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Mother's Day

 ある人が死んだ。

 その人が利用していたSNS、ソーシャル・ネットワーキング・サービスの、ログインパスワードを知る。俺は代わりにログインする事になった。


 ある人とは、全くの他人だ。性別すら違う。

 何故そんな事になったのかというと、これは仕事だ、配属された先で突然に上司から「じゃ、君、後は頼むよ」なんてノリで強制的とも取れるパワハラ内容を押し付けられたというわけだった。

 どうにも馴染めない、馴染みたくはない空気が俺にまとわりつくが、俺ももうじき34歳になる中年男なのだ、抵抗はしていられない職を失いたくはない、我慢しようと自分に言い聞かせている。

 黒縁の眼鏡が心強く感じた、直視したくない物が多くある、目を守りたい敵が多い、紫外線だけではない、花粉もそうだが、何より会社へ出向く際に通る道沿いにある、鶏小屋が大嫌いだった。朝夕に関係なく俺には鶏が鳴く、あのおぞましい獣の声で。

 昔、住んでいた家の近所で、犬を放し飼いにしていた家があったのだが、よく吠えられた。幸いにも飛びつかれる事がなかったが、もし俺がもっと幼くチビであったなら、間違いなく恐怖で飼い主をひどく恨んだであろう、嫌な小学生時代の思い出だ。引っ越して細かくは忘れてしまったが確か飼い主がカマキリさんといったか。変わった苗字だ、きっと本当は違う名前だった様な気が激しくする。


 手に汗しながらパソコンの置いてある部屋で椅子に座った。

 壁はパネルで仕切られており、今は俺しか人はいない。当たり前か、正午を過ぎたばかりだ。昼飯に俺以外の社員は皆、出払っているのだろう。

 俺が昼飯を抜いてまでここにいる意味。特には無い。

 ただ、会社の食堂でAセットの定食とBセットの定食のどちらかを選ぶ時に、今日はどちらも食べたくないと決めただけだ。残念ながらメニューがそれのみしかない。普通なら、和食のセットと洋食のセットとか、うどんとそば、とか、ご飯とパンとかスープとサラダとか、相対的にメニューが並ぶと思われるのだが、ここで食べられる日替わりAとBというのが「おでん」「じゃがりこ」と言う様な、それって可笑しい(お菓子)ではないかと言わされるのが狙いではと疑う。冗談も午後3時までにしてほしい、腹が減る。

 そしてエアコンの効いていない部屋だがそれもそのはず、正午から昼休みが終わる1時までは調子が必ず悪くなるシステムを導入した最新型のエアコンが稼働中なのだ。蒸し暑い。社長が業者をすこぶる褒めて買い取ったらしいのだが、考えても解らない。

 窓を開ければ初夏の風がとても気持ちいいだろう。季節外れのおでんも無理やり胃に流し込められるはずだろう。明日の日替わりは何なのか。前にコンビニで弁当を買って持っていったら、その日に限ってA「かにづくし」B「フォアグラ」と500円定食が並んでいて、悔し涙を飲み屈辱を覚えた。いい思い出だ。昨日の事だが。

 空腹は無視だ、仕事をしよう。俺は一枚のメモ用紙を机に置いた。

 そこに書かれているのが利用者のハンドルネームと登録メールアドレス、ログインパスワードなどだ。ログインをするのに必要なものなどが全て書いてある。

 俺は深呼吸をして、対象のSNSサイトへネットを繋いだ。俺の肩書は「掃除屋」だ。公式で言うと「クリーンアドバイザーシステム部」とか言うらしいが、格好がよろし過ぎるし分かりにくいので俺は「掃除屋」と呼ぶ事に決めていた。ルビで「クリーンアドバイザーシステマー」とか書いておけばいい。何処かの探偵アニメの映画タイトルみたいだが気のせいだろう。カタカナがあまり好きではないのだ。

 ネクタイを少し指で緩めた後、俺は前髪を掻き分けた。汗ばんでいた。

 離れた棚に上手く落ちない様に会社の団扇が挟んであるのだが、取りに行くのが面倒臭かった。会社創立100周年と思いっきりな嘘とリアルゆるキャラ「ごーま」ちゃんの描かれた、シンプルなデザインの団扇だ。ピンクの駒がリアルに描かれている、気色わるい。婦女子と子どもには大人気だ時世なのか。大阪と滋賀県で欠品中らしい。

 難なく他人である俺がログインに成功すると、ブログのホーム画面が現れた。利用者はハンドルネームが「ゆき」というが、本名が「肥田増子」である事を知っている。読みは「こえ・だますこ」でも「こえ・タマスコ」でもない。「こえだますこ」だ。結局何処で区切るのだろうか不明だ。俺はマスコを信じている。

 36歳、女性、職業は自営業。メモに書かれた個人的な情報は簡単で、それぐらいである。ブログで周囲の様子を見ると、友だち登録が24人、家族登録が12人、武者登録が300人。桁違いだが無視だ。次に趣味だが、刺身登録、あわや登録、こたつ同盟登録、クマらぶ登録、武者震い研登録。趣味なので悪くは言いたくはないが難解だ。あわやとは何なのだ、武者と縁を切れよ。

