ランガル城
季節は乾季に入り、鮮烈な日光が容赦なく地上を焼き付けるようになる。この気候に慣れている人々でさえ、路を行くのに軒下沿いや市場のアーケードへと足を速める。異国の旅人、特に北方の山脈の麓にある国々から来た者にとって、この暑さはさぞかし辛いものだろう。
夕日に暮れなずむ城下の街から、高さ100m程の丘に立つランガル城を遠目に眺めると、茶褐色の壁で周囲を覆われている堅固な城砦然とした様を目にするだろう。しかし、その無骨な風貌も、尖塔アーチをくぐって城内へ踏み入ると、一変して華麗な造りの宮殿が所狭しと群立しており、見る者を圧倒する。
そのファサード(正面)は繊細な彫刻で飾られ、張り出した出窓の様な部分は、ベンガル風の両隅が垂れた屋根のデザインが、基調だ。
宮殿内の装飾は、さらに華美な色彩が加わる。連続して配置されている宮殿は、カルディ・マハル(紅玉の館)やファンタラル・マハル(天空の館)など、それぞれに名付けられて特色ある美しさを披露していた。
中央に一際大きく、威容を誇るクンサール宮では現在、他の王侯貴族が招かれ、ダージル戦勝15周記念祝祭の宴が催されている。この戦勝により、現トゥルバン国は小国から確固たる中堅国家へと地位を固めた。その後、王の卓越した手腕によって急激に成長するトゥルバンは、紛れも無い大国へと上りつつあった。こうした勢いは、例によって強い光だけでなく、暗い影も引き連れるものだ。だが、今それは語るまい。
クンサール宮の大広間は、灯の光と楽音と贅沢な料理の匂いに満ち溢れ、各国各地から呼ばれた高名な踊り手や楽士、幻術師が、貴人たちの前でその技を競うように披露していた。ここで認められれば、彼らの評判の高さもさらに確たるものになるからだ。
評判高い踊り子のビパーシャが楽に合わせて、手や腰を流水のようにくねらせる。時折混ぜる軽やかなステップと、転回は確かに見事なもので、緩やかな踊りに上質のアクセントを添え、観る者を魅了した。彼女の艶妖な姿態と挑戦的な眼は、それだけで強い力を秘めている。そして、癖のある笑みが加わった時、何人の貴人の心を虜にして来たことか。
ニキルと言えば、要請されて特別に伴奏の一人としてこっそり参加していたが、舞踊は一瞥しただけ。淡白に爪弾きながら、心あらずで大広間の天井にふらふらと視線を流していた。
ビパーシャの踊りは、見世物としての総合評価は、近隣諸国では随一と言って良い。
踊り手としての技量も抜き出ており、人の心をつかむ表現力も際立っていた。彼女には特有の匂い立つ華やかさがある。譬えれば、色鮮やかな大輪の花を思わせるのだ。舞う度に極彩色の輝きを吹き散らす。楽無くとも、視覚的に楽音を響かせた。
しかし、別の側面から見れば、単純に言って派手である。さらに、品が足らない。気質が、その踊りと表現によく出ていた。傲慢にすら見える眼力の強さが物語るように、踊り子としての媚びは無く、時として王侯に対してすら口調と態度に、奔放と不遜を帯びる。それを良しとせず二度と召さない者もいれば、その一種の傾き振りを珍奇に思い、大器ぶって許し面白がる領主もいた。
しかし、ニキルの目には全てが、俗物に過ぎた。かつて、あの少女の舞を観てしまっては、それも止む得なかった。
当時、舞踊家ハシュラムの秘蔵っ子と言われていたその少女は十代半ばであったろう。物静かで、無垢な表情がとても印象的だった。
舞の姿はすでに完成の域にあった。無垢であると同時に、凛とした老成さが湧き上がり、爪先から指先まで躍動するように、また伸び伸びと気持ち良く踊る。時として、その躍動感が典雅なレースに覆われ、品のある不思議な落ち着きが添えられる。そして、舞う度にえもいわれぬ清涼感が広がるのだ。
