会った時、ただの女ではないと感じた。
それは、説明しにくい直感のようなもの。
菫花には、何かがある。
梅姫はその、「何か気になる」という自分の直感があまり外れないことを知っていた。
「どのみち契約は今年いっぱいです。好きになさればよいですが。」
梨閃は返答を引き出すことを諦めて部屋の隅に控えた。
気配が消える。
主の側は離れず。だが、気が散らぬように完全に気配は消して。
優れた護衛でもある梨閃は、梅姫の幼なじみでもある。
後宮内で、梅姫の『本名』を知る唯一の人物。
梅姫が唯一、全幅の信頼を寄せる人物である梨閃は、梅姫とは対象的に、どこまでも現実主義者だ。
(菫花を手放すことを躊躇う理由・・。この一年で菫花のことを知ることができれば、手元に置くだけのものを見いだせるかもしれないが。)
いくぶん軟らかくなった頭痛を追い出すべく、こめかみに冷やしたタオルを当てながら、今は絶対に手放せないことは確かだと、梅姫は一人得心した。
「罠にかかったようですよ。」
梨閃からの報告に、一瞬固まったのは、やはり情が移っていたのかもしれない。
『菫花を側に置いた本当の理由』が実を結んだのは、それから数日後。
菫花は、花の義の二日前に、姿を消した。
(何が起きても、想定内。だが・・)
梅姫は柄にもなく、菫花の無事を祈り、救出に向かった。
下働きの侍女は、共同の館を駆け回る。
館持ちの姫と違って専属の女官を持たない、もしくは少数であることの多い部屋持ちの姫の日常の生活を支えるのが侍女の仕事だからだ。
掃除に洗濯、配膳。
頼まれれば身支度を整える手伝いもする。
梅姫の館で仕込まれて、菫花も着付けや化粧など、一通りこなせるようになっていたため、割合重宝され、呼び出しがかかることもあった。
何せ、じきに花の義が始まる。
ちょっとでも財のある家の姫ならば、このチャンスを逃さぬように着物を新調し、流行りの化粧を研究して、その日に臨もうとする。
既に館持ちの姫に目を掛けられている侍女、菫花に声がかかるのは自然なことだった。
館にはまだ空きがある。
梅姫の館と藍麗の館。もう一つ『雪蝶』という姫の館があり、あと一つは今空いているのである。
花の義で目に留まれば或いは、と、期待を持つのも無理からぬこと。
そわそわした空気の中、菫花のような侍女は忙しい。
そんな中、いつもよりも控えめな形で呼び出された菫花は、行った先で、
「これは、仕事に入ってないわよね・・。」
と、梅姫を呪いたい衝動に駆られていた。
渡された手紙には、確かに梅姫の名があったのに。
行った先で薬をかがされ、気を失った菫花が目覚めた場所には、見るからに悪そうな男たちがにやにやしながら集っていた。