お葬式
先日、父が亡くなった。
母と私、それから妹と弟を残し、食中毒で亡くなってしまったのだ。夜中に救急車で急いで運ばれて医者達による懸命な処置を受けたのだが、それでも甲斐なく三途の川を渡ってしまったのだった。
母はベッドの脇で泣き崩れて妹も泣いたが、私と小学生になる弟は茫然と突っ立っていただけだった。あまり実感が湧かない、奇妙な空間がそこにあったと思う。
調子の立ち直れない母に代わって、母の姉、そして夫にあたる伯父が葬式までの段取りをしてくれる事となった。私はまだ学生で、妹が中学生。地方の田舎から東京に引っ越して来て時間は結構経つけど、面倒事の頼めるツテも無いし、頼れる大人なんて他人には居ない。
だから親戚が知らせを聞いて駆けつけてくれた時には心底ホッとした。派手ではないけど交流を持っていてよかったのだと安堵する。親戚とはいっても、お中元やお歳暮を贈り合う程度で深く付き合いは無いが……。
「これが一連のお葬式の流れよ」
母の姉――ミツヨ、という。
漢字で書くと恥ずかしいらしいので、平仮名かカタカナで呼んでと不可能な事を言う。わかりましたと追及はしなかった。
ミツヨさんが手から差し出したのは一枚の紙切れだ。広げて読んでみる。
「死亡宣告→死亡届け→お通夜→葬儀・告別式→火葬→遺骨法要という流れになります。では各部分の詳細を説明していきます……」
そして細部が書かれていた。死亡宣告から死亡届けまで、まずお医者さんが死亡診断書を作成。その後、親族や死亡者の友人などに連絡、それ以外の人にはお通夜などの日程が決まってから連絡し、それから、お通夜の準備。喪主を決める。通常は配偶者、長男が行う。遺体の搬送先、葬儀会社を決めて、お通夜、葬儀の日程は葬儀社やお寺と相談してから決めることになる……とかかんとか、小さい詰まる字で書かれていた。
私には読むだけで苦行の道に思えた。
面倒くさい。やるしか無いのか。喪主でなくてよかったと目と紙を閉じた。
「心配しなくていいのよ。すべて私どもにお任せ下さい」
ミツヨさんはそう言ってくれた。母や妹達にも同様に言ってくれているようだ。おかげで私達家族は、すっかり頼ってしまうな……。
着々とお葬式までの準備が進み、簡単な流れは、1・受付開始→2・着席→3・開式→4・読経→5・僧侶による焼香→6・弔辞奉読→7・弔電奉読→8・一般参列者による焼香→9・閉式、となるのだ。それから最後の対面、出棺となる。
予定通りに葬式は行われ、棺の前に和尚は読経、親戚一同や近所から来て下さった他人、父と縁のある同僚や同級生、数が少ないが集まってきてくれて正座して並んだ。
堅苦しい空気のなか、慣れてもない正座に悶えながら、時折忍んでやってくる蚊に冷たい視線をくれながら、外でけたたましく鳴く蝉の音にウンザリしながら、じっとりと汗ばんできたシャツを恨めしく思いながら、横で半分以上に目を閉じかけて今にも眠りそうな妹や弟を突きながら……。
昼は豪華うなぎ定食だって聞いたけど本当かしら、なら素敵と目頭を押さえていた。
おかわり自由だといいけど。
「本日は、お集まり頂きまして誠にありがとうございます」
焼香と読経が終わり、和尚が速やかに去った後、喪主となった伯父が皆の前で挨拶をした。大勢の場には慣れてないのか、マイクを持つ手はぶるぶると震えているし、額には尋常でないほどの汗が浮き出て見えた。頑張れ伯父、きっと皆がそう思ってる。
「えー、本日は誠に……マコトに……」
何回「誠」を言うのか。ここにもしマコト君がいたら呼ばれてるみたいで落ち着かない。
「残念であります」
何がだ。内容がカットされた。聞いた人の想像にお任せだという事なら先日にサッカーワールドカップの日本敗戦の事にしてもいいだろうか。あれは悔しかった。道頓堀の川に人が十人以上飛び込んだ。
「積もる話もあったでしょうが、橋田家につらなる親戚一同、これからも心を合わせてやってままま参ります。遺族に対しまして、生前にも増してのご厚誼を賜りますようお願いいたしまして、ごごご挨拶に代えさせていただきます。本日は、ままままま誠にありがとうございましたががが」
お、上手いぞと褒めようと思ったのに後半にいくほど無駄だった、呂律が回らなくて聞き苦しい。頑張れ伯父。いっそ機械だったら良かったのに。
次は出棺だった。喪主から順番に生花を入れ合掌、棺に蓋をし、棺に釘内をするのだ。用意は出来て、順番に花を父の周りに添えられていく。最後に棺の蓋は頭が見えるようにだけにソッと開けられ、これもまた順番に、お別れの挨拶をしていくのだった。
母の番が来た時に、母の嗚咽が漏れた。「あなた、あなたぁああ」と、ハンカチを両手で握りしめて沈んでいく母を、後ろでミツヨさんが支えて連れて行ってくれた。
私が一歩前に出ると、腰のあたりで温度を感じた。
