閑話 ~アルベルトへ差し伸べられた手2~
「恋のお手伝いをいたしましょうか?」
「え?」
突然近くから聞こえた声に、アルベルトは自分がまったく周囲に注意を払っていなかったことに気づいた。
振り返れば、十数歩離れたところに、見覚えのある女性がいた。
オーグレン公爵令嬢エレナだ。
「こ、恋の手伝いとおっしゃいますと……?」
何度か話はしたことがあった、いつもアルベルトには優しいので、少し自分に気があるのではないかと思っていた人物だ。
でも身分が違いすぎる。
そもそもオーグレン公爵は、娘のエレナを王子の花嫁にしたがっていると聞いたことがある。王子と結婚するなど、王族の一員であるエレナのような高貴な令嬢か、他国の王女ぐらいしかできないものだ。
だから彼女は、たまさかアルベルトを気に入ってくれていただけなんだろうと思っていたが。
恋の手伝いとはいったいどういうこと言いたいのだろうか?
アルベルトの問いに、エレナはすぐに答えた。
「学院の下働きをしているミシェリアという女性。元は貴族令嬢だと伺っているわ。アルベルト様はあの方と結ばれたいのでしょう? 有名ですものね、学院の中で仲睦まじくしてらっしゃる姿を何度も見たわ」
「はい……その……」
リネアへのあてつけで行なっていたことだが、改めて他人からこんな風に言われると、少々気まずい。
そんな思いを見透かしてか、エレナはくすくすと笑う。
「気になさらなくていいのよ、ご婚約の頃から女性を囲う貴族は多いですからね」
「その、お目汚しを……」
アルベルト歯切れ悪くそういうしかなかった。
たとえそれが認められていても、正妻の座に収まる人物に堂々とうなずくのは失礼だろう。
宗教上、この国では一夫一妻が基本だ。庶子や愛人は本来認められるものではない。
ただ貴族の場合は跡継ぎを失った時のため黙認され、裕福な商人たちが愛人を持つのは、貧しい庶民の女性が生きる術の一つとなっている。
何よりそういった者達から、一定の喜捨を得ている神殿が黙認しているのだ。
ただ正妻達からは、当然恨まれる。
場合によっては自分の立場を脅かされかねないからだ。愛人を正妻にするために、正妻を冤罪で陥れることは多々ある。
「気の毒ね、愛しい人を自分の隣に置くことができない男性は」
アルベルトの謝罪には答えず、エレナそんなことを言う。
「だからお手伝いしてあげようかと思って」
「な、何をでしょう?」
「リネア・レーディンだったかしら、今は。彼女を消すことを」
アルベルトはひゅっと息を飲む。
今エレナはたしかに『消す』と言ったのだ。
そうなればどんなにいいか。何度も何度も、アルベルトを夢想していた。でも現実にはそんなことできない。
「スヴァルド公爵が……」
彼に知られたらどうなるか。家を潰されるだけ済めばいい方だ。
「あの方も騙されているのよ。さもなければいつもうつむいてばかりの暗い女などに、あの輝かしい方がよりそうわけがないもの」
エレナが言うことは、いちいちもっともだった。
何の魅力もない女。それどころか、そばにいれば汚名を被ることになる。迷惑なだけなのに、わざわざかばう理由など一つしか思いつけない。エルヴァスティ伯爵が密かに手に入れた薬などを使って、無理やりに篭絡したのに違いない。
だからスヴァルド公爵ラースはとてもかわいそうな人なのだ。
リネアのスキルについて知らないアルベルトは、素直にそう思う。
「しかし潰すと言っても……」
「それは私が」
エレナは自分の胸に手を当てる。オーグレン公爵家の方で始末してくれるらしい。
でも生来、意気地なしのアルベルトにはどうしても決断できなかった。自分が殺す決断をするのが怖いのだ。
そんなアルベルトの耳に、エレナは甘い毒を注ぎ込む。
「彼女さえいなくなれば、あなたは婚約をしなくてもよくなる。その後は私と一緒になればいいわ。あなたの大事なミシェリアといったかしら? 彼女を囲ってもよろしいのよ?」
「エレナ様と結婚? でも……」
「大丈夫。家格の差などどうにでもできるわ。私は意に染まない結婚から逃げたいのよ。どうしてもあの王子殿下から逃げたくて……。とても乱暴者という噂もあるし、言動がきつい方だから、一緒にいることになれば何度も泣くことになるでしょう。そんなのは嫌だわ」
エレナは悲しそうな顔をして、自分の肩を抱きしめる。
たしかにコンラード殿下は、言動に問題があると聞いている。王族は学院に通わないので、近しく交流したことはないのだが、横柄な物言いをする方で、その意に反すると直ぐに叱責されると耳にしていた。
それを避けるために、 別の人間と結婚したいというのは分からなくもない。
現に自分も、とても結婚生活が楽しいものにはならないとわかりきっているから、リネアと結婚したくないのだから。
(それに……オーグレン公爵家なら、スヴァルド公爵のことも抑えられる)
同時にミシェリアのことも、完全に諦めなくてもいいのだ。
アルベルトは、エレナにうなずいてしまう。
「エレナ様がそうまでおっしゃってくださるのなら……。分かりました」
エレナは満面の笑みを浮かべた。
「嬉しいわアルベルト様。では、あの方のことは任せてくださいませ。一度だけ協力していただければ、間違いなく役目を果たしてみせます」
その言葉に、アルベルトはほっとしたのだった。