若年ゆえか芸のみに関心を持ち、無欲にただ至高を求めたその趣は、純粋清楚、可憐ですらあった。
ビパーシャが人の目を気にし、人の手によって作られた大輪の艶花なら、少女は高山で人知れず咲く孤高の岩桔梗だった。
ニキルはその気風に共感を覚え、年下であったが、踊り手としての彼女をこの上なく敬愛した。しかし惜しむらくは、病を得て、ほどなく夭逝したことである。
その死は、道は違えど彼女の将来を嘱目していた彼自身にも、想像以上のショックを与えたらしく、諸行無常を詠う「ラッカシュウジャ」を作曲し、その悲哀を情感乗せて吐露した。
踊りが終わり、ビパーシャは王にかしずいた。一揖して退くかと思いきや、
「戦勝記念、心よりお祝い申し上げます。
拙き踊りにて、お目汚しを致しました。斯様な晴れがましき場にて、我が舞を披露させていただく機会を賜りましたこと、殊に感謝申し上げます」
ニキルはその振る舞いに、評判倒しの物足りなさを感じたが、王を見上げるその表情を目にすることができていたならば、その考えを引っ込めていただろう。
どうだと、言わんばかりの自信に固められ、上気したその顔は、やはり無遠慮で品に乏しかった。しかし、それ以前に踊り子風情が求められもせずに、直接王に声をかけること自体、無礼千万であろう。
側近たちは無表情に見下ろし、王は微かに苦笑しつつ、黙して頷いた。
ビパーシャが退出する傍らで、共にサロードを演奏していた男が話しかけてきた。
「ビパーシャの奴、相変わらず、王侯好みの踊りを知ってやがる。あいつの不評を言うのもいるが、実際見りゃあ、踊りはピカ一だよなあ。
そう思わないか?」
ニキルは視線だけ向けて、頷いた。表面だけ見れば、そうだろう。
「確かに、腕はある。それに、抑えるべき点を抑えれば、不評とやらも減ることだろう。ただ、彼女も無論それを知っているが、良かれ悪しかれ我を殺したくない手合い故に仕方あるまい」
「なるほどなあ。
まあ、あんたも若いのにそこそこいい腕をしているなあ。しかし、うーん、何か冷めた弾き様だ。淡々とし過ぎて、伸びが無いよ。音運びはびっくりするくらい正確なのに、もったいないぜ」
その他意の無い正直な言い様にニキルは、もの柔らかな失笑を漏らした。
シタールは踊りの伴奏、しかもその一つに過ぎない。主演奏でないのだから、脇役が主張しては駄目だ。主役を際立たせる役、守り立てる役に徹するが常道。しかし、分をわきまえぬ大抵の目立ちたがり屋は、それすら意に介さない。だから、三流の域を出ることも無い。またニキルからすれば、回りの奏者レベルに合わせることも必要だ。
それに何より、あの踊り手の伴奏とあっては、気分的に力も入るまい。
隣の男が言葉を続ける。
「それはそうと、今回の弦楽器主演奏は、ニキル・アルバーナらしい。放浪好きの為に、昨今はなかなか捉まらず、久しく表に出なかったみたいだが、どういう風の吹き回しやら。
世間から遠のいて、名も褪せたものの、腐っても鯛だろう。俺としては、初めての彼の演奏、幕裏ながら直に聞けるのは楽しみだな」
再びの失笑。どうだろ?鯰かも知れないぜ。
しかしあんた、すでに間近で聞いてるよ、全く本気じゃなかったけどな。
喉まで出かけたが、止めた。
「一つだけ言っとくが、奴は噂以上にすこぶる捻くれ者だよ」
そう言って、ニキルは座を立つ。
呆気に取られた隣の男は、次に始まる演奏を生涯忘れられなかった。
ゆっくり進み行くニキルの名が呼ばれた。次は彼の番だった。