その後の学院で
その日、ラース様は夜遅くまで帰って来なかった。
私を送り届けたクヴァシルも、すぐにラース様の元へ行き、夜中近くになってアシェル様やラース様と一緒に帰ってきたようだ。
あまりに遅い時間だったので、心配で帰宅を待っていた私だけど、声をかけることは控えた。疲れ切っているのだから、早く休んでもらいたいと思って。
その次の日は、私もラース様達も学院を休んだ。
とはいえ私は休息。一応誘拐されて、やたらとスキルを使ったのだから、大事を取った方がいいと言われたのだ。ラース様に。
「何が起きるかわからないですから。以前も、急に寝込んだことがあったでしょう?」
「今度はないと思うのですが……」
あの時とは、私の気持ちも違う。生活の上での問題がいくつも解決されて、むしろほっとしているぐらいだ。
「それでも、心配なんですよ」
ラース様は私の肩に手を伸ばす。そっと指先で、肩にかかった髪を背に払うと、アシェル様やクヴァシルと三人で、王宮へ後処理のために向かったのだった。
それから一週間、三人はずっと忙しくて、私はなかなか話せずにいたけれど、それも仕方ないと思う。
なにせ公爵家と伯爵家を一つずつ、取り潰しにするかどうかの話し合いをするのだ。
魔獣を飼っていたことを伏せるのか伏せないのか。伏せるならどういう理由を作るのか。話し合うことは沢山ある。
私は元の通りに学院へ通った。
学院では、思った以上に穏やかに過ごせた。
既に事情の概要くらいは聞いていたブレンダ嬢は、いつも通りに接してくれた。
「オーグレン公爵家とヘルクヴィスト伯爵家に問題が発覚したとだけ聞いております。一応、その家とつながりのあった方に注意を、と伝えられておりますが……」
ブレンダ嬢が周囲を見回した。
いつもオーグレン公爵令嬢達と一緒にいた人々は、困惑した表情で固まっている。会話をしているわけではない。
「まだ詳細については漏れてはいないようですね。ラース様達が関わっていることは」
「ええ。でも……私のせいにはしないんですね」
時折漏れ聞こえて来るのは、エレナ嬢のことにも触れないあたりさわりのない会話だけ。
エレナ嬢だったら、間違いなく雨が降っても自分がつまづいても、全部私のせいにしてにらみつけてきていたし、周囲も私を責める視線を向けて来ていたことを思うと、なんだか不思議だ。
「リネア様に感じていた恐れというのは、得体のしれない恐ろしい噂と、周囲からの評価のせいですから……」
「噂と、評価、ですか」
「得体のしれない恐ろしい噂については、他家の養女になられた時点で、かなり軽減されたと思います。そもそも、リネア様の御実家の噂でしたし。今は関係がありません。そして周囲からの評価は、オーグレン公爵令嬢や王族に睨まれたくない、というものが主だったのでしょう」
そこでブレンダ嬢は苦笑いする。
「私も、リネア様に近づくことで、王族でもあるラース様や他の方々からの評価を下げられることを恐れていたのですわ」
「それは仕方ありません。評価が下がれば、お家やご結婚にも差しさわりが出るでしょうから」
黒い噂のある家の娘とつきあってる令嬢なんて、嫁にしたくはないと言う人は多いだろう。
「リネア様がお優しい方で、本当に良かった。オーグレン公爵令嬢だったら、私とお友達になっていただけなかったでしょう」
私は笑うしかない。
エレナ嬢だったら、表面的には友好的にするかもしれないけれど、後で何をするかわからない。なにせ私を魔獣に殺させようとした人だ。
その日の帰り、ふといつもエレナ嬢と一緒にいた一人が、ブレンダ嬢達と一緒にいた私に声をかけた。
「あの……っ」
並々ならぬ決意を込めた声音に振り向けば、吹き抜けの回廊から見える庭の、薔薇のアーチの陰に隠れていた。
くるくると巻いた黒髪を、上半分だけ結い上げた彼女は、いつも銀色の花をかたどった髪飾りをしている。宝石もない髪飾りは簡素だからこそいいと思うけれど、時々エレナ嬢にみすぼらしいと言われていたのを知っていた。
いつも彼女は「エレナ様の引き立て役になれれば、本望でございます」とはぐらかしていた。
そんな彼女がどうして声をかけてきたのか。
「こ、この姿勢で失礼しますわ、リネア様。どうしても他の方に見つかるわけにはいかないので」
誰にも……たぶん、いつも一緒にいるエレナ嬢の取り巻き立ちに見つかりたくないのだ、と気づいた私はハッとする。たぶん彼女の用事は、エレナ嬢に関しての抗議ではないのだと。
「あの。エレナ・オーグレン公爵令嬢の今後について……できれば、その家に仕えていた者についてご存知ではないかと思いまして」
「仕えていた者……ですか」
エレナ嬢の家の使用人のことを気にするのは、なぜなのか。そう思った時に、隣のブレンダ嬢が耳打ちしてくれた。
「おそらく彼女の従者が、エレナ様に取られてしまったのではないでしょうか」
「あ……」
気に入った従者を取り上げるとは聞いていた。
たぶん目の前の黒髪の令嬢は、エレナ嬢に従者を渡すしかなかった人なのだ。
「私はまだ状況はよく知らないのです。お家の存続が難しいかもしれない、ということだけは想像がつくのですが……」
私は魔獣にも遭わず、何も知らないというふりをしなければならないのもあって、そう答えた。
黒髪の令嬢は涙ぐんだ。
「我が家に仕えていたレイルズという者が、エレナ様の家にいるのです。その者から、い、遺書が……」
「遺書?」
「何があっても、自分とは関係ないと言ってほしいと。もう他家に勤め替えした者だからと。ただ妹のことだけはよろしく頼みたい、と」
ぽたりと、彼女の頬を伝った涙が、広がった青のドレスの裾に落ちる。
「レイルズは、エレナ様に逆らおうとした私を押しとどめて、自分から望んだ振りをして、エレナ様の従者になった者なのです。我が家の恩人なのですが、何かとてつもないことに関係させられたらしくて。きっと処刑されてしまうのではないかと、そう思うと居ても立ってもいられなかったのです」
話を聞いて、私はふっと思い出した。
魔獣のいた森で、二人のうちの片方の従者がレイルズという名前だったはず。私を殺そうとする従者を止めていた。
「金の髪で、容姿がいいから差し出せと言われて……」
容姿からして、ほぼ確実だ。そうか、嫌々ながら従っていた人だったのだ彼は。
そして私を助けようとしてくれたのも、間違いない。
「ラース様に伺ってみましょう」
私の言葉に、黒髪の令嬢はパッと顔を上げた。
「どこまで何ができるかはわかりませんが、伝えておきます」
「ありが……ありがとうございます……」
彼女は涙にぬれた顔を手で覆って、その場に平伏してしまった。
その姿に、私にアルベルトの命乞いをしたミシェリアを思い出す。レイルズという従者は、それほどに彼女にとって大事な人だったのかもしれない。
私は帰った後、朝だけは顔を合わせられるラース様に、レイルズのことを話した。自分を助けようとした恩人だからと、温情をお願いしたいと。