 日記一覧を見ると、3年前の5月9日で止まっている。

 3年前だった。これ以降にログインされた形跡はなく、交流も無い様だった。恐らく登録数はもっと多かったはずだが、不在となった利用者は登録解除されていき今の数に至ったのだろう。と、いう事は武者がはじめ何百人いたのかは気になる所だったが無視だった。

 プロフィール画像がユリの花だったが、自作による詩を書いたり、こんなお菓子を作りましたという様な紹介記事があり、結構女性らしい面はある。アイドルに熱狂している日記もややある。

「フウン……。独身か。自営、っていうから何の商売かと思ったけど農家か。農家ってバレるとマズイのか?」

 日記を非公開にして家の事を書いているらしく、農家の娘である事を隠しているのかと思った。堂々と書けばいいのに、と付け加えてひとりごちた。独身というのを隠す心理はまだ解らない事もないが、職業を隠すのが男の俺には解らん。俺はともかく、最新の日記ページを開いた。直ぐに表示された。


「今の幸せを失いたくはない」


 そこに書かれていた一文が、目に飛び込んでくる。


 一体どうしたのだと内容を読む。


「今日は、ママの為にミナトモールに買い物に行った。予算は1万円。ほんとはダイヤの指輪くらい買いたいけどダメ。到底あたしの稼ぎじゃ買えない。それにママには似合わないかも。貧乏癖がついちゃって要らないっていうかも」


 この調子で買い物の経緯が続いていた。店員の対応がどうとか、迷いに迷って結局は何も買えず帰ったなど。だらだらと読んでいても退屈な文章が並んでいる。


「花にした。コンビニで昼に肉まんを買ったら、レジで見つけたカーネーションの花。筒の透明ケースに入った、一輪のね」


 花? 俺はああ、と呟いた。そうか、3年前の9日は母の日だ。だからカーネーションで、ママの為に、か。そういう事か。俺は軽く頷いた。


「ケースの下に、クマが赤いハートを抱えているの。とっても可愛い。きっとママは喜んでくれる。きっと」


 はしゃぐ子どもを想像した。まるで子ども。

 それまではポッチャリ体型の中年女性を想像していた俺なのだが、いきなりと言葉が浮かんでくる。


「今の幸せを失いたくはない」


 俺はごくりと唾を飲み込んだ。今の幸せ。軽く首を振る。

「今の幸せを失いたくはない」

「今の幸せを失いたくはない」

「今の幸せを失いたくはない」

「今の幸せを失いたくはない」

「今の幸せを失いたくはない」


 さらに。


「今の幸せを」


 リフレインが頭で止まらない。

「あたしはママが好きよ。絶対に。忘れたくないし、介護だってするわ。失いたくないし、永遠が続くと願っているわ。誰にも壊されたくないの。この幸せを」

 内容は「非公開」にされていた。

 俺以外に見る事が無いのだ。正確に言えば、パスワードを知らないと。

「ママ、大好きよ」

 恥などおくびにも出さず、堂々と書いてのけていた。何処からそんな力が湧いて出る? と本人に確かめてみたいと自分を笑った。

「ゆき……」

 俺は俺を呼んだ。利用者の名ではない、俺の名前が「雪平」なのだ。

 そして呼ぶと同時に、ある事が思い出された。昨年の2月の葬式の事を。

「ゆきちゃん」

 振り返ると、幼馴染の母親である顔が俺を温かく細い目で見てくれていた。

「おばさん、今日はありがとう来てくれて」

「何言ってるの当たり前でしょう。しゃんとしなさい」

 トンと肩を叩かれた。背筋はしっかりと伸ばしているつもりだったが、そうは見えなかったのだろうか。耳の後ろを掻きながら俺は頷くだけだった。

「ゆきちゃん」

 別の声が違う方向からしたので振り向くと、今度は母親でなく幼馴染。今はもうすっかりと大人の女性だ、主婦だ、結婚して子どもがいる。

「ゆーきーちゃーわー」

 母親の手をひいてご機嫌の様だ。俺に笑いかけていた。俺に見下ろされても目はきらきらと輝き、つられて俺もニヤッと口を歪めた。


 葬式は静かに厳かに行われ、

 棺桶で眠っている母親に、さよならを告げたあと、

 出棺の音が鳴り響くなか、

 俺は、

 泣けないから、意地で、泣けないから、

 世の中全てを飲み込んだ。


 おかしいだろ。


 おかしいだろ。

 他人の事なのに。

 悲しいなんて。


「今の幸せを失いたくはない」


 何度目のリフだ、数えきれない。

 肥田増子の幸せは、ここにあったのだ。それを、俺は。

 それを俺は、消そうとしている。

「退会……」

 俺の仕事は、死者の身辺整理も兼ねた、ブログの掃除屋だ。3年を区切りとし、3年の間に一度もログインしてないか、あるいは利用者の死亡が確認された場合に呼ばれる。

 生きていたらまたブログに戻ってくるかもしれないが、死者は戻ってくるはずがない。

 利用者の死因は教えられていないが、知らずとも仕事に影響はないので、俺は利用者の情報を借りてログインし、利用者になりすまして退会手続きをする。どうしてサイトの管理者に連絡せずにこんな回りくどい事をせねばならないかと言うと。管理者の連中の頭が固いのだ。管理者が聞いて直ぐに該当者を削除すれば早い話なのだが、お茶を濁す様に交わされて時間がかかる事が多い。

