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戦争の落とし子

 夕暮れの空は燃える様な紅蓮に染まり、烏のシルエットが不吉なほどの数で上空を飛び交う。下界には夕闇が徘徊し始め、茜と黒のせめぎ合いがそこかしこで繰り広げられていた。

 血と鉄と煙の臭いは、逃げても逃げても、そこら中に満ち溢れている。焼き打ちされた家々の窓からは、炎の舌が外の空気を求めて下品に嘗め回し、天を焦がそうと貪欲にもがいていた。

 辺りには無残な姿になった村人たちが、永久に口を閉ざされて、ある者は地を凝視し、ある者は無念そうに天を仰いでいる。無論、その目にはもはや何も映らず、生気の欠片も無かった。

 遠くでは人の悲鳴や子供の泣き声が絶えず、それを追う様にして野太い怒号が覆いかぶさる。

 少し離れた所では、剣をガチゃつかせる兵士の足音が、生き残りの者を求めて辺りを彷徨っていた。

 一緒にいた者は、もはや一人だけになってしまっていた。少年に剣を教えてくれていたシングである。その彼も手傷を負い、左肩から脇腹にかけて血が幾筋もこびり付いていた。かつての力強く快活な表情は片鱗も見えず、虚ろに落ち窪んだ目元は死相を帯び、荒々しく押し殺した息も死臭に似ていた。しかし、少年を守る様に抱くシングの体臭だけは、いつもの剣の鍛錬をしていた時に嗅ぎ慣れたものと一緒で、わずかながらも安心感を与えてくれた。

 川を渡ろうと岸辺に辿り着くと、同じように考えた村人たちの成れの果てが惨たらしく点在していた。陰と茜の競演が少しはその惨状を隠してくれたが、運悪くまともに夕陽が照らした彼岸の形相の数々は、逆に恐ろしいほどに末期の声無き叫びを炙り出され、少年の精神に決して消し去ることのできない楔を深々と打ち込んだ。そしてそれは、一つ一つ破滅への大きな亀裂を生じさせていった。

 振り切るように転じた視線の先には、上流から流れ着いた躯たちが、ここの浅瀬を終の寝床と決め込んだかのように夥しく密集している。ここに来るまでと同様、自分と同じくらいの歳の子供の姿も目に入った。それは、蝋のような目でこちらを向いていた。もう逃げ場は無い、お前たちもこちら側に来い仲間になれと、誘うように死屍累々が行く手に待ち構えていた。

 この時、精神的な決壊を必死に堪えていたニキルは思わず泣き出してしまう。家族はもういないのだ、死者の誘いを受けても、もはや構わなかった。

 獲物を嗅ぎ付けた餓狼の如く、その声を耳にした三人の敵兵が現れ、二人の方へと大胆に歩を進めてくる。夕陽を受けた髭面は異様に目をぎらつかせて、どれも殺戮の狂気に酔っていた。

 シングの判断は早かった。隠れていても直ぐに見つかるだけだ。幼い少年を抱かかえて川の中へと走った。

 その背に下卑た叫び声を浴びせながら、タワールを振りかざす兵士たちが殺到する。

 シングは一縷の望みをかけて、少年を川の流れの中へと放り投げた。今の自分に三人の兵士を向こうにして少年を庇う余裕は無い。泳ぎも教えていたが、もはや生死は天任せにするしかなかったのだ。

 剣を抜き振り向いたシングを、三人が取り囲もうと散開した。

 右手の兵士に狙いをつけたシングは、流れに速度を殺されながらも巧みな剣捌きで相手の攻撃を受け流しざま、一閃で血海に沈める。

 技は一瞬の冴えを見せたものの、積み重なっていた疲労と手傷のダメージは、シングの動きに急激な止めを刺した。

 残った二人の兵士が繰り出す連撃を捌き切れず、川の石に足元を取られたシングは体勢を崩してしまう。そして、すかさず致命傷を受けた彼は川に没する瞬間、振り返って闇に溶け込んだ川下へと目を向けた。もはや見えるはずも無い少年の姿を追って・・・。

 左掌の痛みが、ニキルを程なく現実に引き戻した。

 幕が開くように町は再び光に照らし出された。インガナルも煌めきに溢れ、止まっていたかの光景は動き出した。それと共に焼け付くような感覚が甦り、強烈な陽光の下にいる自分を認識した。現実は夕暮れ時ではなかった。子供たちの声も悲鳴ではなく、歓声だった。