見るまでもない、妹と弟が寄り添ってきたのだ。私の傍に妹、妹の傍に弟。3人が暑いというのにピッタリとくっついて、視線は棺の中を凝視する。
父の顔は「美しく」。綺麗だと思った。誰がしてくれたのだろう、死に化粧がとても不気味だった。
父との、最後の別れ。
ちっとも、悲しくなんかない。
仕事が忙しくて、家で会う事がほとんどなかった父。最後に会話したのがいつだったろうか……。
ねえ、どうして死んでしまったの。
何で夜中に生の豚レバー食べてんの。「豚の肉と内臓は生で食べるな」って、厚生労働省が注意してたじゃない。
豚やイノシシ、鹿の肉は生で食べるとE型肝炎ウイルスに感染する危険があって発症すると発熱、悪心、腹痛等の消化器症状のほか、肝腫大、肝機能の悪化が現れるよって言ってんのよ。
冷蔵庫に隠しておいたお母さんが自分を責めてるわ。どうしてくれるのよ……父の馬鹿。
私の演技は上手くできるかな。お母さんや妹達の前で何でもないフリで過ごせるのかな。
ちっとも悲しくなんかないのよ。ちっとも……。
「お父さぁん……」
妹の擦れた声が頭に響く。弟は何も言わなかったが、潤んだ目で唇をグッと噛んで泣きそうな顔してる。
「お父さん、綺麗だね……」
私はそう言うのが精一杯だった。真っ白い顔。髭が伸びているね。でもぴくりとも動く気配がない。血の気なんかないのだ、生きてないのだから。
「さ、お別れ、いいかな。お父さんにバイバイしよう」
優しく、諭すように妹達に言った。ウン、と可愛らしく頭を2人ともに動かす。
さようなら、お父さん。
また会おうね。家で。
待っててね。
私は、妹達を連れて会場を出た。
一か月前の話だった。
母が新聞の折り込みチラシを持って私の部屋へやって来た。
「何の用? 今日これから徹夜予定なんだけど」
机の上に並べた参考書を横見して母の顔を睨んだ。イスに座ったままで目の前に立っている母を鬱陶しそうに。
明日は論文の提出日なのだ。時間が惜しかった。
「このツアーに行かない? 夏休みに」
どうやら持ち出してきたのは旅行会社の案内で、これから夏休みや初秋に向けてのツアーが賑やかに紙面を飾っていたようだ。母は旅行が好きで日帰り程度なら一人でも何処かへと出かけてしまう、明るい人だった。
「夏休みぃ? まだ分かんない~」
私は肩を落として気怠そうに吠える。論文を仕上げる事の方が先で他は考えたくなかった。
「これが面白そうなの。豪華うなぎ定食の昼食付きで8888円。朝は寺社の参拝、午後はクルージングなんだけど、それよりね……」
含み笑いをしていた。まるでイタズラを思いついたような顔をする。「何なのさ……」私はチラシを突きつけられた。
じゃーん、と見せられたそれには、デカデカと見出しで、こう書かれている。
『これは珍妙! お葬式体験ツアー!!』
コレハチンミョウ、オソウシキタイケン ツアー あああ……
私は言葉を失った。
「2014年、7月某日。父、マサアキは多忙の末に不慮の事故で亡くなる(予定)。残された家族に、あなたもなってみませんか!? 今ならなんと早期申込み特典・ノリの佃煮一袋と、農家で育てた無農薬野菜や果物が付きます!」
母は紙を読んだ。ただ読んだ。
残された家族になってみませんか……。
性質が悪くないかそれ。8888円だし。
「うなぎよ、うなぎ! 海で客船のクルージング! ねえお願い、お葬式なんてやり方解らないし、心許ないのよぅ~」
なんて私にすがってくる。なんて気持ちの悪い母親だ。これはホラーなのか。
「ねえお願い~」
私はハエでも払うかと母を追い払った。「分かったから、出て行けえぃ!」こんな娘で悪かった。
かくして、私は母と2人でこの妙なツアーに申し込んだ。誰が参加するんだ、こんなツアー。
バスツアーなのだが、定員は早くして埋まったようだ。申し込んで2日後に電話で返事が来た、「出発確定です」と。どうしてこんなツアーに申し込みが殺到したのか不可解でならない。私だけだろうか……。
忘れない思い出になった事は確かだった。知らない親戚に妹と弟、棺桶の中に居たのは白い犬、某携帯電話会社のそのマスコットぬいぐるみはとても可愛いかった。
ミツヨはきっと「三世」と書いて親がルパン世代なのだと推理した。フジコの方がいいかしら。
お土産にスイカひとたまがついてきて、うなぎが極上に美味しかった事も忘れられない思い出になった。
悪いが、楽しかった。
《END》
読了ありがとうございます。
約1年ぶりの更新ですが、前と変わってますかね……?
没になった理由として、SFでもなければホラーでもないなぁとか(怖くないし!)。半端もの。
ネタはあっても発展できないよ! とか、そんな理由です。ぬるい。
ではSFとホラー企画にも参加したいので(だから書いていて半端になったんだ汗)ここいらで。
H26.7.15投稿