誘拐事件を見過ごすのは……
私はラース様の馬車に乗って帰ることになった。
ラース様はアルベルトと話をした後で、グランド侯爵の馬車を借りて帰ることになる。
公爵家の館まではすぐだ。
先ほど見た聖花の絵画のことを思い出しながら、ぼんやりとしていると、ふとおかしなものが見える。
あれは学院の召使いのお仕着せ。
金の髪といい、ミシェリアではないかしら?
その彼女が曲がり角の向こうで、誰かと揉み合いになっている。
相手は複数の男。近くに馬車があって、扉が開いていて、中にいる男がミシェリアの近くにいる男に手を振っている。
連れ去られそうになっているの?
「…………止めてください」
考えたのは数秒。
馬車が停まり、マルクが扉を少し開けて確認を取りに来た。
「どうなさいましたか。ご気分でも……?」
「ごめんなさい。今連れ去られそうになっている人を見かけて。知っている人なの」
私にとってはいい人ではない。どこか遠くに行ってほしいと願っているような相手だ。
それでも目の前で犯罪被害にあっているのを見逃して、放置することなんて私には無理だった。
何より私には、スキルがある。
「助けてほしいのだけど、万が一のために一緒に行きます」
離れるより、近くにいた方が何かあった時にどちらかが相手の状況を把握できるし、対処しやすい。
マルクは少し迷ったようだけれど、最終的にうなずいてくれた。
私は馬車を降り、マルクと一緒に先ほど見かけたミシェリアの元へ向かう。
馬車が近くに止まっていたので、すぐに彼女の声は聞こえてきた。
「誰か助けて! やだ、触らないで!」
彼女の姿が見える場所まで行くと、近くの馬車に押し込まれる寸前だった。
マルクは近づいて、落ち着いた声で呼びかけた。
「そこのお嬢さん、こちらへ」
「えっ」
ミシェリアはマルクのことを知らないせいか、助けが来たというのに反応が鈍い。
でもその間に、そばにいた男に小脇に抱えられ、引きずられてしまう。
仕方なくマルクは、ミシェリアを捕まえた男を一瞬で叩きのめした。
解放されたミシェリアは、その場に座り込む。
男たちは当然マルクに襲いかかって来る。
マルクは想像以上に強くて、彼らを自分に寄せ付けないけれど、ミシェリアをかばいながらでは動きにくいようだ。
私は考える。
他人を起点にこのスキルは使えない。あくまで起点は私なのだ。
「視界にいる中で、私からもっとも離れたところにいる三人が、こちらに近づけないように」
つぶやくと、相手の馬車の中にいた男とその近くにいた二人が、マルクに向かって行こうとしたけれど壁に阻まれたようになる。
その間にマルクは、近い場所にいた男たちを倒し、ミシェリアの手を引いた。
「逃げたいのなら立ってください」
「は、はい」
困惑しながらもミシェリアが立ち上がった時、彼女を連れ去ろうとしていた男たちが、引き上げていく。
捨て台詞も何もなかったので、一体何が目的だったのかわからない。それはミシェリアに聞けばいいだろう。
「お嬢様」
マルクが、少し離れたところにいた私の元に、ミシェリアを連れてくる。
「リネア・エルヴァスティ……」
ミシェリアの表情が険しくなった。というか、もうエルヴァスティではないのに……と私は思う。
「あの男たちが戻ってこないとも限らないわ。安全を確保したいのなら、一緒に馬車に乗せてあげるけれど」
いちいちミシェリアの言動にこだわっていては話が進まない。私はそうミシェリアに言い、マルクに場所を近くに寄せてくれるよう頼んだ。
「行かないというのなら、そのまま一人で帰るといいわ」
どこへ行く気だったのかもわからないし、学院に帰るつもりなのかも知らない。
とにかく一度は助けた。その後は危険な道を選ぶのも、我慢して私といることにするのも、ミシェリアが決めればいい。
私もさすがに、嫌がる人を無理やり助ける気はない。
ミシェリアは悩んでるようだった。うつむき黙っている。
と、その時。
馬の嘶き、慌てる御者の声。
振り返れば、馬が暴れて御者が慌てて御者台から降りていた。
マルク私も、それに気を取られた瞬間だった。
鼻を突くような香りが広がる。
途端に手足がしびれて、その場にしゃがみ込むしかなかった。それはミシェリアも同じだ。
「なん、なんで!? どうして私まで!」
ミシェリアも予想外だったようで、困惑した表情で辺りを見回している。けれどそのうちに力尽きたように眠り込んでしまった。
私の方は痺れた時点で、何かの薬だと察した。
大雑把な指示でスキルが発動するかわからなかったけれど、薬が自分に触れないようにと念じてみる。
うまくいったのか眠るようなことはなかった。けれど、それまでに吸い込んだ分でしびれて、身動きができない。
首を巡らせ、離れた場所にいるマルクを見た。
言葉で指示をしたら、きっと近くにいる敵に動きを知られてしまう。
だから私は、指先を動かして指示し、マルクがここから離れるように念じた。
マルクの足が後ずさりするように動く。
スキルが発動して、押されているみたいだ。私に近づけないでいる。
そのおかげで、マルクに私の真意が通じたみたいだ。
彼は急いでその場を離れてくれる。姿が消えたことに安心した私は、ちょっと考えてミシェリアのように眠り込むふりをした。