 調べるのに時間がかかるからという理由か、はたまた責任逃れなのか。いい加減にしてほしい、という一致した意見で御身はここにこうしているわけだ。はじめこの仕事の話を聞いた時、何か重大なミスを犯して左遷にでもなったのかと目の前に広がる田舎に憤慨したが、雲も空も誰も相手にはしなかった。


「今の幸せを失いたくはない」


「ママ、大好きよ」


 これがもし恋人だったら。

 これがもし自分の産んだ子どもだったら。

 これがもし自分だったなら。


 壊せば悪魔、壊されれば悪夢。


 俺の指が躊躇していると、遠くで声がした。


 どうやら、昼食を済ませた誰かが帰ってきたらしい。ドアが開いた。

「何よ? 仕事してんの、こんな時間でも」

 押しの強い声がした。同僚の伊井黄実子、家庭的といった風はない、どちらかというとやり手の仕事女といった感じだ。俺の上司という事になり管理課の責任者である。線の細い体で華奢というか、兎の様に俊敏に動けそうな。

「ああ、まだ慣れてないんで」

 俺は相手にするのを少し面倒臭そうに言った。

「消すだけでしょ。早くしなさいよ」

 仕事内容は既に把握しているらしく急かされた。壁にかけられた時計を見ればもう12時46分。30分以上ブログを閲覧してたのかと気がつく、確かに遅すぎる。

「これ1件め?」

 彼女は、俺の所に来ると画面を見ながらマウスに手をのせた。カチカチと音がしながら、カーソルが退会手続きの画面の「退会する」バナーに合う。

「早くしなさいよ。えいっ」

 カチ。僅か数秒で事は実行された。「あ」思わず声の漏れる俺。

 そんな一瞬な。

「さ、次」

 彼女は次へ行こうとしている。俺からメモをぶん取った。

 画面では「退会しました」と子犬が泣いているイラスト付きの画面になっていた。

「最終ログイン時間を見たらすぐ判断つけるでしょ。これも消し。さ、早く」

 そう彼女は言って、俺の座っている横で作業を続けた。カチ、カチ、カチ。

「退会しました」

「退会しました」

「退会しました」

「退会しました」

 彼女の手が早い。

 リズミカルだとさえ思った。

「あと30分で30件終わらせなさいよ。次の仕事が待ってるからね」

 1件1分か。厳しい。

「じゃあねよろぴく」

 それだけ言い残して彼女は去って行った。

 俺はしばらく固まっていた。フリーズ中である俺。

(そんなもんなのか……)

 再びに動き出すには時間がかかりそうな俺。

 よく考えてもみろ、これは仕事だ。基本的に私情は挟むべきではない、そんな事は分かってる。

 退会削除をする事が結果として変わるのだろうか? 否なのだ。削除判断は既に登録利用者の「死亡」で決定しているのに、閲覧なんかして。余計な時間をかけている。非効率というものでないか。

(だけど)

 彼女の言う様に、最終ログイン歴を見れば判断の確認が可能だった。消せ。

 壊せば悪魔、壊されれば悪夢だって?

 それは利用者が「生きて」いた場合になる。

 俺の仕事は消す事だ。


 酷い奴だが、彼女みたいな奴がいないと、いつまでも俺みたいな気の弱い奴が、

 一歩も動けずに、

 間違った選択をしてしまうのかもしれない。


 俺は溜息をついた。これから、俺はこの職場で上手くやっていけるのかどうかを考えると気が重い。

 やがて伊井黄実子、彼女が再び俺に呼びかけた。「お昼まだでしょ?」

 部屋を出て行ったり戻ってきたりと、忙しそうにはしていた彼女だったが、俺の事が気にかかっているのか視線は感じていた。

「私はまだ食べてないけど。一緒にどう? お昼の時間が過ぎても構わないし」

「ああ、ええ、そうですね」

 食堂で「おでん」も「じゃがりこ」も食べたくはないので、外へ行くか。

「あーお腹すいた。機会を逃すともう食べれなくなっちゃう。早く行こ!」

 彼女は腕時計を見ながら言った。さっぱりし過ぎてやしないかと俺は汗が流れる。

「待ってるよ、いつ行くって、それは――」

 嫌な予感がした。

「今でしょ!」



《END》




 母の日に絡んで思いつきひとまずプロットを立てたのですが、何かが足りん! と思い没×で。機会があれば短編で挑戦してみよう。久々すぐる更新orz


 H25.5.12.投稿


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