 現実的な感覚が極めて強かった戦争時の光景から立ち返った今、あまりの劇的な変化に僅かな時間だが、呆然としてしまった。

 痛みを訴える左の掌を見下ろす。

 それはカルギトを納めた鞘を関節が白くなるほど強く、そして鞘の縁が掌にきつく食い込むほどにしっかりと握り締めていた。

 例え、いかなるつながりであろうと、カルギトは彼の精神的根幹を支えるものの一つだ。あの時の戦争によって、大きく変わってしまった彼の人生。全てを失い、己のみを信じて生きていかなければならなかった彼のアイデンティティーを唯一示してくれる存在がカルギトだった。そして、この歳まで最も長く共にあった相棒でもあった。彼らには決して譲れない共通の目的がある。トゥルバン藩王の命であり、この国の滅亡だ。

 同じ報いを受けさせなければならない。絶望の中で一人残された彼のたった一つの切望が、何ものにも屈せぬ力となって自身をここまで生き延びさせたのだ。

 不意に目の前の全てを破壊しつくしたいほどの衝動が内面で爆発する。例えることのできないほどの憎悪が、何ものかが胎動する深淵へ引き込もうと巨大な腕を天へと衝き上げた。

 この国は無数の屍の上に興隆を続けている。これは紛れも無い事実だ。自らが目にし、体験してきた修羅界。そこには何の差別も無く平等な死が止め処なく蹂躙していた。

 それならば、当然のこと報いを受けなければならないではないか。屍の上に築かれた都など、いずれ死者のものになるべきだ。

 生者の活気が溢れる王都トゥルバンの歴史的地下には膨大な死者の群れが密かに佇んでいる。王都を見上げる死者の眼は真っ黒な空洞だ。そこには例えようも無い怨嗟が渦巻き、地上にある生者の世界を死都と化すべく渇望に満ち満ちている。

 不意に子供の嬉しそうな歓声が弾けた。

 目をやると十歳くらいの男の子が母親に勢いよく抱きついているところだった。

 母親は、その子を慈愛に満ちた眼差しと笑顔で見下ろしている。

 微笑ましく思いつつも、ニキルの胸中に切なさが過ぎった。

 あの時以来、彼は本当の親の愛に触れることは無くなった。商隊に拾われて、奉公人兼護衛として育てられたのだ。

 愛情が少なくとも親代わりになってくれた人から与えられ、仲間として自分の居場所があったことは、かけがえの無い贈り物だった。しかし、それですら戦火の燻りによって潰え去ってしまった。その後は才覚を現していた剣術の腕を頼りに流れの護衛として、様々な隊商に雇われた。そんな中、行き着いたのが奇縁によるラウディカーンとの出会いだった。

そして今に至るも、一日たりとも自らが為すべきことを忘れたことは無かった。

ニキルの目が再び、幸せそうな親子の姿を捉える。その深い愛情に彩られた姿を、まぶしそうに憧憬の眼差しで見送った。

 今、ニキルには恵まれた才能とちょっとした名声がある。その気になれば宮廷楽士として、不自由ない暮らしが約束されるだろう。

 しかし、絶えず居座る心の空虚さは、そうした物質的な何かでは結して埋まらない。それを知っていた。だからこそ、埋めてくれる何かを探すように放浪癖が芽生え始めたのかも知れない。

楽に対する賛辞喝采が一時的に彼の心を満たしてくれるが、それもまた本質的な渇きを癒すには至らなかった。

 それほど愛というものが大切だと言うのか。

 幼い頃で真の愛の交流は止まってしまっていた彼には、いまいちよく分からなかったが、仲の良い親子を見る度に心の奥底から、羨望の囁きを感じることは確かだった。

 戦争と言うものが、自分のような愛を失った人間をどれほど多く生んできたのだろか。

 そう考えた途端、単純なことだが、ふと気づいた。

 彼が生きている中での最たる目的は、トゥルバン藩王の命だ。そして、第二にニキルの故国の末路と同じく、この藩国の滅亡だ。藩王が死ねば、侵攻という名の触手が濁流と化して、押し寄せることは疑いが無い現状だ。現藩王の一枚岩は余りにも大きい。それ故に崩れれば、支えるに代わりの者がいないのだ。

 ここは間違いなく、戦火に蹂躙される。

 母なるインガナルは、彼の故郷以上に膨大な死者の群れる暗き彼岸の流れと成り果てるだろう。

 今見た、幸せそうな親子はどうなる?

 自らの容易な問いに、彼は即答できなかった。明白過ぎる答えに戸惑いがゆっくりと浸透していく。

 切なくも憧憬の念を起こさせる親子の温かな姿が、自分が体験したような避けようの無い巨大な力によって、惨たらしく引き裂かれるのだ。

 お前が求めるものとは、こういうことなのか? 自分が味わったものを何も知らぬ平民たちにも味わえと言うことなのか?

 内なる声の問いかけ。

 何を今さら、馬鹿な! それが戦争ではないか。人間の歴史で幾度と無く繰り返されてきた飽くなき強欲の結晶だ。平民にとっては、戦争など天災と変わらない。どうすることもできない山津波のようなものだ。それに望むと望まざると、この藩にいる者は皆、犠牲となった死者の無念など気にもかけず、簒奪したものを糧にして生活しているではないか。それがのうのうと許される世界だと言うのなら、俺一人でもこの手で悉く滅ぼしてやる。

 では訊こう、豪族の首領であったお前の遥か祖先が、前の領主や土着の民から奪ったものは何だ?

 財産や土地だけではなかろう、いかほどの命を刈り取ってきたのだ? お前の家系にとって収穫期が無かったとは言わせない。今お前が言ったように強欲の結晶は栄枯盛衰の中で、滔滔と連なっている。所詮、トゥルバンが興隆したのも歴史の中の瑣末事でしかない。ましてや、一豪族の滅亡程度の出来事など、現在に至るまで数え切れぬほどあった事象の、無視に値するものの一つに過ぎぬ。

 馬鹿な! 無視だと。死した無辜の民の無念はどうするのだ! 

 そう心の中で叫んだ瞬間、愕然とする。自分の先祖が収穫した糧で生きていた民は、今のトゥルバンと同じだ。

 戦争と言う微塵の容赦も無い力が生むものとは何かを、深く多面的に考えるがいい。

 うるさい! はいそうですかと、簡単に捨てられるか。二十年の長きに渡って、俺の根底にあった欠くことのできない執念だ。それによって生かされもしてきた。剣技もシタールも、結局は全てそのために磨き上げてきたも同様だ。

 その通りだ。そういった、お前のような歪んだ存在もまた、戦争がもたらした落とし子の一つに過ぎないのだよ。誰よりもお前が分かっているはずだ。

 地震のような激しい混乱に、自制し切れずニキルは頭を抱えて絶叫したかった。

今までの二十年間を唐突に捨てられる訳が無い。しかし、内在する矛盾は余りにも大きく、見過ごせるレベルではなかった。

 彼は眼前の輝きに満ちたインガナルに、戦争によって地獄の如く変貌した故郷の川を容易に投影することができる。

 血と死と炎と煙がもたらす阿鼻叫喚、そしてその後に来る常世の静寂。それをここでも再現するさせるということ。

 強欲の結晶が連なっていくのと同様、悲劇という負の連環も終りなく永劫に続くのだろうか。

 ニキルは、インガナルのほとりで過ごす人々をこれ以上直視することができなかった。断ち切るように元来た道へと振り返る。

 そして、足早に歩き始めた。

 一刻も早く、この場を立ち去らなければならなかった。

 藩王の前でも、あれほどまでに煮え滾る憎悪を抑え込めたはずが、この理解不能な動揺めいた混乱は、この場にいる限り益々ニキルの心を鷲掴みにして、千切れんばかりに揺さぶり続けるのだ。

 狂おしいほど頭を掻きみしり、絶叫したい思いがこれでもかと、大砲の連撃のようにニキルを激しく襲う。それらの強襲にニキルはこのまま自制を保つ自信は無かった。

 黒く染め上げてきた強固な思いが揺らぐ。

 ニキルは風のように群集を縫って、インガナルから逃れて行った。

 そんなニキルの苦悩を余所に、平和を謳歌する歓声と賑わいは、死者の都ではなく輝く陽を受ける都に相応しい生ける活気そのものに思えた。


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